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四月 入学(2)

 教室の席は、ボクと美咲さんは隣同士だった。一番後ろの列で、ボクが窓側、美咲さんが廊下側だ。こういうときに知り合いが近いと、とても助かる。

ボクたちはお互いに、これからよろしくねと楽しく笑い合っていると、ほんの先ほどまでの、聞き覚えのある女子生徒の声がした。


「あら、さっきぶりですね。確か、綾小路さん…でしたよね? そちらの方はどなたかしら? もちろん、紹介してくれますよね? そうそう、私は如月麗華きさらぎれいかと申します。よろしくお願いしますね」


 と、やんわりとしていたが、有無を言わさないとばかりに、一方的に自己紹介をうながし、ボクの前の席に優雅な動きで着席した。

 美咲ちゃんは突然現れた如月さんに最初は戸惑ったが、すぐにヒマワリのような眩しい笑顔に戻り、佐々木美咲です!と元気よく答えを返してくれた。本当にボクと違っていい子だ。

 ボクも自己紹介をと口を開くより先に、如月さんがふと気になったのか声をかけてくる。


「綾小路さんは結構です。だって、あれだけ大勢の前で、堂々と自己紹介しましたもの」


 ボクはその場の勢いとはいえ、今さらながらに悪役令嬢デビューが恥ずかしくなってきた。外から見たら、きっと茹でダコのように耳まで真っ赤になっているだろう。クスクスと口元を隠しながら如月さんは、なおも言葉を続ける。


「そこで私気になったのですが、もし違っていたらごめんなさい。

 綾小路グループというのは、ひょっとして、あの…綾小路グループですの?」


 如月さんが言っていることは、多分あの事件なのだろう。

 今まで順風満帆だった綾小路グループが、ボクの父親がトップに立った瞬間、すぐさま急落した事件は、業界ではあまりにも有名だからだ。

 その後、父親はトップを退陣させられ、辛うじて綾小路を名乗ることは許されても、窓際にすらつけづに、事実上放逐されたも同然になった。

 今の父は、古いボロ家に引き篭もり、過去の栄光を懐かしんでは、酒を浴びるように飲む毎日なうえ、僅かに残された遺産を食い潰すだけだった。ボクに直接の暴力を振るわないだけ、他の家庭環境よりも少しはマシかもしれないが。

 ただし、十年以上昔の事件のため、学生では知っている人のほうが少ない。案の定、意味深に頷く如月さんの横で、美咲さんは何が何だかわからないという顔で首を傾げている。

 その後、深く息を吐きながら、如月さんは突然ボクの両手をギュッと掴み、顔を近づけて真剣に見つめながら言葉を続ける。


「綾小路さん、いえ…ここは幸子ちゃんと呼ばせてもらいます。その代わりに、私のことは麗華お姉ちゃんと呼んでも構いません」

「え? は? お姉ちゃ……ええ?」


 突然のお姉さん宣言に、ボクは頭のなかに?マークを量産しながらも、何とか状況を整理しようとするが、いきなり話が飛びすぎてわけがわからない。


「幸子ちゃんは、この学園内で生活を送るにあたり、守ってくれる知り合いがいないでしょう? そこで私が、幸子ちゃんを守るために一肌脱いで差し上げるということです」

「えっ…あっ…うん、でもボクは…」


 いきなりの急展開についていけないが、それでも前世と今世を合わせて、多分半分以下の年齢の女の子を、お姉さん扱いすることは男のプライドが許さない。そのため、何とかお断りの言葉をひねり出そうとするが…。


「何より、あんな大勢の前で、堂々と私を…如月グループの味方をするような発言を行った以上、幸子ちゃんに対してよからぬ行為を行う輩は必ず現れますわ」

「うぅ…でっ…でも、お姉ちゃん呼びはちょっと…せめて、麗華…さんなら」


 目の前の麗華さん相手に殆ど論破されつつあるが、お姉ちゃん呼びは恥ずかしすぎるため、辛うじて最後の一線は死守したい。

 あと、さっきから両手を握られたままでグイグイこられて、今のボクは興奮気味の麗華さんに椅子を背にして殆ど押し倒されつつある状況だ。このままでは黒髪美少女の吐息が顔にかかり、いけない気持ちが芽生えてしまうだろう。


