17、「帰れ!」再び席に着いた。
「アイリス様ですね。…………そうですか」
「帰れ!」
女が何を納得したのかはわかないし、アイリスが毛嫌いするのもまったくわからない。
唯一わかる事は、今にも襲いかかろうとするアイリスを前にして止めようともしない見張る二人の女への信頼だった。
「二人は面識があるのか?」
「……ない!」
「はい。私たちは間違いなく初対面です」
それにしては初対面と思えないが。
女はアイリスと向かい合う座席に座ると凛と姿勢を正し。俺たちを交互に目を向けた。そして、隣に目を向けた。
その直後、目の見えないらしい女は慌てた様子で座る位置を後ろにずらて土下座する。
そうする必要がある身分の者という事か。
それを見慣れた光景のように見ていた女は再びこちらを見て、艶めかしい笑みを見せる、だけ。
……俺から話せという事か?
「まず、自ら名乗るのが礼儀だとイヨから聞いたが」
「神無月らしいですね。ですがその前に」
イヨの事も知っているらしい女は部屋に居る二人の才女を順に睨んだ。
二人の表情が強張り慌てて土下座したのを見てため息をつくと、表情を戻して俺たちを見る。
「失礼致しました。私は日ノ国の暁の聖堂、冠四位、月ノ巫女、弥生と申します」
「嘘つき!」
アイリスがなぜか強くそう叫ぶ。
けれども弥生と名乗った女は驚く事も怒る様子もなく、嬉しそうにした口元の笑みを袖で隠す。
「さすが護人のアイリス様ですね。それも嘘もついていないとおわかりでありながら、あえてその言葉を使うという事は……」
弥生の言葉に俺は対してアイリスに説明を求める視線を送る。が、彼女を睨むばかりで伝わらない。
土下座をしている者たちなら知っているかもしれないが、この空気を壊して解説する勇気はなさそうだ。そんな説明という答えを探しているうちに弥生の推測が終わったらしい。
「仕方ありません。このままでは話も進みませんし、まずはアイリス様の警戒を解く事から始めましょう。神無月の側付きの名前はたしか……ヒミコ、でしたね。面をあげてなさい。釈明があるのでしたら発言を許します」
「お、お言葉ですが私は何も」「もうけっこうです」
「も、申し訳ございません!」
面を上げなさいと言われたからか、再度土下座しようと手を地につけた所で留まり、恐る恐る手を膝に置きなおして俯きながら声も手も震わせるヒミコ。
その謝罪すらも呆れたとも言いたげに弥生と名乗った女はため息をつく。と今度は土下座する二人の才女を睨んだ。
「次にカズハ、ツグミ。二人は弁明、釈明も不要です。今すぐ下がりなさい」
「お言葉ですが!」
「あなたたちの考えは既に看破されています。それも、この場に居る全員に」
睨みすら消えたヒミコの時と違って穏やかな声。ただ、それは怒りすら感じさせない淡々とした声であり、それは優しさなどではなく存在としての興味すら失ったという意味が言葉からハッキリわかった。
「…………承りました」
二人は俺を悔しそうに目に涙を浮かべて睨みながら、それでも従い部屋を退出する。
そして、その様子を見送った弥生はアイリスに顔を向ける。
「この度はご足労いただきありがとうございます。ではご挨拶のやり直しをさせていただきます。私は日ノ国の巫女、弥生にございます」
「…………」
……嘘と言わない? さっきと何が違うんだ?
