六月 体育祭(4)
そのあとは種目の遅延もなく、体育祭は順調に進み、いよいよ最後のリレーを残すだけになった。出場するのは、ボク、麗華さん、美咲さん、神無月君、葉月君、と、その他の二年生と三年生から選抜されたメンバーだ。この一組最高戦力であるそうそうたるメンバーの中に、ボクが含まれているのはおかしい。
明らかに場違いだと思い、推薦で決められたときにも異議を申し出た。
「幸子ちゃんはただ一緒に走ってくれるだけでいいのです。あとは私たち全員がカバーしますから、同じ種目に出ることで、私たちは限界以上の力が出せますので、もっと早く走れますよ」
そんな訳のわからない理由で反対され、何故かクラス内だけでなく他の学年の皆もウンウンと頷いていたので、わかってないのはボクだけかもしれない。
そんなこんなで、ボクはリレーの二番走者として、緊張しながら配置についた。いくらクラスの皆から推薦されたとはいえ、体育祭での大一番のリレーだ。もし失敗したら…と、後ろ向きなことを考えていたのがいけなかったようだ。
「綾小路さん! バトン!」
いつの間にか一組の一番走者がすぐ後ろまで走ってきており、ボクも慌ててスタートラインから走り出し、後ろ手に赤いバトンを受け取る。
しかし何とか受け取ったのはいいものの、強引なスタートダッシュに体がついていかず、思いっきり前につんのめってしまった。幸いなことに軽い擦り傷で済んだが、赤いバトンが外周に向かってコロコロと転がっていく。
とにかく走らないと、バトンを次の走者に渡さないと頭の中が真っ白になりながらも、コースの外に転がっていた赤いバトンを見つけて拾いあげ、大幅に遅れながらもようやく走り出す。
気づけば次々と他のクラスの走者に追い抜かれしまい、ボクが次の選手にバトンを渡すまでの間に、他の全クラスに抜かされてしまい、一組は一周遅れになっていた。
(今すごく、泣きたい気分です)
幸子は今、トラックの内で体育座りのまま、さらにダンゴムシのように身を縮こませて涙目になっていた。そんな失意のどん底のボクに、美咲さんがそっと声をかけてきた。
「幸子ちゃんは十分頑張ったよ。次からは私たちが頑張る番。だからうつむいてないで、走る姿をちゃんと見ててよね」
「美咲さん、でもボクのせいで…ボクが転んだから、一組の皆が…リレーに負けたら…」
少しだけ頭をあげたボクに。麗華さんが後ろから優しく抱きしめながら、温かい言葉をかけてくれる。
「安心して、幸子ちゃん。私たちは負けません。いくら一周遅れでも、これから逆転すればいいのです。そうですよね? 葉月」
彼女の言葉に、葉月君だけでなく、神無月君も声をあげる。
「まっ…そうだな。バスケで全力が出せなくて退屈してたんだ。一周遅れぐらい、いいハンデだぜ」
「そうだよ綾小路さん。大切な友達が困ってるんだ。このリレーは僕がどれだけ頼りがいのある男かを証明する、いい機会になるね」
二人の励ましに、そうだそうだとクラスメイトも同意する。
「皆…ありがとう!」
ゆっくりと顔をあげたボクは、やっぱり泣いていたが、それは悲しみの涙ではなく、嬉し涙だった。もはや先ほどまでの暗く沈んだ表情ではなく、少し目元が赤くなってしまったものの、明るい笑顔で皆にお礼をいう。
「もう、幸子ちゃんの笑顔は本当に反則なんだから。はぁ…それじゃそろそろ出番だし、行ってくるね。いい? ちゃんと見てるんだよ」
そう言って、美咲さんはボクに背を向けて自分のスタートラインに向かって歩いていった。とにかく今は、皆の走りを見届けないとと、ボクはリレーに集中することにする。
後ろの一組走者にバトンを渡された美咲さんは、他のクラスの走者との差をじりじりと縮めて、麗華さんに交代する。
「はぁ…はぁ…せめて一周遅れを一クラスでも戻せればと思ったんだけど、他のクラスの子、リレーに相当力入れてるね」
荒い呼吸を繰り返しながらボクの隣に座る美咲さんと一緒に、麗華さんの走りをじっと見つめる。彼女は前の選手との距離をグングン詰めている。
