8ー1、「はいはい。約束だものね」
ソラ ・・・男。過去の事を覚えていない。名前は仮称。人。
アイリス・コーエン・・・獣耳と尻尾がある少女。
神無月イヨ ・・・日ノ国の巫女。人。
百鬼 ・・・魔の王の復活を目的としている集団らしい。
獣人 ・・・人と同じ二本足で立ち、衣服を来た獣姿の存在。
………………ココは? たしか俺は…………死んだはずだ。
ぼんやりしていた視界が、徐々に明瞭になっていく。見えてきたのは、テーブル越しに椅子へ腰かけ、ティーカップを手に微笑むミコトの姿だった。
そして俺自身も、彼女と向かい合うように椅子へ座っていた。まるで時間が巻き戻ったかのように。
「あら、やっと目覚めたのね」
「あ、ああ……」
周囲を見渡す。そこには、見覚えのある梅の木々に囲まれた空間。三脚の椅子とひとつのテーブルがあり、俺はそのひとつに、いつの間にか座っていた。気づけばどこからともなく、川のせせらぎも聞こえる。
記憶をたどるまでもない。ここはミコトと出会った、あの川に囲まれた中州だった。
……そもそも、俺はミコトに斬られたはず?
斬られた箇所に手をやって確認してみるが、傷はどこにもなかった。
本当に死んでいるのだとしたら、目の前にミコトがいるのは妙だ。……いや、変だと思うなら、この場所もこの状況も、すべてがそうなのだが。
いったんその疑問は保留とし、視線をミコトへ戻す。
彼女は楽しそうに俺を観察していたが、視線に対して静かに頷き、ティーカップを優雅にそっとテーブルへ置いた。
俺の目の前にもティーカップがあるが、今回は中身は空のまま。
「さて、何から話そうかな」
「………………何から?」
覚えがある嫌な予感に背筋を走る。自然と体が強張り、身構える。
そんな俺を見て、ミコトは口元を手で押さえ、堪えきれないようにフフッと笑った。
「ごめんなさい。先にきちんと伝えておくわね。私は時間を巻き戻せないし戻ってもいない。それに、もう不意打ちで斬るつもりもないから安心して。……あなたは、今も生きている」
いきなり斬りかかってきた相手に「安心して」と言われても、どこまで信用していいものか。いや、信じなければ、今ここにいる自分の存在すら疑わなければならなくなるが。
俺の反応をうかがっていたミコトは、「わかってる」とでも言いたげに口角を上げ、小さくひとつ頷いた。
「まぁ、一度は斬りかかったんだもの。信じられないのも無理はないわね」
やはり、あれは悪い夢ではなかったらしい。
「でもね、最初から順に説明するのも、正直ちょっと面倒なのよね……。うーん、どうしたらいいかしら」
そう呟いたかと思うと、ぱっと表情が明るくなった。
「そうだ! 三つだけ、あなたの知りたい事をなんでもに答えてあげる。もちろん、私の知ってる範囲でだけど。これでどう?」
三つに限定する意味がわからない。おそらく単に面倒だからだろう。だが、それ以前の問題として
「信用できない相手に答えてもらっても、信じられるとは限らないだろ」
記憶喪失の俺にとって、情報は無を埋める欠片であって真偽を判断できない。
そして、信じるとは、時に無償であり、時に担保であり、そして時に代償を伴う形のない不確かなものだ。それゆえに、相手に抱いている感情しだいで都合よく操られる危険が伴う。
ただ、それでも俺は質問するだろう。
そんな俺の心情を投影した言葉に、ミコトは微塵も動じず、「わかるよ」と言うように、ゆっくりと頷いた。
そして姿勢を正し、両手をテーブルの上に出して指を組み、まっすぐこちらを見据えて口を開いた。
「そうね。だから私は、誠意の証として答えるわ。でも、信じるかどうかはあなたに任せる。あなたが約束を守ることを大切にしているように、私は私を信じてくれる人を大切にしたいから」
「そんな言葉で、俺が信じるとでも?」
「どうかしら。でもその機会を得たあなたは、きっと質問する。して答えを聞けば、信じるしかなくなる。
もし質問しなかったり、話を信じなかったとしても、私は信じてくれる人に誠意を示した結果は残る。何を疑い、何を信じ、どんな結果を手にするかは、あなた自身が決めることだから。私は、どちらでもいいの」
そう言って、微笑むミコト。
何を考えているのかはわからない。だが、考えを変えることもできそうにない。
選べる選択肢がひとつ。折り合いをつける気のなさに手に力が籠るが、その感情をぐっと飲み込む。
