5ー1、「……コホン」
ソラ ・・・男。過去の事を覚えていない。名前は仮称。人。
アイリス・コーエン・・・獣耳と尻尾がある少女。
……心配するな。約束は守、る……約束?
「…………んん、ん? あぁ、朝……か?」
眩しい光に目を覚ます。とはいえ、その光は青白く、弱々しい。
そのせいか瞼は重く、目覚めと眠りの狭間をさまようように視界は朦朧としている。俺はその中で、見えている景色を必死に認識しようとしていた。
「そういえば……洞窟の牢屋にいたのだったな。ずっと暗いままだと思っていたが、意外と光は差し込むもの……か?」
空腹を覚えて腹をさすりながら、牢の入り口のほうへ顔を向ける。だが、そこは暗いままだった。
……なぜ?
疑問を抱いた俺は、光の差す明るくなっている方向へと振り返った。そこに、ひっそりと正座をしたまま微動だにしない、華奢な人間の女性のような姿があった。
見た目からして、アイリスより年上だろう。黒く長い髪は後ろで束ねられ、幼さを残しつつもどこか大人びた落ち着きを漂わせている。白い小袖に赤い、ひらひらとした布を身にまとい、左右には青白くゆらめく火が浮かんでいた。
ここに入ったとき、誰かと出会った覚えはない。そもそも、両脇に青白い火を浮かせている時点で人間かどうかすら怪しい。アイリスのような尻尾や耳もなく、俺と同じ人間の姿ではあるが、その顔色は青白く、血の気がない。
──ということは。
「……お前、死んでいるのか?」
「失礼なっ!! 私は生きています!」
間髪入れずに返ってきた、あまりにも生気に満ちた声。
どうやら青白く見えたのは左右の灯りのせいだったようだ。とりあえず、生きていることは確認できた。とはいえ、見た目が人間そっくりだからといって、他の種族でないとは限らない。たとえば──
「精族でも魔族でも鬼族でもありません。それに、村の人たちのような獣人でもなく、特別な力を持ったごくごく普通の人間です」
──バカな。こいつ、俺の考えていることが……
「それと、獣人のように声や反応で真偽がわかるわけじゃなくて、あなたが考えそうなことを、表情から読み取っただけです。バカの考えそうなことをね。まったく……もう少し尋ね方ってものがあるでしょうに。バカなの? バカですか? バカですよね?」
「…………」
言い方というものがあるだろう。それにツッコみそびれたが、特別な力を持った人をごく普通の人とは言わない。
少女は気持ちが落ち着いたのか、「コホン」と咳払いをして姿勢を正した。
「初対面なら、死んでるのかと失礼なことを言う前に、まずは自分から名乗るのが礼儀でしょう?」
あれだけ罵倒しておいて、礼儀も何もないと思うが。
彼女の言葉遣いは丁寧で、態度も凛としている。だが、その声からは苛立ちを隠しきれておらず、冷静さの中に小さなトゲが混ざっていた。
──俺は、第一印象で嫌われる才能でもあるのかもしれない。なんて嫌な才能だ。
アイリス、村の人々、そしてこの少女──出会うたびに印象が良くないことを内心で嘆きつつ、少女の言い分がもっともだと認める。
「すまないが、名前を覚えていない。……俺には、自分の過去の記憶がないんだ」
「過去の記憶がない? 何も、ですか?」
「ああ。ただ、言葉は話せるし、物の使い方も不思議と覚えている。もし呼び名が必要ならソラと呼んでくれ。アイリスが、俺にそう名付けてくれた」
「……ソラ? アイリスが名付けた?」
頷く俺の顔をじっと見つめ、目を細めて何かを探るように視線を注いでいたが、やがて小さくうなずいた。
「わかりました。では、とりあえずソラ様と呼ばせていただきます。名乗るのが遅れましたが、私の名前はイヨ。神無月イヨと申します」
彼女はそう言って、前に手を添え、丁寧に頭を下げた。頭を上げると、再び姿勢を正し、ほほ笑む。
「イヨ、と気軽にお呼びください」
凛とした姿勢の中にも、柔らかな愛嬌がある。怯える様子は一切なく、まっすぐこちらを見返していた。
「イヨ、は……どうしてここに?」
「本来なら、イヨさんとかイヨ様とか、多少の敬称をつけるべきなんですが……まあ、いいでしょう」
「今、言ってるけどな」
「……コホン」
イヨは、わざとらしく咳払いをした。余計なことは言うな、という意味らしい。黙って頷く。
「私はここから東の山々を越えた先にある日ノ国から、神子人様の命により参りました。この服は、神子人様に仕える者だけに許された巫女服と呼ばれるものです」
「みこと?」
どこかで聞いたことのある名前。
思わずつぶやいて首を傾げると、イヨも同じように少し首を傾げやがて納得したようにうなずいた。
「……神子人様をご存じないのですね」
イヨは呆れたようにため息をつく。どうやら、それを知らないのは常識外れらしい。だが、知らないものは知らない。
「それでは、二百年ほど前とされる勇者の物語はご存じですか?」
