16、「アイリス様は」獣のような手足を地につけた体勢で身構えた。
「いってらっしゃいませ」
「いってきま~す♪」
姫夜と才加、他屋敷の人たちから丁寧に見送られ、気の抜けるようなアイリスの元気な一言に皆がほほ笑む。
「ありがとうございました」
律儀に感謝を述べた優と絢の制服姿の優の腰元には左右に短剣らしきものが身に着けていた。
あの後、二人で話し合って旅立つ前に用意してもらったのだろう。制服姿に左右短剣の装備は身動きも考慮しての事のようで、決意を新たにしたらしい二人は初めて出会った頃より心なしか背筋が伸びて凛々しく見える。
「神無月、旅路に気をつけなさい」
「ありがとうございます。如月様もお気をつけて」
それぞれが別れの挨拶をして、二手に分かれて牛車に乗る。俺の方にはイヨとアイリス。もう一方には優と絢、そして二人に付き添う如月と水無月。
見送る姫夜と才加、屋敷の者たちに対して手綱を手に歩き出した御者の操る牛車が動き出したのは偶然にもほぼ同時だった。
「寂しくなりますね」
「……うん」
屋敷を出た二台の牛車は門を出るなり別々の方向へと進む。
「ソラ様の感想は?」
「特にない」
なぜイヨがそんな事を聞いたのかはわからなかった。
俺たちの乗った牛車は屋敷を出ると東へ向かう道となり、俺たちの乗った牛車は不規則に揺れる不快な道のりを進むと東門に辿り着いた。
なぜ東門とわかったのかといえば、門に大きく描かれた方位記号に目印がついた絵柄を見つけたアイリスがイヨに質問したためである。
ちなみに文字ではなく記号である理由は文字を読めない者のためとのこと。
「ココからは長い旅路に備えて手配された笠と杖、それにマント、旅用の新しい履物を門番から受け取り徒歩で向かう予定となっています」
指さした先の道は牛車の方で進む事もできるよう十分に舗装された石畳の街道だった。その両端も砂利や砂を敷いて路面を固めた幅の広い整備されている。
その道には数はそれほど多くはないものの、街道を走る荷物を積んだ牛車や馬車らしき姿が見える。
「牛車は御者もいて牛の世話から荷車の維持までできての乗り物。残念ですが街道は通れても私たちでは維持が難しいのです。働き、故障時に手伝う条件で知らない相手に乗せてもらう方法もありますが、無用な問題を避けるなら徒歩を選ぶべきかと思います」
イヨが言うならそうなのだろう。
見せた道具のうち、俺は笠を付けマントを羽織り、新しい履物へと変えて杖を持つ。アイリスは履物以外はどれも嫌だったのか着けたものを外して返していた。イヨも俺と同じように身に着け、そしてそれぞが履き心地を確かめつつ休憩を多めにしながら帝都への道を歩んでいく。
その道中の会話は暇を持て余したアイリスからイヨへの日ノ国に関する質問がほとんどとなった。
日ノ国は南側と東側が海に面した国。出発地点であるコユルギから帝都までは広い平野が続く道のりとなり、月が欠け満ちる日数である三十日を一とする一月ほどかかる。そして、船であれば十日ほどで辿り着く。というのが旅にあたっての最初の説明だった。
「どうして船を使わないの?」
「船は陸を離れれば船乗りにその身を委ねる集団生活となります。ですのでアイリス様のようなかわいい方は乗船できないのです」
「???」
……品物と見られてしまえば他所へ運ばれ売られるという事か。
理解しているのかしていないのか。ご機嫌なアイリスは周囲を見渡しあれこれ質問し、イヨが真面目に答えていた。
一見すればただ案内しているだけ。だが、目についたものを逐一質問するアイリスに対して、イヨは作物であれば育て方から料理まで、遊びを見ればしている事からルールまで、建物については暮らしやら建築様式まで答える徹底ぶり。
アイリスはずっと笑顔で話を聞いているが、尻尾だけ俺に触れてじゃれていた。イヨもイヨでその内容はともかくとして説明はとても上手く無駄に無駄がない。そして俺はただ歩くだけ。
そんな道中の初日はいくつかの村や宿場町を通り過ぎたところで小さな村の小屋で一泊し、翌日も履物を慣らしながらさらに進んだ所で河川の橋の両側に構えられた関所らしき場所に辿り着いた。
