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十ニ月 令嬢(1)

 学園祭も無事に終わり、少々肌寒い季節になってきた頃、ボクが留守の間に実家に麗華さんの車の運転手さんが訪れて、一枚の招待状とパーティー用のドレスセットを渡されたと専属家政婦の真央さんから報告があった。

 あまりに予想外の事態に、根っからの庶民であるボクのキャパシティを越えてしまい、次の日の学園で例によって例のごとく、麗華さんに相談することにした。そしていつものように美咲さんを佐々木食堂まで迎えに行くと、朝からとても疲れた顔してボクが来るのを待っていた彼女を見て、全てを理解してしまった。

 そのままボクと美咲さんは特に話すこともなく、重苦しい雰囲気の中、電車に揺られていつも通りに学園に向かった。やがて一組の教室に着くと、先に麗華さんが来て自分の席に座っていたので、さっそく相談してみることにした。


「二人の事情はわかりました。お父様とお母様にも困ったものですね」


 重くため息を吐く麗華さん。まだ授業がはじまってさえいないのに、三人共既に疲労困憊である。


「しかも話を聞く限り、如月当主の名前を使い、幸子ちゃんと美咲ちゃんを直接招待しています。これで欠席するのは非常にマズイですね」

「あの、麗華さん…マズイってどのぐらい?」


 そう言うと、麗華さんは少しだけ考える素振りを見せ、やがてボクら二人にとって絶望的な答えを提示してきた。


「わかりやすく言えば、警察本庁の出頭命令を拒否した二人の個人情報ごと、世界的メディアで大々的にニュース報道されるぐらいですね。如月当主の名前には、それぐらいの影響力は十分にありますから」


 ボクたちの顔色は、もはや青を通り越して白くなりかけている。今すぐ気を失わないだけでも褒めて欲しいぐらいだ。如月家のパーティーからはどうあっても逃げられないようだ。しかし諦めたくはない。


「麗華さん! すっ…救いはないんですか!」

「ありません。少なくとも如月の家に生まれた以上は絶対にです。もちろん二人は違いますが、今回だけは運が悪かったと思って諦めるしかないですね」


 どう見ても詰みです。本当にありがとうございました。まだ諦めきれない美咲さんが、そうだ。前日に水風呂に入って風邪を…などと呟いていたが、真冬の風邪は命にかかわるから止めて欲しい。

 それからも放課後まで三人で色々と考えてはみたものの、どうにも招待を断ることは難しいという結論は変えられずに、今回のパーティーは仕方なく出席するが、次回からは断固拒否です!というボクたちの意思を、麗華さんの父母に伝えてもらうように心の底から誠心誠意頼み込んだ。


「パーティー当日の二人には私がなるべく付いているつもりですが。一応主催者枠なので他の家の挨拶などで離れなくてはいけませんし、困りましたね」

「幸子ちゃん、如月のパーティーに出席するんだって? なら、俺が見ててやるよ」

「僕も出席するので大丈夫ですよ。二人も付けば他の招待客は、そうそう近づいて来ないと思いますよ」


 ボクたちの話を聞いていたのか、葉月君と神無月君がいつの間にか近くまで来ていて、助け舟を出してくれた。やはり持つべきものは友ということか。


「ありがとう。二人がいてくれて、ボクも心強いよ」


 知らない人が大勢の緊張するパーティーでも、友達と一緒なら気を抜けそうだ。


「ああうん、俺じゃなくて二人…ね」

「まあ、それが綾小路さんらしいと言えばらしいけど」


 葉月君と神無月君にお礼を言ったつもりだったが、何か微妙に渋い顔をしているように見える。それとは別に麗華さんと美咲さんは呆れ顔だ。どうやらボクはまた、無意識の内に何か失言をしてしまったようだ。


「ともかく、今回は身内中心のパーティーだけど、それでも面倒事が起こる可能性はゼロではありません。当日は、なるべく固まって行動するようにしましょう」


 それからパーティー当日まで、細かな打ち合わせや練習を積み、付け焼き刃ながら、ボクも美咲さんも、まるで何処かの令嬢に見えなくもないレベルまで、挨拶やマナーを高めることができたのだった。

