6、「……シンデ」光が俺の心臓を貫き視界が真っ暗になった。
ソラ ・・・男。過去の事を覚えていない。名前は仮称。人。
アイリス・コーエン・・・獣耳と尻尾がある少女。
神無月イヨ ・・・日ノ国の巫女。人。
暗い夜の森の中、イヨが赤い灯りを照らして前を走り俺もそれに続く。
すぐ先にある木々すら直前で気づいて避けなければならない中、巫女服とかいう足もと近くまでたぶついた走りにくそうな服装に反してイヨの動きは躓きそうになることもなく軽やか。俺は走る一歩一歩を木の根元に足を取られないように気をつけつて苦労しているというのにイヨは先に進みながらもこちらを気にして振り返って走りを合わせる余裕すらあった。
「ところで、誰に村が襲われているんだ?」
「おそらく百鬼の仕業です」
百鬼。たしか村の人たちに尋ねられた名前だったな。
「味方か?」
「そんな訳ないでしょ! 彼らは魔の王の復活を目的としている集団ですよ」
それなりに走っていながら息切れもない感情を堪えるような重みある声。
会話はココまでとなり、ひらすら先を急いで森の中を駆け抜けようやく辿り着いた場所に広がっていた光景。
「あぁ。なんて、惨い事を……」
イヨの呟きに思わず頷く。
辿り着いた獣人たちの住む村の入口は、既に手遅れだとわかるほどの血にまみれた惨状となっていた。入り口の門だった場所は獣人らしき姿が何人も倒れ、村の中の家々からあがる炎がその光景を照らしている。
そして、そこには獣の耳も尻尾もない俺と同じ姿をした人が仮面を被った状態で何人も倒れていた。
様子から人と獣人が戦ったあと、か? それにしても、俺やイヨと同じ姿の人も普通にいるのだな。
不快な血の臭いが漂い吐き気が込み上げてきたのかイヨは袖で口元を覆い、俺を睨んだ。
「なんで亡くなった人を見て嬉しそうな顔をしているんですか!」
「いや、俺とイヨ以外にも人がいるのだと思ってな」
「言っている意味がわかりません。そんな事よりもこの光景を見ても何も思わないのですか!」
たしかにイヨに出会うまで人と会っていない俺の気持ちになれというのは無理な話か。
訴えかける目でイヨが指さした先の家々からは炎と煙が上がっており、村の中は建物から地面に至るまでのそこら中が血の色で染まり、地面のそこらに人と獣人が倒れ、首だけや欠損した肉片があちらこちらに落ちていた。それらは獣人のものほどあからさまにひどく、武装すらしていない者まで切り刻んだ光景は殺戮と呼べるものであった。
「そうだな、まるで鬼の所業だな」
「その他人事みたいな呟きは気に入りませんが……」
イヨはもの言いたげにまだ俺を睨んでいたが、諦めてため息をついた。
「これが百鬼のやり方です。抵抗する相手は容赦なく殺し、降参した者も無力な相手すらも嬲り殺しにする。殺された獣人たちがモトの姿もわからないほどにバラバラでなのは、逆らうモノの末路を見せつけるためだけなそうです。吐き気がする話ですよね」
百鬼とやらはずいぶんと狂気じみた集団らしい。イヨに味方かと尋ねて怒った理由はそういう事か。
だが、この世界で強者が生殺与奪を握るのは普通の事なはず。ここまでする必要はないが、無力ゆえに殺された事は力無いものの結末としか感じないが。
そう思いながら再びその光景を眺めていたところでイヨが再び睨む目に気づいた。
「俺は何も言っていない」
「私も何も言ってません!」
お互いに意味のないやりとりをして改めて残虐な光景から必要な情報を探る。
この殺意を形にした光景は燃え盛る炎や血の乾き具合からそれほど時間が経っていない。それは実行した百鬼もすぐ近くに居るという事。
嫌な気配に腰元に手をやり気づく。剣がない。
「何をしているのですか。持ってないなら落ちているのを拾えばいいではないですか」
イヨが冷めた目で言い、頷いて落ちていた武器の中からなんとなく傍に落ちていた槍を手に取る。
オオカミと対面した時の失敗を思い出して振り払って、持ち替え、突きを放ち、そこから再び振り払う感覚をたしかめる。
するとイヨがため息をついた。
「……まさかとは思いますが正面から突破するつもりですか」
「俺はまだ何も言っていないが。アイリスはその先に居るのか?」
「そうです。ただ、たしかに村の中を突破するのが最短ですが、百鬼は多人数で一人を囲んで殺す戦い方をします。彼らの一部がまだ村にいる可能性は十分にありますし、もしも見つかれば格好の餌食ですよ」
「ああ。なら、見つかったら囲まれる前に突っ切るしかないな」
イヨはなぜかもの言いたげため息をつき、そしてなにか吹っ切れたかのようにほほ笑んだ。