「ココは海岸沿いに進む際にある関所の一つ目です。川の流れが侵攻を防ぐ天然の堀になっていて、魔のモノの大群や他国の軍勢が襲ってきた時にはコユルギの民はココより帝都側へ逃れる事となっています。
そのためこの川を安全に渡るためには橋の両端に作られた関所を通過して橋を渡るしかありません。たしか川沿いの村々には船を持つ事も渡る事も重罪となるのだとか。
今日はその関所を超えた所にある対岸の宿場町で泊まろうかと考えています」
関所は物流を中心とした人通りはほとんどらしく、荷物を運ぶ牛車の他、少数ながらも荷馬車も関所前で混雑し、検閲を終えた者から橋を行き交っていた。
ただ、旅を目的とするような人の行き交いは多くはないらしい。時間のかかる荷物の検閲と人の検閲を分けているらしく、人の方は比較的流れるように進み、イヨがコユルギで準備したらしい通行手形を見せるとあっさりと通された。そして牛車や馬車も通れるほどに頑丈に作られた石造りの橋を渡り、出口側の検閲ではほぼ素通りだった。
「ソラ様とご一緒なので、何か起こるかとも思ったのですが取り越し苦労でしたね」
「お前は俺を何だと思っているんだ」
「逆に何も起こらなかった事がありますか?」
ある。……いや、なかったか?
「だいたい」
愚痴を言い始めたところでイヨが黙り立ち止まる。師走が音もなく目の前で待っていたのだ。
こちらが気づいたのを確認してからイヨの耳元で話しかけ、何か手渡すとそのまま関所の方へと行った。
「どこへ向かった?」
「おそらくはアズマハヤ砦に向かった如月様と水無月様へ伝達と経過報告を本日中にするのだと思います」
……本日中?
「あ、予約した宿はココらしいです。話では普通の宿だとか」
そういってイヨが案内したのは普通……にしては少し豪勢すぎるように見える二階建ての大きな宿であった。
中に入れば、その客層からは明らかに裕福そうな商人その家族、使いの者らしき者ばかり。イヨは戸惑う様子もなく受付で手続きを済ませると働く者たち表情が変わり、ココで働いているらしき中居女に部屋まで案内された。
「ココでは湯あみもできるそうです。お二人は先に部屋で休んでいてください。私は宿の方々とお話して、ついでに湯あみ着の一式を頂いてきます」
イヨの言葉通り、食事から湯あみまで提供される至れり尽くせりの良質なものであった。唯一の難点として、寝る部屋が同室という事にイヨは俺を見ながら顔を顰めてはいたが。
なぜか川の字で用意された布団に、真っ先にアイリスが中央に寝転び、両側に俺とイヨが続く。イヨが灯りを消すとアイリスはほどなくして旅の疲れで眠ってしまったようだった。
そんなアイリスの様子を微笑み眺めていたイヨが呟く。
「アイリス様は」
そこまで言った所で俺が起きているのに気づいてやめたらしい。視線が俺に向いた気がした。
「ソラ様は…………その、心を通わせるお相手がいらっしゃるのですか?」
心を通わせる?
俺にはそれの意味するところがわからなかった。ただ、記憶の始まりの『約束』を思い浮かべ、その約束が何だったのかも知らない事を再確認する。
そして、おそらく答えられる言葉はその時から同じだった。
「前にも説明した通りだ。俺には記憶がない」
「そう、でしたね」
どこか残念そうな返事は疑っているように思えたが、イヨの考えなどわからない。
「記憶の手掛かりは、剣、ペンダント、この小さな袋だけだ。剣はもう手元にないし、ペンダントはアイリスに渡した。袋はイヨも見ただろう」
「そのような大切な物をアイリスにお渡しになったのはなぜですか?」
改めて聞かれると思う。なぜあの時に俺はアイリスに渡したのか。
『約束』それを守るため渡した。ただ、あのペンダントは俺がずっと身に着けていたモノではない、と思う。あの時に見えた女の姿と『約束』という言葉。ミコトとの最初の出会いで言っていた約束。俺は今も思い出せていない。
…………俺は、何かを恐れている?
