8-2、視界には覗き込む見慣れた顔があった。
「そんなことを知っているお前は何者だ。どうして俺に斬りかかった?」
「なるほど。それが二つ目の質問ね? ……なら、その答えを話す前に、まずは自己紹介から始めましょうか」
コホンと咳払いをひとつして、ミコトは再び背筋を伸ばす。
「私の名前は命。私はすべての命そのものであり、この世界で万物を創造する主。人族の間では、創造主とか神とか呼ばれている存在。そう言えば、伝わるかしら?」
嫌な予感はしていた。だが、またその名前かと、思わずため息がこぼれた。
ミコトという名前を聞くのは、これで何度目だろうか。勇者ミコト、勇者の仲間が使う称号としての神子人。その時点で既に二種類ある。
そこにさらに創造主としてのミコトが加わると、さすがにうんざりしてくる。…………まさか、魔の王もミコトだったりするんじゃないだろうな? いや、どうでもいい。
「……まったくもって、わからん」
「ひどいっ!」
なぜかかなり本気で怒っているらしいミコトは、勢いよく席を立つと、まっすぐ俺を指さした。
「天罰で斬るわよ!」
「記憶がないだけだ。それにもう一度、斬られた」
「……それもそうね。いや、正確には斬ったけど、斬ってはいないのだけれど」
だったらなぜ認めた。
それに、「正確には斬ったけど斬ってはいない」なんて意味不明な言い回しについても説明してほしいところだが……。
ココで話が逸れても面倒だ。
「では、なぜアイリスに勇者ミコトだと嘘を言った?」
「なにその上から目線」
上から目線と言われても、この身長差はどうしようもない。
何が不服なのかはわからないが、ミコトはぶつぶつ言いながらも椅子に座り、ティーカップに口をつけて大きく息を吐いた。どうやら落ち着きを取り戻したらしい。
「嘘ではないわ。だって聞かれたのは『ミコト様ですか?』だったし。この姿は、あなたたちの言う勇者ミコトの姿だし、そもそも私はミコトだもの」
「どうして勇者ミコトの姿なんだ?」
「唯一無二の創造主たる私が、たかだか人族のあなたたちと同じ姿をしているわけがないでしょ。この姿を選んだのは、彼女と縁があったから。ただそれだけ。だから、その姿に対する問いに肯定しただけよ」
その縁というのがアイリスから聞いた物語のままだと、とても仲が良かったとは思えないが。ともかく、アイリスの理解と一致していなかったとしても、ミコトとしては嘘はついていないということらしい。
「それに、神族の勇者ミコトをこの世界に送り出したのは私。でも勇者ミコトは本名が別にあって、ミコトは名前じゃないの」
……神族? いや、今は名前の方を優先しよう
「じゃあ、なぜ勇者ミコトはそう呼ばれる事になった?」
「それは命から派遣された者と名乗ったからよ。私は人族から神と呼ばれる曖昧な存在として知られていても、彼らと直接話す機会なんてほぼないから」
「ああ……名前までは知られていなかったのか」
「そういうこと。結果として、ミコトが神族の世界から送った勇者のはずが、神から遣わされた魔の王に立ち向かう勇者ミコトとして広まったの。
それが神に選ばれし者の称号として後の勇者がミコトと名乗るようにになり、いつの間にか人々を守る守護者として神の子の人、神子人という当て字に変わったのよ。これは物語にある通りね」
「…………」
いったい、どんな伝言を続けていたら、そこまでズレていくんだ?
