13、「助けよう!」聞き返さない事にした。
ソラ ・・・男。過去の事を覚えていない。名前は仮称。人。
アイリス・コーエン・・・獣耳と尻尾がある少女。儀式の生贄となるはずだった。
巫女
神無月イヨ ・・・日ノ国の巫女。捕えられた時に洞窟で出会った。人。
師走サキ ・・・日ノ国の巫女。人。
転移者
瀬々ノ森絢……女。小屋で出会う。理解がはやく冷静。優の事になるとなぜか冷静さを失う。
小野ノ川優……男。小屋で出会う。優しさゆえに鈍感で優柔不断らしい。
泊まる家に戻ると、後のことはアイリスと優に任せて、俺は入口の外側に座り込んだ。
本来なら村を出るのが最善。だがイヨと絢は眠り、優も起きてはいるものの、やっとの状態。村の外よりも、この家のほうが壁があり守りやすい。それに、もし二人の容態が悪化した時、処置を知っている可能性があるのは村の者たちだと判断した。
だから俺は、逆上した村人が現れたときの襲撃に備え、一晩を入り口の外で過ごす。……はずだったのだが。
家の窓や戸の隙間から、こちらを伺う気配ばかり。それどころか。
「…………おにぎり、食べる? あそこにあった食べ残しだけど」
なぜか、浜辺に居た女が一人で再び現れた。そして両手におにぎりを手に俺の隣に座る。
「いらん」
「そう」
しかもそれを平然と食べきった挙句「おやすみ」と言ってそのまま隣で眠り始めた。
あまりに無防備なその行動。ただ、それでも彼女が隣に居座った理由は、言わなくても分かっていた。
『お嬢様だけでも助けて!』
あのときの叫びが脳裏によみがえる。
その健気さに免じて、しばらくは寝かせておくことにした。
悪くない判断だった。 ……と思ったのだがな。
「おい、いつまで隣で寝てるつもりだ」
「……ぅん。………………ん?」
物事には限度がある。
この女が出した食べ物に眠り薬が入っていたのは知っていた。おかげで眠る以外の異常が起こらない経過観察もできた。だが、日はすでに高く昇り、村は朝の活動を始めていた。村人たちは既に宴の結末を知っているはずだがこちらに気づかぬふりをしている。
水を汲み、畑を耕し、小舟の漁師は獲物を捌いていた。そんな中この女は平然と外で眠り続けさらに俺に寄りかかってきた。
「おい、起きろ! 邪魔だ!」
「………………ぅん? あぁ、うん。おはよ…………あ」
ようやく眠気眼を擦り、背伸びをしながら目覚めた彼女は、俺の顔を見て動きを止めた。
その視線が俺の肩越しにずれていることに気づき、振り返る。
「…………」
「おはようございます」
そこには腕を組み、睨みつけながら眉をひくつかせるイヨの姿があった。
「……それで、ソラ様、何があったのですか!」
その声には、怒気がはっきりと込められていた。
事情を説明するため家の中に入ると、すでに全員が目を覚まして座った状態だった。
アイリス以外は気だるげに背を丸めながら何度も瞬きを繰り返している。明らかに眠そうな様子だった。
イヨが無理やり起こしたか。
そんなぼんやりとした視線が俺たちに向けられ、そして一番最後に入ってきた女の姿を見るなり、絢が目を見開き叫んだ。
「逢野さん!?」
「……え? 瀬々ノ森さん? ……それに小野ノ川さんも?」
二人は知り合いらしい。
絢は立ち上がり、笑顔で駆け寄ると、逢野と呼ばれた女と手を取り合い、我に返ったようにイヨの方を振り返った。
「失礼しました。彼女の名前は逢野才加。同じ学校のクラスメイトです」
才加は丁寧に会釈をする。
そして顔をあげると隣で寝ていた時とは違い、彼女は優よりも男勝りにすら見えるほど凛とした姿に変わっていた。
「どうしてここに?」
絢の問いかけに才加は一つ頷き、話し始めた。
「私は……いえ、私たちは、お嬢様を守るために、あのクラスから逃げ出したのです。この世界に来てから、お嬢様は男子に『助けてあげる』と言われて襲われそうになったり、女子からは嫉妬や嫌がらせを受けたりしていましたから。……そこまでは、何度も仲裁してくださった瀬々ノ森さんと小野ノ川さんなら、ご存じですよね?」
二人は気まずそうに頷いた。
「騙されて、脅されて……私たちはクラスに見切りをつけ、逃げ出したんです。この村まで……」
言葉を選びながら話す才加の表情には、影が差していた。
「でも、それも間違いでした。この村は少人数の旅人や流れ者を襲い、男は殺して、女はさらい、物を奪い……女を妻にしていたのです。
お嬢様は、そんなことを何も知らず……食事に混ぜ物があることも知らず、親切された事がうれしくて、信じてしまって……」
その先に何があったか、誰も聞き返すことはなかった。
