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二月 演技(2)

 イベント会場の大スクリーンには、ボクと瑠璃ちゃん、そして最後に司会者さんを含めた三人が映る。決戦の火蓋が…ではなく、ハリウッド主演子役による一方的な蹂躙の火蓋が、切って落とされる時が来たのだ。


「先程、歌、踊り、演技と言いました、最初に行うのは歌です。お二人にはもっとも好きな歌、もしくは得意な歌を、一曲最後まで歌ってもらいます。まずは瑠璃ちゃんからです! 張り切ってどうぞ!」


 そう言って一万人以上が詰めかけるイベント会場の中央で、司会者さんがボクの隣で、にこやかな笑顔を振りまく瑠璃ちゃんにマイクを渡すと、会場中のカメラが彼女の姿を収め、周囲の壁にかけられた大スクリーンに様々な角度から拡大して映し出された。

 この手のイベントに初参加のボクに気を使ってくれているのだろう。何ごとも二番手なら、彼女の動きを見て、何となくだけど段取りがわかる。

 それにどうせ全敗確定だ。ならば後攻のほうが、何となく精神的に受けるダメージが少ない気がする。気がするだけかもしれないけど…。しかし、彼女は何を歌うのだろうか。


「それでは、今放送しているプイキュアのエンディング曲をお願いします」


 そう宣言すると、会場内は一時的に静寂に包まれ、日曜の朝に毎週流れている、聞き覚えのある前奏が流れてきた。

 そして熱心に歌う彼女の姿は、ボクもつい最近見はじめたプイキュアを、何と歌だけでなくアニメの振り付けダンスまで、可愛らしいさと凛々しさと愛くるしさも完璧に再現している。

 そして四方の大スクリーンにも瑠璃ちゃんの愛くるしさを余すことなくリアルタイムで放送されている。まさにエンディング曲の振り付けと瓜二つで、とても楽しそうに、可愛らしい美少女が一生懸命に歌いながらキビキビと踊っていた。

 途中で瑠璃ちゃんはグリーン派なんだなと、正確にトレースされた歌声とダンスを観察してわかった。

 やがて指定した曲が終わり、瑠璃ちゃんの動きも最後の決めポーズで、ピタリと止まる。短時間とはいえ激しい運動を最後まで行ったため、少し呼吸が乱れていた。


「はぁっ…つい演技に夢中になって、歌と一緒に最後まで踊っちゃいました。すいません。次の踊り、アタシはパスでいいですか?」


 全力を尽くせたのか満足気な表情を浮かべて、司会者さんに要求する瑠璃ちゃん。

 そして曲が終わったときには、会場は大興奮でプイキュアー! プイキュアがんばえー! 等と、真面目に応援する大きなお友達が大量に湧いていた。


「素晴らしい歌と踊りでした。お疲れ様でした。ええ、踊りについては瑠璃ちゃんは、なしで構わないと他のスタッフの許可も、たった今いただきました。それでは、次は幸子ちゃんの番ですけど、歌う曲は決まっていますか?」


 彼女が興奮気味の司会者さんにマイクを返して、次はこちらの番とゆっくり近寄る。会場のカメラも瑠璃ちゃんからボクに完全に切り替わる。

 いくら二番手と言っても、こんなに大勢の前ではすごく緊張する。しかし、会場の盛り上がりを台無しにしたくはないので、舌を噛まないように気をつけ、それでいて真剣に答える。


「最近の曲が全く思い浮かばなかったので、ボクは虎のマークの、野球団の応援歌でお願いします」

「…え? なんで? ああ、冗談?」


 司会者さんはよっぽどボクの選曲が意外だったのか、思わず質問を返してしまったようだ。別に知られても困ることではないので、この場は素直に話す。


「家にはラジオはないし、小さい頃からボクがテレビを見たり歌ったりすると、父が…その…。ええとまあ、今は違いますけど当時は色々ありまして、もっとも多く聞いた歌がソレなんです。後ろからこっそり覗き見していたプロ野球中継でよく流れていたので…」

「そっ…そうでしたか。はっははっ…はぁ」


 ただ最近は環境が激変したので、学園の情報やネット等を見て、アニメや映画とかの二次元コンテンツに興味が沸くと、週末には近くのレンタルショップに行って、色々と借りて楽しんだりするんだけど。それでも最後まで歌えるかというと、不安が残るのだ。

