10-2、夜は更けていった。
アイリスがぼんやりとした様子で上半身を起こしてこちらを見ていた。
事の騒ぎに目覚めたらしいが、まだ半分眠っているのかうとうとしている。
「なんでない」
「なんでもない事は無いだろ!」
耳をぴくぴくとさせるアイリス。二人に気づいたらしい。
ほとんど目の閉じた状態で立ち上がると、ふらふらしながら近づいて彼らを見て、俺に首を傾げた。
「ふにゅ……入れて、あげないの?」
「面倒な事になるぞ」
「ふあぁ~あ。きっと大丈夫。そんな感じがしないよぉ」
寝ぼけた声でニコっとほほ笑むアイリスの言葉に説得力はない。
ただ、アイリスが許してしまった事で、俺が二人を穏便に追い払う理由もなくなってしまった。
「好きにしろ」
「うん、ありがとぅ」
俺が場所をゆずり、アイリスが戸を開けると男女が二人小屋に入って来た。
服の汚れ、かすり傷がある見た目からして何か事情がある事は明らか。だが、その二人に武器は見当たらない。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
そろって軽く会釈するあたり、礼儀はそれなりに心得ているらしい。やはり身分がわからない。
が、次の瞬間、女の方が月明かりに照らされたアイリスを見るなり手を合わせて目を輝かせる。
「か、かわいい!」
「ふにゅ~あ。……かわいい?」
首を傾げるアイリス。
わかっているのかいないのか。……ただ眠いだけか。
ニコっと頷くなり女の手をとり、遠慮がちについて行った女をひっぱっていくと一緒に横になると眠り始める。
俺も外に気配がないのを確かめてから戸を閉めると再び入り口の柱を背に座り、目を瞑る。すると取り残されたらしい男が隣に座った。
「あらためてお礼を言わせてください。ありがとうございます」
「礼なら後でアイリスに行ってくれ」
「はい、そうします。でも貴方にも言っておきたかったから」
「そうか」
敵でなければ今はそれでいい。
再び目を閉じ少しすると、横になって眠る三人の寝息が聞こえるようになった。
その音を確かめてから男がこちらを顔を向けて見た気がした。
「僕たちの事は……何も聞かないのですか?」
「興味ない」
「そう、ですか。……なら、ひとり事を言ってもいいですか?」
「…………」
面倒くさい奴だ。
男は無言を肯定と受け取ったのか自己紹介もせずに語り始めた。
「僕と彼女はココとは違う世界からやってきたのです」
「……」
「僕たちは、他にもいた高校のクラスのみんな全員が転移に巻き込まれてこの異世界にきました。よくある異世界ファンタジーもの。それも女神様によって身体強化もしてもらったうえに、男子は火の魔法、女子は水の魔法を授けてもらっての転移。不安がなかったといえば嘘になりますが、最初はクラスみんな揃ってという事もあってノリで小説みたいに何とかなるだろう。大丈夫だろうって。そんな気持ちでみんなで頑張ろうとしたんです」
「……」
高校? クラス? 異世界ファンタジー? ……わからない言葉だらけだ。どの国の言葉だ?
「でも、それらはすべて甘い認識でした。私達が転移したのは森の中。小説の主人公みたいに優しい人と出会う事もなければ、現代知識を活かす場面もない。仮に出会った所で姿すら怪しい人と森で出くわせば驚いて逃げ出す。この制服さえも村の人からは奇妙に見えるようで、警戒されて見つけたところで交流もままならない。それが現実でした」
「……」
突如として現れた奇妙な服の人たち、それも大勢ともなれば村の人も何事かと警戒すると思うが。……いや、俺の時を思えば一人でも同じ、か?