「私は村の者に、お嬢様には手を出させない代わりに、彼らの妻になることを承諾させられていました。……その夫になるはずだった男に砂浜でソラ様の気を引くように命じられて。……ですが返り討ちにあい死にました」
一斉に俺へと視線が向けられた。だが、その目に咎める色はない。
「お願いです。お嬢様を助けてください! 今を逃せば、もうチャンスはなくなってしまいます。だから、どうか……どうか……私にできることなら、なんでもしますから……お願い、します。じゃないと、お嬢様が……お嬢様が……!」
才加はそのまま泣き崩れた。
そもそも、そのクラスに残ったところで、どうしようもなかったことは、絢と優の状態が物語っている。
「残っていれば……」などという無意味な結果論を語る者は、ここにはいなかった。
そして、その説明で、図らずも昨晩の出来事がイヨにも伝わった。
「なるほど。私が、いつの間にか眠って起きたらここにいたのも、そういう理由からだったのですね」
「そういうことだ」
イヨの呟きに視線を向けられたので、頷いて返す。
「ん? でも、私は眠くならなかったよ? それにソラも、優くんも」
不思議そうに首を傾げるアイリス。
「アイリス様は、薬への耐性があったのでしょう。小野ノ川様は、あまり食べなかったからかと。そして、ソラ様は」
「そもそも食べていない。口には含んだがな」
「……まったく。分かっていたなら、どうして私に言わないんですか」
そのきっかけをつくったイヨが何を言っているのか。
不満そうに俺を問い詰めるような視線を向けたイヨは、ため息をついた。
「まあ、いいです。それで逢野様の隣にいて、一晩を過ごしたソラ様は、どう答えてどうしたのです?」
何やら引っかかる言い方だったが。
「無視した。浜辺で三人を斬り終えたところで頼まれたが、アイリスのもとへ戻るのが最優先だったからな。戻って、村長と村人を三人斬った。そこでアイリスに止められて、残りは見逃した」
「え? あ、あぁ…………。そんな大事になっていたんですね」
イヨがなぜか頭を抱えて、唸り出す。
「まだ薬が残ってるのか?」
「ソラ様のせいです! ……いえ、おかげでもあるんですけど」
反応に迷っているらしいイヨは、結論としてため息をついた。
話を戻すことにしたようだった。
「事情はだいたいわかりました。それで、そのお嬢様の名前は?」
「聖宮姫夜さんです」
泣き崩れる才加を抱きしめながら、絢が代わりに答え、イヨが頷いた。
「では」
「助けよう!」
言葉を遮って声を上げたのは、アイリスだった。
鼻息を荒くし、手と尻尾をピンと立てて主張する姿には、有無を言わせない迫力が……あると、本人は思っているかもしれない。まぁ、見た目どおりといったところか。
優も絢も、アイリスの意見に賛成のように頷き、イヨを見ていた。
その視線を受けて、イヨは頷いた。
「わかりました。助けましょう。これ以上ことを荒立てたくはありませんが、幸いにもソラ様とアイリス様のおかげで手はあります。私が事態の収拾と交渉を行いますので、ソラ様は一緒に来てください。そして皆さんは、ここで待っていてください」
「で、でも!」
涙声ながらも同行を申し出ようとした才加を、イヨは手で制した。
「助けたいのでしょう? でしたら今は私を信じて、大人しく待っていてください。これは逢野様のためでも、聖宮様のためでもあるのです」
「っ……!」
才加は強く手を握りしめ、何度か口を開いて言い返そうとした。
が、顔を伏せ、そのまま頭を下げて土下座した。
「……わかりました。それでは、よろしくお願いします」
「信じてくれてありがとう」
イヨはにっこりと微笑み、俺を連れて建物を出た。
外に出ると、そこにはすでに村のほとんどの人々が、建物の前に集まっていた。
手には武器になりかねない農具や道具、たいまつなどを持っている。本能的に俺は剣に手をかけようとしたが、イヨがそれを制した。
「私に任せて」
そう言って一歩前へ出ると、イヨは村人たちを見渡した。
「話はすでに聞かせていただきました。皆さまの行いも含めて」
すでに村長がいないことに動揺している村人たち。ざわめきとともに殺気と緊張が広がっていくのを感じる。
イヨは平静を保ったまま小さく咳払いし、ざわめきが収まると、言葉を続けた。
「ただ、今回は私たちには一切の被害もなく、返り討ちにさせていただきました。ですので、あの場に関与していなかった皆さまを咎めるつもりはありません。
……ここからは、私からのお願いです。先日この村にやってきたという二人のうち、今も囚われている方をご存じの方はいませんか?
