11-2、見せた笑顔は悲し気だった。
それから日は高く昇り、休憩を挟みながらのゆったりとした道のりとなった。
ようやく森を抜け、野原の分かれ道に差しかかったところで足を止める。
「二人は、追われていたのですよね?」
「はぁ……はぁ……。はい」
「ちなみに、何人くらいに?」
息を整えた優が答えた。
「あの時は……四人でした。でも、今はどうなってるか、どこにいるのかも分かりません」
「あの時は? 他にも小野ノ川様や瀬々ノ森様のような人が何人もいるのですか?」
「はい。この世界に来たときは三十六人と先生一人、計三十七人でした。でも、今は……いくつかのグループに分かれていると思います」
「そうですか。近くに海はありましたか?」
「いえ、四方は森に囲まれていて、抜けても平野が広がっていました」
「なら、ここで少し休憩した後、南側から日ノ国を目指しましょう」
その日はそこで野宿をし、翌朝から南に向かって進みはじめる。
休憩を挟みながら歩いていくうちに、イヨがあの二人を後ろに回した理由がわかってきた。振り返ると、二人ともすでに疲労困憊といった様子で、ふらつきながらも必死に歩いてきている。
「なるほど。後ろを任せたのは、そういうことか」
「ええ、そういうことです。どんな力も、必要な時に使えなければ意味がありませんから。後ろなら、そもそも戦えなくても問題ないですし。慎重な敵が側面や後方から来たとしても、私たちが気づけば済む話。それに、アイリス様もいますし……」
イヨがちらりと後ろを振り返る。
優と絢の間には、二人だけの空気があった。そのせいか、アイリスまでいつの間にか俺とイヨの間に割り込み、ニコニコとイヨの手を繋ぎながら一緒に歩いていた。
「それにしても、あんな男の何がいいのでしょうね?」
イヨの呟きに、アイリスはニコニコしつつ首をかしげて、とりあえず頷いていた。
イヨは、優のことが気に入らないらしい。アイリスはたぶん、意味が分かっていない。
「優しいから……だそうだ」
「私には、頼りないからにしか聞こえませんけどね」
そういえば、イヨはまだ優が絢を守ったという話を聞いていなかったか。性格的に見れば、イヨと優の方が相性が良さそうに思えるが、そう単純でもないのかもしれない。
「だいたい、異世界って何なんでしょうか。説明も大雑把すぎて、いまいち理解できませんでしたし……」
その点に関しては同感だが、俺にも分からないし、そもそも興味もない。
イヨの辛辣な感想を聞き流しつつ、特に問題もなく道を進む。
歩く速さは後ろの二人に合わせ、一晩野宿を挟み、道が南から東に変わるあたりで森に入る。そこから峠道となった頃、アイリスの表情が変わり、耳をぴくぴくと動かしながら首をかしげた。
「アイリス、どうかしたか?」
「うーんとね、森がとっても静かなの」
「静か……?」
「うん」
アイリスの頭を撫でつつ、俺も周囲を見渡す。
言われてみれば、森の中の道にしては妙に静か……かもしれない。
イヨも似た感想らしく、顔を見合わせて頷くと警戒しながら先へと進む。
そして、間もなくのことだった。
「ソラ様」
イヨが正面を見据えたまま、小さく俺の名を呼ぶ。その意図を察して頷くと、前方に人影三人の姿が見えた。
露骨に道を塞ぐような立ち位置。あれだけというわけがない。
それを裏付けるように、アイリスの笑顔が消え、耳が左右へ向けてぴくりと動く。
「左右に、一人ずつ」
小さな声で囁くアイリスの言葉に頷き、ちらりと後方を見る。
後ろにも、隠れているつもりの人影が二人分かすかに見えた。
「確認できる範囲では、七人か」
「例のあの二人を追っていた者たちでしょうか?」
「人数が違うから断言はできんが……あの格好を見る限り、何らかの関係はありそうだな」
「アイリス様。後ろのお二人にも伝えていただけますか? 交渉を頼むことになるかもしれません」
小声で指示すると、アイリスは頷いて後方の二人に伝えに行く。
「話が通じる相手だといいですね」
「ダメなら、力で交渉するしかないだろ」
「……それは交渉とは言いません。それに、剣を持っているのはソラ様だけですよ?」
「アイリスなら守れるだろ」
「できれば、全員を守る前提でお願いします」
イヨのため息を聞き流しつつ、進み出す。
そして、道を塞ぐ男たち三人の前で立ち止まった。
後ろの二人は、その様子に少し驚いているようだった。
目の前の三人は、いずれも不慣れで貧弱そうに見える。着ている服は汚れていて、手にしている武器も木を削って剣の形にしたような粗末なものだ。身構えてはいるが、手慣れている気配はまったくない。なのに、どこか余裕を持った表情で、こちらを品定めしているように見える。
そんな彼らに対してイヨが一歩、前へ出た。
「先に進みたいので、通していただけますか?」
「いや、その前に後ろの二人を引き渡してもらおう。あと、大人しく捕まれば悪いようにはしない」
二人を置いて行くのは構わないが、大人しく捕まる理由はない。
連中がただの賊なら、斬るのも。
イヨはさっきと言ってることが違い、「斬ってどうぞ」と言いたげだったが、袖を掴むアイリスが「やめて」と言わんばかりに俺を制止させていた。