「わかりました。今日のところはそれで構いません」


 もう十センチ程でお互いの唇が触れ合うかどうかという距離で、ようやく両手を離して姿勢を正し、元の席に戻ってくれた。

 ボクは茹でダコのように耳まで真っ赤になりつつ、ホッと胸を撫で下ろしていると、先ほどまで傍観していた美咲さんが声をかけてきた。


「うん、やっぱり無防備すぎる。これは危険だよ。幸子ちゃんはもちろん、周囲もね」


 美咲さんの声で、そういえばこの教室にはボクたちの他にも生徒が大勢いるはずなのに、やけに静かだったなと気付き、周囲をそっと伺ってみると、教室内のボクら以外の男子と女子の全生徒が、何やら興味津々といった感じで、二人の邪魔をせずに静かに見守り、こちらの一挙手一投足を絶対に逃すまいと観察されていたことに気づいた。


 そのあと、ボクは殆ど押し倒された状態だったために明らかに着崩れた制服を、麗華さんがやり過ぎてごめんなさい…と真剣に謝りながら、丁寧に直してくれたが、何も言えずやるせない気持ちを抱いたのだった。










 教室での席順とは違い、入学式では身長順で並ぶことになった。当然身長が百三十センチのボクは、最前列のパイプ椅子に座ることになる。

 ときどき起立や着席を行いながら、入学式が終わるのを指示に従い静かに待つ。国歌と校歌も歌い終わると在校生代表として、麗華さんと花園さんの諍いを収めた、睦月健二という男子生徒が呼び出された。

 それと同時に周囲から、かっこいいや彼女いるのかな?やアタシ立候補するーなどの黄色い声があがる。確かに見た目だけなら、かなりのイケメンといってもいい。直接言葉を交わしたことはないため、性格まではわからないが、小説の重要人物の可能性は高いと思っていいだろう。別に攻略したいとは思わないが、これは要注意だ。

 しかし、お腹減った。思えば朝から何も食べてないため、頭が上手く回らない。


 続いて新入生代表として、神無月直人という男子生徒が呼び出され、壇上に向かって歩いて行き、挨拶を読みあげる。彼も在校生代表に劣らず、イケメンだった。顔面偏差値の明らかな違いに、この男子生徒もメインキャラかもしれないと、この先攻略することは絶対にないだろうが、どう関わってくるのか読めないので、密かに気を引き締める。

 睦月さんが真面目系イケメンだとしたら、神無月さんは癒やし系イケメンだ。

 両者ともに甲乙つけがたい数の女生徒から、黄色い声援が送られていたが、元男であるボクの女心は、やはりピクリとも反応しなかった。

 というより、今はお腹が空いて、まともに動くのも辛くなってきた。


 その後、何事もなく始業式は終わり、全校生徒は各自教室へと戻るようにと言われ、ボク、美咲さん、麗華さんの三人は一組に戻り、自分の席に大人しく座る。

 そしてとうとう空腹のため顔色が悪くなり、机に突っ伏したまま動けなくなったボクに、美咲さんが心配そうに声をかけてくれた。


「幸子ちゃんどうしたの? 大丈夫? 保健室行く? 一緒に行ってあげるよ?」


 ボクは頬を机の表面にペッタリと貼り付けたまま、顔だけ美咲さんのほうに向け、か細い声で答える。


「大丈夫だよ。朝から何も食べてないから、少しお腹が減ってるだけだから」

「だったら私のをあげるね! 友達が空腹で倒れそうなのに黙っていられないよ!」


 そう言うと、美咲さんは自分の鞄の中から菓子パンと紙パックのジュースを取り出し、ボクの机の上に置いてくれた。


「ありがとう美咲さん! 今の手持ちは二百円しかないけど、絶対に返すから!」

「別にいいよ。お金はいらないから、それより幸子ちゃんお腹すいてるんでしょう? 先生が来る前に早く食べたほうがいいよ」


 ボクは嬉しさのあまり、美咲さんに向かって謎の祈りを捧げ、菓子パンとジュースに視線を移す。そのまま菓子パンのあんドーナツを美味しそうにほうばり、紙パックのいちごミルクを口の中に流し込みながら、美咲さんにもう一度お礼を言う。


