十二月 令嬢(2)
次の日、どんよりとした重い気持ちのまま、いつものように美咲さんと合流してから学園に向かうと。麗華さんが教室ではなく正門の前で待っており、生徒会室で説明するから付いてきてと言うので、素直に従った。
三人が生徒会室に入ると、生徒会長、葉月君、神無月君、花園さんが先に来ており、それぞれパイプ椅子に腰かけていた。取りあえずボクたちも、空いている席に座ると、花園さんがお茶を入れてくれた。軽く口をつけて一呼吸置くと、麗華さんが深々と頭を下げた。
「昨日は突然だったから驚いたと思うけど、本当にごめんなさいね」
「麗華だけの責任ではない。俺も悪いんだ。綾小路を守れなかったのだから」
どういうことなのかとボクが首を傾げていると、麗華さんが続きを話してくれた。
「幸子ちゃんと私たちは友達ですよね?」
ボクはコクリと頷く。今までこのメンバー揃って、あれだけ苦楽を共にしてきたのだ。これで実は友達ではないと言われたら、こっちが大泣きしてしまいそうだ。
「ありがとうございます。私も友達になれて嬉しいです。少し長くなりますが、続きを話しますね」
麗華さんがお茶を一口飲み、少しだけ息を吸って話しはじめた。
「幸子ちゃんは私たちの友人です。それは事実です、しかし世間にはその繋がりを利用しようと近づいてくる者も大勢います。入学初日から今までは、私が如月の名を使って影から守ってきましたが…」
はぁ…とため息を吐き、辛そうな顔をしながら、なおも麗華さんは言葉を続ける。
「最近では私たちの親密な繋がりを知る人が増え過ぎたため、私だけでは守るのが難しくなりました。もちろん、他の友達も手伝ってはくれているのですが、やはり学生の身では限界があります」
何となくわかってきた。きっと秋に手紙を送ってきた後藤君は、麗華さんたちだけでは防ぎきれなかったために、繋がりを求めてやってきた一人なのだろう。しかし何故ボクなのか。親しい友人なら隣に座っている美咲さんもいるはずなのにと、何となく彼女に顔を向けると、それに気づいた麗華さんが補完してくれた。
「美咲ちゃんも確かに友人には違いありません。しかしそうですね、ここはわかりやすく好感度として、数値で表しましょうか。大体ですが、美咲ちゃんが一なら幸子ちゃんは十の好感度になります。しかも、今現在も日に日に二人の差は開いています」
どうやらボクは美咲さんの十倍好かれているということらしい。麗華さんの愛が重すぎるんで、これって返却出来ませんか?
「ちなみにこれは私の場合ですが、ここにいる皆も似たり寄ったりの数値ですよ? それだけ幸子ちゃんが大好きだという証明ですね」
流石にそんなことはないだろうと、ボクは顔をあげて全員に視線を向けると、何故か皆一同に目を逸らした。すごく生徒会室に居づらくなった。一刻も早くこの空間から逃げ出したい。
「話を続けますね。つまり、私たちだけでは守るのが難しくなってしまったため、今回如月の養子としてパーティーで発表することにより、幸子ちゃんのバックには、私たち如月がついていますよと、大々的に周囲に知らしめたわけです」
それでも近づいてきたら、如月家の力を余すことなく使い、強制的に退場してもらうらしい。しかし、ボク一人のためにそこまでしてもらうのは、何か悪い気がする。
「あの、麗華さん。やっぱり養子は解消してもらえないかな?」
「あら、それはどうしてですか? 如月家と繋がり持てることは、喜びはしても嫌がられはしないと思いますが。それが堂々と身内になれるのならば、なおのことです」
ボクは少しだけ考えると、やっぱり納得出来なかったので、麗華さんにはっきりと告げた。