悪しき村長に捕らえられていたようですが、皆さまの力があれば、すぐにも助け出せると思うのです。その者の名は……聖宮姫夜、だったかと思います」
罪はすべて村長にあると思っていると伝え、それを事実として示す誠意を見せてほしいと促す。
イヨのその誠意を問うに言葉は、村長を失い、どう動くべきか迷っていた村人たちにとって、保身と穏便を叶える赦しという甘い囁きに聞こえただろう。数人の村人が、おずおずと手を挙げる。
「ありがとうございます。では、そちらとそちらの方、案内していただけますか」
イヨが微笑むと、他の村人たちは徐々に解散し、二人が頷いて、俺たちを案内した。
村の隅にある小さな小屋のような場所に連れて行かれ、イヨはその村人から鍵を受け取る。
そして鍵を開け、扉を開けた瞬間、鼻をつくような異臭が漂ってきた。
「彼女が休める場所を、ゆっくりと準備していただけますか。あと、清めるための道具一式も」
イヨは平静を装いながらも、震える声でそう告げ、怒りを拳に込めて押し殺していた。
案内した村人も中の様子を知っていたのか、顔を見合わせ頷くと、慌てて駆け出していった。
「ソラ様、お手伝いいただけますか」
「無論だ」
そのために、俺を選んだのだろう。
中に入ると、そこには才加が語った約束が、何ひとつ守られていなかったという事実が横たわっていた。
ぐったりとした少女のもとへ、イヨが駆け寄り、そっと抱きしめる。
「……、……」
「もう、大丈夫です。助けに来ましたから、安心してくださいね」
イヨの言葉が届いているのかどうかもわからない。
静かになった少女は虚ろな瞳が俺を見つけ怯えていた。
「ソラ様、くれぐれも丁寧にお抱えするようお願いします」
「ああ、努力する」
イヨの指示に従い、力なく嫌がる姫夜を抱き上げ、用意された建物へと運ぶ。
才加の存在から思っていた裕福を感じさせる面影はなく、今や異臭と痣、虚ろな瞳に彩られた悲惨な姿へと変わっていた。
まともに食事を与えられていなかったことも、不自然な衰弱を見れば容易に推察できる。
イヨは用意された桶の水を温める。ぬるま湯を使って彼女の肌を丁寧に清め、新しい衣服を着せ、少量の食事を時間をかけて与えた。
俺は命じられるまま、ただその介抱を指示されるまま手伝い、ようやく姫夜を寝かしつけたところで、イヨが深いため息を漏らした。
「すでに、こうなっていたのをわかっていたのですね」
「ああ、イヨも予感はしていたのだろ」
「……そうですね」
村人たちが才加との約束を守るはずがない。とくに、村内の規律がすべてな開拓村にとって、身寄りもない魔法という力を持った女二人は交渉相手ではなく財産そのものに映っていたという事。
騙す方が悪いと考えるか、騙される方が悪いと考えるか。少なくとも、この村の民意は後者を選んだ。ただそれだけのこと。
才加も絢のように水の魔法を使えたはずだが、魔法一つで村人すべてを相手にできるほど万能ではなかった。そして、姫夜と才加に対してうまく行き過ぎたので、俺たちにも仕掛けて失敗した。
「それでこの後はどうするつもりだ?」
「そうですね。私たちの目的と彼女の心身を思えば、早く村を出たほうがいいでしょう。ただ、そのために彼女を運ぶとしても、村には馬車がありませんし、牛も貴重ですから牛車を頂くのも難しそうです」
「今回の件を理由にすればいいじゃないか」
「奪うような要求するのを巫女は許されません」
「そういうものか?」
「そういうものです」
言い切ったあたり、それが巫女としての決まりごとなのかもしれない。知らないが。
