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15-2 帝都へと向かう準備を始めた。

 こうして如月と行ったまったく同じ道順を休憩を挟みながら巡る。


 アイリスに対して周囲の視線を感じたが、それは姿よりも見ているだけでもわかるほどに楽し気に感情を仕草と行動で表現していた。よく動く耳、変化する目、迷子な手と尻尾、軽い足取りそのすべてを使って。

 ちなみに、三度目となり会うたびに連れている女が変わる俺に対して周囲からの冷たい視線は言うまでもない。


 そんなアイリスの輝く瞳にもさすがに疲れが見え、日も傾きはじめたところで屋敷に戻ると優が門前で立っていた。


「あの、お話をいいですか?」


 表情を曇らせているのはいつもの事。だがそれに何かを察したらしいアイリスは、うんわかった、と答えて手を振りさっさと行ってしまった。

 姿も見えなくなったところで優を見る。


「どうした?」

「その、ちょっと、場所を移しませんか?」


 人が行き交う門前で話すような内容ではないという事か。


 頷くと優はそれを了承と受け取ったらしく塀に沿うように歩き出し、俺もその後に続く。


「…………」

「…………」


 そういえば優と二人になったのは、村の小屋で身体を清めていたとき以来だろうか。思えばあの時もまともに話した事はなかった。ちょうどいい機会かもしれない。


「……少しは落ち着いたか」


 優は立ち止まって驚きに振り返り、目を見開き、おまけに口もあけていた。


 たしかにこれまでやさしい言葉をかけた覚えはない。だが、珍獣でも見つけたような表情をしているのはさすがに失礼ではないか?


 ほんの少しの沈黙の後、我に返ったらしい優が二度瞬きをして答えた。


「は、はい。この世界は出来ない事ばかりで思い通りにならずにずっと辛かったですけど。けど、一緒に行動するようになってからは少しだけ落ち着いた気がします。たぶん、絢も聖宮さんも逢野さんも」


 道中はずっと表情が暗く自身の事だけでいっぱいいっぱいに見えたが、意外にも周りも見ていたらしい。その三人が優の感じたとおりなのかは知らない。ただ、もしその言葉が本当ならイヨとアイリスのおかげか。


 絢、姫夜、才加。その三人に対して名前とその姿は思い浮かべ、過去、内心といった話さなければ知る事ができない事から食べ物や好き嫌い、仕草や癖といった見ていたら気づくであろう事まで何一つとして知らない事を改めて自覚する。

 興味がない。その一言でその自覚もまた消えていく。


「そうか」

「…………」


 再び沈黙が流れて歩き出すのかと思ったが、優は動かない。


「どうした?」

「その……、どうしたら。その、ソラさんみたいに俺も強くなれますか!」


 門前で待ってまでしたかった話はこれなのか。


 強く。そう言われて優と出会ってからの出来事を振り返っても、そう思われるような事は何一つしていない。が、振り返りもしかしたらと思える出来事であれば一つだけあった。


 ……あの村の一件か。


 浜辺から宴席に戻り、アイリスを害そうとする素人同然の村の人たちを不意打ちで殺した。

 そこに強いと呼べる美談はなく、むしろあの場で状況も数も不利でありながら誰かを守りつつ正面から冷静に立ち向かおうしていた優は十分に強い。

 もし、強いに別の意味があるとすれば、優の強くなりたいとは人を殺したいという意味になる。認識の違いに直感が俺に警告をするほどの危うさを感じつつその質問に答える。


「それが必要ならば自ずと強くなるだろ。それに、優は別に弱くないと思うが」

「弱くないではダメなんです! 今すぐに強くならないと!」

「……なぜ、そうまで急いで強くなりたい?」


 人を殺せるようになりたいのか?