「考えなしで動く人に何を言っても無駄でしたね。アイリス様はおそらくこの村の反対側の出口からまっすぐ進んだところにいると思います」
「よくわかっているじゃないか。助かる」
「……嫌味なんですが」
頷き走り出すとイヨが後ろから続いていた。餌食と言いながら付いて来るつもりらしい。
「繰り返しますが村の中に百鬼はまだ居ると思います。そして、私は武器を持っていませんので。……最後の警告ですよ。本気で突っ切るつもりですか?」
「ああ、本気だ。このまままっすぐ村を突破するぞ」
「……本当にわかっていますか!? あ、待って! 伝えてしまった私の気持ちも考えて!」
何度も警告されながらも走り出し、門をくぐって村の中を突っ切る。そして中心部らしき広場にたどり着いたあたりで突然、後ろと左右地面に矢が数本刺さった。
それを合図かのように視線を後ろ、そして左右に向けると鎖帷子の衣服を身に着け仮面を被った人が五人ずつ現れ、雄叫びをあげながらこちらに向かって来た。
門前に居た時から様子を伺っていたか。
ちらりと見たどの五人一組も剣とたいまつや黒い旗を持って予め集まっていたことがわかるほどにまとまって行動している。
彼らが村を襲っていた百鬼か。話し合いの余地はなさそうだ。
「矢は奥に誘い込むためでしょう。後ろの弓と左右から襲いに来たという事は前にも既に待ち伏せているかと思います」
「なるほど、言っていたように囲みにきたな」
まだ矢で狙うほどには距離があり、走って振り切ってしまおうと彼らを無視してそのまま先を目指す。が、彼ら百鬼が後ろで合流した所で今度は前方でさらに五人が同じく剣を構えて待ち構えていた。
「案の定、前後から挟み撃ちにしてきましたね」
「なら、囲まれる前に正面突破するしかないな」
後方から追いつかれないよう走りの速さをあげると、標的のうちの二人が並びがら見せてこちらに向かってきた。
「何者だ!とまれ!」
「……どうせ止まったところで殺すくせに」
百鬼の呼びかけに対してイヨが呟く。なら俺の回答はひとつだった。
「押し通る!」
そう村中に響くよう大声で叫ぶ。だが通過の要望は通らず目の前に変化はない。
「前方の二人は適当に正面から一撃を放って足止めするつもりのようです」
足止めできれば後ろが追いつき囲める。そういう考えか。
「賢いな…………ところでイヨはなんで詳しいんだ?」
「今はそこを気にしている場合じゃないでしょ! 前に集中してください!」
それもそうだ。
走る速度を上げてイヨと徐々に距離を作ると、前の二人が同時に俺へ斬りかかる。立ち止まれば命取りとなる一撃で決めていかなければならない緊張に鼓動が早くなって息が詰まる。が、それによって血の流れを感じて思考が冴え、距離が縮まるほど迷いも選択肢も消えていく感覚が妙に心地いい。
あぁ、この緊張感をどこかで?
命の危険にその時その瞬間を心待ちにするの感じながら、先行して剣で襲い掛かってきた百鬼一人を直前で狙いを定める。同時に襲い掛かってきた剣の動きが遅くなるの感じながら目で見える剣筋を正確に把握して寸ででかわすと時の速さは戻り、素早く槍で突き刺し、鈍い悲鳴を聞き流しながら薙ぎ払ってもう一人にぶつける。
致命傷とはいかなかったが、オオカミより戦いやすいな。
そして再び駆け出し、続いて門の所で待ち構えていた三人目を今度は先に一撃で薙ぎ払おうとしたところで槍が折れた。
「くそっ」
ただ、それでも一撃を受けた相手は苦痛に目を閉じてよろけた。その敵が俺を視界にとらえなかった一瞬を突いて剣を奪って胸に突き刺す。が、その剣は鎖帷子を着た胴体に突き刺さったところで抜けなくなった。
それを逃さない残る二人がこちらに向かって剣を振りあげる。
「しまっ」「バカですね」
間髪を入れずイヨが赤い炎の玉を二つ放った。それは二人の腕に当たり、悲鳴とともにひるんでいたところで俺も突進からぶつかりざまに剣を奪うと二撃で二人の首を斬り捨てる。そして、鞘の取り付け部分を剣で切って奪うと俺より前に走るイヨを追いかけ駆け出す。
迷えばそのわずかな時間で追いつかれるほどすぐ後ろら敵が迫っていたが、イヨはわざと走る速さを落として並んだ。
「よくその腕で正面突破してアイリス様を助けるなんて威勢のいい事を言えましたね」
たしかに慢心だった。イヨが火の玉を出さなければ俺はやられていた。
「ああ。助かった」
「あら、素直なんですね」
頷きイヨを見るとなぜか露骨に嫌そうな顔し、口元を袖で覆いながら俺の身体を見た。俺の手や体には返り血がついていた。
当たり前といえば当たり前の反応か。……当たり前?
