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三月 島(3)

 朝食を食べ終わって、一度部屋に戻って小休止した後にロビーに集合して、皆と一緒に本日の予定である島の裏側に移動した。

 まだ三月なので海で泳げはしないけど、まだ緑が少ないものの自然豊かな島を、皆と歩いて巡るだけでも楽しい。有名観光地らしく、細い道であろうときちんと整備されているので、お客さんも安心である。


「マル秘ノートによると、この浜辺の裏の森には、ずっと昔に放棄された社があるらしいわね。地元の島民も、何が祀られていたのか知らないみたい」


 麗華さんが自分のノートをパラパラとめくり、浜辺を歩きながら説明してくれた。そこに興味深そうな顔で葉月君が口を挟む。


「放棄された社ね。地元の心霊スポットかもな。何だか面白そうだし、行ってみようぜ」

「いやいや、女の子もいるんですよ。綾小路さん、怖いのとか大丈夫ですか?」

「えっ? ボク? …うーん」


 心霊スポットというと、お化けだろうか。ここはゲームが元になっており、今は現実世界として普通に暮らしているけど、令嬢や御曹司、お姫様、さらにはボクのような中途半端な存在もいるので、お化けぐらいいても不思議はないかもしれない。まあ今の所は一度も出会ったことはないけど。


「悪いお化けじゃなければ平気かな? 実際に見てみないと何とも言えないけど」

「綾小路さん、それはまるで、お化けがいると信じてるような発言ですわよ」


 花園さんが可哀想な子を見るような視線を送り、憐れみの声をかけてきた。そりゃあ、大抵の人は心霊現象を否定するだろうけど、別にいてもいいじゃないの。お化け。


「幸子ちゃんは純粋な子だからね。きっとこの島にいなくても、世界中の何処かには、いるかもしれないね」

「そうだな。綾小路がそう言うんだ。お化けがいるかどうか、行って確かめてみよう。麗華、案内を頼む」


 何だか美咲さんも生徒会長も、ボクのこと馬鹿にしてないかな? まあ実際に何処から何処までが前世にそった作りになっているかは、全く知らないし興味もないけど。せっかくの旅行なのだから、皆と一緒に楽しみたい…のだけど。


「迷った」


 先導する麗華さんたちの後ろを歩いて、砂浜から小道にそれて、何処となく不気味な森へと入り、それからわずか数分でボク一人だけになってしまったのだ。一本道で見失う程、皆との距離は離れてなかったはずなんだけど。これはどう考えてもおかしい。

 周囲の様子も三月ではまだ枯れ木のはずが、何故か緑の葉が生い茂っており、太陽の光を遮り、少し薄暗くなっている。


「どうしよう。携帯で連絡を入れるべきかな。それとも砂浜に引き返そうかな?」


 不安に感じながらも、もう少ししたら引き返そうと決めて、一本道をトボトボと歩くと、やがて薄暗い森ではなく、木漏れ日の差す開けた場所に出た。

 よく見れば奥に朽ち果てた社があるので、ここが葉月君の言っていた心霊スポットに間違いないだろう。

 しかし、周囲を見渡して見ても皆の姿はなかったので、やはり引き返そうかなと思ったとき、突然年若い女性の声で、誰かがボクに語りかけてきた。


「お主、ここは神域じゃぞ。一体何処から入って来たのじゃ? 島の者…では、なさそうじゃな」


 崩れた社の隣に、先程までは影も形もなかったはずが、いつの間にか一人の巫女服姿の小さな女の子が立っており、ボクをじっと観察していたのだ。

 その姿は年相応の愛らしさよりも、何処と無く大人の妖艶さを放っていた。そして髪も黒ではなく銀色で、狐の獣の耳と尻尾が目立っており、ますます人外じみている。

 とは言えボクも、御曹司や令嬢にお姫様のお友達で、おぼろげながらも元男の転生体なので、今さら狐っ子ちゃんに出会ったところで、相手に敵意がない以上、別に慌てなくてもいいかなと、自然に受け入れてしまった。思えば色々と慣れてきたものだ。