「それは! 強くなれば、守れるから……」


 誰を、と尋ねるのは野暮か。


 もっとも、優の求めるように今すぐ強くなりたいで強くなれるなら苦労はなく、殺すのに慣れるという事に都合のいい方法など俺も知らない。

 だからこそ強くなりたい者は他の人よりも多く工夫し、努力していく。

 

 才能のある奴に追いつくためなら十倍の努力と工夫をこなし、時間がないならその百倍をこなす。ただそれだけの事。もっとも、現実には天賦の才があろうともそれができる者は少なく、仮にできても必ず報われるとも限らない。

 それを過去の記憶もなく剣技を習得して、殺す事に何も思わない俺がそんな説教じみた言葉を言える立場ではないか。


 事実として優は天賦の才も努力も関係なく魔法という力を手にした。


 普通なら無力に苛まれながらも頼る事を覚え、今すぐなんて期待をせずに地に足のついた努力をしていただろうに。そうすれば傍にいる絢が……。

 

 そう考えた所で、絢が手の届かない相手かのように語った理由がわかったような気がした。(※1)

 そして同時に優が強さを求める理由も。ただ、俺が答えられる言葉は変わらない。


「なら、ひたすらに日々修練を続ける事だ。生まれ持った力でもなければそれ以外に方法はない」

「……それは僕に才能がない、という事ですか?」

「それはわからない」

「じゃあ、今からココで確かめてください!」


 それで隠れた才能が目覚めるという自信でもあるのだろうか。


 身構えた優は屋敷でもらったらしい真新しい長剣を抜き、慣れない手つきで握られていた。


 …………その意気込みは買うが。危ういな。


「な、なんで剣を抜いてくれないのですか!」


 その構えは見ればわかるほどに剣の持ち方から間違え、腰も浮いた素人そのもの。剣の最大特性である切っ先の特性を無視して優はその華奢な身体で俺を斬る事を考えているようだった。

 表情には焦りから視線が散漫に動き、剣にまで伝わる震える手から先ほどまでの覚悟というべき冷静さはなかった。


「…………」


 最初に動いたのは俺からだった。

 俺に視線を向けながら考え込む優の虚をつき振り上げるよりも早く剣を抜き、あっさりと優の剣をはたきおとす。剣をただ落としただけだというのに瞳には涙を浮かべて口を結ぶ表情からあっさりと敗北を認めたようだった。


 ……ココから騙し討ちするくらいの狡猾さがあれば。というのは俺の我儘か。


「これでわかっただろう」

「正々堂々と戦えば」「実戦でも同じことを言うつもりか」

「………………いえ」


 優は俯く。


 危うい優にできる忠告は力の差を見せる事だと思ったのだが。……少しやりすぎたかもしれない。


「先ほども言ったが優は弱くない。だからそう落ち込む必要もない。

 例え天賦の才がある者であったとしても、最初は誰もが弱く、強くなるための時間が必要になるものだ。日々の鍛錬を続け、強い相手を知り、挫折や成功の経験を経て強くなっていく。

 優は今回ひとつの死んでいた経験を得た。本気で強くなりたいならそこで諦めずに努力を続け、自分の力を知り、相手の力を読み、常に優位に立つ事だ。

 不利な武器なら有利な武器に変え、場所が不利なら有利な場所に変え、人数で不利なら絶対的に有利な人数まで増やす。それでも勝てない状況なら事前に避けて迷わず逃げる。そうやってどんな事があろうとも生き残る。わからない、賭けとなるような事は決してしない。それが強いという事だと俺は考えている」


 もっとも、それができれば苦労しない。…………俺は何を長々と無意味な空論を説明しているのだ。


 思わず拳を握る手に力がこもる。まるでそれに対する後悔があるように手に痛みを感じるほど強く。


 優がこの経験だけで火の魔法という力を持った勝てる以外は逃げるという選択を選べるとは思えない。彼にとってよい答えが導きだせる事を願うしかないという俺にとっては無力な結果だった。