それでいて姿勢が乱れずに、常に一定の速度で走り続けていた。そして次々と他のクラスを追い抜き、一周遅れを脱したところで、神無月君にバタンタッチを行う。
「取りあえず、これで同じ土俵に戻せましたね。あとは神無月と葉月の頑張り次第ですね」
殆ど呼吸が乱れていない麗華さんも、ボクの隣に座り、三人で神無月君の様子を観察する。
彼は抜群の運動神経で、みるみるうちに距離を詰め、もう少しで最下位から脱出できそうなところで、アンカーである葉月君にバトンを渡した。
「ごめん、綾小路さん。本当は最下位を抜けたかったんだけど…」
何となくバツの悪そうな顔をしてこちらに近づいてくる神無月君に、ボクはううん、気にしないで。それよりすごい走りだったよ。かっこよかったよ。と、笑顔で答えを返す。
最後の走者の葉月君が、全力を出すためかメガネを外して走っている。一人二人と、決して遅くはないはずの他のクラスのアンカーを次々と抜き去っていく。
しかし、いよいよ最後の一人というところで、隣に並んだのはよかったが、彼の健闘はそこまでだった。一位でゴールテープを切ることは出来ずに、一組は健闘したものの惜しくも二位となり、体育祭最後のリレーはこうして幕を閉じた。
「ああクソ! 全力を出したのに、負けちまった! もう少しだったのによー!」
悔しそうな顔のまま大股でドシドシと歩いて葉月君が戻ってきた。その後ろに、ボクは見知った顔を見つける。
「まさか葉月が本気で勝ちに来るとは思わなかったぞ。アンカーが俺でなければ負けていただろうな」
生徒会長が笑いながら、メガネを外した葉月君の背中を軽く叩く。
「だからこそ、なおさら悔しいんだっつーの! いつもことあるごとに、俺の前に立ち塞がりやがって! ちくしょー! 次こそは勝ってやるぜ!」
「はははっ、いつでも挑んできていいぞ。しかし、葉月は俺と比べられるのが嫌で、勝負ごとを避けてメガネまでかけ、我関せずを貫いてきたと思ったが、どういう心境の変化だ?」
生徒会長の疑問を聞いて、葉月君は顔色を変えて、しまった…と口をつぐむ。しかし、伊達メガネをかけようとはせずに、悔しそうにうつむいたままだ。
「まっ…お前が言いたくなければ無理には聞かん。これはいい傾向だからな。それにメガネを外せば、少しは視野が広くなるだろう。葉月が本気を出せば、俺よりも優れている部分がたくさんあるというのに、全く…あの親族共は」
そこまで言って、二人はボクたちに気づいたようで、嬉しそうに声をかけてくる。
「今回の一組は惜しかったな。このまま力をつければ、次はうちが負けてしまうかもしれんな。ともかく、来年に期待しているぞ。それでは、閉会式でな」
「いいか! 次は絶対に俺が勝ってやる! 首を洗って待ってろよ!」
葉月君の挑戦に、生徒会長は背中を向けて、ああ、楽しみにしていると返すと、ゆっくり遠ざかっていった。
そのあとは、試合会場の片付けを皆で済ませ、閉会式で各競技の表彰状を受け取った。ちなみにボクも応援合戦が何故か評価されたようで、勝ち負けとは関係のない特別功労賞という名の賞が急きょ作られ、表彰台に上がることになった。
ただし、そのままだと表彰状が受け取れないので、先生には少しだけ前に屈んでもらうことになった。そして時間通り進み、滞りなく閉会式が終わり、ボクたちは解散となった。
あとは仲のいい友人同士で集まって体育祭の打ち上げを行ったり、今日の疲れを癒やすために早足で家に帰ったりと、皆それぞれの帰路につく。
ボクも自分の家に帰るために、教室に鞄を取りに行くと、一足先に自分の机の前で帰宅準備を進めていた美咲さんが声をかけてきた。
「幸子ちゃんは、打ち上げとかどうするの?」
「え? ボク? クラスの皆には閉会式がはじまるまでの間に、もう十分話したし、今日は疲れてるから、このまま家に帰ろうかなって」
今日は午前午後ともに色々と忙しく動き回ったので、早めに家に帰って休みたい。そう答えると、美咲さんは名案を思いついたのか、自分の両手をポンっと叩き、口を開く。
