三月 島(1)
高等部の一年が終わり、二年目がはじまる前の春休みの三月末日。ボクはストレスで胃をやられながらも辛うじて勝ち取った豪華旅行券を使った、南の島の旅行を計画していた。
なお、一万人の観客の前での即興の演技勝負が終わってからは、どうやって帰宅したのかはまるで覚えておらず、その後一週間は毎日のようにイベント会場で失敗する夢でうなされるひどい有様だった。最近ではようやく悪夢を見ることも少なくなくなってきたので、今回の旅行によって、綺麗さっぱり洗い流してしまいたいところだ。
宿泊定員は二名のため、かなり迷ったけどボクの中ではお互いに一番身近な友だち(と思っている)の、美咲さんを誘った。
彼女も乗り気で、一緒に当日までの学園生活中に月末の旅行楽しみだねと、和気あいあいと二泊三日の旅行計画を練っていた。
だがしかし、今回誘われなかった他のメンバー、麗華さんと花園さんは元より、葉月君と神無月君、そして何故か生徒会長まで、この世の終わりを垣間見たような、何ともいい難い絶望の表情をしていた。
しかしそれも一時的なもので、すぐに各家の月の権力を使い、ボクの計画している旅行と同じ旅館と同じ期間、既に他の人が予約済みであった部屋に、お馴染みの学園メンバーを強引にねじ込んだ。
そこに何故か某国の王女エリザちゃんと、あのイベント以降、アドレスを交換して欲しいと頼まれ、それなりに仲良くなった瑠璃ちゃんも、当日旅館で偶然合流する予定ですとのこと。
偶然合流する予定とか立てられましても…その、言葉の意味的にも立場的にも困るんですけど。
さらには旅行当日に、要人警護の点から不安が残るということで、宿泊予定の旅館だけでなく、旅行先の南の島の全てを、ボクたちが出発する何日も前から貸し切って、入念にチェックするらしい。
そのために全ての客と従業員を札束で殴って、無理やり言うことを聞かせたのだった。
しかし、叩かれた人は皆喜んでたらしいので、これでいいのだ。いや…本当にいいのだろうか? と言うか力技過ぎて明らかにおかしいけど。
最近になって耐性がついたのか、この程度ではそうそう驚かなくなってきたのは、嬉しいやら悲しいやらで、どうにも複雑な気分だ。
「どうやらこの先に、小さな船着き場があって、島への船が出ているらしいわね」
保護者として同行は当然とばかりに、余所行きのお洒落な服で着飾った麗華さんがボクの少し前を歩く。計画を練った次の日には既に入手していたという今回の旅行パンフレットを開いたまま、楽しそうに会話している。既にいつものメンバー+新人二名も合流済みである。
何故かボクを中心にして円陣を組み、美男美女の皆が周囲を固める、隙のない布陣になってしまい、まるで自身がとんでもない重要人物かのように錯覚してしまう。
はっきり言ってすごく落ち着かない。さらには新人二名に、右手と左手をガッチリ繋がれており、なかなかに歩きにくい。
しかしそれだけならまだ、楽しい旅行の集団行動で済ませることも出来なくもない。
一般常識にトドメを刺さんばかりに、周囲を警戒する大勢のガードマンが目立たぬように、一般人のフリをしたり物陰に隠れてはいるものの、尋常ではない数のために存在感が半端ではない。
地元の人はボクたちが近づくたびに、一体何ごとかと好奇の視線で追いかけ、その中心にいる人物、すなわちボクに否が応でも注目が集まってしまう。もう恥ずかし過ぎて穴があったら入りたいぐらいだ。
「幸子ちゃん、これ明らかに私たち見られてる? 見られてない?」
ボクと同じ庶民で心の友の美咲さんが、落ち着かずに周囲をキョロキョロと見回しながら、小声で話しかけてくる。
他のメンバーは人の視線を集めることに慣れているのか、全く動じていない。