アイリスはその自己紹介を聞くとようやく警戒を解いた。疲れたと欠伸をして二人の所に置かれた何か仕込まれているかもしれない抹茶とお茶請けの臭いを嗅ぎ、自身には問題ないと判断したのか俺の方に置かれたのから食べ始めた。
ただ、弥生はその姿を咎める事もとめる事も心配する様子もなく微笑む。
「まずはお二方の名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「俺はソラだ」
「…………アイリス」
口をもごもごさせながら嫌そうに名乗るアイリスは、名乗った後に抹茶で喉を潤し舌をだした。
抹茶は好みの味ではなかったらしい。
「ありがとうございます。本来であればお互いのためにも先に誤解を解き、神無月を呼んでから公の場でお話をすべきところなのでしょう。ですが、今はあまり時間もございませんのでお許しください」
「俺はかまわない」
アイリスからの返事はない。
「……ありがとうございます。でははじめに。なぜココにいらしたのですか?」
「約束を守るためだ。それに霧、『穢れ』をどうにかする方法を神子人が知っている。そう聞いた」
「穢れ、ですか。失礼ながらソラ様は記憶喪失では?」
俺とは初対面なはずだが。それに霧、穢れだけでその意図が通じるのは変だ。
「そこまで知りながらなぜ俺がココへ来た理由を説明させようとする」
弥生はすぐに答えずしばし俺の様子を見てから再び笑みを作り、そして答えた。
「人は他者の犠牲に疎い。それが身内、他人、他族、他種と遠くなればなるほどに。
自身の考えと行動のみを正しいと信じ込み、嫉妬すれば悪評を流し、対立すれば言葉や暴力で排除する。平和、平等、自由、そして正義。使う者の意思に依存し、過去にあった真実の出来事すら変えてしまう言葉が抱える矛盾です」
「何が言いたい?」
「アイリス様、そして神無月を助けたソラ様であれば、人伝で聞いただけの言葉と相手の顔を見ながらの言葉の違い。それを誰よりも理解しているのではありませんか?」
「…………」
その言葉は質問に答えているようでそうではなかった。世の中に公正などというものはなく弥生にどう見えどう聞こえたかがすべて。そう言いたいらしい。
説明する他に話を進める方法はないとわかり、俺は森から下山した時にアイリスとイヨに話した事を再び弥生に向かってかくかくしかじかと苦痛とも思える長い長い下手な淡々とした説明をした。
「以上だ」
あまりの長話にアイリスがうつらうつらしていたが、以上だという言葉で目を覚ました。
一方の弥生は終始微動だにしない笑顔。
「私の要望に応えて下さりありがとうございます。ソラ様に何が起こり、どうしてココに来たのかはわかりました。たしかに記憶喪失のようですね……」
理解して欲しいわけではないのだが。
「望みどおり説明はした。これで俺は神子人と会い、あの森で発生した『穢れ』の対処方法を聞けるのか?」
「先に申し上げますと神子人様にはお会いする事はできません。また、この国の主である帝にもお会いさせる事はできません。ですがその代わりとして終焉の森で起こった穢れの対処について私はお答えする事ができます」
終焉の森?とはアイリスと出会ったあの森の事か。
神子人でもない者が対処を知っている?
ただ、知っていて答えてくれる者であれば誰でもよく、名声もない俺をここで騙す必然があるようには思えない。護人であるアイリスには騙す可能性はあるが、弥生を嫌うアイリスが何も言わずに睨むのは話を聞いてもいいという意味だと判断した。
「聞かせてくれ」
「では説明にあたって先に予備知識を。物語で先に現れた勇者ミコト様は神より三つの神器とともに、特別な力を与えられたそうです。その神器とは、祈りを護る刀であり、望みを映す銅鏡であり、願いを繋ぐ八つの玉であり、その特別な力とは彼女自身の歌う声であったそうな。
そして、勇者ミコトの仲間は八つの玉の一つずつを正義を同じくする信頼の証として託され、各自で保有していたそうです。……これが願いを繋ぐ八つの玉の一つになります」
そう言って見せたのは半透明なサクラ色に黄金色の桜の紋が描かれたペンダント。
それが次の瞬間にはサクラ色の光に包まれその眩しさに身構える余裕もなく目を瞑り、再び目をあけた時。
――花が満開の桜並木
見わたせば一角に置かれた一角に、三人を区画ごと切り取りここへ移動させたかのような状況。周囲には桜並木、その遥か先には家々らしき建物や緑の山々。空も青い。
この展開は予想していなかったな。それに景色こそ違うが覚えがある。
二度目となればこの奇妙な光景も驚きが薄くなるものらしい。アイリスも耳を動かしながらもただ退屈そうに弥生を見るばかりだった。
「あ、あれ……驚かないのですね」
対して弥生の方がなぜか俺たちよりも狼狽えていた。
「似た光景なら一度見た事があるからな。おそらくアイリスも」
アイリスは頷く。
「その、普通は見た事があっても驚かないかは別だと思うのですが……。いえ、そもそも普通ではないのでしたね」
「それはどういう意味だ?」
その問いに答えず苦笑して何かを納得したらしい弥生。
「ご説明させていただきますと、ココは八つの玉の各所有者か勇者ミコトのように神に選ばれし者のみが来られる仮想環境です。つまり、言葉のままの意味で普通の者はここへ来られないのです。
もっとも、それでも衣服やこの机、畳といった物の再現が例外としてございますので他の方法もあるのかもしれませんが」
そうなのかとアイリスを見ると目が合った。
ペンダントに関してまったく知識がない者同士お互いに何もわからない。
「それで、ココへ連れてきた理由はなんだ?」
「薄々気づいていたかと思いますが、ソラ様のお探しの人物がおそらくは私である証明にはこれが一番早いかと思いまして」
まったく気づいてなかったが、その言い方からして命が言っていた神子人という事らしい。そういえば神子人は地位の名称。それならアイリスが噓つきと言った理由にも納得できる。か?