「言いたいことはわかる。でも、私の方こそどうしてこうなったのって言いたいくらいよ。
なぜを繰り返したところで人の記憶は完璧ではないし、聞いた話を伝える伝言は曖昧を埋める臆測と誇張で事実を面白くしようと都合良く書き換えられる。そして私の名前は勇者の名前となった。それが物語であり歴史というもの。
……案の定、アイリスにもちゃんと説明してはあげたんだけど、そういうものという話をなぜと考えだしちゃってチンプンカンプンだったみたいだし」
なるほど。最初から順に説明するのを面倒くさいと言ったのは、アイリスにうまく伝わらなかったからか。
まあ、三つまでと質問を絞ったミコト自身の説明能力にも、伝わらない一因があるのだろうが。
アイリスは途中で考えるのを放棄し、ミコトも信じるかどうかは自由という形にした結果、認識の齟齬が起こったというのが真相のようだ。
「なら、お前が別の名前を名乗れば解決じゃないのか?」
「なんで私の方が名前を変えなきゃいけないのよっ!?」
とにもかくにも。軽い口調で振る舞っているが、もし言っていることが本当なら目の前のミコトは、それなりどころか、至高とも言える偉大な存在なのかもしれない。
……頬を膨らませて怒っているその、あざとい顔からはまったくそんな風には見えないが。
「で、そんなミコトがどうして俺に斬りかかった? その説明にはなっていないが」
「話を変えたわね……。まあいいわ。それはあなたの本性を見極めるためよ。一度殺し合った方が分かり合えるっていう人族の文化に習っただけなんだけど?」
「……いや、殺し合ったら分かり合う前に死んでるだろ」
「あら、本当ね。まあ、無能だったり見捨てるような相手なら、そのまま斬り殺すつもりだったし、たいして変わらないでしょ」
いや、まったく違うと思うが……。
そもそも、あの戦いは分かり合うなんて生ぬるいものじゃなかった。あの時のミコトの言葉が本心でなかったのなら、アイリスまで追い詰める必要はなかったはずだ。
ということは、ミコトの目的は俺とアイリスの死か?
「じゃあ、ミコトはなぜここに?」
「まさかの、ここまで聞いての呼び捨て。神とか創造主って聞いても敬う気はないの? もっと驚いてもいいのに。私、人族が崇めるほどのすっごく偉い存在なんだよ?」
「ああ、えらいえらい」
「扱いが雑っ!」
どんな反応を期待していたのかまったく分からない。アイリスのように頭を撫でれば大人しくなるのだろうか。
ただ、あいにくテーブル越しでは手が届かないし、殺された相手の頭を撫でる気にもならないので、無視して質問を続ける。
「で、どうなんだ?」
「……まあ、崇め奉られるよりはマシかぁ」
その言葉には、どこか違和感があった。自分に言い聞かせているように、ミコトはため息をついて頷き、話を続けた。
「それはあの不気味な黒紫の霧が理由。あれは、あらゆる生き物の自我を壊し、さらには無から魔のモノを生み出す穢れなの。私は、それに飲み込まれる前に彼らを救ってあげているだけ。実際、あなたは既に、私が救ってきた者たちを見てきたはずよ」
「見てきた……?」
そう言われても、覚えがない。
が、そもそも俺には森で目覚めてからの記憶しかない。見てきた者に限りはあるが、記憶をたどれば、言いたい相手はある程度予想できた。
「もしかして、あの村の人たちが」
「正解。もっとも、あなたたちは彼らを人族ではなく獣人と呼んでいるようだけれどね。あれは、この地の穢れを取り込む過程で生じる変化。でも、私の加護がある限り、彼らは魔のモノのように自我を失って暴走することはない。でも人族はその変化を受け入れられず、人としては死んだと扱うようになったみたい」
「じゃあ、アイリスに耳と尻尾があったのも……?」
命は静かに頷いた。
「そういうこと。人々は護人としてこの地に人を送り、彼らはその身体を犠牲にして穢れを文字通り取り込むことで、この地の均衡を保ってきた。アイリスも、人の姿をしたあなたを見て、不思議に思ったことでしょうね。でも、その均衡はもう崩壊した」
「……百鬼が村を襲ったからか」
「百鬼? 穢れで自制が効かなくなって村人やアイリスに襲い掛かった者たちのことなら正解。だから、穢れを取り込む者のいなくなったこの森は、やがて黒紫の霧に覆われるようになる。そして、それを止められる私の加護を受けた人族の生き残りはいまのところ、アイリスだけ」
「……」
嘘だ。そう言い切れれば、どれだけ楽だったろう。
だが、彼女の言葉を妄言と切り捨てたところで何の意味もない。もし、それが事実ならアイリスとの約束を守るためにも、無視するわけにはいかない。
「……止める方法は?」
「それが最後の質問になるけど、いいの?」
よくない。本来なら俺が何者なのか、過去について聞くつもりだった。他にも、勇者ミコトが神族という話や、霧の出所だって知りたい。