 ただしあくまでも見えなくはないレベルなので、少しでも予想外なことが起きたり動揺すると、すぐボロが出てしまう。さらに時間が経つと頑張って覚えたはずの令嬢の知識をどんどん忘れてしまう。そんなテスト前日の一夜漬け状態に近いボクたちだが、これ以上は時間が足りなかったので、このまま本番に向かうこととなった。基本は集団で行動するため、彼らや彼女らが防波堤となり、二人が表に出ることは殆どないので大丈夫とのことだ。










 そして迎えるパーティー当日。すっかり見慣れた黒塗りのリムジンのお迎えで、ボクと美咲さんの二人は回収される。今回は如月家が主催で、麗華さんは先に会場入りしているため一緒には行けないらしい。

 パーティー会場に入場するまではボクと美咲さんの二人だけだ。とにかく緊張しないようにと、手の平に人という字を書いて何度も口に含む。

 どうにも落ち着かないので隣の彼女を見ると、白を主体とした清楚なレースのドレス、ボクはピンクを主体としたフリル付きのキッズドレスだった。しばらく車に揺られていると、やがて立派なホテルの入り口でゆっくりと停まる。周囲には他にお金持ちらしき着飾ったドレスや紳士服を着た大人から子供まで幅広い人が集まっており、皆ホテルの中へと消えていく。


「幸子ちゃん、行くよ。敵は本能寺にありだよ!」


 緊張のため気づかなかったが。いつの間にか車の扉が開いており、美咲さんが先に降りて手を差し伸べてくれていた。ちなみにこのホテルの名前は本能寺ではなく、さらには倒すべき敵もいないのだが、それだけの覚悟を持ってパーティーに望もうということなのだろうと前向きに解釈し、ボクはコクリと頷くと、豪華なホテルの入り口に向かって、赤い絨毯の上に一歩足を踏み出した。


 パーティー会場までは入り口のボーイさんに招待状を見せたあと、案内に従いエレベーターに乗って移動するだけだったので、迷うことなく辿り着けた。

 中に入ると既に大勢の招待客が思い思いのグループに別れて、食事や飲み物を取っていたり、談笑している姿があちらこちらに見える。

 麗華さんは身内中心のパーティーといっていたが、今の時点でも百人近くも政財界での有名人が集まっているように見えて、改めて如月家の凄さを肌で感じてしまう。

 一番奥の舞台には主催者である如月会長や麗華さんたちがいるようだが、あまりの人の多さにとても近寄れそうにない。


「美咲さん、ボクたち、明らかに場違いだよね」

「幸子ちゃん、私もそう思うけど、もう逃げられないし腹をくくろうか」


 しかし二人共そうは言うもの、受付を通り会場の入り口は越えたものの、そこから一歩も足が動かずにただただ立ち竦んでいた。するとボクたちの存在に気づいたのか、華やかなドレスで着飾った花園さんが、優雅に歩いて来るのが見えた。


「綾小路さん、佐々木さん、こんにちは、今日はよろしくお願いしますわ」

「あっ、こちらこそ、よろしくお願いします」

「よろしくね。それにしても、花園さんも招待されてたんだね」


 美咲さんが少々驚いたように挨拶を返す。ボクも招待されているのは全て如月関係だと、会場に来る前はそう思っていたので、少し意外に思った。


「花園グループは、月の方々と色々繋がりがありますので。何よりわたくしは皆さんと親しいお友達ですので、今回のパーティーに招待されたのですわ」


 なるほど、主催者の一人である麗華さんの友達であれば、呼ばない理由はない。おかげで望んでもいないのに、ボクたち庶民も招待されたのだから。いつの間にか花園さんが優雅に会話を続けながらも、会場の奥に視線を向けていることに気づく。


