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剣 ~勇者のいないその後の物語のその後の世界で~  作者: .
はじまりの始まり ―終焉の森編―
2/45

2、「た、助けてくれるの?」少女と共に駆け出した。

 記憶を遡ってみても、覚えているのは目覚めてからのことだけで、夢の内容すら思い出せない。


 ……まあ、夢なんてそんなものか。


 ため息をついて、改めて手のひらを見つめ、そして自分の身体を見下ろす。


 性別は男。鍛えられているらしい身体は思うように動き、見た目の年齢からして、それなりの過去があるのは間違いない。

 それなのに、その過去の記憶がまるでないと気づいた瞬間、自分が誰か他人の身体に乗り移ったかのような気分になってくる。しかも──


 「まあ、思い出せないなら、今は考えるだけ時間の無駄か」


 そう戸惑いすら他人事のように処理してしまっている自分がいた。


 それがもともとの性格なのか、それとも記憶を失っているからこそなのかはわからない。

 だが、思い出せないことを延々と悩んで、時間を無駄にした挙げ句に徒労に終わるよりマシなのかもしれない。


 ──それに、そんなことよりも、今はもっと優先すべきことがあるはずだ。


 「さて。今もっともすべきことは……」


 食べ物も飲み物もない。方角も、この森の広さすらわからない。

 そんな状況でむやみに動き回るのは愚策だ。だが、かといってじっとしていても、助けが来る可能性はほぼない。

 ならば、現在地を確認できそうな高い場所へ移動すべきだが、もし崖を登って転落でもしたら元も子もない。そもそも、記憶のない俺が時間をかけて場所を確認できたとして、向かうべき方向が見つかるとも思えない。


 「せめて、人里に通じる道か、この森を知っている誰かがいれば……ん?」


 ──何かを忘れている気がする。そう、さっきからこちらに向けられている視線が……


「ひっ!?」


 顔を向けると、そこには先ほどの少女がいた。目が合った瞬間、ビクリと肩を震わせ、頭をかばうようにしながら怯えている。


 ……そうだった。この少女に突かれ、声をかけられて目を覚ましたのだった。

 ただ、声をかけたのに今はなぜ俺を見て震えているのか。そんなに恐れられるような……


 ──死人が蘇ったと思われた?

 ──この傷だらけの姿のせい?

 ──独り言ばかりで頭がおかしい人に見えた?


 ……あったな。


 ひとまず、相手が言葉の通じる存在かどうか、少女の様子をうかがってみる。


 少女は、まだ幼さの残る輪郭に小柄な体つきで、年齢は十歳前後といったところだろうか。

 長い金色の髪を持ち、白で統一されたおしゃれなワンピース姿は、森の中では明らかに浮いている。

 その髪は手入れがされていないのかボサボサで、庇っている頭の部分には、不自然に折れたようなふくらみが左右に──


 身軽すぎる格好を見るに、人里からそう離れてはいないようだが……にしても、妙な髪型だ。


 そう思って眺めていると、少女の手がずれて、ふくらみの正体が三角形にピョコンと立った。そして改めて少女の姿をよく見ると、背後には尻尾らしきものまでついている。


 ──獣の耳に尻尾? まさか、俺にもついているのか?


 頭を触ってみるが、そんな耳はない。お尻のあたりを見ても、尻尾などない。


 少女の姿がこの世界では普通なのか、それとも俺のほうが普通なのか。記憶がない今、それすらも判断できない。

 ただ、目の前の幼い少女が、見た目の異なる大柄な男と出くわし、恐怖を感じていることは理解できた。


……怖いならなぜすぐに逃げない?


 逃げる隙ならいくらでもあった。怪我で動けないようにも見えない。

 理由がわからず観察していると、少女の視線がときおり俺の胸元を見ているのに気づいた。


「もしかして、これ……お前のものか?」


 そう言って、胸にかけたペンダントを指差すと、少女は青ざめた顔で、慌てて首を左右に振った。


 ──どうやら違うらしい。


 推測は外れたが、反応から言葉は通じるようだ。

 さらに観察していると、少女は何か言いたげに視線をそらした。その先には──網籠。中には果実や山菜が見える。


「ああ、逃げなかったのは、あれのためか」


 籠の中の収穫物を持ち帰りたいがために、俺から逃げなかったらしい。……どう考えても、身の安全と釣り合っているとは思えないが。


 思わずため息をついたそのとき、ふとひとつの考えが浮かんだ。


 籠を手にすれば、この少女はきっとすぐに逃げ出す。

 その後をつければ、道か村に辿り着けるのでは?