「ええと、本土からの観光です。今はこことは逆方面の、丘の上の旅館に泊まっています」


 戸惑いながらも、そう答える。彼女からは絶対に逆らうな。逆らったら殺すぞと、それとなく威圧してくるけど、普段から色々と鈍いボクは、聞かれた以上は素直に答えてしまうので、全く威圧の意味がなかった。


「はぁ…お主、怪しむことを知らぬのか? 妾は人間とは違うのじゃぞ? そんなことでは現世は行き辛かろうに」

「いえ…はい、昔は家庭環境で苦労しましたけど、今は…ううん、今もある意味では苦労しているのかな?」


 何故この場で会った初対面の狐っ子ちゃんに、自分の身の上を心配されなければいけないのだろうかという疑問は、取りあえず頭の隅に置く。

 思えば今日の朝も女の子二人がかりで強制泡プレイされて、色々と危なかったしなぁ…と、思わず口に出しながら腕を組んで唸っていると、目の前の女の子は、憐れむような視線をこちらに送ってくる。


「もうよい。それよりもじゃ。妾は訳あってこの場より離れる気はないのじゃ。そして、今は暇を持て余しておる。お主、何か面白いことを知らぬか?」

「うーん、面白いこととか言われても、…ボクはあまりそういうことは」

「そうか。それはすまなかったのう。ところでお主、先程観光…と言っておったな。どうやってこの島に来たのじゃ?」


 それからボクは、銀髪の女の子にこの島に観光に来た経緯を、かいつまんで話して聞かせる。


「なっ…何と! 現世では祭りでもないのに、そのような舞台で演劇を行っておるのか! これは面白いのう! 続きを…いや、そもそもお主はどのような人生を歩んできたのじゃ? まずお主がその年まで五体満足で生きていられたのかけど、一番の謎なのじゃが」

「いやいや、ボクの人生なんてちっとも面白くないですって」

「いいから聞かせるのじゃ! お主の口から直接な! はよう! はよう!」


 いつの間にか腰かけていた苔むした大きな岩を両手でバンバンと叩きながら、興味津々という顔でこちらを見つめてくる狐っ子ちゃんに、別にいいですけど、退屈かもしれませんよ? と最初に言い、溜息と共に口を開く。

 本当に一般人であるボクの人生は、わざわざ他人に聞かせるようなものじゃないと思うんだけど。きっと彼女は、余程人との会話に飢えているのだろう。


「ほうほう、それでお主はどうしたのじゃ? …なるほどのう。それは苦労したのう。ほほう、興味深いのう! おっお主…どれだけ酷い人生を、うっ…うぅ…歩んできたのじゃな」


 など、時々興味深そうに口を挟む彼女に、そのつど話を横に置いて、詳しく説明してあげた。

 気づけばかなりの時間が流れたような気がする。もっとも、太陽の位置はここで来たときと、殆ど変わっていないように見えたので、時間の感覚はあやふやなんだけど。


「あの、そろそろ皆が心配すると思うんで」

「おお、そうじゃのう。ここは神域ゆえ、時間の流れが現世とは少し異なるのじゃ。しかしお主との会話は、実に有意義じゃった。ここまで楽しかったのは、妾が生まれてはじめてかもしれぬな。感謝するぞ」


 社交辞令だろうけど、そこまで感謝されれば悪い気はしない。

 何やら満足気にウンウンと頷く銀髪の女の子は、そのまま一歩、二歩とこちらに近づいてくる。そして、ボクの手をギュッと握った。その瞬間、彼女の手から何かが流れ込むのを、漠然とだが感じた。


