1-3:望遠鏡の外の景色
「そっちのお前、こいつは多少引きつけてやるから、何とかして倒せる算段を立てろ」
頷いた彼女を横目で見てから、ゆっくりと石を数個拾う。こちらに向かってくる男に投擲する。少し外れたところに向かったあと、石は曲がって男に向かうが、やはりというべきか下に引かれるように落ちる。
「変化球なら自信があったんだがな」
再び男に石を投げて、落ちる。……一つ目は。
今、男に投げた石は二つ。真っ直ぐ投げて落ちた石と、大きく上を狙って投げたもう一つの石。その石は本来外れるはずの軌道から下に引かれるように勢いよく落ちる。
降ってきたような軌道で男の頭に当たり、男はたたらを踏み後ろに仰け反る。
よし、これならいける。そう思った瞬間。男の目が俺を見据えた。嫌な感覚、直感とも言えるそれに従って横に跳ねると、瞬間、男の巨体が目の前に迫り、拳で俺の肩を跳ね飛ばしていく。
身体が浮き上がり、先日トラックに轢かれたことを思い出す。あれよりかは衝撃も低いだろうと考えていたが、思ったよりも長く飛んでいる。気がつけば遠くにあったはずの壁に叩きつけられており、肺から空気が吐き出された。
「……トラック相手でも怪我しなかったんだけどな」
『知らなかったのか? トラックってのは俺の拳の威力を再現するために作られたんだぜ?』
偽物が本物に勝てるはずがないだろ、と大男は英語で語り、俺は思わずトラックの方が昔からあっただろうと血を吐きながら突っ込む。
殴られた左肩が上がらない。もしも避けずに体の真ん中を殴られていればと思えば、恐怖で身体が震える。
少しでも時間を稼ごうと、向かってくる男に話しかける。
『おいおい、俺に接近戦を挑むつもりか? 俺はこう見えても強いぞ。さっきも虎と組み合って絞め落としてきたところだからな』
『知らないのか? 虎ってのは俺の強さを再現するために作られた生き物なんだぞ。本物が偽物より弱いわけがないだろ』
『それは嘘だろ……』
放たれた打撃を転がって避けながら、男の拳が壁を貫いたのを見て頬が引き攣る。
威力がおかしい。流石に受け止めたりは不可能だと判断し、全力で距離を取りながら回避することに専念。無理な体勢から飛んだり跳ねたりとしていると、突然身体が重くなり地面に倒れ込む。
これが能力の正体か。何か上から降ってきているわけではなく、身体自体が重くなり、地面に引かれる。言わば『重力を操る能力』だと言えるだろう。
まともに逃げることは不可能で、振るわれた腕の下を潜るようにして男に抱きつくと重さから解放される。範囲を指定して能力が発動するのだとしたら、超至近距離の方がむしろ安全地帯だ。
片腕で服を掴み、大男に脚を掛ける。男は抵抗するが、突然男の足元の地面が氷に覆われ、脚を滑らせる。見ると、金髪の少女が能力を行使したようだった。
「ナイスアシスト!」
男の身体を地面に投げ、受け身を取れないように脚で男の身体を蹴り、踏み付けるように地面へ叩きつける。
男は叩きつけられた衝撃で息を吐き出し、俺はそこに向けて馬乗りになる。
『こうすれば、重くしても問題ないな』
『──流石に、異端書に選ばれるだけはある』
男の言葉と同時に身体が浮き上がる。吹き飛ばされるというよりかは、上に落ちるような感覚。
上空に浮かび上がり、気持ち悪い浮遊感のあとに落下する。
空の上から見ると、少女が水を集めているのが見えた。受け身を取りながら水のクッションに着地し、全身の痛みに耐えながら少女の近くに走り寄る。
「……落とすだけではなく浮かばせることも出来るらしい」
「見ていたら分かる」
「倒せる算段は?」
「……一応用意はしたけれど、見込みはあまりないわね。相性が悪い。圧力をかけられてると気化もさせにくいから」
難しい。先ほどのように石を投げてというのも警戒されているだろう。何より、左腕が動かせない現状だとまともに投擲も出来ない。
「打つ手なし……か」
「あなたは何か能力とかないの? 異端書に選ばれているぐらいなんだから……」
少女の言葉に、崩壊した建物が脳裏に浮かぶ。
「……あるの?」
「……使えない」
会話の最中にも、こちらの動きを封じるように体の重さが増す。ただでさえ傷だらけの身体は上手く動くことが出来ず、このままでは抵抗のしようもない。
死ぬ……殺される。明確な恐怖に足が竦み──トン……と少女に押されて男の能力の範囲外に出る。
「……巻き込んでごめん。私が命賭けて倒すから……紙片を私の仲間がくるまで預かってくれてたら助かる」
「いや、待て。逃げればいいだろ。それを渡したら……」
少女は首を横に振り、俺を阻むように氷の壁を作り出した。
「危ないものだからね。ちゃんと管理出来る人が回収しないと……人が死んじゃう」
人が死ぬって、今から死にに向かう奴が言う言葉じゃないだろ。
決意の固さと悲壮を思わせる目……何を言っても止まらないと、理解する。
人が死ぬところは、見たくない。
「冗談じゃ……ない」
少女より数瞬遅れて決意する。タイミングは遅れた、氷の壁という障害物があり、あと一秒もあれば、少女か男、あるいはその両方が致命傷を負うだろう。
だが、それであっても問題はない。
フッと、身体から力が抜け出て、目の前に幾何学模様が刻まれた円が生み出され、その中央から光の線が走る。
線は氷の壁を通り抜け、男の拳に触れてそれを貫く。
「──えっ」
呆気に取られたような少女の声。男は出血もなく貫かれた自らの手を見て、何があったのかすら理解出来ないような表情をする。
『“イデアル・スコープ”。……よくも使わせてくれたな。この力は、この中の誰よりも、速く、鋭い。抵抗はするな』