「ありがとうございます。えっと、その、参考までに修練とは具体的に何をしたらいいでしょうか?」

「そうだな……まずは体力づくりで走る、華奢なその身体ならその長剣ではなく短剣や小刀に変え、素振りと稽古を繰り返す。火の魔法とやらの特性を理解する、あたりはどうだ。特に魔法とやらなら使い方しだいで優にとって有利な状況を作れそうだしな」

「なんか地味なような……」

「そういうのは見せびらかすモノではないだろ。それに修練をしていくうちに発見があれば変えていけばいい」


 もう少し早くこんな話ができれば、道中で優に合った戦い方の手取り足取り基礎を教える事もできたかもしれない。そうすれば……


 なぜかそんな事を考えてしまった。

 少し打ち解けた話も終わり、明日にも旅立つ優はどうするつもりなのかと尋ねようか考えていたときだった。


「…………あ、あの」


 迷った様子を見せながら声をかけてきたのは才加だった。

 珍しく近くには姫夜の姿はなく泣きそうは瞳に取り乱す姿。その様子を察したらしい優は、僕はもう話は終わったから、と行ってしまった。


 この展開、アイリスのときにも見たような。


 そんなアイリスとまったく同じ行動をしながら去る優を見送り姿が見えなくなったところで才加を見る。


「それで、どうした」

「その……」


 初対面のときとは違い、まるで初めて出会った人のようなよそよそしい態度をしながらもようやく答えた。


「その、お嬢様のお見舞いに、来て欲しいのです」

「お前が見ていれば十分だろう」

「そうですが、私だけではダメなんです……」


 認めながらも悔しそうにし語る様子からして何か言いにくい事情があるという事か。イヨからは優しくといわれていたしな。


 仕方なく頷くと、才加は安堵の息をつきついてきてくださいとばかりに俺の手を引っ張り歩き出す。


 そうやって辿り着いた一室の障子を才加が開けると、……布団から起き上がろうともがく姫夜とそれを抑えつけるイヨの姿があった。姫夜のその様子は病人には見えず、二人もこちらに気づいた瞬間にピタリと動きを止めた。


「ソラ様!」

「ソラ様!」


 一方は嬉しそうに、もう一方は怒った様子で。

 ざわざわどちらがどちらの表情をしたかは言うまい。その説明を求めるように才加を見ても顔をそらされてしまった。


 ……見た限り元気そうだが。


 連れてこられた理由はさっぱりわからない。それどころか嫌な予感がする。が、既に出口は才加に塞がれおり、諦めて大人しく寝込む姫夜の側で座る。


 その直後にどう動いたのか姫夜をきれいに寝かしつけ布団を直し終えてしまう才加。その手際は人とは思えない神技というべきものであったが見なかった事にした。


「大丈夫そうか」

「……はい」


 先ほどの元気はどこへやら。姫夜の返事は力が抜けたように弱々しく、目元にはクマもでき表情からはあからさまに疲れが見える。


 どうやら身体の無理を押してまで起き上がろうとしていたらしい。…………なぜ?


「……あの」

「なんだ?」

「…………いえ」

「……」

「…………」

「………………」

「……………………」



 そうだった、姫夜はだいたいこんな感じだった。


 この沈黙に助けを求めようと隣を向けば、イヨと才加はいなかった。


 …………いつの間に?


 俺自身が驚くありえない失態。だが、この部屋の慣れない空気がそうさせたのかもしれない。

 諦めてしばし姫夜を眺めていると彼女はこちらを見て目が合う度に微笑み…………。結局、話のひとつも始まらないうちに姫夜は眠ってしまった。


 まるで幼子だな。それにしても見舞いとはこういうモノなのだろうか。…………なら、いつ退出すればいいんだ?