俺はその血を見ても何も思わない。すでにこと切れた三名を見ても。
よろよろと立ち上がる二名、残りはいつの間にか数を増やした二十余名が無傷な状態でなおも俺たち二人を追いかけてくる。
およそ二十余対二、か。
先ほどの倍以上の相手で圧倒的不利な状況。それなのに更に血がたぎる感覚が思考に戦いたいという衝動を伝え、それは蓋をしていた何かがはずれそうな噴火前の地響きのごとく湧き上がる。
「……どうせ追いかけてくる敵。なら今倒してしまった方がいいか。それに、今なら何かを思い出せそうな気がする」
自分に言い訳していると自覚しながら呟き、門から村を出たところで構えなおした瞬間だった。背後から次々と炎の玉が俺を通り過ぎて門へと降り注ぎ、百鬼との闘いを塞ぐように門は一瞬にして炎に包まれた。
「なぜ邪魔をした?」
「アイリス様を助けるのでしょ。それとも人殺しの方がお好きですか」
咎めるように冷たい目で睨むイヨ。
「……だが何かを」
「その何かとは、アイリス様との約束よりも大事なのですか」
過去の記憶かアイリスとの約束。今しなければ取り返しがつかなくなるのがどちらかなのは明らか。
そう認識するだけで沸き起こっていた抑えようのない感覚が嘘のように消えて急速にしぼんでいった。
「……そうだな」
今はその時間すらおしいはずなのに。俺は何を考えていた?
新たな鞘を腰元につけると剣を片手に目的地へと急いだ。
それからも先を急ぎ、ようやくたどり着いたかつてのヤシロにあった光景。
それは三つの建物から燃え上がる炎と赤く染まった地面だった。
「…………なによ、これ」
イヨが声を震わせ手で口元をおさえていた。
かつて神秘的で穏やかな雰囲気のあった光景は変わり果て、燃えるヤシロの建物で照らされていた地面は真っ赤に染まった血の海だった。
そして、血の海の外側で取り囲むように左右から仮面を被り武器を構える百鬼達と、そんな血の海に囲まれた孤島にポツリと立つ真っ赤な一枚着を着たの見覚えのある一人の少女の姿。
その少女の胸元に輝く見覚えのあるペンダント。それは間違いなくアイリスでる事を示していた。ただ、虚ろな瞳をしている反応はなく、衣服は所々が破けて身体も痛々しいほどに傷だらけだった。
「……アイリス?」
そう呟いた直後、弓をかまえていた百鬼たちが一斉にアイリスに向かって矢を放った。
「……」
アイリスが何かを呟いた直後に矢は止まり、目にも止まらぬ速さで反転して飛んで行った……気がした。弓を持っていた百鬼たちはすべて首から上がなくなった結果だけが見えていた。
そして、倒れこんだ身体を血の海が生きているかのように飲み込んでいき、その後には骨も衣服も残らずその者がたしかに存在したであろう剣や弓矢、それをおさめる鞘や矢筒が残すのみだった。
弓を持つ者を失った百鬼たちには恐れとも錯乱とも思える震えに見えた。掛け声もまとまりもない恐怖を押し殺すためだけの叫び声をあげながら剣や槍を持ってアイリスへと襲い掛かる姿。
「……」
アイリスが再び何かをそう呟いた直後、今度は近寄ろうとする彼らが次々と身体が爆発して血を飛び散った。
「……な、何よ。……これ……」
イヨの震える声。俺は思わず頷き、呆然と眺めていた。
もやは数の優位など全く関係ない圧倒的なまでの力の差。そんな強者を前に遂に百鬼の一部が武器を落として四散し逃げ始める。しかし。
「……シンデ」
ハッキリと聞こえたアイリスの感情を感じさせない冷たく小さな声と共に、逃げようとした者の首と胴体が一瞬にして切り離れ、続けざまに四体まで刃物で切ったかのように次々とバラバラになっていた。
その様子をまともに見たイヨは、後ろを向いて苦しそうに咽る声が聞こえる。
これまで堪えて生き残った動かなかった百鬼たちも発狂して逃げ出した者からアイリスの呟きで断末魔と共に破裂していく。
進んでも死、逃げても死、か。…………どうする?
