安らぎと
ペラ、ペラ、ペラ、ペラ……。
ほぼ一定間隔で、紙を捲る小さな音が耳に届いた。聞きなれた、心地よい物音。その音に安らぎを与えられながら、ヴェルナはゆっくりと目を覚ました。
ぼやけた視界から焦点が定まり、くっきりと見慣れた天井が目に映る。
「妾は……」
いまだ寝ぼけてぼやけたままの思考で呟く。
「目、覚めたか?」
呟くと、一人の男がこちらの顔を覗き込むようにして、尋ねてきた。
「お主……なぜここに……」
「覚えてないのか?」
「覚えて……」
ぼやけた思考に問いかけられ、そこから次第に思い出されていく。
昼起きて、集金人に脅され、縋った装置を壊し、それか――
つい先ほど起きた事を思い出すと、勢いよく身体を起こした。
「魔導機関はどうなったのじゃ!?」
最後に縋った魔導機関、一度は壊れ、崩れ去ったが、その後すぐに組み直された。そこまで覚えている。けど、その後どうなったかは記憶にない。
あれ、夢だったのだろうか?
「あれは、あのままだよ」
「動くのか?」
「動くけど、今は動かさない方がいい」
「なぜじゃ」
「パーツがだいぶ古くなってるんだよ。整備も完全じゃない。あのまま無理に動かせば、致命的な損傷になる。やめた方がいい」
「そ、そうか……」
慌てた様子で捲くし立てるヴェルナに、目の前の男は冷静に答えを返す。
『動く』。男のその言葉を聞くと、ふっと力が抜けて、へたり込んだ。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃ。ちょっと力が抜けただけじゃ」
「そうか、それならそろそろ、手、放してくれるとありがたいんだが……」
「手、じゃと?」
そっと男が指し示した方向へ目線を向けると、いつの間にヴェルナは男のローブの裾を握りしめていた。
「うわ!」
慌てて裾を手放す。
「済まぬ」
気恥ずかしさから視線を逸らすと、男はそれに小さく笑いを返した。
「元気になったみたいで良かったよ。落ち着いたみたいだし、話、出来るか?」
「そう……じゃな」
優しく尋ねられた男の言葉に、小さく頷く。
安心材料が出来たからだろうか、焦りで回りが見えなくなっていたつい先ほどまでとは異なり、ひどく落ち着いていた。
落ち着いたがために、この場の異変に気付く。
「ちょっと待て、お主、なぜここに居る」
記憶をたどる。
覚えている限りでは、目の前の男を招き入れた覚えはない。となれば、この場にこの男が居るのは、不法侵入という事に成る。
「え……、あ~……、ごめん。なんか、放っておけなくて、つい……」
明らかに目を泳がせ、はぐらかした。
隠すなり、偽るなりすれば、まだ問題にならずに済んだであろうに、そんなあからさまな態度に、つい呆れてしまう。
「まあ、良い。そこの事に付いては、何も言わん。それより、妾もお主に聞きたいことが有る。話してくれるか?」
「構わないよ」
「そうか、なら、ちょっと待っておれ。茶を入れてくる。話はそれからじゃ」
「分かったよ」
そう言い残すと、ヴェルナは立ち上がり、紅茶を入れる為、台所へと向かった。
お湯を沸かし、そこに乾燥させた茶葉を入れ、蒸す。ちょうど良い色合いに代わるとティーカップへと注ぐ。
紅茶をティーカップへと注ぐと、甘い香りに満たされる。気付けば、この香りをまともに楽しむのいつ以来だったか思い出される。それくらい、周りが見えていなかったようだ。
その香りに満足すると、それらをトレイへと乗せ、運ぶ。
「専門では無いから、出来栄えには期待するでないぞ」
男が待つ、応接室へと移動すると、そう前置きをして紅茶が注がれたティーカップを男の前に置く。
「なにこれ?」
紅茶を並べ、男と向かい合う様に座ると、男はそう尋ねてきた。
「これとは何のことじゃ?」
「この、色の付いた液体。ポーションってわけじゃないみたいだけど……」
「? 紅茶じゃが? 珍しい葉など使ってはおらぬぞ」
「こうちゃ? 何それ?」
真剣な表情で、ティーカップを眺めながら、男は尋ねてきた。
演技……ではないようだった。
「お主、紅茶を知らぬのか?」
「だから、なに? それ……」
真面目な表情で返してきたその答えに、ヴェルナは笑いが込み上げてきて、笑う。
「紅茶なんぞ、今では珍しいものではないであろうに。お主、今まで一体、どのような生活を送ってきたのじゃ」
唐突に表れ、大切な物を奪うのかと思えば、歩み寄ろうとして、人の知らないことを知っているかと思えば、常識を知らない。なんともちぐはぐで、よくわからないおかしな奴だと思った。
「紅茶というのは、東方から伝わった、薬じゃよ」
「薬、なのか? なんでこれを?」
「薬と言っても、もともとはそういう使われたかとしていた。というだけじゃがな。薬として効能がどれほどの物か詳しく知らぬが、この香りは人に安らぎを与える。それ故、今では治療の為ではなく、嗜好品としてたしなまれておるのじゃよ」
そう説明を添えるとヴェルナはティーカップを口元へと運び、一口飲む。
だいぶ疲れが溜まっていたのだろう。暖かく、甘い香りの紅茶が口元を通り染み渡ると、非常に穏やかな気分になる。
「い、いただきます」
そんなヴェルナの姿を見てか、男は恐る恐る紅茶が注がれたティーカップを手にし、口元へと運んだ。
そして、一口。
感想は、余り芳しくなかったのか、男は表情を歪めた。それが、少しだけ可笑しかった。
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