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想い人へ

   ――Another Vision――


 アリアストの王城の一角には、かつてここがメルカナスだった頃の王族が使っていた石造りの大浴場があった。それは、今でもちゃんと整備されており、問題なく使用することが出来るようになっている。


 人が集まる晩餐会の期間でも、ここの管理者に申請を通せば使用できるようになっていた。


 脱衣所で服を抜き、ゆっくりと中へと進む。そして、大きな浴槽に身体を浸すと、クレアは深く溜め息を付いた。


 ――――負けてしまった。


 自分より争いとは縁遠いように見えたエリンディスに負けてしまったことが、思いのほかショックだった。


 それも、父の目の前で……。後でどのような事を言われるかを考えると、気分が沈む。


「浮かないかをしていますね。先ほどのは、それほどショックが大きかったのでしょうか?」


 少し遅れて入ってきたエリンディスが、そう告げながら浴槽へと足を付け、浴槽の淵に腰かける。


 一糸まとわぬ姿。相変わらず顔にはあの目を覆うアクセサリーを付けているものの、それ以外は何も身につけていないエリンディスの姿。


 エルフは美しいと良く言われる。それは容姿に限らないことで、女性らしく細身でありながら育つべきところは育ったその姿に、同性でありながら気恥ずかしさを覚え、つい目をそらしてしまう。


「それは……」


 負かされた相手。そんな相手に慰められるなど、嫌な気分だ。口を紡ぎ、答えを閉ざした。


「エリンディス様のような方に、あの様に負かされれば誰だって悲しくはなります。エリンディス様はもっと、他者からどう見られるものなのかを考えるべきだと思います」


 エリンディスに続きシアが入ってくる。こちらもエリンディス同様、一糸まとわぬ姿。昼間は鎧を着ていて良く分からなかったが、こちらもエリンディスに劣らず、女性らしく目のやり場に困る姿をしていた。


「そういうものですか?」


 シアの言葉に、エリンディスが首を傾げて見せる。


「その無自覚さで、いったい何人の相手を泣かせてきたのか、お忘れですか?

 クレア様。エリンディス様に負けてしまった事。それを重くとらえる事はありませんよ。こう見えて、エリンディス様はエヴァリーズで一二を争う剣の使い手です。あれ以上の結果を出そうというのが無理な話です」


「え……」


 シアの言葉に驚く。


 エリンディスはどう見ても、箱入りの令嬢。そんな雰囲気を持つ。そこからは予想も出来ないような評価だ。


「私……そんなに強くはありませんよ」


「一体どれだけの男性があなたに挑み、泣いて行ったか、お忘れですか?」


「あれは取り違えた話が勝手に独り歩きしただけで――」


「確かに、あなたに勝てばあなたと出来るという話は、ただの取違だったかもしれません。ですが、それで挑んできた男をすべて打倒したのは事実です。あなたに剣で勝てる方など、アラノスト様かセレグディア様くらいしかいませんよ」


 シアが呆れたように息を付く。そんなシアの評価に不満が有るのかエレンディスは、むっとした表情を返す。


 楽しそうな二人のやり取り、それを見るとつい楽しくなり笑みが零れる。それから、同時に「いいな」と羨ましさを覚え、直ぐに溜め息を付いてしまう。


「まだ浮かないかをしていますね。何か悩み事でも、有るのですか?」


 そんなクレアの表情を見て、エリンディスが再び尋ねて来る。


「えっと……それは」


 話せるわけがない。本人を前に羨ましいだなんて言えるわけがない。


「エリンディス様は、悩み事とかって有るんですか?」


 話すことができず、矛先を別の場所へと向ける。


「私ですか?」


「はい。なんだか、楽しそうで、そういうのとは無縁に見えたので……」


 答えを返すと、なぜかそれを聞いたシアが小さく笑った。


「そんな風に見えていましたか……けど、残念です。私も悩み事はいっぱいあるんですよ。これでもしがらみが多い立場なので」


 そう答えるとエリンディスは少しだけ寂しそうな表情を返した。


「しがらみ、ですか……」


「はい。しがらみです。本当なら、私は此処にはいられない様な立場なんです。多くの方が反対して、それでもと無理を通して、今ここに居るんです。そこのシアも、私がここに居る事に反対しているんですよ」


 答えを返しながらエリンディスが軽くシアへと目を向けると、シアは呆れたように息を付いた。


「エリンディス様には何を言っても聞き入れてもらえないので、もう諦めています」


「ね」


 そんなシアを見て、エリンディスはニッコリと笑う。


 ――――ああ、強いなぁ。と再び羨ましく思う。


「貴女の悩みは、そういったしがらみに関わる事ですか?」


「え? そう……ですね」


 斬り返されると、とっさに兄と父の顔が頭に浮かんだ。確かに私は、同じような問題を抱えているのかもしれない。


「なんだか似ていますね。私達。同じように自身の立場のしがらみに縛られ、悩まされる。そう思いませんか?」


 再び笑いかけて来る。


 似ている。そう思う部分はある。けど、クレアはエリンディスほど前向きに離れていない。そこは大きく違う所だとクレアは思った。


「そんなんじゃ……ないですよ」


 顔を伏せ、小さく膝を抱える。


「エリンディス様は、なんで此処へ来たんですか?」


 少し気になった。同じようにしがらみに縛られた立場で、それを振り払いながらここへ来た目的、それが気になった。


「探している――いえ、求めるもがあったからです」


「求めているもの?」


「はい。どうしても、欲してしまうものが、ここにあったんです。だから、私はここへ来たんです」


 エリンディスはそう告げると、どこか遠くを眺め、また寂しそうな表情を浮かべた。


「クレア様は何を求めているのですか?」


「え?」


「何か求めるものがあったから――今の自分を取り巻く環境から抜け出さなければ手に入らない何かがあったから、いまの自分に悩まされているのでしょう?」


「それは……」


 エリンディスの的確な言葉に、クレアは言葉を詰まらせる。


 プライベートな事をあれこれと話す事には気が引けた、けど今更だと思う気持ちもあった。もう何人にも知れ渡っている。


「探している人が……居るんです。何年も前に別れたきりの……。その人の居場所が知りたくて――」


「想い人ですか?」


「そ、そんなんじゃないです! ただの家族です!」


「そう。ふふふ」


 エリンディスの唐突な質問に、つい慌てて返事を返すと、また笑われてしまった。


「やっまり、似ていますね。私達は」


「え?」


「私の求めているもの。というのは、探している人の事なんです。もう何年も前に別れたきりの」


「そう……だったんですか……」


「似ていますね」


「……そんなんじゃないです」


 似ている。また親近感を覚え、そしてまた否定する。


「私の探し人は……もうこの世にはいないかもしれないんですから……」


 嫌味、だろうか? 何処か楽しそうに話すエリンディスに不満をぶつけるかの様に、そんな認めたくない現実を告げる。けど、エリンディスはそれもまた笑いを返した。


「似ていますね。やっぱり」


「え……」


「私の探し人も、もうこの世にはいないかもしれないんです。いえ、この世にいない可能性の方がずっと高い。なのに、どうしてでしょうね。それを認められなくて、諦めきれず、ここへきてしまった……そんな、馬鹿な女なんです。私は――」


 また、笑った。


 ――――ああ、強いな。やっぱり。


 似ている。どこまでも似ている。そう親近感を抱くが、やっぱり違うと否定する。


 なぜならクレアは、エリンディスの様に強くはない。諦めたくはないと思いながら、そこから目をそらしたくなってしまう。それほどまでに弱いのだ。


 心が沈み、そのまま小さく膝を抱えた。

お付き合いいただきありがとうございます。


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