やり取りには何かを見落としている違和感があった。
ただ、話を遮るのが正しいとは思えない。
「ココなら内密の話をしても外部に聞かれる事はありません。場も整いましたし、問いについての話をはじめましょう。
先ほど説明したように勇者ミコトは刀、銅鏡、八つの玉、そして特別な声を持っていました。そして、穢れを浄化する力があったと確認されているのは特別な力をもつ声であり、その声で歌う事によって『穢れ』とされる霧、『穢れ』を纏う魔のモノに力を発揮したそうです」
つまり、話ではあの黒紫色の霧の解決手段は今はいない勇者ミコトが必要らしい。
魔のモノが穢れを纏う存在という新しい情報にはあの消滅を納得させる言葉ではあった。
「ただ、その力は魔のモノ以外には無力であり、皮肉な事に勇者ミコト様は救おうとする者たちの悪意から身を守る必要がありました。そのため旅路ではその身を守るために刀と銅鏡を常に携え仲間が必要だった。それが八つの玉。
私から言わせていただくと、その一つをなぜソラ様が持っているのかという疑問はありますが。それも……」
「…………」
「話がそれました。記憶喪失では答えようがありませんね」
弥生が俺の何を疑っているかはなんとなくわかった。
ただ、応えられる答えもない。
「謝る必要はない。欲しいのは方法だ。では後の勇者ミコトはどうやって魔のモノに対処し、魔の王を封印した?」
「そう、ですねぇ」
この質問を予期していたらしい。
考える仕草をしながら俺の様子を確認し、ため息をついた。
「彼女は異国の少女です。そのせいか口数は少なく人前で笑う事もなく、勇者と呼ぶにはあまりに悲観的かつ臆病でありました。そして、誰よりも現実的で残酷な未来を見ていた。
そんな後の勇者ミコトが魔のモノを倒す方法は先の勇者ミコトとはまったく異なる手段です」
思いを馳せるような間と遠き目は、本当に見てきたのかと思える表情であった。
「ただ、その方法はお伝えしない方がいい。私からはそう先に忠告させていただきます」
「何でだ?」
「世界の滅ぼすほどの脅威を排除できる力を持つ。それは、周囲の厄介事も招き寄せ、時には自らの正義感をも自制して堪える理性が求められます。
愚かな民の愚かな行いを受け入れる大きな器。大衆が愚かな結末を望んだとしても心を腐らせない強い意志。降りかかる理不尽に絶望しないだけの許す心。
…………いいえ、たぶんそれらすべては建前の事実にすぎない。結局のところ、私がお話したくないのはきっと願ってしまうからでしょうね」
……何を?
俺の心の中で呟いた言葉に対して、弥生は屈託のない笑顔で答えた。
「どうかその力でこの世界を滅ぼしてください。と」
その言葉は、表面的に捉えるにはあまりにも危うく、内面的な意味から読み解くには弥生の事を知らなすぎた。
けれども俺には聞かなかったという選択肢は最初からない。
「……そうだな。では穢れを解決し、アイリスとの約束を守り終えた後ならどうだろうか」
俺の言葉を聞いた弥生はなぜか呆気にとられたような表情をし、笑った。
「それもいいかもしれませんね。ですが、聞かなかった事としますので先ほどの言葉も戯言とお聞き流し下さい」
アイリスは笑み一つなく弥生を睨むばかり。
その睨む姿で弥生の言葉の矛盾に気づいた。
戯言。どこまでが?
「戯言なら、答えたくない理由は他に必要という事だな」
弥生は意味ありげにしばし俺を見て微笑む。
「そうでした。戯言と言った以上は理由が必要ですね。では、私とお手合わせして勝てば教えるというのはどうでしょう?」
先ほどまでのやりとりはいったい何だったのか?
