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狂人の剣

   ――Another Vision――


「おいおい。これはどういう事だ? 中はすでに掌握したはずなんじゃなかったのかよ?」


 ゆっくりと姿を現したガエルは、戦場となり荒れた部屋の中を軽く見まわすと、笑った。


「ガエル。遅いぞ」


 この場でただ一人異質な空気を放つガエルに、まるでそれが当たり前で有るかのようにヴィルヘルムはそう返答を返す。


「これを俺のせいにするのか? 中には殆ど敵はいないはずじゃなかったのか?」


「状況が変わった。予想外なネズミが混ざっていた」


「ネズミ、ねぇ」


 ニヤ付いた笑みを浮かべ、ガエルが再びこちらへと目を向けてくる。


「9人食ったか……。なかなか楽しませてくれそうじゃねぇか」


 荒れた床に転がる騎士達の死体を見て、ガエルがさらに楽しそうな笑みを浮かべる。


「リューリ。貴様が居ながらなんて様だ」


 ギロリと、ガエルはリューリへと目を向ける。リューリはそれに、まるで怯えるかのような表情を返した。


「す、すみません……」


「お前も切られたか……情けない」


 ガエルの言葉に、リューリは顔を伏せ、強く悔しさを浮かべた。


「まあ、いいや。ここで何が起きたかなど、どうだって――」


 ガエルが担いでいた大剣を振り下ろす。すると、大剣が地面を叩く、ガツンと言う大きな音が辺りに響く。


「で、誰が相手をしてくれんるだ?」


 ニヤリとまた笑う。


 緊張した張り詰めた状況の中で、なぜあんな風に笑えるんだ? 戦いを楽しんでいるのか?


 何なんだ、こいつは? そう思わざるを得ない。


「てめぇか?」


 すっと大剣を掲げ、一番目立つヴェルナを指し示した。


「妾に挑むと?」


「いいぜ、その余裕。嫌いじゃない」


「妾は好かんな。貴様の様な男は」


「そいつは残念だ。だが、残念だが戦場で敵は選べやしねぇんだよ」


 ブウォンと、一度大剣を振るうと、ガエルはそれを構える。


「叩き潰してやるよ」


「できるものならやってみよ。お主一人なんぞ、妾の敵ではない」



『我が魔力よ。心の枷となりて、汝の心を縛り、その自由を剥奪せよ!』



 開始の合図などはない。会話が終わると、すぐさまヴェルナは詠唱を開始し、魔術を唱えた。


 バチン! 何かがはじっけた。そんな感覚が何となくだが伝わった。


「な!」


 ヴェルナが驚きの表情を浮かべる。


 魔術を掛けられたであろうガエルは、軽く首を傾げただけで、何かしら大きな変化があったようには見て取れなかった。


「魔術ってやつか。詰まらねぇ小細工してくれるじゃねぇか」


 ぞっとする。


 ガエルがまた笑ったのだ。それも、今までと違う怒りを孕ませた、そんな冷たい笑いだった。


「貴様……何をした?」


「さてなぁ。そいつを教える義理は、俺にはねぇなぁ」


 ザクリと一歩踏み出してくる。それはまるで、魔術など利きはしないと見せつけるかの様に踏み出してきた。


「次はこっちから行くぜ」


 そして、また一歩踏み出すと、また次を踏み出して駆け出し始める。


 ガタガタに荒らされた床面。そんなバランスを悪い足場を、ほとんどものともせずガエルは一気に駆け抜け、ヴェルナと岩石人形へと迫った。


「やれ! 土精よ!」


「弱ぇなぁ!」


 ガキン! 強い衝撃音が響いたかと思うと、ぐらりと岩石人形の身体が揺れる。岩石人形の振り下ろした拳が、ガエルの振り上げた大剣に弾き飛ばされたのだ。


 あんな巨体で、すさまじい重量があると思われる岩石人形の攻撃を、ガエルは弾き飛ばしたのだ。


「まだじゃ! やれ!」


「ゴオオオオオ!」


「だから! 足りねぇって、言ってんだろ!」


 バコーン! 衝撃音。今度は、弾かれる様な音じゃない。砕かれる音だ。


 岩石人形の弾き飛ばされた腕とは別の腕が、ガエルの振り下ろした大剣によって砕かれていた。


 ドーン! ドーン! と岩石人形が数歩後ろに下がる。


「化け物め!」


 あれが、人間の持つ力なのか?


 ガエルの強さは、先日のトーナメントで目にしていた。けど、今目の前で見せられた強さは、その時以上のものに見えた。


 ぞっと、恐怖が駆け上がり、小さく身体が震える。


「土精よ!」


「ゴオオオオオ!」


 態勢を立て直すと、岩石人形はすぐに攻撃を再開する。残った最後の腕で、ガエルにパンチを繰り出す。が――――


「無駄なんだよ!」


 バコーン! また砕かれる。今度は腕だけではなく、そのまま岩石人形の身体が崩れていく。


 それは、そのままヴェルナの足場が崩れることを意味し、ヴェルナの身体が宙へと投げ出される。


「終わりだ」


 宙へと投げ出されたヴェルナを見て、ガエルが跳躍すると、ヴェルナへと迫った。


「風よ―――」


「おおおおおおおぉ!」


 バーン!