「どうやら、綾小路さんのボディーガードが来たようですわね」


 ボクは花園さんの見ている方角に顔を向けると、葉月君と神無月君が華やかな紳士服を着て、凛々しい姿でこちらに向かって真っ直ぐに歩いて来ていた。


「幸子ちゃん、佐々木さん、こんにちは。花園さんはもう挨拶したよな?」

「綾小路さん、佐々木さん、こんにちは。今日はよろしく頼むね」


 動作の一つ一つが洗練された完璧な挨拶を行う二人。その意外な姿に見慣れていないせいか、少しドギマギしながらもボクは挨拶を返す。


「えっええと、葉月君、神無月君、ボクこそ、よろしくね」

「よろしくね。しかし、その服格好いいね。本当に御曹司って感じだよ。幸子ちゃんなんて、二人が様になり過ぎてるせいか、照れて赤くなっちゃってるしね」


 今日のボクは本当におかしいと思う。男の人を見て赤くなるなんて、どうも学園に入学してから、自分の気持ちが少しずつ変わってきているように思えてならない。そんなボクに向かって、二人は顔をほころばせてお礼を返してくれた。


「おっ、そうか? 幸子ちゃんに褒めてもらえるなんて光栄だな」

「本当? 嬉しいよ。綾小路さん」


 とにかく心を静めるために深呼吸をし、葉月君と神無月君の様子をもう一度見る。うん、いつもの二人だ。おかしな胸の動悸も落ち着いてきたところで、花園さんが提案する。


「今立っている場所は、会場の入口に近すぎますし、何処か人の少ない場所に移動しましょう。あの人だかりが引くまでは、主催者へのご挨拶も無理そうですし」


 確かにいつまでも会場入口で固まっていると、他の招待客の迷惑になるし、否が応でも注目を集めることになる。ボクたちは会場の隅へと場所を変えることにした。

 途中飲み物や食事をいくつか受け取り、会場の中心から遠ざかると、五人はようやく人心地がついた。こんなに緊張するパーティーは人生初のため、ボクと美咲さんは泣き言を漏らす。


「ごめん、ボクもう帰りたい。気のせいか、周囲の視線がピリピリしてて妙に怖いんだけど」

「私も全然話してないのに、何だかこの会場にいるだけで胃に穴が空きそうだよ」


 二人の緊張の原因がわかっているのか、花園さんが気遣うようにボクの髪をそっと撫でて励ましの言葉をかける。


「幸子ちゃんは多分、このパーティー会場で一番注目されているからですわ。あらゆる美に見慣れている方々の目に入れても痛くない程、愛らしい幼子の姿でありながら、一人前の令嬢のような完成された気品というアンバランスさ、さらには月の御曹司の二人とわたくしを、まるで姫様を守る護衛のように連れていますもの」


 令嬢スキルは麗華さんに教わった付け焼き刃のはずなのだが、今のところはボロが出ていないだけで、さらには元男のボクには女としての魅力なんてありませんよ。ふと一名の名前が出ていないことに気づき、美咲さんのほうを見ると、花園さんが小さくため息を吐きながら、さらに言葉を続ける。


「佐々木さんは、姫様のお気に入りのメイドか、仲がいい一般招待客だと思われているようですわね。その、彼女は割りと大らかなところがありますので、令嬢には見えないようですの」


 後半の台詞を話すときに、気まずそうに少しずつ目を逸らしていく花園さん。しかし、美咲さんは気にしていないのか、パーティー会場の奥を眺め、何かを見つけたのか、ボクたちに声をかけてきた。


「あっ…皆、奥で何かはじまるみたいだよ。こういうのって普通は主催者の挨拶かな? 私はパーティーに参加したのは今回が初だから、よく知らないけどね」


 美咲さんの言葉にボクたちだけでなく、全ての視線が奥の舞台に集まる。やがて会場中の全ての灯りが消えた暗闇の中、最初に今回のパーティー主催者である如月夫妻にスポットライド当たる。その後に麗華さんとその隣には婚約者である生徒会長が並んで登場し、代表として父である如月当主が数歩前に進み出て、挨拶がはじまった。


