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一抹の不安

   ――Another Vision――


 アリアストから国境を挟んだ南方には、広大な領土を持つ大国――アルガスティア帝国が存在していた。


 その広大な領土を持つ帝国の中央部に位置する首都――帝都ライラック。豪華賢覧なこの都市の一角にはとりわけ大きく真新しい屋敷が一見立っていた。


 帝国大貴族の一つグローヴァー侯爵家の別邸だ。


 その大きなクローヴァー家の屋敷の執務室で、この家の主であり、グローヴァー侯爵であるジェイク・グローヴァーは、部屋の中で小さく音を立てる柱時計の音を聞きながら、柔らかそうな椅子に身体を預けていた。


 柱時計の秒針が、ちょうど12の位置を指示し、時間が切り替わったとき。ゴーン、ゴーンという時計の鐘の音と共に、チリーンと小さな鈴の音が響いた。


 薄暗い部屋の片隅に、ふわりと人の気配が立つ。その気配に気づくと、ジェイクは目を開き、目線だけをその気配の方へと向ける。そこには一人の男が立っていた。


 真っ白な殉教者が着ていそうなローブに身を包んだ男。フードを目深く被り、相変わらず表情や素顔が見えない。


「相変わらず、唐突に現れるな」


「驚かせたのならすみません。ですが、お許しください。仕事柄、僕の素性を知られるわけにはいきませんので」


 ジェイクの問いかけに、男は相変わらずの素っ気ない返事を返してくる。


「それで、私を呼び出したのは、どのような要件ですか?」


「問い返すな。すでに察しは付いているだろ」


「アリアストの件なら、そちらにも報告が届いているのではないでしょうか?」


「ああ、聞いている。だが、当事者ではないが故に詳細までは届かない。あれには、貴様らが関わっていたのだろ? 聴かせてもらおうか」


 鋭い視線と共に、ジェイクが問いかける。それに白衣の男は小さく溜め息を返した。


「失敗した仕事の話などはしたくないのですが……」


「話したくないというのなら、話さなくてもいい。そんな義務はないのだからな。だが、それでは此方から見た報告のみで、貴様らの評価を決めなければならなくなる。それで良いというのなら、それで構わんが?」


「はぁ~。本当に貴方は困った雇い主だ。分かりました。お話しますよ」


 最後に溜め息を付き、白衣の男はそう返事を返した。


「じゃあ、聞かせてもらおうか。随分とあっさり収束したようじゃないか? 何があった」


「正直な話。そこについては大きな誤算というか、予想外な事態が起きた。としか言いようがありません。

 まあ、そのおかげで、僕が用意していた戦力はほぼ無傷で済みましたけどね」


「クーデター派が早々に落ちた事か? 単純に奴らが弱かった。それがそんなに誤算だったのか?」


「そうですね。僕だって馬鹿じゃない。彼らに早々に落ちてもらっては困る。そうならないよう手は打っていたんですよ。編成されるであろう鎮圧部隊や、それに向けて動く人間の戦力を予想してね。けど、そのすべてが覆されてしまった。これは誤算としか言いようがありません」


「相変わらず回りくどいな。端的には話せ」


「予想外の戦力が、あの場にはあった。ほんと、予想外です」


「メルカナスの賢者か……。今まで何もしてこなかった彼女が動いていたと言う報告は聞いている。それがそこまで予想外だったのか?」


「いえ。それは織り込み済みでした。それ用策もいくつか用意していましたから」


「では、何があったのだ」


「さぁ、分かりません」


 ギロリとジェイクの視線が鋭くなる。


「そんな睨まないでください。分からないものは、分からないとしか言いようがないじゃないですか」


 ジェイクに睨まれ、取り繕うことなく返した白衣の男を見て、ジェイクはため息をついた。この男は油断ならない男だ。だが、この男は嘘は付かない。知られたくないことは隠すが、口から出た言葉に基本的に偽りはない。なので、その部分では信用していた。