「ボク一人のために麗華さんの家族に迷惑をかけるのは、何だか悪い気がして。だから、もしどうしようもなくなったら、ちょっと…ううんかなり辛いけど、ボクのこと…見捨ててくれていいから!」
ボクとしては友達が気を使ってまで一緒にいるのは本気で辛いので、何とか全てが円満に収まるような案を皆と見つけたい。そのつもりで発言したはずだった。
しかし、それから一秒もしないうちに、麗華さん、美咲さん、花園さんに三人がかりで強引に抱きつかれ、頭を撫でられたり互いの頬を擦りつけたりと、揉みくちゃにされてしまった。
「嫌です! 私は幸子ちゃんとは、絶対に離れたくありません!」
「私もだよ! 幸子ちゃんとはずっ友確定だよ!」
「わたくしもですわ! 綾小路さんのこと、迷惑なんてこれっぽっちも思ってませんわ!」
ボクは力の続く限り全力で可愛がってくる三人の美少女に翻弄されるたびに、水族館のアシカのように、おうっおうっといった意味不明の鳴き声を漏らし、目の前の嵐が過ぎるまでじっと耐え続けたのだった。
ようやく解放されてパイプ椅子にへたり込むボクとは対象的に、明らかに顔色がよくなり艶まで出ている三人は、満足気にお茶を飲んでいた。
途中何やかんやがあったが、麗華さんの説明は終わった。そこで成り行きを見守っていた生徒会長が咳払いをし、口を開く。
「綾小路はああ言ったが、麗華の家族のことは気にしなくていいと思うぞ。むしろ養子に迎えられると知ると、叔父さんと叔母さんの二人は連日大喜びだったしな」
「確かに今のお父様とお母様なら、全力で幸子ちゃんを可愛がりますね。おまけに屋敷の使用人一同も大歓迎ムードで、専属メイドを巡って争いが起こるぐらいです。迷惑かどうかの心配はいりません。どちらかと言うと、幸子ちゃんのほうが迷惑を被るほうですね」
ボクの頭の中には、飼い主に可愛がられ過ぎたために、疲れきってゲッソリとへたり込んだ猫の姿が容易に思い浮かぶ。
「どちらにせよ幸子ちゃんと家の養子縁組は決定済みですし、今さら撤回されませんよ。家同士の強固な結びつきです。でも綾小路の名字は今まで通りに名乗ることができますので、その点は安心してくださいね」
麗華さんのトドメの一言で、ボクは為す術もなくうなだれてしまう。どうやら本当に如月家の養子になり、麗華さんの妹として生きていくことになりそうだ。何だかこのところ、明らかに平穏な毎日から遠ざかっている気がする。
自分で管理しきれない絶大な権力や莫大なお金なんていらないです。
そこでふと、花園さんが何か思いついたようにポツリと呟いた。
「そういえば家同士の強固な結びつきなら、別に養子でなくてもありましたわね」
一瞬生徒会室は静寂に包まれ、やがて葉月君と神無月君が弾かれたように椅子から立ち上がり、突然大声で宣言した。
「幸子ちゃん! 俺と婚約しよう! そうすれば如月の家に養子に行かなくてもいいぜ!」
「綾小路さん! 僕と婚約すれば、養子以上の強固な結びつきになるはずだよ!」
二人はパイプ椅子に座っているボクに向かって、少しずつ距離を詰めてくる。彼らの突然の発言に頭の中がパニックになり、どう答えるべきかと必死に考えている横で麗華さんが、だから如月家の養子はもう決定しているのですが…と呟いたが、今の葉月君と神無月君には聞こえていないようだ。
「さあ、幸子ちゃん! 返事を聞かせてくれ!」
「あっ…僕は今じゃなくてもいいよ! でも前向きに考えてくれると嬉しいな!」
ええと、つまり葉月君と神無月君の二人はボクのことが好きということで、それはライクではなくラブなほうで、一体いつからどのようにして恋が芽生えたのか。全く身に覚えがないが、とにかく何か答えないとと、必死に気持ちを整理する。
やがて皆が見守る中で、たどたどしいけど、ボクが心の底から考えて出した返事を二人に伝える。