「うむ、これからは島の社ではなく、お主に憑くことに決めたぞ。そちらのほうが色々と楽しめそうだ。人の生はたったの百年足らずじゃろう。その間は妾が守護してやろう。なあに、迷惑はかけぬよ。妾の名はセンコ。主よ。今後共よろしく頼むぞ」

「は…はあ。何だか知らないけど、こちらこそよろしくお願い…します?」


 変わった人だけど、悪い感じはしなさそうなので、取りあえず頷いておく。

 しかし近くで見ると狐の耳と尻尾が明らかに目立っており、いくら必死に隠そうとしても、すぐにバレてしまいそうだ。

 それとセンコは千狐か、それとも仙狐と書くのだろうか。あと、ボクに憑いたと言うのは、どういう意味なのだろうか。


「妾の耳と尻尾は主にしか見えぬ。騒ぎにはならぬよ。それと、憑いたというのは、そのままの意味じゃな。今までは島の神として社に祀られていたため、この場から離れらなかったが、今は代々の神職が途絶えてこの荒れようじゃろ? もし気にかけてくれるのならば、主の家の庭の隅にでも、小さなお社を作ってくれれば、それでよいぞ」

「あの、センコさん…ボク、今口に出してました?」


 昨日のようにまた無意識の内に、口に出してしまったのかもしれないとビクビクしていると、彼女はクックックッと楽しそうに笑う。


「いやいや、主は何も喋ってはおらぬよ。ただ、今は妾と繋がっておるからのう。わざわざ思考を読まずとも、考えていることは大体わかるのじゃ。それ以前に主の表情を見れば、ある程度は察することが出来る。主は顔に出過ぎるのじゃよ」


 センコさんに言われ、慌てて自分のほっぺたに両手を当てて、ムニムニと押したり引っ張ったりと色々弄ってみる。うん、代わり映えしないいつものボクの普通顔のようだ。これと言って変化は感じない。

 それと他人の考えも読むことが出来るなんて、彼女ははすごい力を持ってるんだなとも思った。


「ぶっぶはぁっ!? なっ何というべきか。なかなかに仕えがいのある主のようじゃ。これは退屈しなさそうじゃな」


 ボクの顔を見た彼女は、何故が思いっきり吹き出して、視線をそらしながら必死に笑いを堪えている。笑い上戸なのかな? そこで思い出した。それよりも今は、皆と合流しなければいけないのだ。


「それでは。妾も共に行こう。どれ、まずは砂浜に出るとしようか」


 言い終わるやいなや、センコさんはボクの前を横切り、森の出口に向かってスタスタと歩いていく。またはぐれてはマズイので、彼女の後を慌てて追いかける。


「おーい! 幸子ちゃんを見つけたぞー! 知らない女の子も一緒だ!」


 センコさんと二人であっさりと森の小道から砂浜に出た瞬間、いきなり見知らぬ男の人と鉢合わせして、何故か大声をあげられてしまった。

 戸惑っているボクを横目に、次々に自分の知らない体格のいい人たちが集まっきては、大声で何かをやり取りしている。混乱は加速するばかりだ。

 いくら考えてもどうしようもないので、この中で唯一事情を知っていそうな人に助けを求める。ただしその人は、数時間前に知り合ったばかりであるが。


「神域は時間の流れが違うのじゃ。そこで主が過ごした時は短いが、現世では一日は過ぎたじゃろうな」


 瞬間、察してしまった。ボクは都市伝説等でよく聞く行方不明事件、いわゆる神隠しに遭遇したということだ。

 まさか自分が体験する側に回るとは思わなかった。つまり、この人たちは行方不明のボクを探すために集まった人たちということだろう。顔色が青くなったことに気づいたのか。集まった中の一人のおじさんが、心配そうに声をかけてくれた。


「ともかく、丸一日森に居たんだ。相当疲労していてもおかしくない。すぐにお友達と会わせてあげるよ。もう怖くないから、何も心配しなくてもいいんだよ。うん? そっちの子は別のお友達かな? ああ、その子も一緒に連れて行ってあげるから大丈夫だよ」


