1、「くぁwせdrftgyふじこlp」 これがはじまりだった。
………………
…………
……
「……も、もぉし……かぁ?……れ?」
ツンツン
「もしもぉし、死んでいますかぁ?」
ツンツン
…………何だ? それに……暗い?
ツンツン
あぁ、夢を見ていたのか……。もう少しだけ、続きを見ていたかった気がする。
ツンツン
……何かをやり残したような? たしか、最後に見たのは……
ツンツン、ツンツン、ツンツン
「もしもぉし、死んでいますか? もう五回目ですよぉ。死んでたら返事してくださぁい」
「…………」
いや、死んでたら返事はできないと思うのだが。
それにその問いかけだと、返事をしたら死んでいることになってしまう。まったく、変なことを言うのは誰だ?
暗闇に、眩しい光が差し込む。
ぼんやりとした視界が徐々にハッキリととし、目の前に映ったのは、あどけなさの残る少女らしき顔だった。
声をかけておきながら、俺が目を開けたことに気づいていないのか、なぜか俺の耳たぶを指先でムニュッ、ムニュッとつついている。
……俺をつついて何が楽しいのか。
……というか、そもそもコイツは誰だ?
見覚えのない顔を眺めていると、ようやく気づいたのか目が合い――固まった。そして次の瞬間、大きく目を見開き、口をパクパクさせて、
「ひぇあっ!! くぁwせdrftgyふじこlp!」
間の抜けた、意味不明な悲鳴を上げて視界から消えた。
後には、空を覆うように広がる深緑と、その隙間から覗く青空。
目覚めには最高にふさわしい空だ。……空?
その疑問に応じるように、背中越しに伝わる土のような感触。
そよ風とともに漂う、生ぬるく青臭い緑のにおい。
まさか、と思い上半身を起こした瞬間――
「っ!?」
後頭部にズキッと鈍い痛みが走った。
手をやると、そこにはコブのような膨らみがある。
どうやら、頭を打っているらしい。
大きく息を吐き、立ち上がると、他に痛みがないか身体を確かめる。
衣服はところどころ破けており、かすり傷や打撲の痕から、ヒリヒリとした熱を帯びた痛みが今さらのように伝わってきた。
「……何があったんだ? それに、ここは……?」
周囲を見渡すと、深緑の茂る木々が視界の先まで続き、後ろは絶壁に近い崖となっている。
「見覚えはない。そして痛む身体。つまり……」
思わず崖の頂上に目を向ける。
崖は空を仰ぐほどの高さで、大人十数人分はあるだろうか。
「崖から落ちた?」
それなら、この身体の痛みも説明がつく。
そう――崖の上から落ちて、頭を打ったとしたら。……したら?
「……そうだとして、そもそも助かるのか?」
呆然としながら、倒れていた場所に視線を戻す。
そこには、上から落ちてきた証のように、折れた枝葉や所持品らしきものが散らばっていた。
が、それにしても……頭のコブとかすり傷程度で済むような状況ではない気がする。
――いや、済んでいないからこうなっているのか。
まだ記憶が混乱しているのか、落ちた記憶すらない。
「剣、小さな袋……それにペンダント、か」
肩から手先ほどの長さがある剣、茶色い布のような袋、そして銀色の細い鎖に繋がれたペンダント。
どれも見覚えがなかった。
呟いても何も思い出せない事にため息をつき、まずはペンダントを手に取って眺める。
チャームは半透明の、滴の形をした白い宝石のような石。そこに黄金色で梅の花が描かれていた。
美しく、神秘的な印象だが――男が好んで身に着けるような代物には見えない。
ただ、眺めているうちに、ある言葉がふと浮かんだ。
「……やくそく。っ!?」
その瞬間、ペンダントが眩い光を放ち始め、殴られたような激しい頭痛と、耳をつんざくような甲高い音が襲いかかった。
思わず目を閉じた刹那、白黒で誰かの姿が映る。
……ただ、それはほんの一瞬のことだった。
瞼を開けた時には、痛みも音も、すでに消えていた。
「……何が起こった?」
胸の奥にざわざわとした感覚だけは残っている。
それなのに、約束と呟いた理由も、見えた姿の人物も、思い出せない。
――これも、頭を打ったせいなのか?
再びペンダントを見つめるも、今度は何も起こらなかった。
俯きたくなるような落胆を感じながら、ため息をつく。そして、ここまでの状況を声に出して整理してみる。
「崖から落ちたかどうかも覚えていない。このペンダントにも心当たりがない。……もしかしたら、記憶でも失ったのかもしれないな」
笑えない冗談だと鼻で笑い、とりあえずペンダントを首にかけ、小さな袋を腰に結びつける。
そして、なぜ自分がここにいるのか――考えながら、細長い鞘に収まった剣に手を伸ばしたとき、ようやく“事実”に気がついた。
「……本当に笑えない」
どうやら本当に――記憶を失っているらしい。
これがはじまりだった。
了 A




