油断禁物
我らは、地下の住処から外へ出た。
何の変哲もない大地の、ごく一部が突如蓋が持ち上げられるように押し上げられ、そこから我を先頭に出てきた。
ぞろぞろと、大勢で現れた我らは、ある程度進むとその場で止まり、隊列を組んだ。
我の長年の経験から導き出された、最適の陣形だ。
そして、最後の者が出たのを確認すると、我らは一丸となって行動を始めた。
脅威を排除するために。
我らの力は弱い。
個々の力は、少し成長した少年にも負けるほどだ。
そして、同胞のほとんどは頭が悪い。
彼らは本能で動いているからだ。
だから我みたいな経験の積んだ者が中心となって群れを作り、動く。
中には我のような者がいなくても群れを作るが、そう言ったところは弱い。
自然と、我のような者の周りに同胞が集まる。
そして、群れを大きくしていく。
その身を守るために。
厳しい環境を生き残るために。
一つ一つの力は弱くても、集えば何十倍の力になる。
その力は、老竜ほどなら倒せるほどに。
多少の犠牲を払ってでも、確実に目標を仕留める戦法で、我らは弱くない地位を確立した。
我らの群れは、死の行進と呼ばれ、多くの者からは恐れられていた。
我らは一つの目標に向け歩いていた。
目標は、人間だ。
『雨季』が終わって、状況確認のために外へ出ていった同胞を殺した人間だ。
我らと同じように群れている人間には勝ち目はないが、ただ1人の人間には、群れで挑めば余裕で勝てる。
帰ってきた斥候によると、今は死んだ同胞の隣で倒れているのだという。
なら、簡単だろう。
だけど油断はしない。
中にはとてつもなく強い個体もいるからだ。
我らの群れを束ねても、やっと勝てるか勝てないかという個体もいる。
もしその人間が到着した時には起きていて、そんな化け物だったら、少ない群れで挑むのは危険だろう。
それに、人間は怪しげな術を使う。
何もないところから突如火や雷を飛ばし、同胞が傷をつけても癒してしまう。
だから、我らは持てるだけの力を持ってその人間に挑む。
さぁ行くぞ、人間よ。
同胞を殺した報いを受けるが良い。
•••
遠くから、何やら音が聞こえてくる。
それは、何かの鳴き声のような感じだ。
猿みたいな甲高い鳴き声だ。
それを微睡みの中拾った俺は、意識を覚醒させる。
目を開けて、空を見上げる。
相変わらず陰鬱とした紫色の空模様が広がっていた。
目が覚めたら、柔らかなベッドの上、なんてことはなかった。
隣を向いても、可愛い女の子はいない。
いるのは生き絶えたゴブリンだけ。
....ゴブリンと夜を過ごすとか、ロマンなさすぎだろ。
もうちょっと、ファンタジーらしさがあってもいいんじゃないかな。
可愛い女の子じゃなくても朝起きたらすぐ横にすんごい剣が突き立っていり、特別な力が目覚めてその力が漏れ出していたりしててもいい気がする。
まぁ、もう期待していないが。
全然、期待していないんだからね!