 恐怖を与えないようにしゃがんで、同じ目線で丁寧に説明してくれた。名前は知らないけど、とてもいい人のようだ。あまりの予想外の事態に遭遇したため、声は出ないものの、弱々しいけと一度だけコクリと頷く。

 やがて車が到着したのか、人垣が自然に二つに割れる。いつの間にかバスタオルをかけられていたボクとセンコさんは車に乗せられ、そのまま泊まっていた旅館へと向かう。

 しばらくは呆然としたまま何も喋れなかったけど、移動している間に段々と落ち着いてきた。

 やがて隣の座席に座っているセンコさんが、小声ですまなさそうに話しかけてきた。


「あまり気に病まぬことじゃ。今回の件は人の身では避けようのない事態じゃった。妾が引き止めさえせねば、もう少し早く戻れたかもしれなかったのじゃが…すまぬことをした」

「ううん、センコさんが一緒じゃないと外に出られずに、ずっと迷ったままだったよ。今なら何となくわかるんだ。だから、ボクを助けてくれてありがとう」


 まだ足が震えてはいるものの、精一杯の笑顔を浮かべてセンコさんに正直にお礼を伝える。


「あっ主は…何処まで人がいいのじゃ…! 妾は、妾は…っ! 主を守るぞ! 何があってもじゃ! なに、たとえ万の軍勢が攻めて来ようとも、妾の力さえあれば蹴散らすのは一瞬じゃ!」

「あっ…いや、別にそういった力は必要ないかな」


 せっかくやる気になっていたのに、水をさしてしまった。センコさんの狐耳と尻尾がペタンと上から下へ落ちる。

 でも本当にボクのいるこの世界はとても平和で、そういった剣と魔法の戦いとは全くの無縁なのだ。何よりボクは、小市民として細々と生きたいのだ。世界征服するのも、皆の頂点に立つのも絶対に嫌だった。


「むう、妾としてはいつ声をかけてくれても構わぬぞ。しかし、無理強いはせぬ。主はそのような自然体が、一番魅力的じゃからな。それより、友の待つ旅館に着いたようじゃぞ」


 気づけばボクたちを乗せた車がゆっくりと停まり、横の扉が外から開けられる。そして見覚えのある友達の顔が覗いた。たった数時間会えなかっただけなのに、何だかすごく懐かしく感じた。緊張しながらもカラカラの喉の奥から、何とか一言だけ絞り出す。


「たっ…た、ただいま!」

「「「「おかえり!」」」」


 ボクと皆は、再会を喜び合うようにしっかりと抱き合い、人目もはばからずにワンワンと大声で泣いた。ボクが涙もろいのもあるけれど、たった数時間で会えなかっただけでこうなのだ。

 皆は丸一日探し回っているため、その不安はどれ程のものだったことか。


「つまり、私が幸子ちゃんに構うのも仕方ないことなのよ!」


 車を降りてから、ずっと抱きついたままの麗華さんが、苦しい言い訳をする。

 本当は今日中に自宅に帰るため、この際旅館の売店でもいいので、ご近所に配るお土産を捜したいんだけど、現在状態では移動速度が大幅に低下するため、とても無理そうである。


「母様を独り占めは、よくないと思います」

「幸子お姉ちゃんは疲れてるから、無理強いは駄目」


 麗華さんのバリアに守られているため、エリザちゃんと瑠璃ちゃんは周囲をウロウロしながら、抱きつく機会を伺っている。しかし残念ながら、今の彼女は全力を尽くしているため、何処にも隙がない。