「貴様の見立てが甘かったのだろ? 今の賢者は歴代稀に見る才女という話だ。並みの策では容易に崩される」


「知っていますよ。僕も同じ魔術師ですからね。だからこそ一番に警戒し、一番の駒を貸し与えたつもりだったのですが……」


「ガエル・サンチェスだったか? あの暴れ馬の名前は」


「はい。ヴェルナ・レイニカイネン。彼女は確かに恐ろしい魔術師です。17という年齢を加味すれば、まず間違いなく最高の才を持つ者と言えましょう。ですが、まだ若い。彼女では、どう足掻いてもガエルには敵わない。だからこそ、不可解なのです」


「なるほど。貴様がそういうのならそうなのだろう。だが、あの場にはエルフの神子がいたというではないか。奴ならば、ガエルに勝てるのではないか?」


「かもしれませんね。ですが、他国の内乱に、自国の利にもならない介入をするでしょうか? エルフの神子の力は特別です。早々、その力を振るうとは思えません」


「あの神子は大層気まぐれだと聞く。その気まぐれで協力したのではないか? 神子は賢者と懇意にしているという噂もある」


「確かに、それはあるかもしれませんね」


「またエルフか……」


 ジェイクは小さくそう零すと、トントンと指で机をたたき始めた。


 『エルフ』。その名前が出るだけで苛立ちを覚える。こちらの言い分を何一つ聞かず、古い仕来りに固執する。そんな奴らの在り方がジェイクは嫌いだった。


「そんなわけで、僕の計画は頓挫したわけです。笑い話にもなりませんよ」


 ジェイクの不機嫌さを見て、白衣の男は半ば強引に締めくくる。


「報告は了解した。もう十分だ。下がっていいぞ」


「では、失礼します」


 ジェイクの返答を聞くと、白衣の男は頭を下げる。そして、一度踵を返すと、すぐに振り返り


「ああ。これはただの勘ですけど、もしあの国に何かをしようと考えているのなら、考え直したほうがいいかもしれませんよ。あの国には何かがあります。それがわからない段階では、おそらく手ひどい仕返しを受けてしますでしょう」


 ギロリと、再び白衣の男へと視線を向ける。


「やれやれ。親切心からの助言のつもりだったのですが……余計なお世話だったかな? では、改めて失礼します」


 最後の男が別れを告げると、扉を開く音もなく、男の姿と気配はどこかへと消えていったのだった。


   ――Another Vision end――




「失礼しま~す」


 そんな挨拶と共に扉を開くと、その向こうからは不機嫌そうな表情が返ってきた。


 ここは教会に併設された治癒院の一室。小さな部屋にベッドが幾つか並べられており、そのベッドの内並び合う二つにイーダとヴェルナが寝かされていた。


 二人は先日の事件の際手ひどい負傷を負ったため、ここで治療を受けることになっていたのだ。


「な、なんだよ……」


 明らかに不機嫌そうなイーダに、つい後ずさってしまう。


 ただ見舞いに来ただけなんだけど……まずかったのか?


