1-1 世界はよくできている
大都会に埋もれた小さな路地、それをさらに分け入った場所。
――そこに彼らの事務所はある。
ゆるり、人の気配のない中、わずかに入る陽光だけが部屋を照らす。そこで眠るのはただ一人。
背の高い男だった。長めの前髪が瞼から耳、首筋を覆い、大きさが不ぞろいな紅玉のピアスをかすめるように微かに揺れる。
色素が抜け落ちたかのように白い肌と、光を拒む漆黒の髪。
纏う服まですべて黒でまとめられた彼は寝息さえ立てていなければモノクロの置物のようであっただろう。
呼吸以外に生を感じえるものと言えば、目の下を薄く色づける隈だろうか。
けれど時が止まったかのようなその空間も、長くは続かない。何の前触れもなく、彼はピクリと瞼を震わせ、持ち上げたその向こう側から血を思わせる紅い瞳をのぞかせた。
そうして気だるげに視線を扉へと向け、次の瞬間。
ガチャリ、耳障りな音とたてて開いた扉の向こうから現れたのは一人の女だ。
「お目覚め? レオ」
ふわりとした金髪を揺らし、女は碧眼をわずか、細める。左目の下には泣きボクロ、それだけがひどく妖艶で、けれど全体には室内にいた男――レオ・セナとは正反対に白く軽やかな印象を持つ女性。
「ミリア」
眠たげに瞬いて、レオは女をそう呼んだ。そしておもむろに手を突き出す。その手にはめられているグローブはやはり黒だ。
「……まったく、暇なのはわかるけれどね」
女――ミリア・ユウリはため息をついて、後ろ手に扉を閉めると、カツン、靴音を鳴らしてレオにその手に持つものを投げて渡す。その手に嵌められた白いグローブが、レオのものと同じ意匠であるとよく見れば気付いただろう。
「……」
レオはミリアには答えず、ただ投げ渡された手元のそれに目を落とす。そんな彼を気に留めるでもなく、ミリアは彼の横に腰を下ろした。
「何もないわよ、見たけどね」
ミリアが渡したもの、本日の新聞。習慣であるそれは本日も欠かさずに購入。ただし記載紙面は変わり映えのしない毎日、似た文句、その羅列。
「……いい加減やべえか、」
血色の瞳を眇め、レオはぼそりと呟いた。
「そうね。仕事がなくていい加減干上がるわね」
くるり、毛先を弄びながら言うミリアは気がない様子だ。
――事実、ここ一か月ほど彼らの仕事は閑古鳥が鳴いているけれど。
否、その気のなさは作ろうと思えば仕事など、いくらでも作れるというのも、また事実ではあると知っているからだろう。
出来るけれど、やらない。
彼らは積極的にその行動を起こそうとはしないのだ。
彼らの仕事はたいていの場合は仲介人を通して引き受ける。そして彼らが信頼する仲介人はただ一人だ。
その仲介人が話を持ってこないということは、彼らが引き受けるに値するものがないというのが現状ではあるのだろう。
彼らの住処とするこの大都会は、決して平和ではない。
郊外に向えば向かうほどに犯罪が蔓延り、腐臭がする。
ああそれは、この国の全体がそうであるといえばそうであるのだけれど。
だからこそ、ただ金が欲しいなら、仲介人など無視し、仕事を選ばなければいいのだ。
そんなことをしようと思うほど、仕事熱心ではないのが彼らなだけ。
だって死にはしないのだ、別に。今すぐ仕事などなくても。ミリアは確かに干上がると評したが、それは手持ちの現金が底をつくというだけで、少しの気力を奮い起こせば幾らでもまだ金は眠っている。
それだけの仕事を今までしてきた。
これでも、この一見怠惰な漆黒の男と純白の女は高給取りなのだ。
だって世界はほら、笑ってしまうくらいにときに単純で。
ゆるり、レオは首を傾げた。
ミリアも視線だけを上げて、ゆっくりと瞬く。
単純な世界はそう、ねえ多分ある意味とても、『よくできている』。
彼らの事務所は二階建て、外付けの階段は鉄製、居住区の一階には内側からしかたどり着けないつくり。
訪れるだれもがここ、二階の応接室を通る。
やる気など皆無なのだけど、先ほどまでは口先だけで殊勝なことを呟いたけれど。
――面倒だなというのが本音だなんて、ぜいたくにもほどがあるくせに。
響いた靴音は迷いなく、錆びた階段を上る耳障りな、音。