三つだけ答える。それが彼女なりの譲歩ではなかったとしても、その答えがすべて偽りだったとしても、俺は質問する。必ず。
ミコトに決定権があり、俺について何かを知っているのは確かだった。そして、何でも答えられるほどに、この事態を把握していることも。
「なんでもって言ったな」
「ええ。なんでも……私の知っていることならね?」
なぜ、知っていることをわざわざ加えたのかはわからない。
だが、とりあえず答える気はあるようだ。
ヤシロでの出来事から今に至るまでを一気に思い返し、真っ先に浮かんだ確認すべきことを口にする。
「アイリスは……無事なのか?」
「あら、意外。私やあなた自身のことよりも、アイリスの方が気になるの? ……ひょっとして」
「御託はいい。早く答えろ」
「はいはい。約束だものね」
ミコトはうん、うん、うんと三度もうなずき、咳払いをするとわざわざ胸を張って話し始めた。
「結論から言うと、アイリスは無事よ。……とはいえ、それだけじゃ信用できないかしらね。なぜ私がそう断言できるのかというと、ここはアイリスの心の中だから。だからこそ、私も貴方もここにいて、こうして満開の梅の花が見られている。それが無事だっていう証なの」
「…………」
アイリスの心の中。いきなりそんなことを言われてもピンとこない。だが、もしそれが本当なら、俺がここへ来た理由については思い当たる光景があった。
「察しがいいわね。ペンダントの光があなたの胸を貫いたように見えたでしょう? あれで、あなたはこの場所に呼ばれたのよ」
そう言って、ミコトは両肘をテーブルに乗せ、手のひらで頬を支えるようにして、こちらをじっと見つめてきた。
…………説明、終わり?
もっと詳細に理論を語るとか、なにか具体的にやってみせるとか、そういう説明を期待していた。
だが、その視線からもこの話が終わっているのだと伝わってきた。
もしこの説明が本当なら、この梅の木が無事ならアイリスも無事ということ。この不思議な空間を考える必要もなくなった。少なくとも、あの梅の花が描かれたペンダントに不思議な力が宿っていたのは確実だ。
だが、疑問は残る。もしここがアイリスの心の中なら、なぜ今はアイリス本人がここにいない? あの霧は何? 霧はアイリスに何をしょうとしていたのか?
ミコトの説明に矛盾がないかを探し、説明からの解釈に違和感がないかを考える。だが、そもそも説明と呼ぶにはあまりに感覚的すぎて論理も根拠もない。これでは探しようがない。
それでも、ミコトは質問に対して答えていた。
「ちょっと! 考え込む前に『あ』とか『うん』とか、なにか返事してよ!」
「あ? ああ」
「もっと驚くような反応を期待してたのに。……まあ、信じられないって言ってたし、そんなものかしらね」
非現実的な話には、内心十分驚いている。だが、顔には出ていなかったのか、ミコトは少しだけ頬をふくらませて口を尖らせていた。
それでも、我に返った俺を見て、小さくうなずいて気を取り直した。
「少しだけ、考えそうな疑問にも答えておきましょう。
アイリスが追われていたときに現れていた黒紫の不気味な霧。あれは穢れよ。もしあのとき彼女が穢れに呑まれていたら、ココも貴方も、無事では済まなかった。
でも、そうならなかったから、こうして私と貴方はここで話をしている。どう? 少しは繋がったかしら?」
俺に答える義務はない。それに、信じられる話かと言われれば、まだそこまでではない。
ただ、穢れという言葉から、ヤシロでアイリスが殺戮を繰り広げていた光景にあった血の池がふと頭に浮かんだ。
そして今、ココにはあの霧はない。
「なら、アイリスは?」
「今もここにいるわ。いえ、正確に言えばここにいるけれど、私たちからは見えないし、アイリスからも私たちは見えない。という方が正確ね。彼女はもう目覚めているの。……まだ夢の中で眠ってはいるのでしょうけど」
穢れについて、さらに聞こうとして息を飲む。
いまのミコトは、真剣に話しているように見えた。落ち着いた口調と明瞭な言葉には、妙な説得力がある。その説明を信じられるかどうかは別として、少なくとも嘘をついているようには感じられない。
俺は、説明の真偽を確かめるために、次の質問をすることにした。
時とは奇妙な存在。過去に戻る方法はない。過去を変える方法もない。それなのに未来へ進む方法も、未来を変える方法も何通りもある。
02/19 誤字修正
了 A