「んぐんぐ…本当にありがとう! でも、そういうわけにはいかないよ! お金は絶対に返すから、待ってて!」


 口の中のあんドーナツを、いちごミルクで無理やり押し流す。急いで食べても濃厚な甘さがじんわりと広がっていく。

 気づけば受け取ったパンとジュースを全て食べ終え、幸せの絶頂を噛みしめながら口を半開きにしてだらしなく椅子にもたれかかり、ほぅ…っと息を吐きながら呟く。


「こんな美味しい、いちごミルクとあんドーナツを食べたのは、はじめてだよ」

「いやいや幸子ちゃん、菓子パンとジュースぐらいで大げさだよ」

「幸子ちゃん、菓子パンぐらい、私が十でも百でも買ってあげますよ」


 二人が何か言っているようだが幸せの絶頂であるボクには聞こえない。

 もう少し食後の至福の時間を楽しもうとしたら、教室の扉が開き、担任の先生が入ってきた。


「注目、俺が一年間この一組を担当する教師だ。よろしく頼む。さて、今から皆には自己紹介してもらう。それじゃ窓際の一番前の席から、後ろに向かって順番に頼む」


 先生がそう手短に告げると、さっそく自己紹介が始まる。ボクの座っている席も窓際のため、内容を考える時間はあまり残されていない。

 しかも目の前に座っている麗華さんは、見た目も中身も大和撫子そのものといっていい程の、超絶黒髪美少女だ。その後には小動物系の貧相な体でピンク髪の色物キャラ、しかも中身が男性のボクが女性として自己紹介するのは、プレッシャー的にかなり辛い展開になる。


「…では、今年一年よろしくお願いします」


 そんなことを考えていると、いつの間にか目の前の麗華さんが優雅にペコリと一礼し、クラスの生徒全員の割れんばかりの拍手と共に自分の席に座る。動作の一つ一つが洗練されているようで、流石お嬢様という雰囲気が溢れている。

 ボクには絶対に無理だということがわかる。そして残念なことに考え事に夢中で、たった今終わった麗華さんだけでなく、前の人たちの自己紹介が全く聞こえていなかった。しかし次はボクの番だ。

 先生に名前を呼ばれ、焦るあまりにひゃいっ!と変な返事で立ち上がったものの、頭の中は真っ白で何を話せばいいのかわからない。

 百面相のようにコロコロ表情を変えながらも、必死にいい案がないかと考えていると、見かねたのか先生が助け舟を出してくれる。


「綾小路、いい案が浮かばないなら型にはまった自己紹介じゃなくて、いっそウケ狙いをしてみたらどうだ? 例えば今流行りのB級グルメ巡りが趣味です!…とかな」


 そうか。型にはまった自己紹介じゃなくてもいいのかと、ボクは地獄にたらされた一筋の蜘蛛の糸のように思えた。

 思えば小説の悪役令嬢も、この場で素晴らしい自己紹介を行い、割れんばかりの拍手を浴びていた…気がするのだ。肝心の内容は覚えていないが、きっと素晴らしい自己紹介だったのだろう。少し考えて、教室の全生徒に向かってボクは大きな声で話しはじめた。


「ボクの名前は綾小路幸子です。趣味は美味しいものを食べることです。昨日は、キャビアとフォアグラと松茸を美味しくいただきました。高級食材ばかりで、毎日食べ過ぎてしまうのが悩みのタネです。自己紹介は以上です」