「それはアイリスから聞いた。……あ」
「思い出したようですね。勇者とその仲間、そしてその子孫たちを含め、神子人と呼ぶようになった──と言えば、伝わりますか?」
そう言いながら、イヨは地面の砂の上に指で文字を書いた。
初めて目にする文字だったが──どこで覚えたのか、その文字が「神子人」と読めた。
「ああ。そんなことを、言っていた気がする」
アイリスが話していた。魔の王を倒した勇者の仲間にはミコトという称号が与えられたと。
……今も生きている? いや、年月を考えれば、イヨに命を下したのはその末裔ということか。
「勇者を助け、魔の王を討つために人の姿となった、特別な力を持つ選ばれし神の子。それが神子人。そして、その血を継ぐ者たちもまた、ずっと神子人と呼ばれ続けているのです」
アイリスの語っていた内容とは少し異なる気もする。だが、人の語る物語など、時代や地域によって少しずつ変わっていくものだろう。
それほど有名な話だからこそ、アイリスも俺に語ってくれたのかもしれない。
「……さて、話を戻しましょう。私は、この場所で封印を守る者を手助けするよう、命を受けて参りました。けれど、村の人々に出会ったものの……なぜか、こうして閉じ込められてしまって。今に至ります」
「その封印を守る者とは……誰のことだ?」
意図的に伏せていたようだったが、少しの逡巡のあと、イヨは答えた。
「名をアイリスと聞いております」
つまり、イヨはアイリスを手助けするためにここへ来たということか。
たしかに、アイリス自身が言っていた護人という話とも整合は取れている。
だが、奇妙な点がある。記憶を失っている俺と違い、イヨは目的も記憶もはっきりしている。そして彼女の言動から、アイリスに害意があるようには見えない。
それなのに嘘を見抜けるはずの村人たちは、なぜイヨをここに閉じ込めたのか?
……イヨは何かを隠している?
それとも、俺が何かを見落としているのか?
そんな考えを巡らせていると、黙って様子を見ていたイヨが口を開いた。
「私のことはお話しました。今度は私から質問してもよろしいですか?」
当然のことだと頷く。
「あなたはアイリス様と、どういうご関係なのですか?」
どういう……か。イヨの意図と合っているかわからないが。
「俺が目覚めたとき、アイリスがそばにいた。そして、成り行きでオオカミから彼女を守り、そして、彼女を助けると約束した。その後は出会った村の者に不意打ちをくらって拘束され、この場所に閉じ込められた。ただそれだけだ」
「ただそれだけって……そんなバカみたいな話を信じろって言うのですか?」
「信じられないなら、イヨの話も同じだろう?」
「な、何を言って……っ! いえ……でも……」
疑わしげな目を向けていたイヨだったが、突然、何かに気づいたように目を見開いた。
「……あ、あの、ソラ様」
「なんだ?」
「もしかしてですが。思い違いされていたりしませんか?」
「…………ん?」
彼女の言葉の意味がよく分からなかった。そもそも思い違いをしていたとしても俺にはそれを確かめる術がない。
その様子を見て、イヨは大きくため息を吐いた。
そして俺の反応に確信を得たらしく、静かに咳払いをした。
「……あなたが、本当に記憶を失っていることはよく分かりました。そして、アイリス様と交わした約束。それを守る意味をまだ理解していないということも」
「約束を守る意味……?」
「そうです。私は手助けをするためにここへ来たと言いました。一方、あなたはアイリス様を助けるとおっしゃった。ですが、その助けるという行動は、すなわち魔の王の復活を意味しているのですよ」
なぜ、護人であるはずのアイリスを助けることが、魔の王の復活に繋がるのかまったく理解できなかった。
唐突な言葉に思考が追いつかず止まりかけたが、なんとか言葉を絞り出す。
「どういうことだ? アイリスは護人だろ? そのアイリスを助けることで、どうして魔の王が復活するんだ?」
問いかけに、イヨは首を横に振る。
「……やはり、わかっていなかったのですね。その様子だとなぜアイリス様があなたをソラと名付けたのかも。物語を語った理由も理解していないのでしょう」
まるでそこに理由があるかのような言い方だった。
無言で頷くと、イヨはふぅっとため息をついた。
「では、説明のためにひとつ伺います。アイリス様から聞いた物語の終わり方とは、どのようなものでしたか?」
「たしか……勇者の仲間たちはミコトと呼ばれるようになった。そして、魔の王を封印するために選ばれた護人がその場に残り、世界は人の治める時代になった。そんな話だったと思う」
「なるほど。良い話ですね。……そこまでは」
含みを持たせる言い方。イヨは一拍置いて、静かに語り始めた。
12/17 誤字修正
02/14 誤字修正
了