....自分で考えておいてすごく悲しくなる。
ってか、ここには朝も夜も区別つかないから、そんな状況を求めるのが間違っているか。
本当、この世界は優しさがない。
俺はそう気持ちを切り替えると、現状を把握する。
あれからどれだけ眠ったんだろう。
体が痛い。
下にした背中が、鈍い痛みを発している。
硬いところで寝ていたからだろうな。
それに加えて、体を無理矢理動かした反動で足を中心に全身の筋肉が痛みを訴える。
しばらくは動きたくない。
それに、潤したはずの喉が少しだけ渇いていた。
満腹で重たかった腹も、今じゃ軽い。少しだけ空腹感を主張する。
俺は、かなりの時間眠っていたのだろう。
長く眠ってたせいで、まだ頭はぼんやりしている。
眠気すらある。
そのまま俺は意識が飛びそうになる。
「いっ、つつつつ」
だけど俺は軋む体を無視して上体を起こす。
この誘惑に負けて、俺はろくなことがなかったのだ。
学校に遅刻したり、連中との約束の時間に遅れたり、楽しみにしていたプリンを親父に食われたり。
だから俺はその誘惑を断ち切って起きる。
少し体を動かせば、あとは自然と意識ははっきりとしてくる。
そして、視界もクリアになる。
真正面の、まだまだ遠くにある城がくっきり見えた。
それに、確かに何もないところだが、さっきみたいにゴブリンがあるかもしれない。ゴブリン以外のモンスターがいるかもしれない。
こんなところでいつまでも寝転がっていたら、食べてくださいと言っているようなもんだろう。
さっきからどこかで聞いたことのある鳴き声が聞こえている。しかもそれはだんだん近づいている。
だから、安全がまだ確保されているうちに———。
スコッ、と、何かが地面に刺さる音が俺のすぐ横で聞こえた。
ギギギ、って擬音が聞こえそうなほど硬い動きでその音のした方を向くと、そこには矢が突き刺さっていた。
....安全なんて確保されてなかった。
そりゃそうだ。こんなところで寝てるんだもん。
何かが餌に釣られてやってきてもおかしくない。
それに、俺はすっかり忘れていた。
この鳴き声は、ゴブリンのものだと。
そして思い出した。
ゴブリンは、群れる生き物だということを。
1匹だけいたゴブリンを倒したということが指し示す意味を。
斥候として放った1匹が帰ってこなかったら、異常事態が起きたとされる。
その原因を探るべく、新たな斥候が放たれる。
その斥候に死体を見られ、その横に殺したやつがいれば、俺は脅威とみなされる。
そこからゴブリンが取る行動は、簡単だ。
脅威の排除だ。
そして脅威が大きければ大きいほど、その群れは大きくなる。
俺は恐る恐る、右を向いた。
『キキィィ!!』
『キキキッ!!』
『キィッ!』
『キィキィ』
『キィィィィィ!!」
『ギギィ』
「冗談も休み休みにしてくれよ」
後ろを振り返った俺の数十メートル先には、大軍と言っていいほどに巨大なゴブリンの群れがいた。
先頭に立つ周りよりも大きなゴブリンを中心に後ろへ広がるような隊列を組んだゴブリンの群れが、こちらへ迫ってきていたのだ。
ゴブリンとは思えない堂々とした歩き方には、確かな怒りが込められていた。
そんなのが、見えるだけで100匹。
「やばいやばい!」
あんなのが俺と衝突したら、結果なんて言うまでもない。
俺がミンチにされ、奴らの夕食のおかずに並べられてしまう。
人はいつかは死ぬ。だけどそんな死に方は嫌だ!
俺は痛みで悲鳴を上げている体を無視して、立ち上がって走り出した。
万が一追いつかれた場合に撃退できるように石斧を確保して、俺は全力で駆け出す。
城からは離れてしまうだろう。だけど、命がなきゃ話にならない。
進む先には不気味な色をした森があるが、進むしかない。
俺は必死になって走った。
早いところ気がつけてよかった。
周りに風以外の音がなかったから、聞こえる音には敏感になっていたんだろう。
おかげで、奴らとの距離を稼げたまま逃げ出すことができた。
スコッ。
俺の斜め前に、矢が降ってきた。
「どんな力してんだよ!」
俺が走り出した時は少なくとも50メートルはあった。
そして、俺は奴らから離れるように走っている。
走りながらでは矢は打てない。だから距離は広がる一方のはずだ。
それなのに、かなり離れているのに、ゴブリンはここへ矢を飛ばしてくる。
正直、やばい。
スコッ、スコッ、スコッ、スコッ。
俺の前に、後ろに、右に、左に、次々と矢が地面に刺さる。
しかも徐々にその精度は上がってきていて、地面に突き刺さる矢との距離が近くなる。
だが、奴らも生き物だ。限界はくる。
だんだんと、俺の後ろに突き刺さる矢が増えてきた。
いける、これなら奴らを撒ける!