 そして何故か司会者さんの額から冷や汗が流れ落ちていた。聞いてはいけないことを聞いてしまったという顔に見えなくもないけど、流石はプロの司会者ということで、気を取り直してテキパキと裏方に指示を出す。


「年ごとに色々と種類がありますけど、曲名は…そして、サビはこちらですけど、よろしいですか?」

「あっはい、大丈夫です。こうして聞かせるために歌うのは、はじめてですけど、精一杯頑張ります!」


 そして司会者さんにマイクを受け取る。しばらく待つと、女の子が出演するイベント会場には、微妙に似つかわしくない前奏がはじまる。

 ボクは深呼吸をしてから、虎の勇ましい応援歌を力の限り歌う。女子力やら可愛らしさを全て置き去りにした、男臭いスポ根溢れる歌が特設の音響に乗って、会場全体に響き渡る。

 大スクリーンにも、ボクの勇姿が色んな角度から拡大されて、パッチリと映り込んでいる。

 会場の観客は皆呆然というか、何の言葉もなくマイクを片手に熱唱するボクの一挙手一投足をただただ見守っていた。

 やがて最後まで歌い終わったボクは、満足そうに大きく息を吐いて、何故か微妙な顔で立ち尽くしていた司会者さんに、借りていたマイクをそっと返す。


「あっ…どうも。さっ幸子ちゃん…応援歌…すごく上手ですね。本当にはじめてですか? ウケ狙いでリクエストする人もいますけど、大抵の人はかなり下手ですよ?」

「ありがとうございます! いえいえ、時々自分の部屋で口ずさんで、父に聞こえないように、小声で歌っていたぐらいですよ。こうして他の人に聞かせるのは、本当に初ですから、かなり緊張しました!」


 答え終わった瞬間、またも目頭を押さえ、ボクから見えないようにあからさまに顔をそらす。会場の方も相変わらず静まり返って何故かハンカチを片手にところどころですすり泣く声まで聞こえる有様だ。

 歌唱中もそうだったけど、終わった後でさえ、瑠璃ちゃんのように熱烈歓迎されてる雰囲気ではないので、実力差が大きすぎるのだろう。

 やはり最初から負け確定の勝負なんだろう。この圧倒的アウェイ感は辛いなと、心の中で何となくそう思った。


「ええ…コホン…と、短時間とはいえイベントを中断してしまい、申し訳ありませんでした。それでは次の踊りですが、瑠璃ちゃんは歌唱とダンス、両方を行いましたので、幸子ちゃんが続けてとなってしまいますけど、大丈夫ですか?」

「はい、今すぐでも問題ありません」


 緊張しているとはいえ、まだ一曲歌っただけだ。佐々木食堂での、体力勝負のアルバイトに慣れている今のボクには、まだまだ余裕である。


「それでは踊り…と言っても、幸子ちゃんはダンスの指導は受けていませんよね? どうします? もしどうしても無理なようなら、飛ばして演技に行きますか?」

「いえ、踊りも大丈夫です」


 今度は踊りでも、盆踊りとか、裸踊りとか、とんでもないものが出てくるのかもしれないぞ! と、ボクの行動の耐性がついてきたのか、少しだけ驚き顔の司会者さんは、多分そんなことを考えているのだろうが全然違う。

 ボクには数ヶ月前にこれから必要になるからという理由で、麗華さんに無理やり覚えさせられた踊りがある。

 思い出すのは寒空の下で美咲さんと一緒に挫けそうになりながらも必死に頑張った毎日の放課後。何もかもが皆懐かしい。

 結局は出番がなく終わったので、実は自分でもどの程度実践で踊れるのか不明なのだ。

 年頃の女の子なら、一万人以上の観客の前で初のお披露目は怖気づくだろうけど、ボクは精神的に男性だったのが幸いしたのか、当たって砕けろと人知れず気合を入れる。


「ご令嬢の社交パーティーダンスです。練習は一月程ですけど踊れる…と思います。あとは、パートナーがいたほうが楽ですけど、一人でも一応は…はい」

「…え? 本当に? 踊れるんですか?」


 幸子ちゃん的な耐性がついたはずの司会者さんけど、またもポカーンと口を開けたまま、棒立ちになってしまう。しかしプロ根性で踏ん張り、すぐさま会話の続きを促す。


「ええと、パートナーが必要とらしいですが…」

「その役目、僕では駄目かな? お姫様をエスコートする王子様役としてね」


 司会者さんに被せるように聞き覚えのある声が、突然イベント会場に響いた。ボクはキョロキョロと周囲を見渡すと、舞台の隅に裏方のスタッフからもう一つのマイクを受け取り、こちらに歩きながら喋りかけている神無月君がいた。

