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2.お金の成功哲学(レベル1)

 ―― うっふーん、ダーリン、起きてぇ。ねえ、お願い、起きてぇ。


 もうろうとした意識の中に、またあの声が聞こえてきた。俺は身の危険を感じ、とっさに跳び起きて身構えた。


「はい、起きてます起きてます起きてます」

「あら、もう起きちゃったの。せっかくチュッチュとかムニュムニュボヨンボヨンパフパフとかペロペロクチュクチュとかしてあげようと思ってたのに。残念ねえ」

「ふん、どうせそんな気は最初っからないでしょ。目的は電気アンマでしょ」

「ちっ」

「何ですかその、ちっていう舌打ちは」

「あ、あら、何でもないわ。気にしないで。おほほほほ」


 俺はごまかすように笑っている天使と名乗る女の顔を見た。あどけない無邪気な笑顔だった。よく見ると、たしかにものすごくかわいい美少女だ。

 どうやら俺が死んでしまって、天国への入国許可が下りず、今は現実世界そっくりのパラレルワールドにいて、この変な天使をメンターとして人生の補習授業を受けているというのは本当のことのようだ。


「えーと、それはそうと、天使さん。あなたのお名前をまだ聞いてませんでしたね」

「天使や神様には名前なんてないの。ただ人間たちにとっては名前がないと不便だから、勝手につけているだけよ。だからあたしのこともあなたが好きな名前で呼んでいいわ」

「はあ。そう言われましても」

「だれか好きな人とかいないの? タレントとか芸能人とか……」


 そう訊かれて、俺は即座に答えた。


「それなら俺は多部未華子神の大ファンなんです」

「何よ、その最後につけた神ってのは」

「多部未華子様は俺にとっては神様、女神様なんです。もう信者として崇拝してるくらいです」

「へーえ、ふーん、あーそーなの、多部未華子ねえ……」


 天使はライバル心むき出しの顔で、スマホを取り出して検索し始めた。


「ま、あたしの方が千倍くらいかわいいけど、まあいいわ。これからあたしのことをミカ様と呼んで崇拝しなさい。天国での一番上の上司が大天使ミカエル様だし、ちょうどいいわ」

「えっ、それはちょっと……多部未華子神と比べるとですねえ、やはりあのぅ、そのぅ……」

「何か文句ある?」


 天使は凄みのある声で言った。俺は電気アンマの恐怖に震え上がった。だがこの天使もよく見ると、たしかに多部未華子に劣らないくらいかわいい顔をしているし、なんとなく雰囲気も似ている。俺は少し怯えながら答えた。


「い、いえ。何の文句もございません。これからはあなたをミカ様とお呼びし、よろこんで崇拝させていただきます。ちなみに俺の名前は……」

「知ってるわ。シンタでしょ。とっくに調査済みよ」

「シンタじゃありません、幸多です。たしかに戸籍上は辛多ですけどね。あれは俺のじいさんが漢字を間違えて届け出たんです」

「あらそう。じゃあコータって呼んであげるわ。ところでコータ、お腹すいてるでしょ」


 いきなりそう言われ、俺は自分がかなり空腹であることに気づいた。時計を見るともう十一時だ。


「はい、ものすごく腹が減ってます。といってもこの部屋には食料は何もないし、金もないし……」

「ここに五百円玉が一枚あるから、外に食べに行くといいわ。何が食べたい?」

「えっ、それなら松屋の牛めしが食いたいです。五百円あればあたま大盛り生卵付きが食えます。そんなのは週に一度ぐらいしかできない贅沢でした」

「あらそう、よかったわねぇ」

「あ、ありがとうございます。うれしいです」


 俺はありがたく五百円玉を受け取ろうとしたが、ミカさんは差し出した手をとっさに引っ込めた。


「おっと、何もタダでは手に入らないわ。代償というものが必要よ」

「はあ、代償ですか」

「そう、五百円の価値に見合うものをあなたは代償としてあたしに差し出すのよ。等価交換は経済の大原則でしょ」

「といっても俺はそんな価値のあるものなんて、もう何も持ってないし……」

「物がなければサービスでもいいわよ。そうだ、何かあたしを喜ばせるようなことを言ってちょうだい。この五百円玉をあなたにあげてもいいと思えるくらい、あたしをハッピーな気分にするのよ。さあ、始めて」