俺は、安堵した。
だが次の瞬間、右肩に熱を帯びた鋭い痛みが走った。
「がぁっ!」
心が緩んで、そして予想もしなかった痛みに俺は堪らず声を上げる。
足がもつれ、思わず転びそうになるが、ここで転んだらきっと追いつかれる。
既に後ろから、バタバタと足音が聞こえるのだから。
少なくとも、二桁はいる。
タイマンでやっと勝てた相手なのに、そんなにもいて戦ったら俺は一瞬でやられる。
しかも転べば、俺はどうしようもないぐらいに不利な状況に陥る。
そうなれば、待つのは死だ。
転ぶわけにはいかないし、痛いからといって止まるわけにもいかない。
俺は全力で走った。
走って走って、走りまくった。
もうなりふり構わず走った。
吸う空気が熱い。肺が苦しい。足が痛い。
色んなところが悲鳴をあげるが、止まるわけにはいかない。
走るしかない。
俺はまだ死にたくない。
だから走る。
ただただ真っ直ぐに走る。
気がつけば、足音が聞こえなくなった。
やった!やっと撒けた!
俺はそう喜び、スピードを落とした。
「っはぁ、はぁ」
立ち止まった俺は、両手を膝に乗せて肩で息をする。
寝たとはいえまだ万全ではなかった体を無理矢理動かしたツケだ。もう一歩も動けない。
ここで少し休もう。
座ることすら辛く、半腰状態の俺はその体勢のまま休憩する。
「ぐっ」
そして、右肩に刺さっていた矢を引き抜き、傍に捨てた。
遠くから撃ったからか角度が浅く、そんなに深くには刺さっておらず、血はそんなに出なかった。
荒ぶった息は少しずつ治っていき、走るために機能を停止していた感覚が戻り始めた。
肌を撫でる風の感触も、ドタバタとした足音も———。
俺はばっ、と後ろを振り返った。
「なっー」
『キィィィィィ!!!』
そこには、撒いたはずのゴブリンの群れが迫っていた。
しかも、もう俺との距離が十数メートルしかない。
俺は思わず驚愕の声を上げてしまう。
おかしい、何かがおかしい。
ここまで近いなら、足音が聞こえなくなるなんてことはない。
たとえ疲れていても、全力で走っていたとしても、完全に聞こえなくなることはない。
だけど現に、聞こえなくなった。
何かからくりがあるはず。
「って、そんなこと考えてる場合じゃない!」
俺はすぐさま前を向き、走り出す。
いや、走り出そうとした。
足を一歩踏み出そうとしたその時、俺は地面に抱擁した。
「ぐはっ!」
地面に叩きつけられ、肺から息が押し出される。
「げほっげほっ」
肺への衝撃で、俺はむせる。
むせながらも、俺は投げ出されている足を見た。
—茶色の細いロープが、俺の左足首に絡みついていた。
「くそっ!」
俺は急いで上体を起こして、石斧でロープを切ろうと振り上げて、落とす。
だけど、所詮は石斧。
刃なんてない、鈍器だ。
当然、断ち切れるはずがない。
目の前にはもう、ゴブリンの群れ。
逃げる事はできない。
「こうなったら、一か八か!」
俺は立ち上がり、石斧を構える。
左足に絡んだロープを引っ張られて転ばされないように、左足に体重をかけて立つ。
『キィィィィィ!!』
そして、ゴブリン達とぶつかった。
「おらあっ!」
『ギッ!』
俺はまず真っ先に飛びかかってきたゴブリンにタイミングを合わせて石斧を振るった。
石斧はゴブリンの頭にぶつかり、ゴブリンの額を割った。
ゴブリンは白目を向いて、地面に落ちる。