「二人の気持ちは、とても…嬉しいよ。好きだ…婚約してくれって、こうして告白してくれたんだから」
あまりの緊張のために心臓がバクバク鳴り、手に汗が滲んできたが、最後まで言い切らないと。
「ボクも葉月君と神無月君のことは好きだ…と思う。恋心とか、どちらがどれだけ好きとかは…全然わからないけど」
だんだんと自分の顔が赤くなってきているのがわかる。二人はそんなボクを真剣な表情で、真正面から見つめている。
「肝心の今のボクがこんな中途半端な気持ちだから、真剣な二人の思いには応えられない。ごめんなさい。でも、こんなボクのことを好きになってくれて、…ありがとう」
深々と頭を下げる。気づけばボクの目から涙が大粒のボロボロと溢れて、床にいくつもの小さな水たまりを作る。告白して振られたのはボクではないのに、何故こんなに悲しくなって泣いてしまったか、自分で自分の気持ちがまるでわからなかった。
やがて一向に頭をあげないボクに、葉月君たちが声をかける。
「そうか。幸子ちゃんの気持ちはよくわかったよ。真剣に考えてくれてありがとうな」
「綾小路さん、顔をあげてください。僕たちは貴女を恨んだりなんて絶対にしません」
ボクはゆっくりと涙に濡れた顔をあげて、目の前の二人を見る。葉月君と神無月君は、振られたにも関わらず、何処かスッキリとした表情を浮かべていた。そんな二人を疑問に思ったのか、生徒会長が意外そうに口を開く。
「二人共、てっきり振られて不貞腐れると思っていたが、元気そうだな」
「ふんっ、悪いが俺は幸子ちゃんのおかげで変わったんでな。たったの一回断られたぐらいで、不貞腐れていられるかよ」
「僕もですよ。綾小路さんは、今は応えられないと言いましたし、ならばこれから気持ちが変わる可能性は十分にあります」
むしろこれからが勝負だと気合を入れる二人の背後には、真っ赤に燃え盛る炎が見える気がする。恋は障害が多い程燃えるというアレなのだろうか。すると今まで傍観者に徹していた美咲さんが、やれやれという顔をしながらボクに声をかけてきた。
「まあ断ると思ってたけど、これから覚悟しておいたほうがいいよ。今生徒会室にいる皆の気持ちは、幸子ちゃん一人によって変えられたんだよ。でもあの二人の熱烈ラブコールを受けて、幸子ちゃんの気持ちが変わらない保証はないでしょう?」
麗華さんも右に同じと、美咲さんの言葉に頷きながら会話に参加してくる。
「むしろ今まで自重していたこともありますし、これからはスキンシップも増えるでしょうね。ただでさえ幸子ちゃんは男性に対して無防備ですし、心配ですね」
さらには花園さんまで、哀れむような視線をボクに送ってくる。
「綾小路さん、これから大変でしょうけど。困ったことがあったら何でもわたくしに相談するのですわよ」
友達によって外堀がどんどん埋められていく現実に絶望する。そして、ふと問題の二人を見ると、眩しいばかりの笑顔をボクのほうに向けてきた。
「幸子ちゃん。学園を卒業するまでには、絶対に俺のことを好きだって言わせてやるぜ!」
「負けませんよ。綾小路さんには今度のライブの特等席にて、最高のラブソングを聞かせてあげます!」
やる気充分の葉月君と神無月君を前に、タジタジになってしまう。そんなボクたち三人を、周囲の皆は微笑ましく見守っている。どうやら騒がしい学園生活は、まだまだ終わりそうにないらしい。しかし、そんな皆で過ごす日々をボクは楽しいと感じていた。
これはもう卒業までに、男性としての気持ちと女性としての体の折り合いをつけなければと考えつつも、この調子ではそれより前に二人のうちのどちらかに捕まり、めでたくゴールインさせられてしまいそうだと、心の底からそう思ったのだった。
これにて学園編は完結となります。