「いいのか?」
「忠告だとも申し上げました。それに、『約束』という己が信念で未来を切り拓くのであれば、民の為とか国の為とか奇麗な言葉の裏にある欲望に気づかないまま溺れる者よりも周囲の評価など気にする必要もなく突き進めるというもの。
その先が絶望であり孤独であり破滅であったとしても、それは他ならぬソラ様の意志の結果。そんなソラ様の生き方を試してみたくなったのですよ」
地位も名誉も最初からなく、過去の記憶もない。そんな俺には弥生がその答えに至る考えがまったくわからなかった。
ただ、手合わせで勝てば話を聞けるという答えがあれば十分で反論するのは愚かな事。
弥生はどこに置いていたのか鞘におさめられた剣を取り出し俺の前へと差し出す。
「お手合わせに了承されるのでしたら、どうぞお受け取りください」
「…………」
受け取った時、弥生から殺気とも敵意とも違う感じた事のない不気味な雰囲気を感じた。
それは気のせいと思えるほど一瞬の事。俺をみて微笑む。
「では少しだけ場所を移動しましょう」
そう言って立ち上がると歩き出す。それに続いて立ち上がった直後だった。
「ソラ、足元には気をつけて。あの女は狂ってる」
アイリスの言葉に頷き、弥生の後ろに続く。
移動した場所はそれほど離れておらず、こちらを眺めるアイリスの姿も良く見えた。
弥生は向き合うと一礼をして身構える。対して俺も剣を鞘から抜くと、感覚を確かめるため縦へ横へと一振りして少し軽いが問題ないようだ確認を終えたところで身構える。
「その剣ではご不満ですか?」
「問題ない」
「勝利条件は相手に負けを認めさせるか事実上の戦闘不能状態とする事。武器使用、何か特別な力があれば使用は自由です。もちろん、ソラ様が隠し武器等を所持されている場合にはそれを使用して下さっても問題ありません。万が一の死亡時はお互いに価値のない命だったと諦めましょう。これでいかがでしょうか」
「なるほど。これが一度殺し合った方がわかりあえるというやつか」
「それは……そうなのかもしれませんね。開始はソラ様のお好きなときにどうぞ」
渡された剣は刃に丸みは見えず当たれば斬れる。加えて、まともに受け止めればその衝撃は華奢な弥生の骨に響く程度には重みがあった。
余裕ある言葉。闘いにかなりの自信があるという事か。
ただ、その反応に対して弥生の両手には一切の武具はみえず、その構え方も格闘のそれではなく両手は袖の手の中に入れるのみ。一見すれば隙だらけでどう剣を振るっても勝てそうに見える弥生が奇妙すぎて慎重に様子を伺う。
…………情報が少ないな。
ミコトとの一戦を思い出す。
空間そのものを操るミコトは視界を奪い、暗闇から弄ぶ攻撃をしかけてきた。目の前の弥生が同じような事をできるとしたら、あえて剣を渡して事も含めて闘いは不利と見るべき。
考察を終えたところで息を吐く。
「……無駄な事は考えるな。警戒はしても怯えるな。事実と予見は違う。今は勇気をもってただ前に進むとき」
呟き自身を奮い立たせ前に進む。一歩、また一歩と歩みをはじめてその勢いをつけて走りだし、距離を一気に詰めてで斬りかかる。
その直後、突如として目の前に緑色の筒が一列の密接な壁状となって目の前を覆った。
「!?」
勢いよく上に伸びるそれを斬り捨てようと動かす手を堪え、地を蹴って距離を取る。
全体が見えた事でそれが竹が壁状となっていた事に気づいた。直後、地に着いた足に感じた近づく嫌な予感に今いる場所から避ける。
先ほどまでいた場所から先の尖った竹が生え、俺の足元とその周囲から狙うように次々と移動した場所から先端の尖った竹の槍が襲う。それを避け続けた結果、弥生とは弓矢で狙うほどに距離ができ、間の一帯には竹林のような先の尖った竹槍が不規則に突き出ている竹林の状態となった。
「あら、初撃はすべてかわされてしまったようですね」
距離があってもわざと伝えるようにはっきりと聞こえた声。その直後、竹林の隙間から見えていた竹の壁は均一な竹槍としてばらけて崩れ、弥生の姿が見えた。
その手には竹らしき槍も持ち、その槍の全長は俺の身長よりも長くしかも刃にあたる穂の部分が剣ほどの長さがあるように見えた。
袖や身体の一部に隠せるような代物ではなく、どうやって取り出したのかもわからない。
「これは多田野槍です。北の地にあったとされる空上に浮かぶ鉄甲船をも撃墜したとされる伝説の竹槍なんですよ」
「ただの槍?」
伝説の竹槍なのにただの槍とはいったい? いや、そもそも船が空に浮かぶ? それを撃墜?