アイリスを見た。だがその答えを見つけられなかった。
「…………ソラ様?」
イヨの言葉に我に返った。
「どうしてだろうな」
「それを私が聞いているのですが……。いえ、別に羨ましいとかではなく、ただ気になっただけでして」
「わかっている」
俺の返事にイヨはなぜかため息をついた。
「そういえば瀬々ノ森様と小野之川様はおそらく今日、明日にでもアズマハヤ砦に到着しているのでしょうね」
「……そうなのか?」
旅路にしてまだ二日目の夜。
そういえばコユルギからアズマハヤ砦まで一日の距離と聞いたような気もするが、二人の体力を考慮しての言葉なのかもしれない。
「ソラ様はお二方が心配ですか?」
心配。その言葉の意味を察する事ができなかった。
「興味がない。イヨは心配なのか?」
「えぇ、まぁ……。あのお二人はいろいろと覚悟の足りない方でしたから」
「そうだな」
強くなりたい。その心意気は微笑ましいものではあるが、実力の伴わない勇気は破滅を招き、覚悟の足りない少しの躊躇いが事態を悪化させる。希望にスガるようになっては未来もない。
ただ、それであの二人が死んでも俺には関係なく、何も感じない気がした。
むしろ今、心配すべきは……
それをわかっているらしいイヨは上半身を起こし、またため息をつくと起き上がる。
「申し訳ありません。話の途中ですが、眠れないので少し夜風に当たってきます」
「そうか。不安があるなら付き合うぞ」
「ありがとうございます。ですが大丈夫です」
夜風か。
その言葉に含まれる意味を詮索するほど野暮ではなかった。日ノ国でも命を狙う者がいる。
夜陰に消えた出来事については、イヨの面目を考えそれには気づかないふりをした。
平穏な朝を迎え、この日から朝稽古をし、食事をとり、準備を終えると再び先を進む。
ひらすら道中を進み、まだ明るいうちに宿を確保し、夜は稽古後に宿で休んでは朝稽古、食事、更に先を進みを繰り返す。
旅が進むにつれて朝稽古ではアイリスが見つめる中でするのも日課になりつつあった。
そんな繰り返しの旅路でも起こるささやかな日常の変化と、雰囲気は似ながらも確かに変わる風景を進み、次の関所を通過し、進路も北へと変わって更に関所を通過して計一月足らずをかけて進んでたところでようやく辿り着いた場所。
「見えてきました。あれが帝都です」
帝都、道の先にはその呼び名の想像を超える石造りの高い城壁とその手前に運河らしき水堀が延々と広がり、中央の高い建物が遥か遠くに見えた。
「帝都は中心部にある天守閣と本丸に帝がお住まいになられています。その膝元にある国の運営をする三つの大きな建物で国が統治されていて、それらを総称した組織を中央と呼びます。昔は朝廷と呼ばれる事もあったそうですよ」
「帝とは何だ?」
「主上、君主、他国では王とか皇帝が近いかもしれません。他にも類似する呼び方はいろいろありますが、一言で説明するならこの国を治める者の事です。ついでですが、中央の呼び名も城壁を挟んでその周りを囲むように運営に携わる者たちが集まる屋敷が連なり、その外側の城壁までの一帯を中央と呼ぶこともあります。
そして、その中央から周囲へ派生するように城壁の通路で繋がる八つの円状の城郭都市があり、その城郭都市同士を繫ぐ通路にも使われる城壁によって囲まれその一帯すべて含めての帝都となります。今見えている出っ張り部分が城郭都市でそうでない部分は城郭都市を繋ぐ城壁です」
「…………」
要するにとにかく大きい目の前にあるすべてを帝都と呼ぶらしい。それは目の前にある城壁の長さを見れば一目瞭然だった。
「統治は中央の三つの大きな建物は主上から冠位を賜った政、武、教の三つに分けられ、政は政全般をする政官、武は戦争や賊討伐、護衛をする侍士、教は神事や司書、習字の他、魔のモノ対策をする私たち巫 女を含む総称として師子がそれぞれ異なる名称を持つ大きな建物に区分けされ、通路で連なるかたちで住んでいます。各城郭都市にもその三つがそれぞれ建物名として役所、衛兵舎、協会として構え、さらに民には組合と呼ばれる特定の技能をもった集団が働く場所や内容の取り仕切り、税徴収の代行もしていて、農人、職人、工人、商人、運搬人等のあらゆる組合と物が揃う都として多くの民が住んでいます。