前回の夏のお忍び旅行ではプライベートビーチということで、安全管理が楽だったために少人数でも済んだけど、今回は二人増えて、しかもそのうちの一人は外国のお姫様だ。
しかもボク自身も如月の養子ということで、重要人部に格上げされたうえに、宿泊は有名旅館と、さらに一般に広く知られている観光地だということで、ボディーガードの人数を増やさざるを得なかったらしい。
「うん、そうだね。美咲さん、この状況に早く慣れれば慣れる程、楽になれるとはわかってるけど、こんなの一生慣れたくないよ。大体ボクのような地味系小娘を見るより、周囲の綺麗どころを見たほうけど、断然お得なはずなのにね」
美咲さんもボクと同じ庶民のはずだけど、その暖かな笑顔で周囲の人たちの心を癒やす、マイナスイオン系女子だ。他のメンバーとは方向性が違うけど、ボクよりも遥かに美少女レベルが高いのである。
「はぁ…それなのに何で皆、そこまで注目するんだろう? ボクにそんな魅力があるとは、とても思えないんだけど」
「あら、綾小路さん悩みですの? 何ならわたくしが答えてあげても、いいですわよ?」
明らかに何か言いたそうなソワソワしている花園さんに、慌てて首を振ってお断りする。
彼女に解答を頼めば、きっと一時間や二時間ではとても終わらず、こちらから止めない限り、延々とボクの魅力について、誤った情報を喋り続けることになるだろう。
「おっ、アレじゃねえの? どうやら、もう定期船が来てるようだな」
先頭を歩いている葉月君が停泊している船に気づき、それとなく指差す。船は一階だけでなく、二階にも上がれるようで、百人ぐらいで乗れそうな大きさだった。よく見ると船の先の海の向こうに、うっすらとだけど目的地らしき島も確認出来る。
やがて皆が船着き場に到着し、係の人はいるものの、乗船切符を見せずに、素通りして定期船に乗り込んでいく。
ええ? ここは切符や旅行券を見せるなり、お金を払うなりの乗船手続きを行ってから、船に乗る場面では?
ボクと美咲さんは本当にこのまま通っていいのか迷い、係の人の前で棒立ちしていると、既に定期船に乗り込んだ生徒会長が、船の中から説明してくれた。
「月の重要人物と護衛の者たちの兼ね合いもある以上、定期船も一時的だが借り切らせてもらった。なのでこの旅行中に限り、綾小路が旅行券を使うことは一切ない。今この場で紛失したとしても、旅行は最後まで楽しめるから、安心していいぞ」
それは本当に安心していいのだろうか。ボクが頑張って勝ち取った豪華賞品の旅行券が、全くの無価値になった瞬間であった。
もっとも、成り行き上、隣にくっついたまま離れない、瑠璃ちゃんと勝負しただけなので、別に旅行券が欲しいから頑張ったわけではない。
だったら別にいいかなと、何かを諦めたように思考していると、隣の少女を見ていることに気づいたのか、見られている片方は嬉しそうに、逆側のもう片方は若干不満気に話しかけてきた。
「アタシ、家族以外のお友達との旅行ははじめてなの! だからお姉ちゃん! いっぱい遊ぼうね!」
「もう! 一人だけズルいです! 母様! 私も構ってください!」
その言葉で瑠璃ちゃんとエリザちゃんの拘束がいっそう強まる。歩くことは元より、もはやまともに立つことすら困難になってしまう。
そして何故か二人は、周囲に信用出来る人物のみの場合、お姉ちゃん、そして母様と別の意味で呼び捨てるまで、態度が砕けてしまっていた。
どうしてこんなことになったのか。まるである日、急に妹と娘が何処からともなく生えてきたようである。お姉ちゃんや母様と呼ばれるたびに、ボクの男としてのちっぽけなプライドが、ガリガリと音を立てて削られていくのがわかる。
しかし、すがるように見つめてくる二人の少女には勝てないので、取りあえず逃げないからと説得して、掴んだ手を離してもらい、両方の頭をヨシヨシと優しく撫でてあげる。