 天使のミカさんは案外シビアだった。俺はしばらく考えてから口を開いた。


「えーと、ミカさんはものすごくかわいいです。世界で一番、いや天国でも一番の美人です。あなたこそまさに神の奇跡の芸術品、最高傑作です」

「ええ、そうよ。あったりまえじゃない。で、それから」


 ミカさんはとてもうれしそうな顔をして、続けるよう促した。


「美しいばかりでなく、高貴な気品も備えた完璧な美少女天使、誰もがあなたを崇拝せずにはいられません」

「ああ、いいわ。そうよ、もっと言って。ほら、もっと」


 ミカさんは自己陶酔で恍惚とした顔をしている。俺は自分で言いながら少し白々しいとも思ったが、言っているうちに不思議と、本当にミカさんが最高に素晴らしい美少女天使に思えてきた。これも暗示の力だろうか。


「完璧という言葉でもまだ言い表せない、超絶的なほどすばらしい美少女天使のミカさんのおそばにいることができて、俺は本当に幸せです。俺はあなた様を神天使として崇拝します。俺はあなた様にお仕えする奴隷です」

「うーん、最高にいい気分だわ。ほら、コータ、あたしの足をお舐め!」

「はい、美少女神天使ミカ様」


 俺もついついその気になり、差し出された右足を舐めようとして、はっと我に返った。


「ん?」

「あっ、あらやだ。あたしったら、何やってるのかしら」


 ミカさんはコホンと小さく咳払いをした。


「ま、まあ、せっかくだから、足裏マッサージでもお願いしようかしら」

「はあ……」


 俺は言われるがままに、ミカさんの差し出した足を手に取った。小さくてかわいらしい、きれいな足だ。触ってみると柔らかい。俺はミカさんの足裏を親指で押し始めた。


「ああーん、気持ちいーい、そこ、もっとー」


 ミカさんは身もだえしながら喘ぐような声を出した。俺は思わずその足に頬ずりをして舐めまわしたくなったが、ふと電気アンマの恐怖が脳裏をかすめ、かろうじて自制した。

 約十分後にようやく両足のマッサージを終えると、ミカさんは満足そうに言った。


「ああ、気持ちよかった。ねえコータ、あなた女性を喜ばせる才能あるわよ。いっそのことホストとかヒモとかになったらいいんじゃない。あ、でも顔がブサイクだから、やっぱり無理ね」

「どうせ俺はブサイクで女にモテたことのない童貞男ですよ。悪かったですね!」

「あ、あら、またついつい本当のことを言ってしまったわ。あたしって正直者だから嘘つけないのよ。ごめんなさい。傷ついた?」

「俺の心はもうとっくの昔から満身創痍です。どうぞお気遣いなく!」


 これまで俺は何度もブサイクだと言われてきたし、そんなことで今さらとくに傷ついたわけではなかった。それよりむしろ、女性を喜ばせる才能があるなんてことを言われたのは生まれて初めてで、それがちょっとうれしかった。だから照れ隠しに、わざと拗ねてみせただけだったのだ。


「ま、それはともかく、あたしはあなたのサービスにとっても満足したわ。まあ五百円分ぐらいの価値は十分にあったわね。さあどうぞ」


 ミカさんは五百円玉を差し出した。俺は深々と頭を下げ、受け取った。


「ありがとうございます」

「これでわかったでしょ。コータ、あなたはこれまでずっと貧乏だったけど、お金を得たかったら、その分だけ人を喜ばせたり、満足させたり、人の役になったりしないといけないの。お金はその対価として受け取れるものなのよ。これが今日のレッスン、お金の成功哲学レベル1よ」