 少しの間考えた末、どうせ眠っているならいつ出ても同じかという結論にようやく至って立ち上がろうとした時だった。障子を開ける音と共に神妙な顔をしたイヨと才加が入ってきた。


「お嬢様は、お眠りになられたのですね」

「そのようだ」


 安らかに眠る姫夜を心配そうに見る才加。ならなぜ席を外したのか。


「やはり、ですか」


 ……あぁ、イヨがそうさせたのか。ただ


「やはり?」


 言葉の違和感に呟き返すとイヨが頷く。

 余計な一言だったと思った時には手遅れで、再び座り直しをさせられると姫夜の容態について話し出した。


「これは逢野様からの報告ですが、聖宮さまはココに着いてから、悪夢を見る事になりほぼ眠れていないそうです。そして、今は食事も受けつけなくなりこのままでは倒れてしまうとか」

「ただの疲労ではないのか?」

「私の目に狂いはありません!」


 何だその才加の自信は?


「ともかく。そこで水無月様に症状を見ていただき経緯を説明したところ、もしかしたらソラ様をであれば症状は一時的にでも治まるのではないかと言われました。そして逢野様にソラ様を連れてくるようにお願いしたところ……」

「こうなったと」


 三人で会話しているというのに姫夜が目覚める気配はない。

 イヨの説明が事実なら今は安心して眠れている事と俺に関係があるように思われても仕方ないのかもしれない。


「ソラ様は理解が早くて助かります」


 嫌味か?


 そう思った視線の先は才加に向けた後に姫夜に向けられていた。どうやら俺を呼ぶにあたって何か苦労があったらしい。


「……だがな。助けたのは才加で、介抱したのはイヨだろう。俺が何をした?」


 俺がした事と言えばあの小屋から運び出すために担いだ事と後はイヨの手伝いくらいしか思い浮かばない。


「そう思うならソラ様からお嬢様にそう言ってください!」


 様付けしつつ忌々しげに俺を睨む才加の悲痛なセリフからして既に伝えたらしい。

 そんな才加の言葉にイヨもため息をついた。


「逢野様の名誉のために言っておきますと、聖宮様は逢野様が居る時は安静にして横になっていらっしゃいます。私だけだと不安らしく逢野様を探そうと暴れだしましたから。それなのにソラ様の時はこうして眠ってしまっていますからね。

 どう考えてもソラ様が何かをしたか、何か関わりがあったからとしか思えません。で、何をしたのですか?」


 何かした。まるで何かをしたかのようなイヨのその一言で才加から呪わんばかりの殺気がきたが、身に覚えがない。


 たしかに姫夜がなぜか寄ってくるような事はあった。あの村を出て次の村に立ち寄った時の浜辺での無言の時間。如月と市場に向かった後での水無月も付き添っての不自然な誘導。ただ、どれも姫夜からの行動だ。


「何かした覚えもないな」


 それで話は終わりと思った。だがイヨはその返事を想定していたように頷く。


「なら仕方ありませんね。私たちもできる事は手伝いますから協力してください。これも人助けです。帝都に着く間にそんな善行のひとつふたつはあった方が神子人様と出会ったときの印象も良いですよ。いえ、これは必要なことです」


 と悩む様子もなく、素直に頼まれたうえに餌までぶら下げられてはどうしようもなかった。

 その後は仕方なく才加も揃って共に夜の食事をとり、彼女もしっかりと食べた様子を確認した後は、彼女の安眠のためと才加も出ていきあっという間に布団を横に並べた部屋の布団と共に二人だけにされてしまった。そして、そこまで言いなりになった所でようやく我に返った。


 …………二人きりで寝る必要がどこに?


 ただ眠れば体力は回復するだろうが解決するとは思えない。既に大人しく布団をかぶって隣で寝転ぶ姫夜に声をかけたところで会話になるとは思えない。

 今さら部屋を出るわけにもいかず、そうぼんやりと考えながらどれくらい時間が経っただろうか。


「……ソラ、様?」


 消え入りそうな震えた声で姫夜が呟く。ただ、ここで返事をすれば彼女は黙る。


「…………」


 話をせずに会話を成立させる方法…………なんてあるのか?