幸せそうな瑠璃ちゃんとエリザちゃん、そして周囲のメンバーや護衛さん、さらには乗り場の係の人や地元の住人たちからの、ボクたち三人組を見る微笑ましい視線がとても痛い…けど、気にしないことにする。
もはや何度目かは不明の、羞恥心との戦いである。
「綾小路さん、定期船に乗る時、足場に気をつけてね」
一時的に二人を撫でるために拘束を解除してもらったボクの手を、今度は神無月君が握り、紳士的に船に乗せてくれた。ありがとうと答えると、彼はどういたしましてと返し、いつも通りの爽やかな笑顔を向けてくれた。
かなり近い距離での不意打ちだったので、ドキリとして少しだけ顔が赤くなってしまうけど、すぐに呼吸を整えて平静を装うため、適当な質問をする。
「とっ…ところで、島まではどのぐらいで着くのかな?」
「そうだな。もう遠目でも見えてるし、動き出せば三十分もかからないんじゃないか?」
ボクの質問には先に乗っていた葉月君が答えてくれた。そしてドギマギしていた間に、護衛の人も全員が乗り込み、船内放送で簡単な説明が流れた後、定期船は出発した。
国内の南の島とはいえ、まだ三月のため気温は低い。冷たい海風と波しぶきを受けながら、定期船は快調に島へ向かって行く。実際にボクたちが波に揺られていた時間は、葉月君の予想通りだった。短時間のためか、船酔いで調子を崩す人が出なかったのは幸いだった。
「それでは、お忘れ物と足下にお気をつけて、お降りください」
定期船の乗組員さんが定番の放送を流し、ボクたちは南の島へと降り立った。島は全体に傾斜が緩やかな山のような形になっており、水深が深めの船着き場の方は、平野のような開けた土地で、民家やその他重要な施設が集まっており、島の奥に行く程、自然のままの砂浜と浅く青い海、そして緑の山並みがそのまま残っているらしい。
「と言うことで幸子ちゃん。今日のところは、早めに旅館にチェックインするのがいいと思うわ」
全て麗華さんの情報である。この日のために下調べはバッチリとのことだ。パンフレットだけではなく、彼女は手書きのノートまで持参していた。タイトルは、幸子ちゃんとのワクワク南の島旅行、マル秘情報! とデカデカと記されていた。
一体何処から入手したのか、ネットはおろか、地元の島民でさえ知らないであろう謎情報と、ページの隅に女の子の可愛らしい文字とデフォルメされたボクの人物画まで、しっかりと書き込まれている。
内容は半分も理解出来なかったけど、たった数ページ目を通しただけで、このノートが表沙汰になったら、とてもマズイものだということはわかった。自分の秘密のノートを幸子ちゃんだけ特別よと、嬉しそう見せてくれた麗華さんに、ボクは曖昧な笑顔を浮かべ、速やかにページを閉じてそっと返したのだった。
船着き場の前に待機していた送迎バスに乗り込んだボクたちは、そのまま山沿いに立ち並ぶ民家を抜けて、細い坂道を登り、やがて見晴らしのいい高台に建つ、立派な木造の旅館の前にゆっくりと停車し、続いて出入り口のドアが開く。
「ほらほら、幸子ちゃん、皆の荷物は私たちの護衛…ではなくて、旅館の従業員に任せて降りるわよ」
やけに行動力のある麗華さんの指示に従い、ボクたちは送迎バスから降りて、旅館の中へと移動する。バスを護送していた護衛さんたちの、何処か慣れたような諦めたような複雑な表情を見てしまい、よろしくお願いします! と、深々と頭を下げておいた。
ボクに出来ることはこれぐらいしかないけど、庶民派の自分の心労を和らげるためにやらないという選択肢はない。
「「「「はい! 喜んで!」」」」
さっきまでは仕方なく麗華さんの頼みを引き受けていた護衛の人たちだけど、まるで何処かの居酒屋のような掛け声をあげて送迎バスに殺到し、積まれた荷物を奪い合っていた。
もしかして、これボクのせいじゃないよね?