「麗華ちゃんと幸子ちゃんは、入学初日からの大親友だからね。それだけ寂しかったってことだよ」

「それなら、美咲さんもそうだよ。あっ…そうだ。ボクはこんな状態で動けそうにないから、ご近所に配るお土産、適当に頼んでもいいかな?」


 本当に友達に頼むのは心苦しいんだけど。美咲さんは気にしなくてもいいと、配る人数と予算のリストを受け取ると、心よく引き受けてくれた。持つべきものは友である。


「わたくしとも、入学初日以来の縁ですのに、この差は一体」


 悔しそうにハンカチを噛んでいる花園さんと、付き合ってられないとばかりに肩をすくめる生徒会長が対照的だった。


「何はともあれ、無事でよかったぜ。もし幸子ちゃんに何かあれば…俺は」

「僕も、自分が許せなくなるだろうね。危険な目に遭わせたという意味では、今でも許せるかは微妙なんですが」


 別の意味で悔しそうにしている二人だけど、今回は偶然の事故のようなものなので、避けようがなかったのだ。島の人たちにも後でお詫びをしておかないとなと考えていると、先程知り合ったばかりの女の子から、妙に大人びた声が聞こえてきた。


「主は妾を救うために森の中に丸一日留まったため、帰りが遅くなったのじゃ。責任を取れというならば、妾一人が責を負うべきじゃろう。皆のもの、この通りじゃ。本当にすまぬことをした」


 身元確認や事件の顛末は、どのようなことを話したのかはわからない。でも皆は、いつの間にか彼女を受け入れていたし、事件のことも何も聞かれていない。

 これもセンコさんの力のおかげなのかな? しかし今、心の底から申し訳ないと思い、頭を下げて謝っているのは、彼女の素直な気持ちなのだろう。


「ええと、本当にごめんね。事情があったとはいえ、皆に黙っていたボクも、…謝るよ」


 続いて麗華さんに抱きつかれながらも、ボクも頭を下げる。あの時あった神隠しを説明するわけにはいかないので仕方ない。絶対に頭がおかしい人と受け取られるのは確実だろう。


「二人もこう言ってることだし、皆も自分を責めるのは、そこまでにしておきなさい。これ以上は、幸子ちゃんに嫌われるわよ」


 別に心配してくれた皆のことを嫌いはしないのだけど、この場は麗華さんに任せることにする。


「協力してくれた島民や、護衛や外から呼び寄せた人たちについても、あとで月のグループから色々とお礼をしておくから。何だかんだと理由をつけて要請に応じなかった人のほうが、悔しがることは間違いないでしょうね」


 麗華さんが、だから幸子ちゃんは心配しなくてもいいし、気に病まないようにね。これ以上謝らなくてもいいのよ…と、やんわりと諭してくれた。


「ともかく、もうしばらくしたら旅館から撤収。本土に帰るから皆そのつもりでね。あっ、幸子ちゃんの荷物は既に、全部まとめて積み込んであるから、忘れ物の心配いらないわよ」


 やっぱり麗華さんは頼りになる。今の言葉でそうか、ボク…家に帰れるんだと実感が湧いて気が緩んだのか、全身の力が一気に抜け、足下がふらついてしまう。


「幸子ちゃんはゆっくり休みなさい。私たちがちゃんと、家まで送り返してあげるから」


 ボクはコクリと頷くと、目の前の彼女に体を預ける。この旅行は短い間に色んなことがあり過ぎて、少しだけ疲れてしまったのかもしれない。そんなことを考えていると、だんだんと眠気が強くなり、やがて目の前に完全な闇が広がった。

 しかし、ここには皆がいるおかげか、恐怖や喪失感とは無縁のまま、安心して眠ることが出来たのだった。











「んっ…知ってる天井だ」


 冬の終わりの朝日を浴びて、ボクは自然を目を覚ました。ぼんやりとした頭で思い出すのは、旅行の出来事で、本当に色んなことがあったものだ。

 そして、お腹の虫が空腹を訴えていることに気づいた。

 そう言えば二日目の旅館で朝食を食べてからずっと、食事を取ってなかったことを思い出してしまう。


「取りあえず、何かご飯食べよう」


 気づかぬ間にパジャマに着替えているのは、きっと家政婦の加藤さんが着せてくれたのだろう。モゾモゾと布団から這い出してそのまま部屋を出て、まだ冬の寒さを残っている廊下を歩き、一階の台所へと向かう。