だが、これで終わりではない。
続々とゴブリン達は押し寄せてくる。
「このおおおおおおおおお!!」
俺はがむしゃらに石斧を振るった。
俺に技術はない。
だけど鈍器を振り回せば、ゴブリンの体のどこかには当たる。
そして当たれば、怪我をさせられる。上手くいけば倒せる。
攻撃は最大の防御。相手の戦力を削ぎ落とせれば、生き延びることができる。
俺は滅茶苦茶に斧を振り回した。
石斧は、何度か空振りしたもののかなりの数ゴブリンに当たった。
中には顔面にあたってひしゃげて死んだり、首の骨を折られて死ぬゴブリンもいた。
最初は上手くいっていた。
そうやって死ぬ奴も多かった。
だけど、当たりどころが悪く、当たっても死なない奴も多い。
俺の周りはどんどんゴブリンで埋まっていく。
「がぁっ!」
疲れてきて鈍った俺の石斧の乱舞の隙をかいくぐって、1匹のゴブリンの棍棒が太ももに直撃する。
一瞬止まる腕。そして、少しだけ崩れる体勢。
だけど、それが致命的だった。
『キィィィィィ!!!』
少し遠くの方で、雄叫びが聞こえたような気がした。
ロープが引っ張られて、俺は引き倒された。
そして始まった、蹂躙。
「がっ!ごっ!ぐっ!げはっ、がぁぁぁ!!」
棍棒が、石斧が、俺の体に叩き込まれる。
腕に、足に、背中に、全身を余すとこなくタコ殴りにされる。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も.....。
殴られて、殴られて、殴られ続けて。
気が遠くなるほどに殴られて。
意識が飛びそうになる。
だけど新たに来る痛みが気絶を許さない。
それでも、蓄積した痛みで意識が遠のく。
しかし、常に叩き込まれる新しい痛みで無理矢理意識を戻される。
繰り返す意識の浮き沈み。
絶え間ない痛み。
俺の心は、もう限界を迎えていた。
—怒りの、限界だ。
この世界に来てから溜まっていた怒りが、無限に続く地獄のような痛みで、暴発した。
何で俺がこんな目に会わなきゃいけないのか。
何で誰も助けに来ないのか。
何で俺には何も力がないのか。
理不尽すぎやしないか。
異世界に転移したんなら、俺がたとえ必要のない人間だとしても生きるための力をつけてよ。
何もなくて、幸せのカケラすらない生活なんか送りたくない。
薄い幸しかなかったが、それでも日常生活を故意なのか不手際かなんかで奪われて、地獄のようなところに放り込まれる。そんなことがあっていいはずがない。
人並みの幸せを感じるような生活を送る権利は、俺にはあるはずだ。
もうここまで来ると、何の力を与えてもらわなくてもいい。
でもせめて、人として生きていける環境に転移させて欲しかった。
あっちの世界と大して生活が変わらなくても、美味い飯が食えて、安全な寝床があって、そして会話できる人がいる。その中のちょっとした幸せでもいい。
こんな劣悪な環境で、何の力もなく、何とあてもなく、彷徨い続けて。
僅かな希望に縋るような毎日の中、考えることは生きることだけ。
幸せ?口にするのも怒りで憚られる。
そして、今この仕打ち。
ゴブリンの猛攻を受けている。
結果、俺は死にかけている。
あんまりじゃないか。
俺を地獄のような苦しみを味あわせるために転移させたのなら、悪趣味にもほどがあるだろう。
別に俺が何か特別悪いことをしたわけでもないだろう?