天上人であるボクと美咲さん以外のメンバーは、一足先に旅館の入り口をくぐっており、態度の変化に戸惑っていた庶民はコンビ二人も、それに気づいて慌てて後を追って建物の中に入ると、玄関ホールには和服を着た旅館の従業員さんたちが、横一列に並んで出迎えて準備を整えており、ボクたちが全員揃ったことを確認後、深々と頭を下げたのだった。
「「「「ようこそいらっしゃいました! 我々旅館の従業員一同! 皆様方のお越しを、心より歓迎致します! 滞在期間中はどうぞ私たちの旅館で、ごゆるりとおくつろぎください!」」」」
護衛さんたちに引き続き、旅館の人たちにも熱烈歓迎をされてしまった。思えば正月三が日に如月家にお邪魔したときにも、同じようなことがあった気がする。
ボクはあまりの歓迎っぷりにタジタジになり、ただただ成り行きを見守っていると、旅館や護衛の人たちだけでなく、学園の友達や新人二人の視線がこちらに集中していることに気づいた。
どういうことなのか考えが及ばないボクは、とっさにすがるように麗華さんを見つめる。
「確かに私たちは月の力を色々と使ったけど、賞品である南の島の旅行券が元になっているの。そしてこの場ではいくらフリーパスでも、相手側が最低限の筋を通したいと言ってきてるの。なら、チケットを手に入れた本人、つまり代表者である幸子ちゃんが先頭に立つのが、こちらの筋というものでしょう?」
…と、麗華さんは言うけど、ボクよりも遥かに偉くて才能あふれる美男美女が揃っているなかで、いくら元の企画を立てたとはいえ、平凡ツルペタ少女のボクなんかが出しゃばっていいものか。
しかしそうでなければこの場が収まらないというなら仕方がない。すごく居たたまれない気持ちだけどやるしかない。
「ボクが今回のメンバーの代表、綾小路幸子です。従業員の皆さんの暖かな歓迎、本当にありがとうございます。こちらこそ宿泊中、お世話をおかけすることになるかもしれません。そのときは、どうぞよろしくお願いします!」
そう喋り終わると、列の先頭に立つ主人と奥さんに向かって深々と礼をする。これでボクの役目は終わりだ。後は野となれ山となれ。実際は他のメンバーのほうがトラブル処理能力はボクよりも圧倒的に高いのだ。何か問題が起きたらそのつど相談して矢面に立ってもらえばいいだろう。
「あらあらまあまあ! テレビで拝見しましたけど、なんて可愛らしくて聡明そうな女の子でしょう! 主人もそう思うわよね!」
「そうだな。うちにも子供がいるけど、今は島の外に出稼ぎに行っているんだ。天使のように愛らしい幸子ちゃんがこの旅館を継いでくれれば、将来安泰なんだがな」
二人はお客をそっちのけで和気あいあいと話している、そして周囲の従業員はそれを止めるどころか、部下に欲しいや上司に欲しいだけではなく、マスコットにして癒やされたい! と言い出して、それに同調する人も現れ出したのでもうどうしようもない。
どうにも対応に困ったので、今度は生徒会長に助けを求める視線を向けると、彼はコホンとわざとらしく大きく咳払いをして切り出した。
「旅館の従業員が、客を放ったらかしにするのはどうなんだ? 今は早く部屋に案内して休ませてくれ。まあ、綾小路が天使なのは認めるがな。綾小路が天使なのは認めるがな」
その言葉を聞き、主人と女将の二人が素早く謝罪すると、周囲の従業員たちにも慌てて指示を出して、客室の案内のために数人を振り分ける。
しかし、ボクが天使なのは大きな間違いなのに、そんな誤情報を二回も言う必要はあったのだろうか。
「こちらがご旅行の間の、お客様のお部屋となります。食堂や各施設の場所と、朝食と夕食、そして入浴時間については…」
ボクたちは客室に案内されたあとに、旅館の人にその場で色々と説明を受ける。何か困ったことがあったら各部屋に置いてある内線があるので、それで直接聞いて欲しいとのことだ。
