竜の足音
――Another Vision――
最初は荒れ地だった。
草木はなく、固い大地だけが広がり、時折強い雨と強い風で何もかもが削られ、流されていた。
そんな場所に私は立っていた。
何もない場所。そんな場所では人は生きられない。
だから私は命を植えた。
土を掘り起こし、整え、種を蒔いた。
けど、それだけで草木は育たない。芽生えた芽は、雨風で簡単に流され、亡くなってしまう。
だから今度は土壁を作り、風を防ぎ、雨の日は身体を張って雨風をしのいだ。
一日、十日、一月そうやって芽を育て、草木を育てた。
最初は小さな木々と少ない草花だった。けれど、それが少しずつ根を広げ、枝葉を伸ばし、森となった。
どれだけの時経っただろうか? その森はどこまでも、どこまでも広がり、木々の枝葉は天を覆い日差しを優しく遮り、揺れる木漏れ日を作っている。
最初は小さな、小さな萌芽だけだった。それは今では、大きな、大きな木々となり、森の奥底で今でもじっと佇んでいる。
* * *
『構え!』
エルフの騎士の一人が号令を掛けると、隊列を組んだエルフの騎士達が一斉に弓を構える。
『放て!』
次の命令。それと同時に弓が一斉にはなたれ、矢が雨の様に飛んでいき、木々の向こうの薄い暗闇へと消えていく。
カンカンカン。石と石がぶつかる様な固い音が幾つも響く。だが、それだけだ。矢が何かを射抜いた音などは一切聞こえてこなかった。
そして、一拍間を開けた後、それは響いた。
『グオオオオオオオォ!』
びりびりと響く、大きく重い咆哮。気を張っていないと、恐怖で逃げ出しそうになるような、そんな咆哮だ。
ギラリと薄闇の向こうで、黄金色の瞳が輝き、バキバキと木々をなぎ倒すような音と共に、重い足音が響く。
『構え!』
近づいてくる。まだ、止まっていない。そう判断すると、エルフの騎士はすぐに次の命令を発する。
『放て!』
再び一斉に弓がはなたれ、薄闇の向こうの何かに降り注ぐ。だが、返ってくるのは虚しい固い音だけ。とてもダメージを与えている様には見えない。
『魔術師隊、詠唱開始!』
弓がダメならと次の指示を飛ばす。それにより、弓隊の後ろ辺りに控えていたエルフの魔術師達が立ち上がり、詠唱を開始する。
『『我が魔術の炎よ。紅蓮の業火となりて、我が敵を焼き払ね! 火球!』』
複数の魔術師が同時に一つの呪文を詠唱し、同時に一つの魔術を完成させる。赤々と燃える炎の玉が、一斉に闇の中へ飛び――炸裂し、闇を赤く吹き飛ばす。だが、薄闇の向こうに居たそれは、その魔術に揺らぐ気配は見せなかった。
赤々と思える炎の向こうで、そのシルエットが浮かび上がる。
蜥蜴を思わせる細長い体に、頭部には長く伸びた三対の角、背には折りたたん巨大な翼。伝承に聞く、竜の姿がそこにあった。
バキバキと、魔術の直撃を受けても止まる事はなく足を延ばし、その先にある木々をなぎ倒した。
そして、口を大きく広げると――
『グオオオオオオオオオォ!』
再び大きく咆哮を上げた。
薄闇の越しに見ていた先ほどとは異なり、はっきりと姿を目視してのその咆哮。こればかりは流石に耐えきれない。並列を組んだ騎士達の中から、恐怖で動けなくなるものが出始める。
竜の恐怖。竜の存在は、種の多くの遺伝子に畏怖すべき存在として刻まれており、竜はその咆哮一つで敵対者の本能を呼び起こす。抗う事の出来ない本能からくる恐怖だ。
それは、危険から身を守ろうとする防衛本能かもしれない。だが、目の前のそれは今立ち向かわなければならない相手だ。
その恐怖に折れているわけにはいかない。
『恐怖に飲まれるな! 立ち上がれ!』
動ける騎士達が、声を張り上げ皆を鼓舞する。
だが、竜はそれをあざ笑うかのように、バキバキと大きな音を立て、こちらへと迫る。
そして、止めを刺してきた。
竜が大きく口を開いたかと思うと、そこから真っ白な何かを一直線に吐き出し、それで隊列を組むエルフたちを薙ぎ払った。
液体だ。勢いよく噴出された液体が、一筋の線となり、それがエルフたちを薙ぎ払ったのだ。
液体。それがただの液体だったらまだよかったかもしれない、だが、それがただの液体な訳がない。
酸の息吹。強力な酸が竜の口から噴出され、吹きかけられたエルフたちの身体を一瞬のうちに溶けていく。