 俺は衝撃を受けた。たしかにその通りだ。かつての俺はお金を稼ぐために、与えられた仕事をいやいやながらやっていただけだった。時給の仕事が多かったので、とにかくいかに楽に仕事をすませるかを考え、仕事時間がはやく過ぎることを願っていた。人を喜ばせるとか、人の役に立つなんてことはほとんど考えもしなかったのだ。


「俺は今まで、お金はただ苦労して稼ぐか、大金だったら人をだましたりとかずるいことをやって得るものだとばかり思っていましたが、間違ってました。そんなことだから、俺は貧乏だったんですね」

「そうよ。これからはどうやったら仕事で人を喜ばせることができるか、人の役に立てるかを考えなさい。そうすればお金は自然と入ってくるようになるわ」


 俺は深く感動し、ミカさんから教わったお金の成功哲学を胸に刻むことにした。


「ありがとうございます。がんばります。とりあえず俺はミカさんの役に立ったから、対価としてこの五百円をもらえたんですね。そしてミカさんもやっぱり、何か誰かの役に立つことをして、この五百円を手に入れたんですよね」

「あら、その五百円玉はあなたの部屋の片隅に落ちてたものよ」

「えっ、それじゃあもともと俺のお金じゃあないですか」

「でもコータはそれを落としたまま、ずっと気づかなかったんでしょ。あたしが拾ってあげなければ、なかったのと同じなんだから。あんたもお金を粗末にするから、ずっと貧乏なのよ。反省しなさい」


 俺は何も反論できなかった。たしかに俺はお金を粗末にしていた。それどころか、自分の人生や命まで粗末にしてしまったんだ。俺は自分が情けなくなった。


「まあ、これからこの奇跡の美少女神天使ミカ様のもとで成功哲学をしっかり身につけて、心を入れ替えてがんばればいいのよ。五百円玉も部屋の中にほおっておいたら価値はないわ。お金は投資をしたり、有意義なことに使ったりすることで、世の中を循環していくものなの。さあ、この五百円玉で昼食を食べていらっしゃい」

「ありがとうございます。そうします」


 俺は部屋を出て、近くにある松屋へ行った。券売機に五百円玉を入れるとき、俺はその五百円玉が必要な人たちのところを回っていく様子を想像した。そして牛めしあたま大盛りと生卵のボタンを押した。


 食券と釣り銭を受け取ってカウンターの席に座ると、店員が食券を取りに来た。いかにも無愛想な感じだ。俺はその姿に、かつての自分を見いだしたような気がした。俺もいやいやながら時給いくらで働いていたんだ。客を喜ばせるとか満足させるとかいうことは考えもしなかったんだ。


 やがて牛めしが運ばれてきた。俺は「ありがとう」と無愛想な店員に声をかけた。店員はちょっと驚いたようだったが、にっこりと微笑んで「どうぞごゆっくり」と言った。そしてその後はにこやかな表情で客に応対していた。

 それを見て、俺はふと思った。俺は店員を無愛想だと感じたが、逆に俺自身が無愛想だったんじゃないか。俺が礼を言ったあと、あの店員は急に愛想がよくなった。これも新しい気づきだった。


 俺は生卵を割ってかき回し、牛めしの上にかけた。そうして、とろりとした生卵が牛肉とご飯にからんだところを口の中に入れた。うっ、うまい。うますぎる。俺は牛めしをじっくり味わいながら食べ終えた。久しぶりに幸福感を感じた。

 この牛めしあたま大盛り生卵付きに俺はわずか五百円足らずの代価しか支払っていないが、それで得られる満足感は五百円をはるかに超えていた。


「ああ、うまかった。ごちそうさん」

「ありがとうございました」


 無愛想だった店員が笑顔で礼をいった。とてもうれしそうな笑顔だった。俺もたった五百円足らずで十分すぎる満足感を得て、ちょっと幸せな気分で店を出た。


 そうして自分のアパートへの帰り道を歩きながら、俺は天使のミカさんから教わったお金の成功哲学を頭の中で反芻していた。


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