 どうすればいいのかと考えていると、腕に震える何かが触れ、びっくりしたのか引っ込んだ。それが姫夜の手だとはすぐに気づいたが、何をしたいのかさっぱりわからないし、反応していいのかもわからない。

 ただ、それを何度も繰り返しだし、うちにそえるように掴んだらしい事はわかった。そして、


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………」


 今度は呪文でも唱えるかのように呟き、徐々に身体を寄せはじめた。


 これは……、水無月の言う事も当てにならないな。


 悪夢、というのはこの事なのだろう。その声はいつまでも止む事はなく涙も流しているようだった。感情の抑えがきかないらしく言い続けているせいで息の乱れて苦しそうなのがわかる。が、肝心の何に怯えて謝っているのかさっぱりわからない。


「悪い夢でも見たのか?」


 が、姫夜は俺の声にビクッと反応すると口をつぐんで静かになり、消え入りそうな声でようやく答えた。


「…………ぃぇ」


 その言葉に反して震えはとまっておらず、嘘か本当かはわからない。

 が、才加が居る時と今の状況の違いに思い当たる事がひとつだけあった。


 ……もしかして、この暗闇が理由か?


 明るくなればわかる。そう上半身を起こした時だった。


「いや!! …………あ、あぁ……!」


 今度は姫夜も上半身を起こし、声にならない声で悲鳴を上げながら爪を立てながら必死に腕にしがみついてきた。

 腕から伝わる痛みはともかくとして、片手を塞がれていては火を灯して明るくできそうにない。無理矢理引き離す事もできなくはないだろうが、身体を震わせ謝り続けているのにそれをしていいのかわからない。イヨからは優しくしろとも言われている。


「大事なお嬢様じゃないのか。なぜ来ない……」


 肝心な時に姿を現さない才加に対して思わずため息をつけば、それでビクッと震えて強くしがみつく姫夜。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………」


 涙を流しながら必死に謝っているのは何に対してなのか。……いや、これは俺のため息が原因か。


「なぜそんなに何に謝っている? 俺は叱ってなどいない」


 すすり泣く声だけになり、少しだけ力が緩んだような気がした。


「……ごめんなさい」

「さっきから謝ってばかりだな」


 姫夜はビクッとして身体を震わせ。また少し強くしがみつく。


「…………ごめんなさい」


 と、また謝っていた。


 これは、何を聞いても同じ言葉が返ってくるような気がする。


 そう途方に暮れそうになっていたところで思い出した。


 ……そういえば、アイリスと約束をした日もアイリスはしがみつくようにして泣き、しばらくして落ち着いた。もしかして触れていた方が落ち着くのか?