何故かボクが夜眠れなかったり、退屈を紛らわすための話し相手が欲しいときでも、いつでも電話して欲しいと言われたので、引き気味になりつつも、困った時には連絡させてもらいますねと、遠回しながらも、やんわりとお断りさせてもらった。
「さて、綾小路さん。これからどうしますの? まだ夕食までは時間がありますけど」
ボクと同室である花園さんが、楽しくて仕方がないのか、ウキウキとした笑顔で話しかけてきた。
ちなみに他の女性メンバーも全員が同じ大部屋に宿泊し、男性メンバーも別の大部屋にまとまっている。月の方々やエリザちゃんの力を使えば、全員分の個室を取るのは簡単なのにだ。
「あの…どうしてボクに? 別にここからは夕食まで、各自の自由時間でもいいんじゃないの?」
大部屋の窓際に座って我関せずと海を眺めている美咲さんと、窓からの景色と自前のマル秘ノートのマップを照らし合わせている麗華さん、ちゃぶ台の近くの座布団に座っている花園さん。
そして相変わらずの新人二人にベッタリと密着されている状態で、同じく座布団に座り、ちゃぶ台の上のお茶菓子であるどら焼きに、何とか手を伸ばそうと頑張っているボクである。
それを見かねたのか、エリザちゃんと瑠璃ちゃんが順番に口を開く。
「母様、お茶菓子が食べたいの? どれが欲しいの? 取ってあげる」
「お茶菓子だけだと口が渇くし、アタシも緑茶を入れてあげるね」
まだまだ肌寒い季節だけど、ここは南の島だから比較的暖かいし、部屋にはエアコンも効いている。年下二人組にも湯たんぽ役は必要ないので、そろそろ離れて欲しい。
最初は如月家で合流予定、それが学園で合流予定、さらにボクの地元の駅前で合流予定、そして最後にはボクの自宅で合流予定と、少しずつ近場へ近場へと集まる場所が変更になり、挙句の果てに現地で偶然合流する予定のエリザちゃんと瑠璃ちゃんも、何故か朝方に自宅の玄関を出た直後に今のようにガッチリと捕獲されて以来、夕方前に旅館に着いても、相変わらずの密着状態なのだ。
「はい、母様…あーんして! あーん!」
「緑茶を入れたけど、少し熱いからフーフーしてあげるね。お姉ちゃん」
お茶請けの旅館のどら焼きと緑茶を、片手に持った年下の少女たちに、甲斐甲斐しく介護されるボクの図である。
「綾小路さんを可愛がるのは、わたくしの役目だったはずですのに…。いつの間にこんなにライバルが増えましたの?」
さっきまでこれからどうするのかと聞いていた花園さんが、呆然としたまま介護されるボクを眺めていた。このままでは身動きが取れないまま夜まで時間が過ぎそうなので、強引にでもこちらから話題を振ることにする。
「夕飯まであと数時間あるし、少し近くを散歩するつもりだよ。ボク、南の島に来るのははじめてだしね」
「あっ、幸子ちゃん外出るの? じゃあ私も行くー!」
窓際で何となく海を眺めていた美咲さんが、いの一番に手を上げて同行を申し出る。
散歩に付いてくるのは構わないので軽く頷くと、年下の二人に離れてもらい、外出する前に護衛さんが運んでくれた荷物を確認しつつ、殆ど持ってないけど貴重品を客室の金庫に入れる。これで大体の準備は終わった。
そして大部屋に残る人に、留守番のために鍵を渡そうと辺りを見回すと、皆はもう既に、入り口の扉の前に集合していた。
「それじゃボクと美咲さんは散歩に行くから鍵を…って、あれ? 皆も何処か行くの? んー…じゃあ鍵はボクが持ってるから、部屋に戻るときは電話で呼び出してね」
オートロックがかかっていることを、ドアノブを回して確認し、女性陣全員で旅館のロビーに向かって、のんびりと歩いていく。
「おっ、幸子ちゃん外に行くのか? 俺も暇だし、一緒に行かせてもらっていいか?」