 少し前の引っ込み思案だった彼とまるで違うのは、十二月の告白が大きいらしい。アレ以降、色んな意味で二人にグイグイ攻められているので、最後の守りであるウォール幸子は毎日防戦一方で、いつ一線を越えて壁が崩壊するかわからない状況なのだ。


「…と、彼は言っていますが? 大丈夫ですか?」

「はい、だっ大丈夫…でふ…」


 あまりに突然に現れてびっくりしたためか、少し噛んでしまった。

 にこやかに笑顔を振りまきながら、こちらに歩み寄ってくる神無月君を、会場のカメラも大注目だ。

 確かに令嬢のダンスレッスンでは、何度か相方役として練習に付き合ってもらったけど、あの時とは状況が違う。一度はキッパリと断ったにせよ、こんなに大勢の前であんな甘酸っぱい台詞を言われたら、ジャンジャンバリバリに異性として意識するに決まっている。

 堂々としている神無月君とは違い、呼吸や鼓動が不規則になり顔も真っ赤に染まり、彼の姿をとても直視出来ない。もう恥ずかしいやら嬉しいやらで、自分の気持ちがまるで安定しない。おかしい、少し前までは平気だったのに…。


「ごめんね。綾小路さんを混乱させたいわけじゃないんだ。思わぬチャンスが巡ってきて、嬉しくて。どうか今は何も考えずに、僕の誘いを受けて、共にダンスを踊ってくれませんか? 愛しのお姫様」


 ボクがアタフタと取り乱してる間に、神無月君がすぐ近くまで歩み寄り、おもむろに片膝を付いてそっとボクの手を取って、軽く口付けをしながら、そう発言した。

 普通の女の子が彼のような美青年にそのような告白をされれば、一瞬で恋に落ちてその日のうちにホテルに直行、ゴールインで鐘の音が鳴るのは確実だろう。

 ただし、相手が女性の場合はだ。ボクは男なのか女なのか自分でもわからない存在なのだ。


「神無月君、ライブ会場のほうはどうしたの?」

「あっあれ…? 他の女の子は皆、これでイチコロだったんだけど。ああライブ…ライブね。あっちは元々他のアイドルとの共同出演だから、僕の出番はもう終わったんだよ。打ち上げは、欠席させてもらったしね」


 あまりの恥ずかしい台詞の連発に、ボクを悩ませていた原因不明の心不全はピタリと静まる。男性として聞くと、数回だけならまだしも、恥ずかしい台詞を連発されると引いてしまうのだ。

 そして周囲を見渡すと神無月君が歩いて来た舞台裏方面に、美咲さん、麗華さん、生徒会長、花園さんという、学園の皆の姿を見つけた。ちなみに葉月君は本日欠席である。

 何でも今回は、神無月君にボクの独占権を譲るので、次のイベントではこちらに寄越すのが条件らしい。ボクは彼らにとっての賞品か何かなのだろうか。


「そっか。よかった。えっと、ダンスのパートナーだったっけ? 神無月君とは慣れてるから心強いよ。ありがとう」

「はぁ…綾小路さんがいいなら、それでいいんだけどね。こちらこそ、よろしく頼むよ」


 そう言うと神無月君はヤレヤレと小さく肩をすくめて、やがて学園でよく話しているときの彼に戻った。王子様な雰囲気よりも、たとえ積極的になっても普段通りの神無月君のほうが落ち着くのだ。

 いつの間にか立ち上がった彼を、ボクはじっと見つめていると、その視線が気になったのか、不思議そうに聞いてきた。


「あの、綾小路さん、何か気になることでも?」

「ううん、やっぱりいつもの神無月君のほうが、一緒にいて落ち着くなと思ってね」


 厨二病の王子様ではなく、少し引っ込み思案でも思ったことを正直に、噛み砕いて話してくれる神無月君のほうが、ボクも喋っていて楽しい。

 自分でも気づかなかった思わぬ再発見に自然と笑顔が溢れる。


「あっ綾小路さん、不意打ちは卑怯ですよ。あっ…あと…僕もすっ…すっ…」


 真っ赤な顔で視線をそらす神無月君に、ボクはまた何かマズイことをしてしまったのではと、何となくだけど察した。その先は言われなくてもわかるけど、前にも伝えた通り、彼の気持ちに答えられないんだ。ごめんね。