「だったら、私の部屋で打ち上げしない? 一階は食堂だからジュースも料理も揃ってるし、何より幸子ちゃんの家からも近いから、疲れたらすぐ帰れるよ。真央さんには一言入れておけばいいよね。ね、そうしようよ」
確かに、ここ最近真央さんにはお世話になりっぱなしだ。今日のお弁当も朝早く起きて作ってもらったし、こういう機会に休息を入れて労うのもいいかもしれない。
「そうだね。それじゃお言葉に甘えて、真央さんには今晩は休んでもらって、今日は美咲さんのお部屋にお邪魔させてもらうよ」
「あら、それなら私もご一緒していいでしょうか? 送迎の車なら、いつでも出せますよ?」
美咲さんの提案に、すかさず麗華さんが便乗する。さらにはそれだけでは終わらずに、何故か男子生徒二人も手を挙げる。
「俺もいいか? 体育祭で素顔を見せちまったから、大勢での打ち上げは、ちょっと出にくくてな」
「僕もいいでしょうか? クラス内はともかく他の学年の女子生徒の皆さんの視線が…その」
確かに体育祭という機会に、月の方々と一気に距離を縮めよう考えるよからぬ輩は、何人かはいるかもしれない。これはイケメンゆえの悩みということだろうか。
女性の美人も同様の悩みがあるだろうが、ボクには一生縁がなさそうだ。
「ボクは構わないけど、美咲ちゃんは大丈夫?」
「うん、そのぐらいの人数なら大丈夫だよ。もし私の部屋に入りきらなければ、居間に移動すればいいしね」
美咲さんの言葉を聞いていた麗華さんが、少し考えて口を開く。
「だったら、私の友人も一名呼びたいのですけど、よろしいでしょうか?」
ボクは誰だろうと疑問に思ったが、麗華さんの知り合いなら悪い人じゃないだろうと思い、即座に了承した。美咲さんも別に構わないよと返すと、謎の友人と連絡を取り、さらには運転手を呼ぶために彼女は携帯を取り出し廊下に歩き出した。
一組のクラスで帰宅の荷物をまとめてから、五人揃って校門付近で移動していると、周囲からたくさんの視線を感じ、ボクたちが否応なしに目立っていることを自覚する。
それぞれ特徴の違う綺麗どころが男女で四人も揃っていて、ボク以外は皆体育祭で大活躍したのだから仕方ないよなと内心ため息をつくが、それでも集団で行動しているため、無謀にも声をかけてくる生徒はいなかった。
麗華さんが呼び出した黒いリムジンは、ボクたちが正門に辿り着く前に、既に門の外の邪魔にならない場所に停車していた。
そして、その車の前に不満げな顔で腕を組んで立っている生徒会長を見つけた。
「今すぐ正門に来るようにと如月からメールが来たから、急いで駆けつけたが、これは一体何の集まりだ?」
どうやら呼びたい友人というのは、生徒会長のようだった。若干苛ついている睦月さんとは対象的に、麗華さんは全員速やかに車に乗るようにうながす。
「ここで言っても構いませんが、時間が勿体ないです。取りあえずは皆で車に乗り、中で説明しましょう」
そういって、麗華さんはさっさとリムジンの車内に乗り込んでしまう。ボクもしばらく、苛ついている生徒会長と開けられた車のドアを交互に見つめていたが、結局麗華さんのあとに続いて乗り込む。
ボクが座席に座ると皆何も喋らずに、次々とリムジンに乗り込み、最後に生徒会長が大きくため息をついて、仕方なく目の前の車に乗り込み、運転手さんが全てのドアを閉める。そして音もなくリムジンが動き出し、麗華さんが口を開く。
「これから美咲ちゃんのお家で、体育祭の打ち上げをします。私の如月の他に、神無月、葉月という学園内の有力者が集まるのです。せっかくですから、健二もと思いまして招待しました」
「なるほどな。学園に入学してからの麗華は、本当に突飛な行動をするな。そして、前よりもずっと明るくなった。さて、俺としては打ち上げにはぜひ参加させてもらいたいが、佐々木さんは大丈夫なのか?」
一瞬理解が追いつかなったが、どうやら生徒会長の下の名前が健二さんということに気づく。互いに下の名前を呼び合う二人に、美咲さんもびっくりしていたが、何とか質問の答えを返す。
「はっ、はい。家は大丈夫です。問題ありません」