 その答えは考えてもわからないし尋ねてもまともな答えが返ってくる気がしない。

 が、このままずっと謝られながら片腕に泣きつかれている状況は、どうにも居心地が悪い。


「少し動くぞ」

「……………………」


 姫夜が少しだけ握る手を緩めたタイミングですかさず腕をはなす


「……ぇ?」


 驚き慌てて何かを掴もうとする姫夜にそのまま胸元で抱きしめる。

 突然の事で、理解が追い付いていないのだろう。先ほどとは打って変わってしばらくは震えていたが静かになった。


「………………」


 が、再び涙を流し今度は静かに泣き始めた。


 ……まぁ、謝り続けられるよりはまっしか。この状況をイヨや才加に見られていなければの話だが。


 そう自分に言い聞かせて、アイリスの時のように姫夜の頭を撫でてみる。

 最初こそビクッとして身体を震わせ続けていたものの、ひたすらに続けているうちに姫夜の震えたおさまっていくのがわかった。そして、嗚咽も少しずつおさまっていった。


「少しは落ち着いたか?」


 ……コクリ


「もう大丈夫そうか」


 フルフル


「そうか」


 意思がわかるようになっただけまっしか。


 そのまま落ち着いてくれるのを待っていると、今度は姫夜から話しかけてきた。


「……すみません」

「また謝るんだな」


 またこの繰り返しか。先はなが……


「私、汚いですよね……?」


 汚い。それの指す意味はわからないが、思ったまま答える。


「そうなのか? 俺は気にしない」

「でも、みんな、私の事を」「心配していたな」

「……」

「…………」


 才加なら、アイリスなら。もっと上手に答えるのだろうか。


「……よかった」


 よくわからないが、安堵しているらしい姫夜が顔を上げた。


「この鼓動……なんだか落ち着きます」


 頭を撫でた効果かと思っていたが、鼓動の方だったらしい。


 そういえば、あの村でイヨに指示されながら運んだときの頭の位置がちょうどこんな感じに…………いや、だいぶ違った気がする。


「頭を撫でてもらったのは久しぶりです」

「……そうか」

「はい、小学生の頃以来かも」


 小学生……?


 首をかしげると、姫夜はキョトンとしいたようだが察したらしい。

 何がおかしいのか微かに笑ったような気がした。


「ソラ様、その、私の話を聞いていただけますか」

「ああ、好きにしろ」


「私は聖宮家の娘として生まれました。私の住んでいた町で聖宮家は旧家とも名家とも言われ、古くからある家の厳しいしきたりのもとでの教育を受けてきました。

 やまとなでしこ。そう呼ぶには武道の稽古もするほどに凛々しく、お淑やかなお嬢様と呼ぶには窮屈すぎる朝起きた時から寝る時まですべての行いが定められた聖宮家の教育」


 語りはじめる前置きだったのかもしれない。

 俺が何も言わないでいると、彼女は顔を俯け堰を切ったかのように話しはじめ、表情が陰る。


「でも、この世界では何の役にも立ちませんでした。

 生き物を殺す経験がない私にとって長年の武道はただ人に見せるための飾りでした。聖宮家の教育も聖宮家の名で通る世界であればこそ。法もそれを取り締まる国のない生活で私は必要のない存在でしかありませんでした。

 ……いえ、それだけであればまだまっしだったのかもしれません。

 男手が重要となった新たな暮らしで私はクラスの男女間を乱す存在にしかならなかったのですから。だから、私は才加と共に逃げる事を選んだのです。そして快く受け入れてもらえたと感謝していたあの村で……私は」


 身を震わせても語り続けるのは思い出したくもない記憶を消せない辛さからなのかもしれない。

 言葉の止まった姫夜の頭を撫で、顔を上げる彼女に頷く。そして、彼女は話を続ける事を選んだようだった。


「一日中、昼も夜もわからない薄暗い部屋に閉じ込められ……私の信じていた希望を失い、聖宮家としての名を汚し、才加に謝罪では済まない過去を与え、いつか叶えたい願っていたお嫁さんという幼い頃の夢は自らの過ちで壊れてしまったのです」


 その話し方はぎこちなく、涙を流して震える声。結果のみを俺は知っていた。

 だが何も答えない。答えられるはずがなかった。俺は彼女ではないから。


 もし、姫夜が死にたいと望めばその願いを約束として叶えるだろう。そのクラスとやらに恨みがあるのなら復讐の手助けを約束しただろう。壊したという村の者を殺せた頼まれれば頷き村ごと焼き払えただろう。


 姫夜がそれを願い気がすむなら俺は約束していいと思えた。

 ただ、姫夜に人を恨む言葉はなく辛く悲しみに暮れるその姿には、このまま話を聞いていて欲しいという願いしか感じられない。


 そして姫夜は話続けた。

 ココとは別の世界の過去について。その世界の話は俺にとっては難解な言葉が多すぎて、悲しかった事、苦しかった事、至らないもどかしさ。そんな才加がよく出てくる共感とは程遠い言葉からの感情しか読み取る事しかできず俺は「そうか」としか答えなかった。


「私は何のために生きているのでしょうね。聖宮家の娘という恵まれた家で生まれ、小さい時から両親の言うことを守り、期待に応えようと努力しても至らず失望される日々。周りを見渡してもキレイな言葉と裏から聞こえる応えられなかった私。