 やがて赤面から立ち直った彼は、練習で使用していた楽曲を司会者さんにリクエストした後、二人の男女がお互いの手を握りダンスがはじまる。

 舞台の上を踊るボクと神無月君の姿を追って、会場のカメラが動く。

 きっと大スクリーンに映し出された二人は、地味な平民の女の子と、美しく聡明な王子様のコンビに見えるんだろうなと、ボクはそう感じた。


「綾小路さん、僕がリードしますね」

「うん、付け焼き刃のボクだと足を引っ張っちゃうだろうけど、そのときはごめんね」


 練習で何度も踊った曲なので、お互い慣れたものである。とはいえ、小さな頃から学んできた彼とは違い、こちらは一ヶ月程度の付け焼き刃である。

 何処でボロが出るかわからない。失敗しないように気をつけて踊っていると、ふいに神無月君が小声で話しかけてきた。


「綾小路さんて、練習期間は一月程度で、こうした舞台で踊るのはじめてだよね?」

「うん、そうだけど? 練習では神無月君も一緒だったよね?」

「ええと、そう…なんだけど、動きが練習とは違いすぎてて、もしかしたら、綾小路さんて本番に強いタイプ…かも」


 踊っているボクは、とにかく失敗しないようにと無我夢中なため、そんな自覚はまるでないけど、神無月君はリードして合わせてくれたり、思わぬ失敗もフォローしてくれているのを、何となく感じることが出来た。

 ただし、ボクとしてはそんな余裕はないので、とにかく最後まで踊りきるために、いっぱいいっぱいである。そのおかげか目の前の異性や、たくさんの観客のことも、考えなくて済むのが救いであった。

 やがてパーティーダンスは終りを迎え、二人揃ってしばらくの間、最後のポーズで固まっていたものの、会場中から響く拍手喝采によって、お互いにどちらが先かはわからないけど、自然に手を離して、数歩程離れた。

 そしてカメラもボクたち二人から、司会者さんに切り替わる。


「とても素晴らしいダンスでした。自分も色々と見てきましたけど、パートナーの方はまだしも、幸子ちゃんは本当に練習期間は一ヶ月なのか、かなり疑問に思える程の仕上がりです。本当に言葉もありません」


 司会者さん視線で神無月君に下がるように、それとなく合図する。それを受けて。ボクに笑顔で手を振りながら、舞台裏の皆が待つ方向にゆっくりと退場していく。

 やがて舞台の上にはボクと瑠璃ちゃん、そして司会者さんの三人だけに戻ると、いよいよ最後のイベントがはじまった。


「それでは、最後は演技勝負となります。我々スタッフが用意したお題目を、お二人に演じていただき…」

「待ってください」


途中まで説明していた司会者さんに被せて、瑠璃ちゃんが待った! をかけた。今さら言うことでもないけど、このイベント妨害入りすぎない?


「幸子お姉ちゃんは演技自体、殆ど行っていないため、この勝負は不利です。幸子お姉ちゃんが選んだお題を、アタシが協力して演技すれば、それなりにいい勝負が出来るかと思います」


 司会者さんが裏方スタッフを見て、次にボクを見た。どうやら許可がおりたらしい。これこそハリウッド主演子役の本領発揮で、どう足掻いてもボクに勝ち目はないけど、最初からわかっていることだ。

 ならば少しでも盛り上がるよう、全てが終わった後に、へへ…やるじゃねえか。お前もな! エンドを目指すことに決めて、瑠璃ちゃんの視線を真正面から受け止めて、コクリと頷く。


「ええー…勝負の内容は、幸子ちゃんの選んだシーンを、二人で協力して演じるということに決まりました。それで何をお題に演じますか?」


 とは言え、演技は昔やった学芸会的イベントで、数行の台詞を喋るモブ役が精一杯だ。得意なお題で演じろと言われた所で、すぐにパッと出てくるものではない。ボクがウンウンと一人で悩んでいると、天才子役の瑠璃ちゃんからアドバイスをもらった。