けれど、俺はアイリスに約束は守ると言った。方法を知らなければ、彼女を助ける約束は果たせない。
俺の決意を見透かしたように、ミコトはにっこりと微笑む。
「ね、言った通りでしょ? 答えを聞けば信じるしかなくなるって、気づくの」
息を止め、腹に力を込めて堪える。
勝ち誇ったミコトの言葉に、俺は黙って頷くしかなかった。
「で、どうなんだ?」
ミコトは、じっと俺の目を見つめて、答えた。
「その方法は、複数あるわ。
一つ。アイリスをこの地に残し、これまで通り、そしてこれからも儀式を続けること。おそらく、あなたと彼女は穢れによって、この世の誰よりも辛く痛い百年を過ごすことになるでしょう。すぐに二人とも心が壊れてしまう。でも、私の加護がある限り、壊れた後も生き続け、イヨより先の者たちは、これまで通りの生活に戻る。つまり、世界の秩序は維持されるということ」
「それは……許容できない」
何一つとして、アイリスとの約束が守れない。そんな選択肢は、選べるはずがなかった。
「二つ。あなたとアイリス、そしてイヨを連れてこの森からすぐに逃げるの。この地は山に囲まれているから、脱出するだけでも命懸けの苦労になるわ。そして数日後、溢れた穢れは森にとどまらず、世界中に広がる。人々は壊れ、新たな生物が世界を支配する。そう、新世界の始まりね」
すべての者へ平等に災いをもたらす世界。ミコトは、そう言いたいらしい。ただ、その選択肢がアイリスを救うものだとは到底思えない。
ミコトを睨めば、選べないことを承知の上で微笑むその表情が無性に憎らしく感じられた。
「俺だけが犠牲となる選択肢はないのか?」
「あら、自己犠牲にでも目覚めたの? でも、あなたには無理よ。だって飲まなかったじゃない。忘れた?」
ミコトが飲み物を勧めてきたときのことを思い出した。
「なら、今から飲めばいいではないか」
「それは無理。なぜなら」
そう言って見せたティーカップとポットは、どちらも空っぽだった。つまり、ミコトがすべて飲み干してしまったということ。……飲んだ? まさか。
その意味に気づいた俺に、ミコトは微笑んで頷いた。
「そう。三つ目は、私がここに残ること。そして今の状況で、あなたと私に残された唯一の選択肢。
期限は、私が人を滅ぼそうと決断してしまうほどに心が穢れるまで。まあ、私にはこの刀があるからね。アイリスに浸食していた穢れを取り込んでわかったこと。
この森で持ちこたえられるのは数年といったところかな。思った以上にあなたたちのいう獣人たちに頼っていたみたい」
「だが……」
「この三つ以外に、選択肢はないわ」
ミコトは一転、きっぱりと断言した。
「そのうえで私からあなたに頼みがあるの。私に代わって、この穢れの元を絶って。そして、もし間に合わなければ私を斬って。あなたなら必ず約束を守る。そう見込んだからこそ、こうして話しているのだから」
「……」
俺は、まだ自分自身が何者かすら知らない。それなのに、なぜそこまで俺を信用できるのか。唯一無二の創造主を名乗る存在である彼女が解決できないことを、なぜ俺ならできると思えるのか。その理由は、わからない。
だが、今この状況で、三つの選択肢の中から選ぶのなら答えは、ひとつしかなかった。
「……決まったようね」
「ああ。だが、それを選ぶ前に一つ、頼みがある」
「何かしら?」
「手がかりが欲しい」
「手がかり……?」
ミコトは考え込んでいたが、やがて何かを思いついたように頷いた。
「そうね。…………なら、東に行きなさい」
「東?」
俺の問いに、ミコトは頷く。
「そう。そこの神子人に。ヤシロまで行動を共にした巫女服を着た子もいるようだし、行き先を間違えることはないでしょう。その神子人は、生き残りだからすべきことを知っているわ」
「生き残り?」
「行けば、わかる」
「次のしつ」
「もう三つ答えたでしょ!!」
それは、分かっていた。だからこそ、どうしても訊いておきたいことがあった。
「貴様は、ちゃんと耐えられるのだな?」
「何度も言わ……まあ、いいわ。えぇ、私をバカにしないで」
「なら、約束しろ。必ず生き延びる。そして、今度また出会ったときに―今度こそ俺の過去について答える。とな」
ミコトは一瞬目を丸くしていたが、すぐに何かがおかしいのかクスクスと笑い、頷いた。
「ええ、約束するわ。だから、あなたも必ずやり遂げて。今ここで、その言葉で、しっかりと約束しなさい」
「……約束する」
頷いた――その直後だった。
気づけば、俺はいつの間にか仰向けに倒れ込んでいて、視界には不安そうに覗き込む見慣れた顔があった。
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