 私は汚れる前に……そう、あの時に聖宮家の娘として、死ぬべきだったのでしょうね」


 思わずこぼれた弱音は、姫夜が聖宮家という家名のために自身の心を抑圧し、家名の為に完璧でいる事を強いられ続け、周囲からも厳しい目を向けられてのものだったように思えた。

 そして、誰よりも姫夜を支えてきた才加には決して言えなかったであろう言葉。


 その真意を確かめるため尋ねる。


「死にたいのか?」

「…………そう、なのかもしれません」

「そうか」


 かもしれない。その言葉で俺の行動は決まった。


 所々で話につまり、声を震わせ涙を流しながらその後も俺に問いかけ尋ね続ける姫夜は、ただ誰かに話を聞いて欲しかっただけなのだと判断した。

 その話はどこまでいっても至らな自分の非才を嘆くばかりで、そこには一言も誰かを恨むような言葉はなかったから。


 きっと才加なら幾度となく否定してでも姫夜を励ましていた気がする。

 そんな、その負に満ちた感情と言葉を延々と吐き出し続ければ話せる事も底をつく。


「こんな私を……」


 何度目からわからないその言葉の続きを言おうとした所で姫夜は俯いた。ひたすら自虐する事にも力尽きたらしい。

 返事代わりに頭を撫でたところで姫夜は安心したのかようやく眠りにつき、しばらくして元通りに寝かせても今度こそ穏やかに眠っているようだった。そんな寝顔を眺めて思う。


「…………綺麗だ」


 周囲からの本人の気持ちを無視した失望や家名や容姿からの妬み、苦難を受けても彼女は怨みに染まらなかった。


 けれど、その優しさは俺の知るこの世界では弱さにしか見えない。身を守る術を持たない彼女は才加が必要であり、日ノ国のイヨたちから守られて生きなければ、苦難の道という惨劇が待ち受けているに違いない。

 けれど、それでも汚れに染まらないであろう彼女を綺麗と言わずして何と例えるのか。


 惜しいな。生きる時代、生きる世界、生きる国が違えば…………そんな世界があるのだろうか?

 もし、そんな場所があるとすれば、きっと楽園を楽園とすら気づかない楽園に違いない。


 そんな下らない結論を出した所で、明日の旅路に備えて俺も眠りにつくことした。




 そして、翌朝。


「ご迷惑をおかけしました」


「…………」

「…………」

「お嬢様に何をしたんです!」


 晴れ晴れとした姫夜の姿を見て睨み殺さんばかりに詰め寄る才加。ジト目を向けるイヨ。そしてなぜか俺の身体の臭いを嗅ぎもの言いたげなアイリス。


 …………おかしい。俺はただ頼まれた事を解決をする努力をしただけなのだが。


「様子見は必要ですが、もう大丈夫そうですね」


 水無月が微笑み何かを囁き、話を聞いた姫夜はなぜか顔を赤らめる。

 そして、水無月は立ち上がると俺の前でほほ笑み耳元で囁いた。


「聖宮様、ほんとキレイですよね」


 なるほど、水無月はあの場に居て監視していたらしい。

 まぁ、監視も付けずに二人きりにするなど才加が許すはずがないか。


「では、私も出発の準備がございますので。あ、対処療法は既に聖宮様と逢野様にお教えしたのでご安心ください」


 その言葉の直後、才加から殺気を感じたが水無月は気にする様子もなく頭を下げると行ってしまった。

 如月、水無月、神無月、師走。巫女と呼ばれる彼女たちの能力は相当なモノらしい。ならば、その上に居る神子人とはいったいどんな力を持っているのか。

 不思議な期待を感じながら俺も帝都へと向かう準備を始めた。


(※1)小野ノ川優は瀬々ノ森絢を守りたい。その守りたいには危険に対して一緒に困難を乗り越えるという意味が含まれていない。

瀬々ノ森絢は守りたいが最も大切という意味と同時に対等以上になるための壁と認識している。

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