 安直だが、信頼を得るのに時間をかけるよりは早くて確実だ。万が一バレても、助けを求めに行く先は人のいる場所のはず。耳と尻尾以外は人と変わらないのだから、追うのも難しくなさそうだ。


 俺はすぐに行動に移し、籠へと近づいて手に取った。


「ぁぁ……」


 か細い声が漏れた。悲鳴にも似たその声は、籠を奪われると思ったからだろう。


 声を無視して拾い上げると、失意の表情で震える少女の元へと近づき、籠を差し出す。


「ほら」


「…………?」


 予想外の行動だったのか、少女は目を見開いて俺を見つめ、首をかしげた。


「わ、私を……ころさ、殺さない……の?」

「…………」


 やっと成立した会話がそれとは。

 この少女には、俺がよほど獰猛な獣にでも見えているらしい。


 ため息をつきたい気持ちをこらえて、さっさと受け取れと笑顔を作りながら、籠をさらに差し出す。

 ようやく意図を理解したのか、少女はおそるおそる手を伸ばし、慎重に籠を受け取った。


「あ、ありがとう。あの……わた──」

「なんだ?」

「ひっ!? な、なんでもないです!」


 ぺこりと頭を下げると、少女はそのまま逃げ出した。


 思っていた反応とは違ったが、誤差の範囲内だ。あとは、見失わないように後を追うだけ。


 だが、ある程度距離ができたところで、少女はなぜか立ち止まり、一歩、二歩と後ずさりを始めた。不可解なその動きに顔を向けると、視線の先には、俺の身長と同じくらいの高さをもつ、四本足の白い獣がいた。

 その獣は牙をむき出しに少女を睨みつけ、ゆっくりと一歩、また一歩と近づいてくる。唸り声をあげ、今にも飛びかかろうとしている。


「まずい!」


 このままでは、森を抜け出すどころの話ではなくなる。


 本能のままに地面から剣を拾い、素早く少女の前に立つ。


「オ、オオカミ、が……」


 少女の震える声から、目の前の獣はオオカミと呼ばれるものらしい。……いや、オ・オオカミか? 今はどっちでもいい。


「危ないから、下がってろ!」

「で、でも……ど、どうして……?」


 その一言で、我に返る。


 たしかに目的のために少女が必要だった。だが、命の危険を冒してまで助ける必要があっただろうか。


 ──今から逃げるか?


 だが、涙を浮かべて震える少女と、明らかに俺に狙いを定めて睨みつけるオオカミ。オオカミは邪魔をされたことで、完全に俺に敵意を向けている。


「いいから、早く逃げろ!」

「に、逃げろ……? た、助けてくれるの?」

「……そうだ」


 少女は驚いたように目を見開いたが、慌てて二度頷き、後ろへと下がっていく。

 そして──律儀にもやりとりを待ってくれていたオオカミに向かって、俺は剣を握り直した。その瞬間、ふと気づく。


「……俺って、戦えるのか?」


──その記憶すら、ない。


 今さらそんなことを思ったところで遅い。オオカミは低く唸りながら、じりじりと間合いを詰めてくる。

 巨体に鋭い牙と爪。四本脚の筋肉の付き方からして、動きも速そうだ。


「……これで死んだら、ただの間抜けだな」


 自嘲気味に笑った、その時だった。


 オオカミが立ち止まり、口を大きく開いた。次の瞬間、赤と黄色が渦巻く点が見えた。


「っ!?」


 反射的に身を投げ出し、なんとかその一撃を回避する。すぐ横を通り抜けたそれが炎だと気づいたのは。


 危う「ひぇあっ!」


 呟きに被せるように後ろから聞こえたのは、先ほどの少女の悲鳴らしき声。炎が当たった木は燃え上がるとあっという間に黒焦げにした。


「あ、危なかったぁ……」


 木に隠れているのか姿は見えなかったが、安堵したような声が続いた。

 他の木に隠れているのか姿は見えないが、間の抜けた安堵の声からして少女は無事だったらしい。


 ……次からは立ち位置にも気をつけないとな。


 改めて身構えオオカミを睨む。隙を見せていたはずの俺の動きに対して、オオカミの動きはなかった。


 炎を出した反動? 俺への警戒? …………わからない。


「どういう仕組みか知らんが口から炎を吐いてよく火傷しないな」

「……」

「せめて警告くらいしてかっ……ら!」


 話している途中で、オオカミは駆け出し話しかける俺に向かって牙をむき出し襲い掛かってきた。


 どうやら無駄話は嫌いらしい。……言葉を理解しているかは知らないが。


 そんな戦いたくない余計な事を考えたせいなのかもしれない。オオカミの想像以上に素早い動きに対して、身体は思うように避けられず脇腹から火傷したような熱が走る。


「ぐっ!」


 痛みに身体が止まりそうになったのを堪えながら、真横を過ぎ去ろうとするオオカミ向かって素早く剣を振る。

 手ごたえは浅く感じたものの、オオカミに一撃を与えられたらしい鳴き声が聞こえた。


 どうだっ!?