「だから今度は森でサバイバル生活を試みてはみたたのですが、クラスのみんなは運悪くサバイバル経験ゼロ。スマホも使えなければ一歩踏み出せば彷徨いそうな森で行動範囲が広がるはずもなく、獲物の狩りや山菜狩りをしようにも道具がなく、生き物を殺した経験もなければそれを捌いた経験もない。
山菜だって知らない世界では何が食べられるかもわからない。住める場所を確保するにも家も建てられなければ木を切る道具も作れず切り方も知らない。着替えられる衣服もない。そんな生活はすぐに限界がきました」
「……」
……長いな。
「仲良く、協力して元の世界へ。そんな最初の和気あいあいとした雰囲気は空腹とストレスですぐになくなり、言い争いが堪えないピリピリとした日々に変わりました。無能、邪魔そんな烙印を押され者は奴隷のように従うが姿を消すかを迫られ、居なくなったら裏切者。そして次の無能の噂が広まる。誰もが敵か味方かと探り合う疑心暗鬼となって、クラスのみんなは勝手にグループを作ってバラバラになっていったのです。そして、住処と食べ物を巡って争いまではじめて」
「……」
起承転結ではないのか。アイリスの話の方がまだ面白かった。……気がする。
「それなのに僕は何もできなくて……。そんなとき、一緒にココから逃げ出そうと言ってくれたのが絢なんです。たぶん、彼女は僕が最後までクラスのみんなと争いたくないと知っていたのかもしれません。クラスのみんなが分裂したときも、他の女子達の誘いを断ってまで残ってくれて、僕を励ましてくれて……、でも、僕はどうする事もできなくて……」
「……」
言葉が途切れ途切れに? せき込むのを我慢でもしているのか?
目を開けてから顔を上げ隣を見ると、三角座りをしながら膝に顔をうずめる男は肩を震わせていた。
「そしたら……、男子たちが彼女を、絢を襲いはじめ……。どうようもなくて、でもなんとかしなきゃって……。みんなを殴って……。必死になって逃げ出して……。走って、走って、走って、走って……。彼女に宥められて我に返るまで……。そしたら居場所もわからなくなって……。それでも彼女にありがとうと言われて励まされながらも歩いていたら。この場所に着いたんです……。僕のせいで、僕に力がないから……」
「……」
結局、男は語りたいだけ一方的に語ると嗚咽を交えながら泣いていた。正確にはその表情までは隠していて泣いているらしかった。
要するに、だから目の前で寝たふりしながら聞き耳をたてている絢とかいう女と一緒に逃げてきた。と。しかも話を聞く限りでは追手もいそうな気配。
やはりアイリスが寝ている間に二人を追い出した方が懸命だろうか。それとも俺から同情を得て何かしてもらおうとでも思ったのか。
男はただすすり泣き、その様子を必死に隠しているつもりのようだった。
いや、ただ精神的に追い込まれていただけか。
言葉で吐き出して気がすんだのかこれとも余程疲れていたのか。俺からの返事はしないままほどなくして男の方から寝息が聞こえはじめた。
今度こそ休めると目を閉じていたときだった。今度は前から立ち上がり近づく気配がした。
「……彼、優しいでしょ」
顔を上げると今度は女、たしか絢とかう名前の女が自身の上着を男にかけ、ゆっくりと横に寝かせると苦笑いした。
「聞いていたのか?」
「ええ。彼は気づいていないようだったけど、貴方は知っていたのでしょ」
頷けば、やっぱりと言いたげに苦笑いした。
精神的にも何かを察する力もこの女の方があるらしい。
「名前を伺ってもいい?」
「……ソラ、だ」
「ソラさんね。私は絢。瀬々ノ森絢です。そして彼は小野ノ川優」
「変わった名前だな」
「よく言われる。隣、いい?」
「……」
「あら? じゃあ、前に座るね」
何が「じゃあ」なのかわからないまま、拒絶を的確に理解しながら嫌がらせのように俺の前に足を崩して座った。
「私ね。今、とても幸せなの」
「……」
こいつも俺に語りだすつもりらしい。俺は大人しく休みたいのだが。
「だってね。ココは何もないけど何のしがらみもないもの。学校での上辺だけの友人関係、親戚とのしがらみ、社会のルールや道徳。私を……いえ、私自身が私を縛っていたすべてが一瞬にしてなくなったから。たしかにココは便利な道具がなくて生きるのも大変な事ばかりだったけれど、誰も気にせずにこうして彼とずっと隣にいられる。私はただそれだけでよかったから」
「…………こいつは違うみたいだが」
ちらりと男を見れば、絢は頷くと愛おしそうに彼の前髪をふれた。