 まだ早朝だというのに、台所には明かりがついており、美味しそうな匂いも漂ってきていた。


「加藤さん、おはようございます。何か食べる物…を?」


 無造作に奥の様子を伺うボクは、予想外の光景に目を奪われたために、途中で言葉が途切れてしまった。


「おお主、起きたか。家政婦の加藤なら、今はおらぬぞ。と言うか、目が覚めたら話さねばならぬことがあるゆえ、少し席を外してもらっておる。それよりもじゃ、もうすぐ朝餉の時間じゃ、座って待つとよいぞ」


 楽しそうに鼻歌を歌いながら、味噌汁の味見をしたり鮭の切り身を焼いたりしている割烹着姿の銀髪少女には、あろうことか狐の耳と尻尾が生えていた。

 聞き覚えのある声から、センコさんに違いないだろうけど、何故家にいるのか。まさか、本当に付いて…いや、憑いて来たのだろうか。


「調理器具の使い方は加藤に教わったが、いやはや、技術の進歩は早いのう。…っと、そろそろ出来るぞ」


 まだぼんやりとしていたボクは、センコさんの言葉に我に返り、取りあえず居間のちゃぶ台の上を簡単に片付けて、適当な座布団に腰かける。


「今の所は和食しか作れぬが、洋食も勉強したいのう。ところで主、何か食べられぬ物や、嫌いな物はあるか?」


 ほうれん草のおひたしと焼き鮭、冷奴と目玉焼きとお味噌汁を運びながら、センコさんは、そう尋ねてくる。ボクには好き嫌いはないというか、そんな贅沢をしていては生きていけなかったので、ブンブンと首を振って答える。


「それはよかった。ご飯の盛りは並でよいか? ほれ、主は空腹であろう? 妾の話しは食べながらで構わぬぞ」

「うっ…うん、いただきます」


手を合わせて、まずは味噌汁に口をつける。特に目新しいものはない豆腐と刻みネギとワカメのお味噌汁だ。普通に美味しくて、何処か昔を思い出すようで懐かしい味がする。

 他の料理も優しい味で、母さんの味ってこういうものなのだろうかと、箸でつまみながら、そのようなことを考える。

 しばらくの間夢中で朝食を食べ、やがてお腹も落ち着き、食事の途中で入れてもらった緑茶に手を伸ばすと、センコさんが話しかけてくる。


「見たところ口に合ったようで何よりじゃな。主も気になっておることじゃが、今日から妾はこの家に住むことになった。表向きは家政婦の加藤と同じ扱いじゃし、同居人が一人増えただけじゃ。そこまで気にすることもあるまい」


 ボクとは違うもう一つの湯呑に、自分の分の緑茶を注ぎながら、センコさんは話しを続ける。


「主は人外の存在など気にせぬようじゃしな。妾はそこが気に入って、引っ越して来たのじゃ。あのまま島に留まったところで、緩やかに朽ちてゆくだけじゃろうしな」


 自分の入れたお茶を旨そうに飲み、溜息と同時に重い話題もはふーと吐きながら、センコさんはボクの食べ終わった食器を、一枚ずつ丁寧に重ねていく。


「主の日常には極力干渉はせぬつもりじゃ。しかし、何らかの危険が迫ったときにはいくら止めようとも手を出すから、そのつもりでな。…主を守ると言ったじゃろう?」


 楽しそうに話し続けるセンコさんだけど、見た目の子供と同じではなく、やけに大人びた雰囲気で妖艶に微笑みかけたように見えて、近くで眺めていたボクは、思わずドキリとしてしまった。