ここまで帝都の説明をしましたが、これから私たちはまず城郭都市の協会に寄り、そこから中央にある三つの大きな建物のひとつ暁の聖堂へと向かいます」
イヨは丁寧に説明してくれたが、俺にはさっぱり理解できなかった。
話も言葉の意味もそういうものと認識できる程度で目の前の景色も初めて見たという感覚しかない。唯一分かったことは目の前の城郭都市にある協会という名の建物に寄る事くらい。
「どうして先に協会へ寄る必要があるんだ?」
「中央への城門は八つの城郭都市から城壁の上にある通路から行くしか方法がありません。その通路を通る許可を得るために事前に連絡役を送って許可を得る必要があるからです。もっとも、多くの人にとってはこの帝都に入る方が厳しいのですが」
難しいではなく厳しい。そんなよくわからない言葉を付け加えた意味はすぐにわかった。
城郭都市の前には城門を通るのための順番待ちをして並ぶ者たちの他、貧相な姿に羨ましいとも妬ましいとも思える視線を向ける者たちの姿が少ないながらもあったから。
並ぶ者たちをただ見つめる彼らは帝都に入れない民である事は明らかで、アイリスを怯えさせる程にその視線は不気味であった。
「あれらは?」
「帝都への居住希望者です。城壁により昼夜問わず魔のモノも獣も賊にも襲われる心配がない。そして、魔の王からの攻撃すらも防ぎきったという伝承もあるこの帝都で住めるのであれば、たとえ自らその身を奴婢に落としたとしても安心して暮らせるのであればと望む者は少なくないのです」
「奴婢?」
「物として扱われ、労働力やその他目的によって売買される人たちの事です。奴は男、婢は女としておおよその体格から分別し、人ではなくモノという扱いなため奴婢と呼ばれています。他国や一部地域では奴隷とも呼ばれていますね。」
つまり、周囲の者たちはモノとして扱われ、その身を売ってまでしても帝都での居住を望む者がいるらしい。
「民であれば通行手形が必要ですが奴婢は物として扱われますから不要となります。もっとも、人ではないために組合へも加入できませんし、所有者の同伴がなけれ城壁を越えた移動もできなくなりますが」
「どうやって見分けるんだ?」
「奴婢には所有者が記載された鉄の首輪がつけられます。自然と壊れたら自由の身、というのが一般的だそうですが故意に傷つけたたら処分または取替、健康に生きていけなくなっても処分される身ですから例外を除いて叶わない希望です。もっとも、奴婢の方が幸せだったという逸話もありますが。
……話がそれました。ですが『かわいそう』とそのモノが『善い人』かは別ですので素通りします。並んでからは目を合わせないようにお願いします」
俺には興味なかったし、妬みを含んだ視線にアイリスも怯えていたのでその心配はなさそうだった。
彼らが何か危害を加える様子はない。無事に城門を越える事ができた所で一転して目の前に広がる賑やかな人通り。
コユルギに勝るとも劣らない活気に満ちた大通りを歩く前にイヨはマントを脱ぎ、笠と杖も含めて俺が預かる事となり、イヨの後についていく。
人々は巫女服姿のイヨに目を向けると自然と道を譲りはじめた。
「イヨ」
「伝え忘れていました。ココでは私に気安く話しかけないように」
物珍しそうにキョロキョロとするアイリスと凛と歩くイヨ。その振る舞いは実に対照的ではあった。
「あれが協会です。少し歩みを早めます」
「わかった」
協会。あまりピンとこないその名前の建物の形はコユルギとよく似ていながら詰め込むように配置され、見た目よりも実用性を重視されていた。申し訳程度の敷地に建物は周囲より大きく高い。その高さこそが権威といった感じさていた。
「協会は子ども大人、身分を問わず習字と計算、特別な力の覚醒を身につける場所で、試学期間と厳正な規約が設けられています。また、各分野の本についても紙で書き写して複製した本を管理し、地域へ派遣する人員の育成もココを含む八城郭都市で行われています。そして、地方にある協会ではその他に賊や魔のモノの避難場所としての役割も担います」
「そうなのか」
「すっごーい!」