「そうか。迷惑をかけるな。それでは、途中でコンビニに寄ってもらおう。菓子と飲み物を補充してから向かおうか。財布と荷物持ちは任せてくれ」
生徒会長はそういって、爽やかなイケメンスマイルを美咲さんに向ける。このような婚約者の行動に麗華さんは慣れているのか全く動じないが、向けられた美咲さんはドギマギしながらどんどん顔を赤くしていく。
「それなら俺も出すぜ。こう見えて金だけは持ってるからな」
「僕も構わないよ。一応大人気アイドルだしね」
「じゃあボクもお金をだ…」
「「「出さなくていいから」」」
何故か全員に止められてしまった。それでも一人だけ何もしないというのは心苦しいので、何かしたいというと、美咲さんの家についたら準備を手伝うということに落ち着いた。
途中の七と書かれたコンビニの駐車場に停車し、適当な菓子と飲み物を買ってくるので、しばらく待つようにと男子生徒三人が車を降りて、自動ドアの向こうに入っていく。気のせいか、コンビニの店内が妙に騒がしい。
しばらくして、お菓子と飲み物の詰まったコンビニ袋を両手にさげた三人が、疲れた顔をして戻ってきた。
「神無月と一緒に行動するの久しぶりだったから、お前が大人気アイドルだってことを忘れてたぜ」
「いや、その原因は葉月君が伊達メガネ外してるからでしょう? それに生徒会長にも群がってたしね」
「どうでもいいが、早く車を出してくれ。店内だけでも辛かったのに、車まで囲まれたら面倒過ぎる」
そう言って、男性陣三人は高級感溢れる柔らかな座席に、ぐったりと見を投げ出す。心配そうにオロオロと見つめるボクと美咲さんに、麗華さんが心配する必要はありません。
いつものことです。すぐに慣れますと、簡潔に告げた。そのあと、リムジンは佐々木食堂の前で停車し、美咲さんの案内で裏口から店内に入った。運転手さんは一旦麗華さんの家に戻り、打ち上げが終わったらまた呼ぶらしい。
「何ぃ!? 美咲が男友達を連れてきただとぉ!?」
「勘違いしないの。恋人じゃないわ。学園の友人よ。あら、でも綺麗な子がたくさんねぇ!家は汚いけど、ゆっくりしてきなさいね!」
皆を美咲さんの父母に簡単に紹介し、多少の混乱はあったものの、既に打ち上げを行うことは知らせてあったらしく、今回は一階の居間を使わせてもらうことになった。
ボクは皆の前に座布団を敷き、お菓子と飲み物と佐々木食堂の料理を、丸テーブルの上にテキパキと運ぶ。お金を出せなかったから、せめてこれぐらいは役に立てないとね。
「あら、幸子ちゃん、とても手際がいいですね」
「うん、このぐらいはアルバイトでよくやってるしね」
「えっ! 綾小路さん、アルバイトしてるの?」
麗華さんに手際を褒められ、神無月君にびっくりされる。そこに興味が湧いたのか、葉月君が続いて聞いてくる。
「ふーん、幸子ちゃんは何処で働いてるんだ?」
「ここだよ。佐々木食堂、美咲さんに紹介してもらったんだ」
「何しろ、あのときの幸子ちゃんは放って置けなかったからね。それが今では、家の主力従業員だよ。っと…あらかた並べ終わったね」
丸テーブルの上に所狭しと並んだ、色とりどりの料理とお菓子。誰が音頭を取るかと考え、二年生の生徒会長をじっと見たが、他の皆は全員ボクのほうを見つめている。
「確かに俺は生徒会長で二年だが、この打ち上げのメンバーは綾小路の縁で集まったんだ。ただ麗華に呼び出されただけの俺よりも、余程相応しいと思うぞ」
生徒会長にそういわれてしまえば反対はできない。仕方ないがボクがやるしかないようだ。司会なんてやったことないので、緊張する。
「えっ…ええと、今回の体育祭を無事に終えたのは。みっ…皆のおかげです。ボクがリレーで足を引っ張っても、皆のおかげで…えと…あの…とにかく、これからもよろしくお願いします! かかかっ…乾杯!」
何というか、すごくグダグダになってしまったが、一応挨拶はできたと思う。皆は笑顔のまま、ところどころ噛んでしまったボクの言葉を聞き、乾杯の音頭と共に、グラスを高く掲げた。ボクはウーロン茶をチビチビと飲みながら、今のメンバーとこれからも仲良くやっていけたらいいなと、心からそう思ったのだった。