襲ってくれれば斬るのだが。話し合いか……
「……だ、そうだ」
俺が後ろを振り返ると、意図を理解したらしい絢と、それに従う優が前に出た。
絢は大きく息を吐き、にやついている男たちに向かって、にっこりと微笑む。
「お久しぶりですね」
「瀬々ノ森さん、彼らは?」
「私たちを助けてくださった方々です。ですから、ここを通してもらえませんか」
「助けてもらった……?」
男たちの中で最も年長らしき男が、俺、アイリス、イヨを順番に見て、鼻で笑った。
「なら、俺たちと一緒にいた方が安全だろ? 瀬々ノ森さんが望むなら、小野ノ川も俺たちの仲間に入れていい。一緒に行動しようぜ?」
「お断りします」
即答だった。あまりにきっぱりとした態度に、男たち三人はぽかんとし、手を彷徨わせ、行き場を失ったように止まっていた。そして我に返ったようだ。
「どうしてだよ! 俺たちは特別なんだぞ! 選ばれたんだ! それに、今は力だってある!」
「その特別で力を持った皆さんが、どうして道を塞いでいるんです? まさか、盗賊の真似事でもしていたんですか?」
「ち、違……! 大事の前の小事っていうか、周囲がまだ俺たちの力を理解してなくて、それで……やむを得ず……」
声が次第に尻すぼみになっていく。
図星か。
「貴方たちが人々を脅したりすれば、この世界の人たちは私たちをどう思うでしょう? 他のクラスメイトも、この制服を着ているだけで同じように見られてしまうんです。……そんなふうに、考えなかったんですか?」
「それは……でも!」
「ここは、ライトノベルのような、何もしなくても美少女に助けを求められて、助けたらちやほやされるような世界じゃありません。存在しているだけで勇者様と崇めてもらえるような世界でもない。だからこそ、自分からできることをしなきゃ」
その言葉を聞いたとき、なぜかイヨがちらりと俺とアイリスを見たような気がした。……が、俺には心当たりがない。
何の同意を求めているんだろうか。
「ぐっ……!」
一方、絢の言葉は、彼らが望んでいた展開だったらしい。
「だから」
絢が何か言いかけたその瞬間、前の男の一人が声を荒らげた。
「黙れ! お前に俺たちの何がわかる!」
「え……? いえ、だから」
「言われなくてもわかってる! でも、まずは生きなきゃ意味がないだろ! 俺たちは、瀬々ノ森さんみたいに、元の世界でも何でもできる良い子とは違うんだ!」
「私は別に……。だから、話を」
「……みんな、出てこい!」
男の号令で、左右から一人ずつ、背後からさらに二人が現れる。
全員が男で、似たような服を着ていた。
「この人数差、今の俺たちには恐れはない。……それにもう、男は要らないんだ。これも全部、瀬々ノ森さんのせいだ!」
どうやら、俺と優は要らないらしい。
戦力として護人であるアイリスと、巫女で案内役のイヨを欲しがるあたり、少なくとも見る目はある。か?
怒鳴っていた男が何やら唱えはじめ、それに気づいた絢もすかさず詠唱を始める。俺に向けて放たれた火球は、避ける前に絢の水の盾によって打ち消された。
先に攻撃されたのなら、もう遠慮はいらない。そう判断して剣に手をかけたが絢が手を伸ばして制した。
「私のミスです。すみません。今回は……今回だけは、私に任せてもらえませんか?」
絢には、何か考えがあるらしい。
悔しさを噛み締めるような口元、その声からは感情任せの怒りは感じられなかった。
それを確認して、俺は剣から手を離して構えも解く。
すると絢は俺を見て、少しだけ眉を下げた笑顔で
「ありがとう」
そう一言だけ言うと、地面を見て、それから男たちを睨みつけた。
「最後まで話を聞いてくれていたら」
「話すことなんてない! 後悔しろ!」
それを合図に、男たちが一斉にこちらに手を向けた。対して絢はしゃがみ込み、地面に手をつけた、その瞬間だった。
彼女の手元から水が七方向に奔り、七本の水柱が、男たちを取り囲むように立ち上がる。驚く声を上げる暇もなく、彼らは水柱に呑まれていた。
反撃の余裕すら与えられず、呼吸もままならないのか、誰かは喉を押さえ、誰かは必死に手足を動かしてもがいていた。
「私ね、この力を得た時から、密かにずっと練習してきたの。できる良い子に見えるのは、人が見ていないところで人一倍努力して、悔しくても、辛くても、耐えて、それを語らないだけ。私が女だから、水だからって、侮った貴方たちの負け」
絢が術を解くと、彼らは地面に倒れ込み、ゲホゲホと咳き込んだ。死を感じただけで、すでに戦う気力は失せているようだった。誰一人、敵を前にしながら立ち上がろうとせず、反撃の火を放とうとすらしない。
「それでも私は……ううん」
絢は何かを言いかけ、けれどやめて、こちらへと振り返った。
「皆さんにはご迷惑をおかけしました。……さあ、先を急ぎましょう」
……甘い。
俺には、そう思えてならなかった。結果として誰も傷つかずに済んだが、彼らはきっと、絢の温情に気づかないまま逆恨みする。
……だからだろうか。絢の見せた笑顔は悲し気だった。
09/27 分割