俺の反応になぜか不満そうなイヨ。対してすごいと言ったアイリスに満面の笑みを見せたところで協会の入り口に着いた。そこには巫女服らしき服を着た者が七人ほどが並んで頭を下げていた。白と鈍色を中心に左右に二人の白と松葉色の服を着ている。
その姿をみてなぜかイヨが安堵らしき息をつき、歩みを進めた。
「出迎えご苦労様。発言を許します」
「神無月様、お待ちしておりました。長旅から着いたばかりのところで申し訳ございませんが、神子人様のご命令により速やかに中央の暁の聖堂へ向かうようにとの事です。身支度も神無月の間に行うようにと伺っております」
「わかりました。すぐに向かいたいのでこちらの者から笠と杖、それにマントを預かっていただけますか」
「お預かりします。また、向かわれる際に護衛としてこの者たちがご一緒する事をお許しください」
「わかりました。許しましょう」
「感謝いたします」
旅路で使った笠と杖、マントを預けると、四名の松葉色の服を着た者たちがイヨを中心に前に二名、後ろに二名で付き添う。
……護衛というよりも囚人の護送だな。
視線が周囲ではなく俺たちに向けられている事をヒシヒシと感じながら、目立つ一団となって更に大通りを進んでいく。ほどなくして城門に着く。止められる事もなく通り抜けると階段を登り、車道と合流したところでイヨの説明にあった城壁へと出た。
「広い道。それに……」
アイリスが目を輝かせて驚き、言葉を失う事にも頷く。
中央に歩道、その左右に車輪のついた荷台が通る為の通路、その更に外側に防衛上の通路となっていた。整備された城壁は大通りと変わらないほどに幅が広い。空中を歩いているような高さで長く続くその通路と左右の城壁から広がる場所は集落と農地となっており、そこから見渡せる光景は、八つの城郭都市とそれを繋いで囲む城壁で囲まれた地だけで小国ひとつはありそうなほどの広大な景色があった。
中央へと続く長く長く続く通路をひたすら歩き、ようやく辿り着いた中央へ入るための城門に辿り着くと門番の守る門に向かってイヨが告げる。
「日ノ国、暁の聖堂、冠四位、月ノ巫女、神無月イヨ」
イヨの言葉の後、城門から鍵が解除されたようなカチッという音が鳴ると内側で控えていたらしい兵士により開かれた。
「すごーい!」
興奮した様子で喜ぶアイリスにイヨは微笑むと、キリッと気を引き締めた様子で城門をくぐり抜ける。イヨに付き添う俺たちも何ら拒まれる事もなく中央へと入る事ができた。
二つに分かれた中央の大通りは人通りは多くない。ただ、歩く人たちの衣服。牛車の見た目、それら装飾から中央全体の建物の大きさから高さ、調和のとれた景色に至るまでひと目でわかるほどに品性ともいうべき雰囲気の違いがあった。
治安が良いのか人々は裕福な姿で堂々と歩き、それを護衛する者にもその見た目から暮らしの余裕を感じる。
建物は屋根付きの通路で繋がれ大きく三つに分かれ、手前から中央の奥に向けて明確な差がありながらも、その建物の個々はしっかりとしていて雨の日にも塀に沿うようにある用水路で影響される事はなさそうであった。
そんな整いすぎた通りを歩き、塀に囲まれた門番の守る大きな建物へと入る。ココが説明にあった暁の聖堂で、通路をさらに天守閣側へと進んだ奥におそらく神子人がいるらしい。
門番に慣れた様子で会釈して進み、建物へ入ると部屋の一室に入ると目を閉じたまま振り返る松葉色の巫女服を着た女の姿が合った。
「…………イヨ様?」
「ただいま帰りました」
「~~~!」
アイリスと同じくらいの歳らしき少女がイヨへ駆け寄る。それに対して宥めるように優しく扱うイヨの姿。ずっと目を閉じたままの彼女は目が見えていないらしい。が。
「その……、後ろのお二人は? その、一人は殿方みたいですし」
それでも認識できる程度には困ってはいないようだった。
「大丈夫。でも今は説明している時間はないの」
「その件でしたら伺っております。神子人様への謁見は明日で、その時に迎えが来るとの事」
護衛していた一人が話に割り込み答えた。
その言葉に対してイヨは頷く。
「そうなのですね。……じゃあ、暁の聖堂で神子人様にお会いするにはまだ時間があるようだし、お清めを手伝ってくれる?」