 ボクが席についたとき、拍手は起きずに、逆に教室中が静まり返っていた。おかしい。悪役令嬢じゃなければできない趣味をアピールしたはずなのに、この反応は予想外だ。静寂から数秒後。まず最初に担任の先生がボクに声をかけてきた。


「綾小路、すまない。何というか、先生が悪かった」


 続いて教室中の生徒がざわざわと騒ぎはじめる。


「先生、言っていいことと悪いことがあるよ」

「綾小路さんは、その日の食事にも困ってるんだよ?」

「この年であんなちっこい体だろ? 絶対毎日の栄養足りてねえぞ。アレは」

「俺、さっき美味そうに菓子パンほうばってるの見たぜ」

「私も、あんな幸せそうにあんドーナツ食べてる人はじめて見たよ」

「そうだな。今度は俺が菓子パンをあげたいぜ」

「ちょっと、駄目よ。菓子パンばかりじゃ栄養偏るでしょ?

 ここはコンビニ弁当とかどうかしら?」

「いやいやコンビニ弁当でも栄養偏るだろ? やっぱり手作り弁当が一番」

「じゃあアタシが作ってくるよ! 料理は苦手だけど…」


 など、ああでもない、こうでもないと、もはや先ほどの自己紹介とは全く関係ない内容にどんどん脱線していく様子に、ボクは一人頭を抱えていた。


「…どうしてこうなった」


 教室内の喧騒を静めるべく四苦八苦している先生に、ボクは心の中でこっそりと謝った。その後、何とか担任の先生の涙ぐましい努力で軌道修正を行い、自己紹介を再開させた。


「佐々木美咲です。幸子ちゃんの親友です。幸子ちゃんを苛めたら絶対に許しませんので、そのつもりでお願いします。あと、趣味は料理を作ることです」


 隣の席の美咲さんが幸子の親友宣言をしてくれたのは、とても嬉しかった。嬉しすぎて思わず、少しだけ涙ぐんでしまったのは内緒だ。恥ずかしいので誰にも見られてないといいけど。直後に麗華さんが、私も親友ですよと小声で伝えてくれたので、ますます涙腺が弱くなってしまった。


 あとは、例の新入生代表の男子生徒もこのクラスだとことがわかった。ニッコリと微笑みながら、神無月さんが立ち上がると、まるで女性のような澄んだ声が教室に広がる。


神無月直人かんなづきなおとです。アイドルの仕事で、学園を休むこともありますが、皆さんとは仲良くできればと思っています。一年間よろしくお願いします」


 丁寧に自己紹介を行うと、一礼したあと自分の席にゆっくりと座る。案の定拍手が巻き起こるが、女性陣の黄色い声援もちらほらと聞こえてくる。


「あの神無月君と一緒のクラスになれるなんて…」「流石は大人気アイドルよね」

「男の人なのに本当に可愛いわ」「私の弟にして甘やかしてあげたいわ」


 どうやらクラスの女生徒の皆さんは、神無月さんのことを詳しく知っているらしい。気になったボクは、それとなく隣の美咲さんに、どういう人なのか聞いてみた。


「幸子ちゃん知らないの? 今もっとも有名な男性アイドルって噂の神無月君だよ。新曲を出すたびに大ヒットしてるの。テレビやラジオでも毎日のように耳にするぐらい、有名人だよ。女の子なら皆知ってるかと思ってたよ」


 ごめんね美咲さん。ボクの中身は男の子だから、男性アイドルには全然興味なかったよ。実際に思い出したのは今日だけど、その前から影響だけは受けてたんだろうなと、彼女の言葉にその場その場で相槌を打つ。

 しばらく二人で話していたら、途中から麗華さんも会話に混ざってきた。


「それと、アイドルとは違った意味で有名な、神無月グループの御曹司でもあります。

 この学園に限るなら、私はもちろん、睦月生徒会長もそうですね」


 アイドルは知らなくても、十二の月を名乗る人たちは、世界を相手取る大企業のトップだということは知っている。でも、校内だけでも三人もいるのだと告げられ、やはりこの学園は特別だと、今さらながらに自覚したのだった。。

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