それが理由なら、俺なんかよりももっと適する人がいたはずだ。
何で、何で俺なんだよ、ちくしょう。
誰に向ければいいか分からない怒りが、俺の心を埋め尽くす。
『ギィッ!』
そして、頭にズドッ、という衝撃を受けた時、俺は意識を手放した。
•••
やっと倒れたか。
先行した第1部隊が帰還し始めるのを見て、我はふう、と息を吐く
全く人間め、手間を取らせてくれる。
あそこで戦うのではなく逃げると判断したのは、さすが賢い人間だ、と思ったのだが、煩わしいのには変わらない。
思わず第1部隊全軍突入という指示を出してしまった。
幸い、奴は足も遅く体力もなかったためすぐに捕まった。
あれは【鈍感の矢】を使うまでもなかったな。
感覚がどんどんなくなるあの矢は、一度使うと効果を失う上に貴重品だ。
今度はもっと見極めて使うようにしよう。
捕まった時、人間は少しの抵抗を見せたみたいだが、それも無駄に終わったようだ。
奴がボロボロにされている姿を直接見ることができないのが残念だが、まぁいい。
あとで無様な姿に成り果てたのを見て満足しよう。
さて、第1部隊が到着した。
そして、元の隊列に戻る。
奴はというと、一番後ろにいた個体が奴を引きずっていた。
チラリとしか見えなかったが、全身ボコボコにされててとても滑稽だった。
我らに勝てるはずがないのに、同胞を殺す、という宣戦布告するからだ。
愚かな奴の末路にはお似合いだな。
我は後ろを振り返る。
総勢179、そこから10ぐらい欠けているが、多くの同胞が、我を見る。
その目は、我に期待を寄せていた。
王しての立ち居振る舞いを。
我はそれに答えるとした。
キラキラとした目を我に向ける同胞に向け、宣言した。
諸君!我々は同胞を殺した憎き人間を倒したのだ!
自らの手で、明日を切り開いたのだ!
諸君らのおかげで、まだ力なき者が人間の影におびえることがなくなったのだ!
そのことを、誇るがいい!
手応えがない、と思うのもあるかもしれない!
だけどそれだけ命を危機に晒す必要がなかったのだ!
その幸運に感謝してほしい!
そして、不幸にも先立ってしまった同胞達にも感謝してほしい!
彼らの犠牲があったから、今の我らがあるのだと!
さぁ、凱旋だ!
今夜は人間を倒した喜びを分かち合う宴を開くぞ!
思う存分、楽しめ!
我がそう宣言すると、同胞はわっ、と歓声をあげた。
やはり、相手が弱かったとはいえ勝利の味は格別だな。
そんな光景を見て、我はそんな風に感じた。
我はそんな彼らに向け一歩歩を進めた。
すると、すぐに騒ぐのをやめ、同胞はざっ、と道を開けた。
さぁ、凱旋だ。
同胞の作り上げた王道を歩く我は天に拳を突き上げながら、我らの住処へ凱旋した。
•••
体が、痛い。
更地で寝た時とは比べものにならないぐらいに全身が痛い。
気がついた時、俺は全身を支配する激痛に悶え苦しんだ。
やべぇ、死ぬ。
そう本能が認めてしまいそうなほどの苦痛に苛まれていた。
全身が熱を持ってる。
そして、鈍い痛みも鋭い痛みも平等に、俺を襲ってくる。
痛い、痛い。
ただひたすらに痛い。
苦しさすら感じる。
そして、それらを感じる度に、俺は怒りがまた湧き上がる。
屈辱的だ。
今の俺はきっと痣のせいで、全身紫色に染め上がった芋虫みたいになっているだろう。
人間としての尊厳なんかどこにもない、肉塊と同じレベルだろう。
紫色の肉塊、果たしてそんなのを人間と呼んでいいのか。
厳しいだろうな。
それが悔しい。
人として辱められて、そしてこのままだと俺は殺されて死ぬ。
じゃあ俺は何で異世界に来たんだ?