「幸子お姉ちゃんの身近なモノなら、自然体の演技が出来る場合があるの。特に強烈に印象に残った場面なら、もっといいと思うの。最近の出来事なら再現しやすいし、一番いいかな。それで何かないかな?」


 身近で、強烈に印象に残った場面なら、確かに当時の心境を再現しやすいだろう。しかし最近となると…。

 そこまで考えて、ふと思いついた。しかしこの案が通るのかは疑問だ。当時のボクとしては相当にショッキングな出来事だったけど、一応駄目元で案だけ言ってみることにする。


「それでは、倒れた父を発見したシーンを、お題にしてもらっていいですか?」

「えっ? それは…」


 司会者さんがチラリと裏方に視線を送ると、どうやらOKが出たらしい。すぐに段取りを決めるための打ち合わせを開始する。


「そのシーンで構いませんよ。許可もおりました。それで、どちらが誰を演じるかですが…」

「もちろん、幸子お姉ちゃんが当時の状況をそのまま演じるのが一番ね。アタシはその時のことを知らないから、完全にアドリブになってしまうけど。プロとして立派に演じきって見せるから、心配いらないよ」


 よかった。ボクが倒れた父さんを演じることになったら、どうしようかと心配していたんだ。観客の皆さんを待たせるわけにはいかないので、裏方のスタッフと共に手早くシーンの段取りを詰める。

 大まかにだけど方針が決まり、あとはお互いの演技を見ながら、現場で臨機応変に対応するしかないらしい。ボクたちは決められた配置に付き、司会者さんの合図を待つ。


「大変お待たせしました。これより、最後の演技をはじめます。配役は瑠璃ちゃんが重症を負い倒れているお父さん、そして幸子ちゃんはそれを発見した娘を演じてもらいます。それでは、演技開始です!」


 その言葉が終わるやいなや、会場中のカメラがボクたち二人の一挙手一投足を見逃すまいと捉える。

 流石にお酒を飲んで酔っ払って倒れた父さんを演じてもらうには、現実の父にも瑠璃ちゃんにも悪いので、脚本は一部変更してもらい。原因不明の怪我となった。

 どう味付けするかはプロの子役次第となる。彼女がフォローしてくれるらしいけど、上手く演技出来るか不安だ。緊張のために胸がドキドキと早鐘を打つ。頭の中が真っ白になり一歩も動けないボクに向かって、舞台で仰向けになった瑠璃ちゃんが声をかけてくる。


「ごほっ…ごほっ…さっ、幸子…そこにいるのか…?」


 彼女が足がすくんで動けないままのボクに、この先どうすればいいのか教えてくれたのだ。今は自分に与えられた役目を果たす時だ。そう言えば去年の父さんが倒れたときも、ボクは震えるだけで何も出来なかったことを思い出した。

 ならば目の前の瑠璃ちゃんが演じる父親は何としても助けないとと、感情移入してしまった。


「父さん! その怪我! どうしたの!」


 慌てて倒れている瑠璃ちゃんに駆け寄り、その手を握り、体の隅々まで観察する。当然実際には怪我をしていないけど、長年の介護生活で呑んだくれた父のおかげか、身体検査は習慣化していた。


「すっすまない…強盗に襲われて、抵抗はしたんだが…」

「とにかく、父さんは喋っちゃ駄目! 今救急車を呼ぶから! じっとしてて!」


 あの時も、これぐらい積極的に行動していれば、皆に迷惑をかけることもなかったんだろう。気づけば、過去のボクの不甲斐なさに自己嫌悪してしまい、知らない間に涙が流れていた。


「幸子…泣いて…いるのか…?」


 時々ゴホゴホと咳き込む演技を続けている瑠璃ちゃんが、ボクの涙に気づいたのか、少し驚きながらも声をかけてくる。


「こっこれは! 父さんが無事だったことの、嬉し涙だから!」


 自分の言葉に今の瑠璃ちゃんのように、過去の父さんも助かってくれてよかったと自覚し、もう不甲斐ないのか嬉しいのか悲しいのかわからずに、涙が止まらずに次から次へと流れ出てしまう。


「幸子…お姉ちゃん…少し、落ち着いて…」

「グスン…はい、すぐ…泣くのを止め…えぐ…えぐっ…あれ? あれれ? おっ…おかしいな…涙が、とっ止まら…うわああああん! いっ…生きててくれてよかったよぉーっ!!!」