一瞬だった。酸を浴びたエルフたちの身体は、一瞬の内に溶かされ、ぐずぐずの液体と化す。
「あ……うあああ……」
全身を浴びたものはまだよかったかもしれない。身体の一部に酸を被ったものは、部分だけ溶かされ、見るも無残な姿で呻き声を上げていた。
「あ、ああああああ、ああ、わあああああああああああ!!」
すぐ隣に居た誰かが居なくなり、人ですらない何かに変わったのだ。耐えようはない。そして、耐えきれなくなったエルフたちが叫び声をあげ、散り散りに逃げ出し始める。
戦線は崩壊した。
『グオオオオオオ!』
崩壊し、逃げ惑うエルフたちに竜が襲い掛かる。
体高およそ10足分以上の巨大な身体が、逃げ惑うエルフたちを踏みつぶしていく。
それはもはや、戦いではなく、ただ虐殺だけが広がっていた。
ここにも犠牲者が、腰を抜かし動けなくなったエルフの一人に、竜が狙いを定め鋭い爪を振り下ろした。
「う。うああああああああ――」
ガキン! 火花が舞い散る。竜の餌食になろうとしていたエルフの目の前には――一人のエルフが立っていた。
大剣――エルフ族の曲刀で、振り下ろされた竜の爪を防ぎ、全身を使ってかかる竜の力に耐えながら立っていた。
「無事か?」
「あ、ああ……」
「なら、逃げろ。立てるか?」
「む、無理だ……俺に構わず――」
「そこの者。こいつを担いでいってくれ」
助けたエルフは、逃げるエルフの一人を呼び止める。
「で、ですが……」
竜の目の前。そんなところに近づける者などそうそう居るわけがない。
「こいつは俺が引き付ける。だから任せた!」
エルフが強く告げると、コクコクと頼まれたエルフは頷きを返す。そして、すぐにこちらへと駆け寄り、動けなくなったエルフを引きづって移動させていく。
それでいい。エルフが助け出されていくのを目にすると、小さく安堵の息が零れた。だが、それがいけなかった。
ガクンとエルフの身体が小さく沈む、少しの気の緩みが、力の緩みへと繋がり、均衡が崩れたのだ。このままでは危ない。
「おおおおおおおお!」
長くは持たない。そう判断すると、エルフは声を上げながら限界まで力を込めた。だが、エルフがどれほど力を籠めようと、竜の力の前では大した意味もなく、押された力をただ押しとどめるだけにとどまった。
けど、それでいい。ほんの少しでも間を開けられたのなら十分だ。
小さく隙を見つけると、エルフは力を緩め、身をかがめると共に、後方へと跳躍し、その場から退避した。
一拍遅れて支えを失った竜の爪が地面へと振り下ろされる。
バーン! 大きな衝撃音。それと共に大きく土煙が舞い上がる。凄まじい威力だ。それを見ただけでもぞっとする。
だが、ここで逃げるわけにはいかない。
後方へと跳躍し、竜の爪先から抜け出したエルフはそのまま剣を構え直した。
「さあ、やろうか、今度はこの俺が相手だ」
剣を構え、対峙する。後方にはまだ逃げ遅れた仲間たちが居る。だから、引き下がれない。引き下がるわけにはいかない。
竜はそんなエルフをじっと見つめ返すと小さく喉を鳴らした。怒っているのだ。獲物を横取りしたエルフを。単純だが有り難い。怒りがこちらに向けられているのなら、今のところ注意が後ろへ向けられることはない。
『グオオオオオ!』
竜が咆哮を上げた。そして、鋭い爪がエルフへと振り下ろされる。
「なめられたものだな。その程度では、俺を捕らえることは出来ないぞ」
竜の攻撃に対し、エルフは横へとステップを踏み、素早く避ける。そして、前足を振り下ろしたことで、がら空きとなった横合いから斬撃を叩きつける。
「おおおおおおお!」
ガキーン! 重く乾いた音が響いた。エルフの鋭い斬撃は――竜の固い鱗に阻まれ、弾かれてしまった。
「チッ! ダメか」
竜の鱗は、金属の硬質を超えると言われる。全力でもって振り下ろした斬撃は、その固さの前には意味をなさなかった。
攻撃を弾かれ、崩れた態勢に、今度は竜の方が襲い掛かる。
口を大きく開き――勢いよく酸を噴出した。
バシュー! 吹き出す酸と、それによって溶解される物の音が響き渡る。
至近距離からの直撃だ。だが、大量に噴出され、あらゆる物が溶かされる中で、エルフはまるでそれを物ともしないかのようにして立っていた。
酸からの守り。特定の攻撃属性から保護する魔術だ。相手のブレス攻撃を見てから施してもらった。その魔術の力を借りて、竜のブレス攻撃を防ぐ。