「ああそうじゃった。庭の片隅に狐のお社を建てさせてもらうために、主の許可を取らねばのう。それと、現世の生活費に関してはあてがあるから、心配はいらぬ」


 センコさんは全ての食器を洗い場に運び終わり、蛇口をひねるとジャーという水の流れる音が聞こえた。

 彼女のことをボクが心配する必要はないだろう。と言うか、こちらが出来ることは何もない。その気になれば全ての問題を、彼女一人で解決出来てしまいそうなのだから。


「えっと、お社ってどうすればいいの? ボクも何か手伝ったほうがいいの?」


 日曜大工で建てられるものなのだろうか。それと、別にボクに建てるための許可を取る必要はない気がするんだけど。


「ああ、すまぬ。許可というのはその土地を清め、安全に統治するために、妾の唱える神詞を後に続けて、一緒に唱えることじゃ。契約…つまり主が正式に許可したという、証明になるのじゃ」


 洗い終わって、再びちゃぶ台の前まで来たセンコさんは、こちらに手を差し伸べてくる。


「実はもう、狐のお社は建てた後なのじゃ。あとは主の神詞で終わりじゃし、手伝ってもらえるのかのう?」


 軽く頷いて、差し伸べられたセンコさんの手を取る。迷子のボクを助けてもらった恩がこの程度で返せるとは思わないけど、それに美味しい朝食の貸しまでついてしまった。

 これからの彼女との同居生活は、ボクの借りだけが雪だるまのように増えていきそうで怖い。


「クックックッ…本当に人がよいのう。迷惑をかけておるのは妾のほうじゃ。逆に主には、助けられてばかりじゃよ。こんなに隙だらけでは、いつか骨の髄までしゃぶり尽くされてしまうぞ」


 手を取ったセンコさんけど、ぐいっと力強く手繰り寄せる。勢いよく立ち上がったため、不安定な姿勢でふらついて引き寄せられるままに、小さな彼女に体を預けてしまう。


「はぁ…主は無防備過ぎて危険極まりないのう。友の者たちも、そのことに気づいておるから、常に誰かしらの護衛をつけておるのじゃろう」


 センコさんはボクと同じ用な未成熟な小さな体でも、もたれかかった程度ではビクともしなかった。それどころから両手を腰に回して優しく抱きしめ、こちらの喉元を小さな舌でペロリと一舐めしてきた。


「ひうっ!? なっ何するの!?」

「今はこれぐらいで満足しておくかのう。妾にとっては、人の一生などあっという間じゃ。もし主が天寿を全うしたら、その後の面倒は、妾が永遠に見てやるからのう。安心して生涯を過ごすとよいぞ」


 天寿を全うとは、まだ二十歳前なのに今から老後の心配とか気が早すぎる。あと、死後の世界は全く想像がつかない。天国とか地獄とかあるのだろうか。

 それとも宗派によって行き先が違うのだろうか。どちらにせよ、今のボクには関係があるとは思えなかったし、きっと死後の就職の面倒を見てくれるようなものだろうと考え、お言葉に甘えることにした。


 その後は庭の片隅に目立たないようにひっそりと建てられた、小さな狐のお社に案内され、後ろを付いて歩いている途中で、センコさんが、ここまで無防備だとは思わなかったぞ。主が現世に留まる間、妾の理性は保つのか? いや、何としても耐えるのじゃ! と、何かに思い悩むように両手で狐耳を押さえて、辛そうに呟いていたのが印象に残った。

 庭の片隅に建てられた小さなお社には、ミニチュアサイズの狐の石像が左右対称に飾ってあった。その前に二人で立つと、意味はわからなかったけど、センコさんに続いて台詞を噛まないように真剣で神詞を唱え、途中で危ない場面が何度かあったものの、何とか無事に唱える終わることが出来た。

 こうして紆余曲折はあったものの、綾小路家に一人(?)の同居人が、増えることになったのだった。

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