「べっつに~」


 問い返すと、イーダはそれに答えたくないのか、そっぽを向いた。


 バホ。そんなイーダの頭に、横合いから枕が投げつけられる。


「何すんだよ!」


「外に出られず、ストレスが溜まっているからといって人にあたるでないわ」


「そんなんじゃねぇよ」


「隣でガタガタ動かれては安眠が出来ぬのじゃ。もう少し、落ち着いてくれ」


 大分荒れもようなイーダをヴェルナがそんな具合で諫めると、イーダは舌打ち返して静かになった。


 不貞腐れたイーダを見て、ヴェルナが溜め息を付く。そして、そのすぐ後にこちらへと向き直った。


「師匠は見舞いか?」


「うん。とりあえず、見舞い品なら果物が良いって聞いたから、適当に用意してきたんだけど……必要なかったかな?」


 手にしていた麻袋からリンゴを取り出し、見せる。


 少し落ち着いたかと思ったけど、またイーダが不機嫌そうな視線を見せて来ていた。何なんだろう、これは……。


「あの馬鹿は気にせんでよい。ここにいる間、ずっとあの調子じゃ」


「ああ、そうなんだ……」


 ヴェルナが見舞い品を受け取ろうと手を伸ばしてきたので、それを預ける。見舞い品を受け取るとヴェルナは嬉しそうにリンゴを取り出し、そのまま齧り付いた。


 見たところ、二人は何だかんだで元気そうだった。それに少し安心する。二人がここへ運びこまれた時はわりと大事な対応だっただけに、少し心配していた。


「大した事なさそうだな。よかったよ」


 そんな二人を見て、安心の言葉を返す。すると、イーダがさらに不機嫌そうな表情を返してきた。なぜだ……。


「だいたい大した事ないのに騒ぎすぎなんだよ。さっさと解放しろっての」


「傷だらけだったくせによく言う」


「急所は避けたし、傷自体も浅い。あんなの大した怪我じゃない」


「半分貧血になるくらい血を流しておいて、それはない。まったく、無茶しおってからに」


「私以上に死にかけだった奴に言われたくない」


 相変わらずに言い合いが始まる。うん、元気そうで何よりだ。


 まあけど、その内容は見過ごせないものだった。


「死にかけ? そんなにやばかったのか?」


「大げさなんじゃよ。あばらを数本持ってかれたくらいじゃ。大したことない」


「踏みぬかれてたら、そのまま内臓を潰されてたかもしれないって言われてたくせに」


「お主はいちいち大げさに話すでないと!」


「事実だろ。あんな無理な抵抗なんかするなっての」


「結果が全てじゃ。そうならなかったから良いじゃろ」


「だから、そんな危ないことはするなって――」


「それはお主も同じじゃろうて――」


 話がすぐそれ、言い争いになる。相変わらず仲いいな、こいつら。


 そんな二人を傍目に、一度室内を見回す。並べられたベッド、そこに寝かされている人の中で、イーダとヴェルナ以外には見知った人の姿はなかった。


「なあ、クレアはどこに居るんだ? 一緒じゃなかったのか?」


「あやつか? あやつなら自宅療養じゃ。クロムウェル家ならそれなりの人員と設備があるからのう」


「そうなのか。大丈夫なのか?」


 クレアの怪我の状態は詳しくは知らない。イーダ達と同じく急いで治癒院へと運ばれたのを見ているだけに心配だ。


「そんな心配する必要はないよ。私たちの中だと一番傷は軽いから、大事はない」


「そうなのか」


 イーダの報告を聞き、ほっと胸を撫でおろす。


「まあ、怪我自体は問題ないが、あやつの場合は今後の問題が大きいがな」


「今後の問題?」


「あの事件の首謀者――ヴィルヘルムとかいう男は、クレアの父が特別目を掛け重用した人物だったそうじゃ。その責任は当然取らされるであろう。場合によっては、その影響は娘であるクレアに及ぶ可能性もある」


「……何とかならないのか?」


「残念じゃが、妾にこの事をどうこうできるだけの力はない」


「そう……か」


「まあ、そう落ち込むでない。責任を取らされると言っても、クロムウェル家はあれで力がある。娘を売り飛ばすような事はせんじゃろうし、そうなればクレアへの影響は少ないであろ。おそらく大ごとにはならぬ。じゃから、今はただ、あやつからの報告を待つしかない」


「そう……だな」


 ヴェルナの言に小さく虚しさを覚える。自分の手の届かないところで何かが決まる。それは、俺が一番嫌いで理不尽を感じる状況だった。


「結局、何もできなかったか……」


 虚しさから、ついそんな言葉が零れてしまった。

お付き合いいただきありがとうございます。


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