 駆け抜けたオオカミが怯み、動きが少しでも鈍る期待しながら振り返り身構える。しかし、オオカミは既に身をひるがえして既に再び襲い掛かろうとするところだった。


 オオカミは傷を受けても痛みや恐怖を感じないのか。


 白い身体の一部が赤く染まっているというのに勢いが鈍る気配はなく、獰猛な牙を見せつけながら今度こそ仕留めるとばかりに突っ込んできていた。

 その明確な殺意と脇腹の痛みが命の危険を伝え、全身の感覚を研ぎ澄まされていく。


 一撃目で生き延びたのは幸運だったな。


 記憶がなくても五感は戦い方を覚えているのが伝わって手足の先まで血の流れまで感じる。冴えわたる感覚は怒りに任せて襲い掛かってくるオオカミの動きが単調になっている事を伝え、すべての動きまでも遅くなっていく。


 その直感に任せて跳び上がると、今度は遅くなる時の流れに反して驚くほどに身体の手足の先まですべてが思うままに動いた。怒りまかせに真っ直ぐに襲い掛かってきたオオカミの一撃を間一髪でかわすと背に着地し、首元に向けて力いっぱいに剣を突き刺す。


 剣から伝わる生き物を刺す鈍い感触。その直後にオオカミは暴れて悲鳴をあげながら顔を上げ、俺を振り払おうと必死に首を振りだした。

 その勢いにしがみつくより先に身体が投げ出され、受け身をとりながら転がり再び立ち上がって身構える。が、オオカミは再び駆け出し俺に襲い掛かろうとした所で力尽きて倒れた。


「危ないところだった」


 倒れたオオカミから剣を引き抜き、ふうっと息をつく。血を払い、鞘に収めた瞬間、昂ぶっていた感情が一気に冷め、身体に重さが戻ってきた。その時だった。


 目の前のオオカミが、突如として粉々に弾けた。光をまとった細かな粒がふわりと舞い上がり、空へ昇る途中で消えていく。跡には血の染み一つすら残っていない。


「……あぁ、魔のモノは消滅するのか。……魔のモノ?」


 なぜその言葉が出てきたのか、自分でもわからない。


 あとには足元には、小さな赤く輝く透明な石だけが落ちていた。手にとって眺めてみると、まるで宝石のようだ。

 硬貨と一緒に袋へとしまった、そのとき──背後から足音が聞こえた。


「ひっ!」


 咄嗟に剣へ手をかけて振り返る。そこには──逃げたと思っていた少女が、驚いたように立っていた。

 剣を下ろすと、少女はぺこりと頭を下げ、心配そうに俺の脇腹をチラチラと見てくる。


「あ、あの……。だ、大丈夫? その……」


「ああ、問題ない。かすり傷だ」


 少女は、よかった……と小さく呟き、ぎこちなく微笑んだ。


「あ、あの……ありがとう」


 俺は森を抜け出すために動いただけ。何を感謝しているのだろうか。


 ──そういえば、籠を返したときも、何か言いかけていた気がする。

 たぶん、今その続きを口にしているだけなのかもしれない。


「気にするな」


 そう言って、少女のふわふわした頭にそっと手を置くと、少女はビクリと肩を震わせた。


 ……なぜ、そうしたのかは自分でもわからない。

 だが、怯えて逃げる気配はなく、少女は目を閉じてそのまま受け入れていた。


 ──もう、俺が怖くはないのだろうか。


 よくわからない他人の心を思いながら、軽く頭をポンポンと叩いて手を離す。その時だった。

 森の奥から、不穏な鳥たちの羽ばたきと、獣の遠吠えのような声が聞こえた。少女も不穏な気配を察して耳をひくつかせる。


「とりあえず、この場を離れるぞ!」

「ほぇ? あ、はいっ!」


 不気味なざわめきが、少しずつ近づいてくる。

 休む間もなく、俺は少女と共に駆け出した。

了 A

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