「悪いが貴様の切り札は封じさせてもらった。そう簡単にやられはしないぞ」
身体に降りかかった酸を振り払うと、エルフはニヤリと笑った。
そして、再度剣を構えると飛び掛る。
固い竜の鱗。だが、それとて完ぺきとは言えないはずだ。生き物であり、関節を持つのであれば、自然とその部分は脆くなる。そう判断して、今度は竜の関節に狙いを定め、斬撃を叩きこんだ。だが――
ガキーン! 再び重く乾いた音が響く。
「ダメか」
脆いだろうと判断した関節部分も、エルフの斬撃では切り崩せないほど固かった。
竜が再び口を大きく開き、ブレス攻撃の構えを取る。
「無駄だ」
だが、二度目のブレス攻撃は先ほどとは少し違っていた。
大きく開いた竜の口元。その辺りに大きく魔法陣が浮かび上がる。そして、そのまま酸を噴出したかと思うと――
「な!」
酸は紅蓮の業火へと変換され、灼熱の息吹が噴出された。
「うおおおおおお!」
ギリギリのところで、竜の意図を汲み取ったエルフは、後方への跳躍でどうにか直撃を避ける。
だが、それでも完全に避け切る事は出来なかった。竜の口から放たれた業火は一気に膨れ上がり、周囲のあらゆる物を炎に包みこんだ。それには当然、エルフの身体も含まれる。
灼熱の炎がエルフの身体を焼く。幸いにも直撃こそ避けた。だか、それでもその業火はとても暑く、エルフの身体に大きなダメージを与えた。
着地するとエルフは膝を付く。とても立ってはいられそうもない。
めらめらと燃える火が目に映る。
「なんなんだ……これは……」
思わずそんな声が口からこぼれる。それもそうだろう。目の前に映る景色は美しいエルフの森の姿ではなく、無残にも焼け落ちていく樹木たちの姿だった。
「くっそ」
悔しさが滲む。酸は防いだ。だから、竜の強力なブレス攻撃は封じたかと思えたが、それは簡単に崩されてしまった。
再び竜が動き、膝を付いたエルフを見下ろしてくる。
見下している。何もできず、無力なこちらをあざ笑っている。そう見せつけるかの様に、竜は口元を歪ませていた。
燃える森の中で、見せつける様にしてエルフの姿を見下していた。
「ここは……ここは……俺達は森だ。断じて貴様の領域ではないぞ!」
見下ろしてくる竜に、エルフは虚しく叫び声を上げるしかなかった。
ピュン。風を切る音が響く。そして、一拍遅れて、パンパン。と何かがはじける音が響くと、辺りに白い霧が立ち込める。濃霧、下級魔術の一つだ。
『一旦下がれ、セレグディア』
エルフの頭に直接そんな声が響く。聞きなれた声だ。後方で作戦指揮をしているエルフ――アラノストの声だ。
「だが!」
『今は引け! 貴様に死なれては困る』
「チッ! 了解した」
強く諭されると、エルフ小さく舌打ちをして、後方へと飛んだ。
ブウォン。ちょうど、先ほどまでエルフが立っていた場所を、竜の爪が薙ぐ。
竜に濃霧などほとんど意味がない。彼らの知覚能力は、視覚を奪ったところで遮断出来はしない。
白い霧の向こうからまっすぐにこちらへと踏み出してくるのが見える。
パンパンパン。また、複数の破裂音が響き、より一層霧が濃くなる。それと同時に、バスーン! バスーン! と複数の雷撃が四方から煙幕の中を駆け抜ける。
雷撃は的確に竜を捕らえたものではなかった。当たり前だ。霧を通して直接狙いを定めるすべなど、こちらは持ってはない。
だが、狙いが定まっていなくても、闇雲に放たれた雷撃を前には、さすがの竜も足を止めざるをえない。おそらく竜にとってそれは脅威になりえないだろう。だが、竜は馬鹿ではない。むしろ、高い知能を持つ相手だ。だからこそ、強い警戒心を持っており、その警戒心を逆手にとっった形だ。
「なるほど、上手い手だ」
竜は嗅覚や聴覚だけで、視覚を奪われていても獲物を補足できる。だが、それも完全じゃない。視覚に比べれば、それらの感覚だけで獲物を捕らえる範囲は狭い。濃霧で視覚を遮断し、雷撃で取り敢えずの足止めが出来れば、その間に竜の知覚範囲外に逃げ出せる。というわけだ。
一度、白い霧の向こうで足を止めた竜の影を睨みながら、エルフは森の闇の中へと駆け抜けていった。
お付き合いいただきありがとうございます。
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