1-4 世界を回せ
女というのは男よりもよほどのこと恐ろしい生き物であるのだろう。
マリアが去っていたその後、変わらぬ微笑を浮かべたままにミリアはレオを振り向いて、一言。
「私、あの女大嫌い」
鈴を転がすような、いっそ睦言でも吐いているかのような声音でまるで似つかわしくない言葉を吐く。
ミリアというのはそういう女だ。
優し気な外見を裏切った商人根性、それに見合うしたたかさ。なのにそれらと共にいっそ稚いほどの正直さを内包している。
矛盾。
矛盾のない人間なんていないだろうけれど。
そんな彼女の、ひどくわかりやすい好き嫌い。
とても狭い『好き』ととても広い『嫌い』、そして残りはおそらく『どうでもいい』。
単純だ。
「まあ、俺も好きにはなれねえけど」
グシャリ、レオは髪を掻きまわしながら面倒臭そうに返した。
「でも、仕事は仕事。そうよね」
面白くもなさそうに笑みを消し去ったミリア、椅子にとさりと腰を下ろす。
「そうそう。何と言っても、金を落としてくれる『お客様』だからな」
皮肉そうに口端を引き上げたのはレオの方。
身もふたもないが、真でもある。
「でも、単純な話じゃないでしょう、この仕事」
ため息を吐くミリア、レオは気だるそうに首を回して上を向く。
「まあな、確かめなきゃいけねえことが……いくつか」
「なんでこっちに回してきたのかしら。理由はあるんでしょうけど、」
眉を寄せた彼女に喉の奥で笑って、思い浮かべるのは仲介人の顔。
「ま、面倒臭かったんじゃねえの、あいつも。嫌いなタイプだろ」
レオの言い草にますますミリアの眉間にしわが寄る。
「……性質が悪いわ」
「それでもあいつが一番信用が置けるのは間違いねえだろ?」
お道化たように返した漆黒の男をミリアは寸の間ねめつけ、けれどはあとため息をもう一つ。
「そりゃね。……いつもどおりに?」
「ああ。――俺が話をつける。お前もよろしくな」
「私の仕事をあなたに任せたら日が暮れても終わらないでしょうしね。分ってるわ」
流れるように仕事の話。
けれど細かい打ち合わせなどはないまま、会話はそれっきり。
二人にとってはそれで十分。
そうして動き出し、レオはクローゼットからコートを取り出し羽織る。それさえも、どこまでも黒。
上から下まで。ひたすらに黒。
だから余計に透けるような肌の白と血色によく似た瞳の紅が際立つ。
そのまま彼が向かうのは、外へ通じる扉。
晩秋のこの時期、日差しがあればそれなりに気温は上がるが太陽が姿を隠すとともに冷気が街を覆っていく。
かつん、わずか靴を鳴らして、レオは錆びて重いそれをくぐった。
部屋に残ったミリアは一方で、背後、レオとは反対に奥の部屋へと通じる扉の向こうへ姿を消したのを意識の端でとらえる。しかしやはり言葉はないまま、器用に鍵を回せば聞きなれた耳障りな施錠音。
そうして見上げた空は茜を孕んだ群青色。
細い路地、西日が微かに忍び込んで長くビルの影を伸ばす。
ゆるり、鉄の階段を下りてゆく。消えてゆく太陽に映し出される陰影、コントラスト。
ああ、面倒臭いなと、これからのことを思う。
誰が何を考え、自分たちに何をやらせたいのか、まるで予測できないわけではないから、余計にそう思う。
別に確信などないけれど、多分そう。
下らない。
いったい誰の策略。
マリアか、あるいは仲介人か、あるいは。
ああ、どうせやることが変わらないのなら、どうだっていいのだけれど。
全く本当に面倒臭いと、レオは唇をわずか、歪めた。