1-20 金魚鉢で、溺れてる
彼女は愛されていた。
彼女がただ自分だけを愛していたとしても。
飽和するほどに与えられて、彼女はそれを陳腐と評価する。
だから、そんなものは欲さない。
彼女の世界の中心は彼女で、彼女の世界で彼女は何時だって正しい絶対者。
けれど彼女だって知っているのだ。
理解できない世界が時に多く重なって、生み出された条理や通念は、彼女の正しさを間違いだと声高に糾弾するのだろう。
判っている。
彼女にとっては彼女だけがただひたすらに正しいけれど、それぞれの見たい世界を生きる他人にとって、それは唯一の正義じゃない。
そんなのは当たり前だ。
人は身勝手。
彼女も含めて。
自覚があるかは、知らないけど。
だから彼女は、望んでいる。
稚いほどに夢を見ている。
己の全てを知って、それでも、……――
✴︎✴︎✴︎
無様なほどに震えた咽喉で、音にならなかった声が紡ぐ。
――『シルバーブレッド』と。
薄い金髪に緑の瞳の青年と、濃い金髪に水色の瞳の青年が、幼子の正答を得たかのように眼を細めた。
その様を外れた思考で、猫のようだ、と思う。
そしてとても美しい。
嘗て彼女が認めた色。
金色、けれど恐らくは何時だって、それより印象深かった銃身と携えたナイフの、
銀色。
『銀の弾丸』の、無邪気で純粋な。
なぜ?
騙しているから、騙される。
勝つのはいったいどちらなのか。
いつだって彼女は勝者の側に立ってきた。彼女は支配者であって唯一だった。
ならばいつから何を、間違えた。
――かの醜悪な仲介人は、仕事はけれど有能で、そんな男は確かに言った。
『おしまい』と。
こんな世界で生きているから、嘘にはとても敏感だ。
だって彼女は演技者なのだ。騙す者だけが知る騙す者の心理。仕草。愚かしさと傲慢と、臆病なまでの狡猾さ。
見当たらなかったそれ。勘づかなかった彼女。
いったい何が嘘だった?
彼女は自分を信じている。
彼女の世界の中で、彼女は何時だって正しく美しいのだから。
ゆるり、青年たちがその唇に佩いた笑みは艶やかでけれど幼いそれだった。
稚いほど、無邪気。それですべてを許されるとでもいうように。
「――――、……」
思わず名前を呼ぼうとして、そんなもの初めから知らなかったと思い出す。
名前など必要だったことがない。命じれば動く、歯車の一つ。
いつだってそうで、これからもそうで、要らなくなったから付け替えようとしていたはずの彼女の世界の部品。
なのにこれはなんだろう。
予想外は、嫌いじゃない。
けれど期待外れは大嫌いだ。
だってそうでしょう、それは大いなる彼女の世界の歪みに他ならないのだから。
思い通りにならないこの世の理不尽なんて、ねえ、あってはならない間違いでしょう?
だから、彼女は、
「――っはっ、」
ひどく彼女らしく、嗤ってみせる。
真っ赤な唇で美しく。
「そう。そうなのね。亡霊が、いったい何の用かしら」
――私を殺しにでもやって来た?
精々高慢に見えるよう。
だって、無様は耐えられない。
美しさだけが全てなのだ。
愛はいらない。
有り余る、そんな陳腐なものじゃ満たされない。
信頼はいらない。
見えもしない、そんな曖昧なものじゃ笑えない。
優しさはいらない。
偽善の数だけ蔓延っている、そんなものは反吐が出る。
だから嗤う。騙してあげましょう、誰だって。
愛を乞うたことはない。
だって与えられてきた。
だって彼女は美しかった。
この美しさを、誰もが愛した。
――だからそう、彼女の世界は彼女が全てで、美しさだけが唯一正しい。
そうでしょう?
だって、
それしかもっていない。