ロビーに向かう途中で、旅館内の土産物コーナーを冷やかし半分に覗いていた葉月君がこちらに気づき、声をかけてきた。同行したいとのことだけど、拒否する理由もなかったので了承する。
男女七人でフロントに行き、しばらく近所を散歩して来ることを伝えると、係の人がこちらが島の観光パンフレットです。よろしけばどうぞ。と勧められたので、ありがたく使わせてもらうことにする。
そのままお礼を言って部屋の鍵を預けてから、旅館の外へ出る。
時刻は午後四時を過ぎたぐらいで、太陽の光に若干陰りが見えはじめていた。何処へ行くかは考えていなかったので、取りあえず海を見に行くために、民家の合間を縫うように通る、傾斜のなだらかな下り坂を、皆で喋りながら、のんびりと歩いて行く。
「そう言えば葉月君は、他の二人に伝えなくてもよかったの?」
「ん? ああ、二人は部屋にいたけど、何かあればいつでも連絡取れるから問題ないだろ。そもそも、そんな遠くに行くわけでもないしな」
先頭を歩きながら、こちらを見ずに答えを返す葉月君。それよりも気になったので背後を見ると、やはり行きよりも少ないけど、何人かのボディガードが目立たないように付いてきている。
図らずともお嬢様になってしまった以上、始終護衛が付くのは諦めるしかないのかもしれない。
思えば自分から悪役令嬢になろうとしていた頃が、随分と昔に思えてくる。何度も麗華さんに挑戦してはいるものの、今だに一度も勝てたことがない。
もはや勝負というか、ゲーム感覚になっている気がする。せめて寿命を迎える前に、一度ぐらいは勝ちたいものだ。
「母様、アレは何ですか?」
「お姉ちゃん、あっちに珍しいモノがあるよ」
今も二人に手を引かれてるのだけど、ボクも含めて、このメンバーの中では体格は下から数えたほうが早い三人組だ。そんなお供二人が、あちこちに興味津々という感じに、別々の方向に引張るのだ。
「痛い痛い! 二人共! 裂ける! 裂けちゃう!」
いくら年齢的には数年のアドバンテージがあるとはいえ、体格的には互角…いや、最近肉付きがよくなってきたとはいえ、胸のボリュームは二人に圧倒的に負けている。
ともかく、子供の全力全開に振り回れるボクは、誰彼構わず必死に助けを求める。
「あははっ、三人共仲がいいよねー」
「そうね。出会いは衝撃的だったけど、今は本当の母子のように見えるわ」
「はぁ…わたくしとしては、綾小路さんにお姉さんとして見てもらいたいのですけど、遠くから見守るのも姉の役目ですし、仕方ありませんわね」
「幸子ちゃんは相変わらずモテモテで、羨ましいな」
駄目だった。助けを求めた近くの皆は全滅である。次に護衛さんや周辺住民の方々のほうに顔を向けると、この島に来るときに見かけたように、微笑ましく見られているだけで、助けてくれる気配は全くない。ボクは見世物じゃないから! 誰か助けて!
そのまま何故かあちこちのお店だけでなく、そこら中の民家にまで、貴女、あの幸子ちゃんでしょう? 本当に来てくれたのね! ちょっと寄っていかない? 等と、行くところ全てに大歓迎で迎えられ、島の色んな話や、地元では珍しい品々を色々と見せてもらい、気づけば旅館から百メートルも歩くことなく、辺りが薄暗がりになってしまっていた。
地域住民の人たちが、今夜は腕によりをかけてご馳走を作るから、泊まっていきなさいよ。もちろんお代はいらないよ! と声をかけてくれたけど、旅館で宿泊と夕食があるので、丁寧にお断りさせてもらった。
というか、何でボクのことを知っているのだろうか。声をかけるのなら、他の御曹司や令嬢、王女様もいるはずなのに。そもそも、あの幸子ちゃんとはどの幸子ちゃんなのだろうか?
しかも食事や宿泊も勧められるとは、本当にわけがわからない。結局海まで辿り着けなかったので、明日こそは島を観光したいなと思った。