「うん、きっと彼は元の場所に帰りたいのだと思う。だからこれは私のワガママ。だって元の場所に戻ればまた感情を殺して、良い子を演じて…………もう彼とも話せなくなってしまうから」
どうしてそうなるのかわからない。ただ、なぜか確信しているようだった。
「そうなるようには思えないが」
「私にはわかるの。私とユウ君は伸ばせは手が届くほどずっと近くて幼馴染だった。でも、あまりにも近すぎたせいで大きくなるにつれて遠くなってしまった仲だから。たぶん、変わっていく彼に私が変われなかったの。おかしいよね。こんなにも彼が好きなのに」
「……」
意味がわからない。好きなのに遠くなる。なぜなのか。
「でもね。もうダメかもと諦めかけていたときにこの世界に来たの。そして彼がまた私を、私だけを守ろうとしてくれた。あの時みたいに真っ直ぐで、純粋で、優しくて……今はちょっと頼りないけど。あの頃みたいに私を守ってくれて手をつないで走ったの。とても、とても嬉しかったなぁ」
後悔を口にした男とは対照的でまるで遠い過去を懐かしむような言い方だった。
今まさに彼の前髪に触れているというのに今は届かない何かを語るような。
「だからね。今度は私の番。私が彼を守ってあげたいの。こんな思い出をくれた彼が壊れてしまう前に助けたいの。例え私自身がどんな目にあおうとも、だって今動かなかったら永遠に彼と離ればなれになってしまう気がするから」
「……だから、『彼』と呼ぶのか」
「…………そうかも」
どうやら、一度だけ男を名前で呼んでいた事すら無自覚らしい。
今を後悔する男に今から過去をやり直したい女、か。
前向きな覚悟はけっこうだが俺には関係ない。ちらりと男を見れば、寝息が消えたのに気づいた。
「だからね。ソラさん、あなたにお願いがあるの」
「……後にしてくれ」
用があるのはわざわざ見計らって近づいたときからわかっていたし話の流れから想像もつく。なら、全員が起きてからでいい。それに……。
だが、絢は首を横に振った。
「勇気が出せる今しかダメなの。ねぇ、お願い。ソラさんと一緒に私達も連れて行って。そして、彼を、彼だけでも安全な場所に」
「断る。そうする理由がない」
「それはわかっているわ。だから……だから、きちんと対価は支払う」
見た目からして何かを持っているようには見えない。
どうやって支払うつもりなのかと思っていると、何かをためらっていたのに意を決したようだった。
「私は何も持っていない。だからこの身体で払う。それでどう、かな?」
言われて顔を上げると、真剣な様子で俺を見ていた。手を強く握り、怯えている。
絢の真意はわからない。ただ俺の答えは変わらない。この二人に追手がいる以上、何をしてくれているにしても利点よりも欠点の方が大きいようにしか思えない。きっぱりと断わり日が登ったらすぐにでも出てもらおう。
口を開いたときだった。
「……ソラ」
アイリスの俺の名を言う呟きに我に返る。
起きたのかと思ったがアイリスからの反応はなく、ただの寝言だったらしい。が、今の状況では俺にひとりが決断する話しではない事に気づいた。
イヨの暮らす国へ向かうのだ。ここは俺が判断するよりも二人を迎え入れたアイリスと今も何も知らずに眠るイヨが決めればいい。
「どう、かな? 知りたいのなら今試してもらってもかまわないから」
下手な芝居だな。
試す。そう言いながら試されているのは俺の方だった。俺はそっと震える絢に向かって手を伸ばす。
そして、頭をポンポンと叩いた。
「話はわかった。だが、決めるのは俺ではなくアイリスだ。それに今もそこで眠るイヨが認めなければどうしようもない。……あと、そうするなら今は寝ているフリをしているコイツからも聞いておけ」
「そう、わかっ……え? えぇ!?」
驚き男の方を見る絢。
バレたとわかるなり男は何とも言えないような顔をして体を起こす。どうやら絢は気づいていなかったらしい
「えっと、そ、その……どこから、聞いていたの?」
「……お願いがあるの、からかな」
絢はなぜかホッと胸をなでおろし、その直後になぜか固まって顔を青ざめさせていた。
「ちょっ!? それって誤解しか、違う! いや、違うわないけど違うの!」
こいつは何が言いたいのだろうか。とりあえず静かにしてほしい。
なぜか死んだ魚のような目をしながら頭を冷やしてくると外に出た男と、混乱しているのかあたふたして知性の欠片も感じない女。そんな二人の様子にバカらしいと思いながら、夜は更けていった。
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