「じゃあ、どうするつもりなんだ」
「聖宮様にご自身で歩いていただくのが一番です。ただ、もしもの時には、ソラ様にお願いしたいと思っています」
つまり、彼女が歩けなくなったら、絢のときのように背負って歩けということらしい。そして言葉から同行までも確定していた。
動きが制限されることはできれば避けたいところだが、先を急ぐなら、他に方法も思いつかない。
「だが、仮に俺が了承したところで、この女が嫌がるんじゃないか?」
「それなら大丈夫だと思います。では私は逢野様と話をして、彼女を連れてきます。ソラ様は聖宮様を見守っていてください」
「ああ、わかった」
そのとき、なぜかイヨが不敵に微笑んだように見えたが、気のせいだと思うことにした。
イヨが部屋を出た直後のことだった。
「……ぅ…………ぅん? あ、れ?」
姫夜が目を覚ました。
ただ、俺にはこの女の気持ちどころか、どう接していいかすらわからず、黙って様子をうかがう。
ゆっくりと上半身を起こした姫夜は、まだ寝ぼけているのか、ぼんやりと俺を見つめたかと思うと、拳を握りしめた。
「…………」
「…………」
怯えているのか、それとも警戒しているのか——。
気まずい沈黙が流れる。
思えば、これが初対面としては普通なのかもしれない。
優や絢、才加のように勝手に語り始める連中のほうがおかしいのだ。
「あ、あの……。今夜は月が綺麗ですね」
「…………月は見えないが?」
見上げても天井しか見えないし、俺が外にいたときの空も、昼過ぎで曇っていた。
正直に答えたことで、さらに気まずい沈黙が流れる。
どうやら、言葉を間違えたらしい。
だが、見守るよう頼まれている以上、気まずいからといって部屋を出るわけにもいかない。
「…………あの」
「なんだ?」
ただ返事をしただけで、姫夜はビクッと身をすくませた。その反応は、初めて出会ったときのアイリスを思わせる。
だが、アイリスと違って俯いたまま。恐怖を前にして無防備にただ諦める姿に、苛立ちを覚える。
さっさと言え、と言いたくなる気持ちをぐっと堪え、ため息をついて心を落ち着かせる。
「怖がらせるつもりはなかった。すまない」
「…………あ、いえ。…………その、才加さんは…………?」
真っ先に気にかけたのは、自分の置かれている状況よりも友人のことか。
まったく、才加といい、この姫夜といい、まずは自分の身を守ってから他人を心配するべきだと思うのだが……。
ただ、俺にとっては嫌いではない一言だったらしい。少しだけ見えた姫夜の内心に、苛立ちは消えていった。
「才加は無事だ」
無事。それが姫夜の想像する意味と一致しているかはわからないが、少なくとも生きているという意味では嘘はついていない。
姫夜は安堵の息をつき、心の底から嬉しそうに微笑んだ。その表情に思わず手を胸に当てそうになったが、拳を握って堪えた。
「それより、自分の身を案じるほうが先だろ」
「あ、そうですよね。……でも、あのとき、朦朧とした意識の中で、優しい声と安らぐような温もりを感じたんです。てっきり、それが貴方で、助けてもらえたのかと……」
真っ先に近寄り抱きしめたのはイヨだ。
どう説明するべきか考え始めたところで、イヨが才加を連れて戻ってきた。
「お嬢様!」
「……才加!」
二人は涙の再会を果たし、手を取り合い、その瞳には涙が浮かんでいた。
その様子を見守りながら、イヨが拳を握りしめて何かを呟いた。
「…………」
聞き取れなかったその言葉は、聞き返さない事にした
了