ただ、名前などを気にしている余裕などなかった。
弥生の前で崩れてばらけいた竹が竹槍に変化して、一斉に浮遊して次々と襲い掛かってきた。
「っ!」
勢いよくかつ正確に一直線で向かって来る竹槍をかわしていく。
撃墜とはそういう事か!
身を隠す壁はなく、ひたすらに避けるために一定方向へと走り続けなければならなかった。隙間を突いて前に進もうにも正確に連続して襲い掛かる槍を一つ二つどうにかしたところで意味はなく、すべてを避けても今度は足元から再び竹が生え、前に進もうとした先に襲い掛かってくる。
「休む間も無し。か」
一直線に来る弾幕であるがゆえに避る事が出来、避けられるために避けるように走らされる。立ち止まろうにも地面からの攻撃を見せられた後では組み合わせた攻撃を警戒せねばならないために襲いかかる竹槍に集中できそうにない。
結果、反撃を伺うためには走り続けなければならず、それは体力を奪い、荒くなった息は思考を鈍らせる。
それを意図して踊らされているとわかりながらもそれに対抗できる武器が手元の剣しかなく、俺にはイヨのような特別な力や絢や優の魔法ができる記憶がない。記憶がなければ使えたとしても使い方がわからない。
そんな弥生の一方的な攻撃は突如として止む。
「…………。期待ハズれですね」
嘲るのとは違う淡々とした本音。
弥生はため息をつく仕草をすると、周囲一帯の竹林は一瞬にして粉砕し、弥生と俺の足元には畳が均一に並べられ広がった。
「まだ、勝敗はついていないはずだが?」
「この持久戦で私が勝ったところで時間を無駄に浪費するだけです。これは勝負であってソラ様を殺す事じゃない。私が知りたいのはソラ様の力ですから。それに……」
そういって竹槍をクルクルと回して身構える。
「これでも私は二人の勇者ミコト様にお仕えしてお守りしてきた身。この手で幾度となく力に驕る方々を黙らせてきたのですよ」
相応の自信はあるらしい。…………お守りしてきた身?
気になったが、今、最優先するべきは勝つ事のみ。
ふぅっと息を吐き、あらためて身構える。そんな俺の姿に弥生は不敵な笑みを見せ、その本性を垣間見た気がした。
この一撃で、決まる。
もとより真剣勝負。覚悟を決めた者同士の一撃で刃が鍔迫り合うなど起こりえない。
握る剣に意識を集中させ、この視線は弥生の目をしっかりととらえて走る。獲物を狩るように狙いを定め、後は本能に従い確実に仕留める一撃のために足を踏み込んだ直後だった。
弥生の目線が俺の剣ではなく足元を見たのに気づいた。
来る!
その直後に踏み込んだ畳の地面には起こりえるはずがないむかるむ感覚。間髪入れず、体勢の崩れを突く弥生からの槍の一撃。すべて弥生の仕組んだ通りの状況なのは間違いなく、もはや避ける術のない結果と知りながらも底のないぬかるみに更に足を踏みしめる。その直後だった。
底なしから一転して、たしかに感じる地面の感覚。
足腰の力を信じて剣を振るい、弥生の首元へと届いたところで異変に剣を止める。捨て身ともいえるこの一撃は弥生に届いたように弥生の放った槍の穂も既に俺の首元に届かせていた。
そんな結果に対して弥生は俺を見る笑みは恐怖や驚きを隠す笑みなどではなく心から喜ぶ笑みであり、残念そうにする瞳だった。
殺される事を望んでいる? ……なぜ?
「……参りました。この勝負は私の完敗です」
弥生は槍の穂をひき、俺も剣をひく。
そして、例えようのない後味の悪さ。アイリスの弥生に対する態度が悪かった理由の答えとしてこれに思えた。
「なぜ、わざと負けた?」
「ソラ様は私から話を聞き出したかったはず。それならわざと負けたという表現は正しくありません。
その真っ直ぐすぎる無謀さが運を引き寄せるのか、約束という運命がソラ様をそうさせるのでしょうか。いずれにしても、ソラ様の直感によってココで死ねなかった事は私の心残りとなりそうです」
こうして勝負としては勝った完全敗北の中、お互いに剣と槍をおさめると再び席に着いた。