 気合の籠った掛け声と共に、ガエルの大剣がヴェルナの身体へと振り下ろされた。空中ではよける事などできるわけもなく、ヴェルナの身体はその斬撃をもろに受け、そのまま地面へと叩きつけられた。


 地面を抉るほどの強烈な一撃。あれをまともに受け、人の身体がまともに残っているとは思えない。そんな衝撃だった。


「嘘……だろ」


 もはやそんな言葉しか出てこない。


 よく知る相手、それがあんなにあっさりと――目の前の光景が上手く呑み込めない。



「へぇ、やるじゃねえか。あの場面で、とっさにあれを防ぐとは。魔術師ってのは、意外とタフなんだな」


 着地したガエルが、そんな言葉と共に、何かを踏みつける。すると「かはっ」という小さな呻き声が、聞こえた。生きていた。あの状況で、ヴェルナはどうにか身を守ることが出来ていたようだ。だが――


「どうした? もう終わりか?」


「あ……か……」


 メキメキと何かが軋む乾いた音。ガエルが踏みつけた足に力を込めたのだ。


「てめぇ!」


 イーダが武器を構え、駆け出そうとする。


 ガツン! ガエルの腕が動き、大剣が地面を突き刺したかと思うと、そのまま振り上げられる。すると、床面の石畳がはかされ、それがまるで投石の様に、イーダへと襲い掛かる。イーダはそれをどうにか防ぐが――


 ギロリ。『邪魔するんじゃねぇ』と言う様な、ガエルの鋭い眼光を向けられすと、そのまま動かなくなってしまった。


 カタカタとクレアの身体が震える。今動かなければ、ヴェルナは確実に殺される。そうとわかる状況なのに、クレアの身体は完全に言う事を聞かなくなっていた。


「もう打つ手はなしかよ。なあ?」


 メキメキと軋む音がさらに強くなる。


「くっ……」


 ヴェルナの呻き声が小さく聞こえる。


 もう、見ていられない。自然とヴェルナから視線を外され、クレアは目を閉じてしまいそうになる。


「なんだ? 本当にこれで終わりなのか?」


「お主には……そう見えるか?」


「ああ、終わりに見えるな。魔術には、声と動きが必要なんだろ? なら、動きは奪った。そして、声も――」


「あぐ……が――」


「奪った。もはや、手の打ちようがない。そうだろ?」


 完全に押さえ付けたヴェルナを見下し、ガエルが笑う。それを見て、ヴェルナは――小さく笑みを返した。


「確かに、妾には……打つ手なし、じゃ。じゃが、お主に……勝ち目などはない。無駄な、事は……やめよ」


「それが、この状況で出る言葉か。お前、状況が見えていないんじゃないか?」


「状況? 理解しているさ……だから……言っておる。貴様らに……勝ちの目はなくなった」


「理解不能だな。何が、どうなれば、俺が負けるというんだ? できるものなら、やって見せろ」


「そう、慌てるでない。お主、チェスを知っておるか?」


「チェス?」


「盤上遊戯。互いに同じ駒を持ち合い、戦術、戦略を競って勝敗を決める。そんな遊技じゃ」


「それが、どうした?」


「わからぬか? 戦いにおいて、目の前の駒を討ち取る事が勝利ではない。勝利は相手の(キング)を討ち取った時が勝利じゃ。そのために、いくつか盤面を整える必要がある。そういう事じゃ」


「つまり、ここで俺がお前を殺しても、勝利のための状況は完成すると」


「理解できておるではないか……無駄な抵抗はやめよ」


「なるほど。分かりやすい。だが残念だ。それには一つ失念している事がある」


「……なんじゃ?」


「それは、個々の戦力だ。お前たちがどれほど策を弄そうと、圧倒的な力の前では、そのような策など無意味。戦場は、盤上の駒の様に一定の力の下で行われるものではない」


「ふ、ふふふ、ははは、ははははは」


 ガエルの答えに、ヴェルナは笑い声をあげた。


「まだ理解しておらぬようじゃな。状況は、すでに整っておる。お主等に告げる言葉はただ一つ、積み(チェック・メイト)じゃ」


「!」


 唐突にガエルが大剣を振り上げる。そして、それを――大きく横へと薙いだ。


 バーン! 速烈音が響き、ガエルの振るった剣の剣筋の上で炎が舞った。


「貴様!」


 何かが駆け抜ける音。そして、斬撃。


 火花が散ったかと思うと、ガエルが多々良を踏み、ヴェルナから数歩離れる。そして、そのちょうど空いた場所に一つの人影が着地した。


「遅いぞ、師匠……タイミングでも、うかがっておったのか?」


「間を測ってたのはそっちだろ」


「わかっておるなら、もっと、くっ――」


「それ以上しゃべるな。傷に響くぞ」


 その人影――ユリは小さく呻き声を上げたヴェルナの無事を確認すると、剣を構えなおしてガエルと対峙したのだった。

お付き合いいただきありがとうございます。


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