考えている間にもアイリスの身動きひとつしない淡々とした行動は止まらず動いたものはすべて死んだ。そして。
「……シンデ」
ハッキリとした強い一声の後、立ち止まって百鬼たちが次々と破裂した。
立ち向かっても死、逃げても死、立ち止まっていても死。当初は百鬼がアイリスを取り囲んでいた光景は一転して、アイリスの手によって一帯が血の色で染まり、秩序ある平和を具現化した赤い世界と化した。
そして、最後の一人まで殺し終えたアイリスは顔を俺の方を向け、続いて体を向けると手を前に出す。直後に背筋が凍るような感覚。
助けようとしている相手に殺意を向けられるとはな。……既に手遅れかもしれないが。
「約束を守りに来た」
その言葉に反して一人で百鬼を片付けたアイリス。ただ己が身を守るためだけの情けない言葉にアイリスは首を傾げた。
「ヤク、ソ、ク?」
手はおろされる事はなく、虚ろな瞳も表情も変わらない。
手遅れ、か。なんて様だ。約束を守ると言っておきながら守れなかった。なぜ俺の行動はいつもうまくいかず知った時には手遅れになってしまうんだ。
そう悔やんだときだった。アイリスの目から涙が流れたのが見えたのは。
「……まだ、意識がある? 間に合うのか」
「マニ、ア、……ウ?」
俺に復唱するアイリスの反応の意味などわからない。ただ、その涙にアイリスにとってこの行動が本望ではないなら、まだ約束を守れる何かが残っているなら。俺はその行動をするだけ。
アイリス相手には無意味な剣をしまうと前に歩みはじめ、血の海に足を踏み入れる。
その直後、間髪を入れずに首元に熱がかすった。焼けるような痛み。ただ、死ななかったのだけはわかる。
「ソ、ソラ! あなた何を……!」
イヨの悲鳴にも似た声に振り返らず、ただアイリスを見つめ続ける。
「ソ、ラ?」
「ああ、俺がソラだ。迎えに来た。……約束を守りに来た」
アイリスの言葉に頷くと、そういうと再び俺はアイリスの目を見つめながら更に一歩、もう一歩と進んでいく。
「こ、コナ……イデ」
今度は、行く先を拒むように血の泉が俺の足を掴んだ。ただ、それでも俺は目を逸らさずアイリスをしっかりと見て前に進む。アイリスはを俺を拒むように手、足、胴、首、そして顔とコナイデと何度も呟きながら斬りつけ、その度に痛みが走った。それでも前に進む。ゆっくりと確実に、一歩一歩。
進む事に不思議と恐怖は感じなかった。むしろ、明らかに致命傷を避けた傷の痛みが生きている事を実感させ、動くことのできる痛みという生かされた温ささが行動に自信を持たせた。
「大丈夫。……大丈夫だ」
自分に言っているのか、アイリスに言い聞かせているのか自分自身でもわからない呟きにも似た言葉。
「だ、ダメ……キチャ…………ダ、メ」
ようやく血の海の中にある孤島にまでたどり着きコナイデと呟き続けるアイリスに再び声をかけた。
「アイリス!」
アイリスは虚ろな瞳で涙を流しながら俺の言葉の真意を確かめるかのようにじっと見ていた。
今朝にはなかったはずの痛々しい痣や傷がアイリスの身体にあり、真っ赤に染まっているのもあの時の白かった服が血の色で染まっていからだと気づいた。
俺が洞窟から脱出して、ココにくるまでの間にいったい何があった?
お互いに見つめ合う。アイリスは微笑まない。アイリスは話しかけてこない。助けてとも言わない。
ただ、俺を殺さなかった。約束という言葉から反応して。
アイリスは俺に助けを求めている? ならそれを確かめる言葉は?
あの夜、アイリスが言った光景が思い浮かぶ。
『ソラは私を助けてくれる。 ……そう信じてもいいんだよね?』
あの時、アイリスは俺に何を求めていた?
『だったら私も連れてって!』
あの時、アイリスは俺に何を願っていた?
わからない。人の気持ちが何もわからない。
だが、俺は約束は必ず守ると約束したから。………………誰と?
「世界を救う勇者になるんだろ」
アイリスにそう言って手を伸ばした瞬間だった。
「ダメ!」
失敗した。
そう理解するよりもはやくアイリスの胸で輝いていたペンダントの眩しい光が俺の心臓を貫き視界が真っ暗になった。
了