赤色の記憶
「十年くらい前に、メルカナス人への差別をなくそうって運動が活発化した時期があったのを覚えてるか?」
イーダが一人騙り始めると、まずそう前置きをしてきた。
「悪い。俺、その時期はここに居なかったから良く知らないんだ」
「そうか。まあ、そういう時期があったんだよ。それで、その運動の中、メルカナス人の孤児を救おうって動きがあって、何人かの孤児が引き取られていったんだ。私もその一人で、その時初めて家族が出来たんだ。
両親に姉が居る家庭。そんな家族だったよ」
そう語ると、何かを思い出したかのように、イーダは一度小さく笑った。優しい笑みだ。普段、乱暴な所があるイーダでも、こんな顔をする事があるのだと、少し驚かされる。けど――
「そんな事があったのか」
「まあ、でも、もともと他人だった相手と家族になるんだ。全部が、全部、上手くいったわけじゃないらしいけどな。けど、私のところはかなり上手く言っていたよ。
両親は私を実の子と同じように扱ってくれたし、義姉も私を妹として接してくれた。私自身も――まあ、時間はかかったけど、本当の家族と思ったくらいだ。
休日にはどこかへ出かけ、季節の祝いを皆で祝い、誕生日には祝福され、プレゼントをもらったよ。そんな、何処にでもある優しい家庭だった」
イーダのその表情には、すぐに影が差した。
『大切な誰かを殺された事がある』そう語ったイーダだ。イーダが語る幸せそうな家庭の結末は、既に決まっている。
「けど、そんな家庭は、一瞬にしてなくなった」
「その家族が……?」
「ああ、三人とも殺された。たった一人の暗殺者の手によってね。それで全部なくなった。家族も、家も、親族も、名前も。残ったのは昔と同じ、廃墟で過ごす時間だけだ。
最初の頃は、気が狂いそうになったよ。これが全部夢であって、起きたらいつも通りの生活に戻ってるはずだって、何度も思った。けど、現実は違っていて、目が覚めたら崩れた廃墟の景色が映るだけ。そんな絶望が、しばらく続いた」
暗い顔だ。感情が消え失せ、死んだような表情。その頃の話を口にしたイーダの表情はそんな感じだった。
「それで、どうなったんだ?」
「どうなったって?」
「その、お前の家族を奪った殺人犯」
「どうなったのと思う?」
問い返すと、イーダは俺へと視線を返し、ニヤリと笑った。
「殺した……のか?」
「そうであったのなら、どんなに良かったものか。残念だけど、家族を殺した暗殺者は今でも生きている」
「何で……」
「何でだろうな? 少なくとも私じゃ、どうにもできなかったんだよ……。だから、誰にも裁かれず。今ものうのうと生きている。
許せると思うか? 理不尽に人の家族を奪い。人の幸せを踏みいじっておきながら。誰に裁かれず、今もなお自由に生きている。
私は許せない。そんな奴。今でも、そいつをどう苦しませ、どう絶望に付き落としたらいいかって、ずっと考えてる。
人を殺すってそういう事なんだよ。絶対に許しちゃいけない。そこにどんな理由があろう関係ない。どんな理由があろうと、許されていい事じゃないんだよ。だから、あんたも同情なんてくだらない事、言わない方がいい」
そう告げると、イーダは怒りの籠った視線を何処か遠くへと向けた。
今までにないくらいの怒りを感じた。それほどまでに、イーダはこの件に怒りを覚えている事が分かる。それだけに、下手な事はいえない。そんな空気を感じてしまった。
「悪い。俺の配慮がちょっと足りなかったかもしれない」
「そう思うんなら、あいつらの為に、ディックを殺したやつを見付けたのなら、迷わず殺してくれ。そこに同情なんて必要ない。許されない事実がそこにあった。それだけ十分なんだよ」
* * *
「あの……イーダは、どうでしたか?」
イーダと分かれ、一度拠点へと戻ると、クレアが不安そうな表情を浮かべ、そう尋ねてきた。
外の空気はどこか影を差したかのように淀んでいた。そんな空気がクレア達にも伝わって来ていたのか、心配そうにしていた。
「とりあえず、イーダは見つけられたよ。けど、しばらく一人にしてほしいってさ」
「それは……大丈夫なんでしょうか?」
殺人事件の事もあり、周りもピリピリしている。何が起きてもおかしくはない。そんな状況の中、イーダを一人にするのは、やはり不安なのだろう。けど、だからと言ってあの状態のイーダを強引に連れ帰るのは、少し気が引けてしまった。
「イーダも大切な人を殺された事があるんだって。だから、ここに居ると、その事を思い出すから、しばらくは距離を置きたいらしい。なので、悪いけど、しばらくそっとしてやってくれ」
「そう言う事でしたか……」
さすがに何も言わず受け入れろ、とは言いにくい。だから、それとなく事情を伝えた。それに、クレアは取り敢えず納得を示してくれる。
けど、その話は少し重かったのか、クレアは少し沈んだ表情を返してきた。
「まあ、色々思う所はあるだろうけど、俺達も沈んでちゃ、誰も何もできない。だからさ、俺達くらいはしっかりして、あいつらを支えて行けるようにしないと」
「そうですね」
今、目の前で起きた状況に、多くの人が悲しみに暮れている。それは仕方がない事だ。けど、だからと言って、生きていくための手を止めるわけには行けない。
感情を殺せとはいえない。だから、せめて感情を抑えられる俺達部外者の人間が、悲しむ彼らを支えなければならない。今は、同情で涙を流している時ではない。そう言い聞かせるようにして、俺はクレアの顔を上げさせた。
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