 あの時は、もしかしたら永遠に失ってしまうかもしれないという恐怖も、皆のおかげで気持ちを落ち着けることが出来ていた。

 しかし改めて振り返ってみると、父さんが無事に生きていてくれた嬉しさを自覚し、涙となって流れ落ちてしまう。


「あっあの…だから、幸子…お姉ちゃん…?」

「ずっ…ずびばせん…すぐ、再開しますから…でっ…でも嬉しくて…ううっ…ぐすん」


 プロの子役である瑠璃ちゃんも、ボクのクシャクシャに歪んだ情けない泣き顔に動揺し、思わず素に戻ってしまった。

 鼻をすすりながら何とか泣き止もうとするものの、それから数分間はずっと戸惑う瑠璃ちゃんと、ボクの嬉し涙の姿が映し出されるだけとなった。


「これでは演技続行は無理そうですね。これで終了としましょう」


 何故か若干鼻声になっている司会者さんから、ストップがかかる。またボクのせいでイベントを滅茶苦茶にしてしまった。やはり凡人のボクと天才の瑠璃ちゃんでは、イベント進行に無理があったのだ。

 最後の演技ですら、ボクがまともに動けていたのは最初の一言、二言ぐらいだった気がする。まあそれもかなり怪しかったけど、以降はずっと泣いていたために、もはや役目を果たすどころではない。

 観客の皆さんも興ざめしてしまっただろう。その証拠に、涙目でよくは見えないけど、会場中がまたもや、シンと静まり返っていることはわかる。


「それでは三つの勝負を終えた今、会場の皆様にとってどちらが高評価なのかを、決めてもらいます」


 少しずつだけど気持ちが静まってきたボクを横目に、司会者さんは言葉を続ける。


「青いサイリウムが瑠璃ちゃん、赤いサイリウムが幸子ちゃんとなります。準備はよろしいですね?」


 全力で泣き腫らした結果、女の子としては他人に見せられない酷い顔ながらも、ようやく視界がはっきりとしてきた。そして最初から決められている、勝負の結果が発表されようとしていた。


「では、皆様! サイリウムを掲げてください!」


 そして上がるのは、瑠璃ちゃんを応援する青いサイリウム…ではなかった。おかしい。

 会場中のサイリウムが赤く見える。どうやらあまりにも泣きすぎて、ボクの目が充血してしまったようだ。幻覚を振り払うように目をゴシゴシと拭っている間に、裏方のスタッフさんたちが集計を取る。


「ええ、たった今集計が出ました。会場の皆様の九割以上が、赤いサイリウムを掲げています。瑠璃ちゃんは善戦はしたものの惜しくも及ばず、幸子ちゃんの勝利となります! おめでとうございます!」


 その瞬間、会場中の大スクリーンがボク一色になり、割れんばかりの拍手と声援に包まれる。なお、ボクの頭上にはハテナマークが乱舞し、何がなんだかわからなかった。

 どう考えても素人の大根役者が、天才でハリウッドデビューまでプロの子役に勝てるわけがないのだ。しかし隣に立つ瑠璃ちゃんも、眩しい程の明るい笑顔で祝福してくれる。


「幸子お姉ちゃん、おかげで久しぶりに、本気で演技が出来たよ。優勝おめでとう!」

「あっ…はい。ありがとうございます」


 会場の皆さんも、おめでとう!おめでとう!と御礼の言葉を送ってくれている。やがて司会者さんが裏方のスタッフから、優勝トロフィーと豪華賞品を受け取り、表彰状を読み上げられ、式は粛々と進行していく。

 そして今だに何が何だかわからずに、呆然としているボクにそれを手渡して来たので、落とさないように気をつけて受け取る。


「こちらが優勝トロフィーと、南の島のニ泊三日の豪華旅行宿泊券となります」


 受け取った後に、ボクはまず司会者さんに会釈し、そして一万人以上の観客と向き合いトロフィーと旅行券を掲げて、泣き腫らしてグズグズに歪んだ酷い顔で、精一杯の笑顔で微笑みかける。

 その瞬間、拍手の音が一層大きくなり、会場の興奮は最高潮に達した。もっともボク自身としては、当初の予想とは違う真逆の結果に動揺したものの、それでも応援してくれた皆の期待を裏切れる程、精神は図太くないので、ボクを称える異常な熱気が静まるまで、精一杯の感謝を込めて、ストレスで胃を痛めながらも、小さく手を振り続けたのだった。


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