「かしこまりました」
理由も聞かずに頷くその様子からして、イヨと信頼ある主従関係にある事はすぐにわかった。
その答えを聞いたイヨは珍しく緩んだ笑顔で振り返る。
「ソラ様、アイリス様。そこの才女に案内させますので明日に備えてお清めと身だしなみを整えてください。あと、この建物では認められた者しか帯剣してはいけない決まりとなっています。ココまでは私の護衛という言い訳ができましたが、今は大人しく彼女たちに武器を預けて下さい」
仕方なく、言われるままに剣を預ける。
こうして案内された先では体を洗う所から衣服や身だしなみに至るまですべてされるがままだった。そんな慣れない扱いに戸惑ったのは俺だけではないらしい。いつもなら笑顔であろうアイリスも無口になって目が点になるほど。整えられた身だしなみと新調された衣服、食事まで完備され、何もしないまま個別に部屋を移され、無防備な環境で柔らかい布団で眠りにつく。
そして翌日。俺も目覚めて用意された衣服で着て、部屋を移ってアイリスと一緒に食事をとり、食べ終えて一休みして、再び衣服を着替えさせられ終えたところでイヨが正装らしき姿で身だしなみを整え現れた。
「さて、それでは参りましょう」
その後ろには目の見えない女も連れ、アイリスはそわそわしだす。
「神子人様のもとへ行くのか?」
「そうです。ですが身分を持たないソラ様はお会いできません。暁の聖堂で神子人様に謁見が許されるのは冠四位より上の者、そして神子人様の身の回りを世話する冠五位の才女、数名だけです」
冠四位がどのような地位かは知らないが、俺はどこの馬の骨かもわからないうえに他よりもアイリスを優先した身。
神子人を守る考えであれば至ってまともな理由ではあった。
「そうか」
「あ、あれ……? ソラ様は神子人様とお会いしたかったのではございませんか?」
「イヨに頼めばいいという事は理解した」
「……まったく理解されていない事はよくわかりました。あのですねぇ」
「ココで話をしている余裕はあるのか?」
「うぐぅ……」
部屋を出た所で待っていた案内役らしき者は、剣と呼ぶには反りがかかり、刀にしては屋内では実用的には思えない長すぎる刀を携え変わった帽子を被る正装姿の二名の男だった。その者たちに連れられイヨ、目の見えない女、俺、アイリスは縦一列で長い廊下を奥に進み、その途中で男たちが立ち止まると振り返る。
「申し訳ございませんが、お連れ様はこちらでお待ちください」
イヨの目で告げる指示に頷くと開かれた部屋へと入る。
そこには二名のイヨが才女と言っていた者と同じ格好をした者たちが二人。
……警戒? いや、ただの殺気か。久しぶりの感覚だ。
部屋の両角で立って待機していた二人が武器を持っていない事を確認し、格式ありそうな部屋の居心地の悪さを感じながら用意された座席へと座る。
目の見えない女は座卓越しに俺と向かい合うように静かに座り、アイリスは俺の隣に座ると疲れたと周囲の目も気にせず俺の膝に寝転んだ。
「…………」
「…………」
「……」スャ…………
俺に出来る事はなく、ただ待つだけだった。
「…………」
「…………」
スャスャ
少しして、俺たち三人の為に抹茶というモノとお茶請けが用意されたが、アイリスは俺の膝に寝転んだまま耳を音がした方に向けるだけ。話題もなく、沈黙とアイリスの耳以外は誰一人として身動きしない窮屈な時間はアイリスが耳の動きを止めて顔をあげた所で途切れた。
気配は、一人か。
その気配が部屋の入り口まで近づいた直後、アイリスはこれまでの温厚な姿とは対照的な警戒心をむき出しにして睨む。
そこから入ってきたののは一人の才女の衣服に床に続くほどの長い羽織を来た女だった。黒く真っ直ぐとした艶のある床に届くほどの長い髪。その年齢はイヨよりも年上でもしかしたら俺と同じくらいかそれよりも上なのかもしれない。豊満とも妖艶とも言える姿にはどこか母性を感じさせるものがありながら、同時に凛とした姿勢からは確かな気品があった。
ただ、その者にも武器は見当たらず、装いを見ても何か仕掛けてきそうには見えない。
「誰!」
にも関わらずアイリスは敵対心と歯をむき出しにして、獣のように手足を地につけた体勢で身構えた。