飛ばしてないとして事故だとしても、何でそれを事前に食い止めなかった。
それによる被害を考慮して、それの被害者を何故迅速に保護しない。
痛みが強くなればなるほど、俺の中の怒りの炎が大きくなる。
だけど感情を表すための声も出ない。
喉に痛みはないが、出ない。
殴られたショックだろうか。
とにかく分からないが、今の時点で声は出ない。
それも、俺の怒りの炎に油を注ぐこととなった。
俺は心の中で、怒りの炎を大きくしていった。
しばらくすると、体がまだ全体的に痛いが、少しずつ意識がはっきりとしてきた。
そして、何とか痛みの中でもまともに考えられるようになってきた。
きちんと考えられるようになると、俺の中の怒りは少しずつ落ち着いてきた。
確かにこの世界に飛ばされたのは俺の意思じゃない。
でも、この状況を作り上げたのは紛れもなく自分だ。
自分で選択して、自分で進んで。
その結果がこれなのだろう。
誰かが人為的に作り上げたってわけでもない。
だから、誰かを恨むのはお門違いだ。
そう思えるようになってきた。
怒りの炎はまだ燻っている。
だけど、今は怒りに身をまかせるのではなく現状を把握することが大切だ。
怒りに身を任せて助かった話は聞いたことがない。
優先順位を、間違えるべきではない。
目を開けることができないが、そんな中でもわかる範囲で現状を把握しようと試みる。
そうすると、体の状況が分かるようになってきた。
俺は今、担がれている。
うつ伏せで、胸のあたりと脛のところがゴブリンらしき肩の上に乗っている。
その運び方はかなり雑で、めっちゃ上下に動かされる。
揺れるたびに、締め付けられるような痛みが走る。
....もうちょい優しく運んでもバチ当たらない気がするんだけど。
もちろん、そんな思いは俺を運んでいる奴らには届かない。
えっさほいさと、丁寧さなど微塵も感じられない運ばれ方で、俺はどんどん運ばれていった。
時々がくっ、と落ちて、力なくぶらんとしている頭が揺れてぐわんと痛みが響く。
それはあれだ。俺が意識を失うことになった頭への一撃が原因だ。
脳にどれだけ影響を与えたかは分からないが、少なくとも頭蓋骨は陥没してないだろう。そしたら俺は死んでる。
腕や足の骨も、折れてはいないみたいだ。
特に攻撃が集中した背中の方は激痛すぎてよく分からないが、背骨は無事だ。痛くない。
そんなこんなで痛みに悶絶していると、俺を運んでいた奴らが動きを止めた。
思いが通じたか?
俺はそんな淡い希望を抱くも、無慈悲にもそんなことはなかった。
胸あたりを担いでいた奴が俺の腰を抱え、そのまま運ばれて、そして放られた。
「っぁ」
息が吐き出され、声にならない声が出る。
痛すぎて放り出された時の痛みはうやむやになるが、全身を焼く痛みは変わらない。
「ぐ、ぐぅぅ」
何とか声を絞り出し、それを気合いにして目を開ける。
腫れているのか、目を開けるのに苦労する。
そうしてやっと目を開けると、そこは岩窟だった。
黒色のゴツゴツとした岩肌に、鍾乳洞のような道。
そしてそれらを、3メートル間隔で取り付けられた松明が照らす。
こういった洞窟とかで火を使うのは危ないと聞くが、ここはそうでもないのだろう。
現に、松明の炎は時々ゆらゆらと風に吹かれるように揺らいでいる。
ここは、ゴブリン達の住処なのだろうか。
だとしたら、俺は何のためにここに連れてこられたのだろう。
一番可能性が高いのは、食料として連れてこられた。
いくら俺が気絶していたとはいえ、3日も4日も気絶できるわけではない。
そして、ゴブリン達が現れた方角的に、少なくともあの更地を抜けるには二、三週間はかかるだろう。
つまり、今ここはあの更地の地下だ。
そして、ゴブリン達の生活域があの更地だ。
あんな何もない更地なのだ。生き物は貴重な食料だろう。
だから、俺は連れてこられた。
だけど、俺はそんな死に方は嫌だ。
今この現状に、理不尽な環境に怒っている場合ではない。
さぁどうしよう。
考えろ。頭を振り絞れ。
痛みなんて気にするな。
怒りも今は置いておけ。
生きていれば痛みはいつかきっと治る。だけど死ねば何もできなくなるんだぞ。
怒っても、視野が狭まるだけだ。
だから今は考えろ。
至る所からキキキとゴブリン達の鳴き声が聞こえる岩窟の中、俺は1人解決策を模索する。
明日から諸事情で更新時間を17:00に変えます