「皆さん、今回は如月家が主催するパーティーにご出席いただき、ありがとうございます」


 会場中に渋みのある堂々とした声が音響設備により隅々まで響き渡る。一呼吸を置くと、麗華さんの父はさらに挨拶を続ける。


「さて、今回のパーティーを開くに至った、喜ばしい理由ですが…」


 そういえば送られてきた招待状にも、ただパーティーへの招待としか書かれていなかった。ボクの疑問に気づいたのか、隣の花園さんが小声で囁きかけてくる。


「パーティーを開くには相応の理由が必要ですわ。招待客にはあらかじめ知らせておくのが常識。なので今回のパーティーは、本当に前代未聞ですのよ。さらにそれを仕掛けたのが如月当主なのですから、世界的な注目を浴びるのも無理ないですわね」


 世界屈指の大企業である如月グループの会長のサプライズパーティー。ボクたちだけではなく会場中が静まり返り、一体何が飛び出すのかと緊張しながら次の言葉を待つ。


「実は本日、私たち如月の家族に、新たに一人が加わることになりました」


 会場中が明らかにホッとしたような雰囲気に包まれ、それは確かにめでたい理由だ。しかし一体誰が? しかし婚約者のお二人の年齢はまだ…いやまさか…などの声が聞こえてくる。ボクも生徒会長と麗華さんのおめでた報告かなと一瞬頭をよぎったが、年齢的法律スレスレというかギリギリアウトである。

 世界的大企業のトップである以上、これは隠すべき案件だ。会場中が混乱する中、如月当主はコホンと咳払いをし、重々しく口を開いた。


「私たちの新しい家族になるのは、綾小路幸子ちゃんだ。本日より扱いは如月家の養子となる。もちろん、彼女の親御さんは了承済みだ」


 その言葉で、会場は一時騒然となった。一体綾小路幸子という女性は誰なのか! あの如月家の養子になるなんて、とんでもない弱みでも握ったのではないか! 今すぐ綾小路幸子という女性についての情報を集められるだけ集めろ!などの声が、あちこちから聞こえてくる。

 そしてあまりの予想外の事態に完全に動きが止まったボクに、華々しくスポットライトが当たる。さらにはいつの間にか舞台から降りた如月当主が、こちらに向かって一歩ずつ近づいてきた。今のボクには、彼の姿が死刑執行人のように見えた。


「それでは、改めて紹介しよう。彼女が綾小路幸子ちゃん。私たち如月の家族を救ってくれた、娘と同じ高校一年生だ。さらに麗華はもちろん、睦月君、神無月君、葉月君、花園さん、それにこちらの佐々木さんとは、皆とても親しい間柄だ」


 背後に立つ如月当主の手が、まるで蝋人形のように硬直しているボクの肩に置かれる。


「どうか皆も、私たちの新しい家族を祝福して欲しい!」


 その言葉が終わると如月当主が、幸子ちゃん、皆に手を振ってと小声で伝えてきたので、ボクは内心ものすごくお断りしたかったものの、表面上は今出来る精一杯の笑顔を浮かべ、言われた通りに小さく手を振った。瞬間、パーティー会場に割れんばかり祝福と拍手が響き渡った。


 それからのことは、よく覚えていない。とにかく常に笑顔を張り付かせたまま、次々と押し寄せてくる人に。当たり障りのないお礼を返して、ときどき握手したり、逆に頭を撫でられたりと、令嬢というよりも動物のマスコットに近かったと思う。

 ようやく全ての挨拶が終わり、如月会長が用意したリムジンに乗って家に送り届けられ、車から降りるときに麗華さんが明日学園で話すからと言ったことは、おぼろげに覚えていた。

 その日はとにかくクタクタに疲れていたので、自分の部屋に直行してパーティードレスを脱ぎ捨てると、食事も取らずに布団に入ってすぐに寝てしまった。

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