5-3:ぼくらなら
正しくあろうとすることは、正しいことだ。
迷いもする、間違えもするけれど、唯一……正しくあろうとしたことだけは違えたことはない。
サナムを説得出来る保証などなく、むしろ「何も分かっていない」俺が何かを出来る可能性なんて考えるのも馬鹿らしいぐらいだろう。
金糸の髪を見て、少し汚れた服を笑ってから、ゆっくりと近寄る。
「サナム、探したぞ」
名前を呼ぶが、彼女が振り返ることはなく、肩を持って彼女の歩みを止める。
ゆっくりと振り返った彼女の金の瞳が俺の眼を見て──俺は迷わず跳ね飛んで後ろに逃げ下がった。直後、俺のいた場所が地面ごと何かに抉り壊されて、破砕音が鳴り響く。
相対して確信した。違う。アレはサナムではない。
怯えを孕んだ、諦めや虚無感、若干の本能をない混ぜにしたような瞳ではなく、喜悦の色の強い瞳。
即座に撤退を考え、それと同時にどうにかしてやらなければならないという感情が生まれる。痛む傷や骨を無視し、サナムの身体を使っている「何者か」の目線から攻撃される場所を読んで避け続ける。
「お前……誰だ!」
答えるはずはないと思いながら、反応でもすれば上等と考えて口にした。ローブの内側にあるであろうサナムの左腕がピクリと小さく動き、そこに何かあると判断して光を放ち、彼女のローブに火をつける。
瞬時にサナムが目線をローブにやり、燃えていた部分が失われてローブの中が露出する。見覚えのある、見たことのない古びた本、夢の中で見たものと同一の物。
「……ッ! 破壊の……シグレの異端書!」
「……勘が良いな。人間というのは本当に面白い」
サナムの口から聞こえた、彼女とは違う口調の声。一際大きい破壊の能力を避けて、後ろに逃げ下がりながらサナムの眼を見詰めた。
どうやってかは分からないが、サナムの身体が異端書に奪われているらしく、ニヤリとした笑みを浮かべながら俺へと破壊の能力を放ち続ける。
空間に亀裂が走る光景に戦々恐々としながら逃げて、距離を置く。
「何故、こんなことを」
「退屈だからだ。身体を分けて、争わせたというのに……だ。なんだお前らの体たらくは。協力、救出、共闘、知略、謀略、約束、嘘、信頼、裏切……とつまらぬことばかり。もっと壊せ、より暴れろ、思うがままに! 衝動を爆ぜさせるが如くに! ……そんな争いをしなかったからだ」
「……何を」
「お前が特につまらない。共闘して、賭け事で勝敗を決め、スポーツのような戦いに、甘ったるい信頼関係」
サナムは左手の本、意識ある本を俺に向ける。
「理性をかなぐり捨てろ! ……でなければ、次の一瞬には泡沫だ」
目線がどこにも集中していない。嫌な気配を感じ、能力を発動させて、自身の姿を屈折させて見えないようにしながら移動する。サナムの背後を取った瞬間、異端書の能力が発動した。
辺り一面の空間にヒビのような亀裂が走り、轟音と共に砂埃を立てて全てが破壊される。近くの店やビルが崩れ去り、景色が遠くまで見れるようになる。
まだ完成もしていないのに、この威力。サナムが俺を視認するより前に手を伸ばし、異端書を掴む。驚愕の表情を浮かべた彼女、あるいは彼の顎に掌底を当てて視界をブレさせた後に、耳を平手で叩き平衡感覚の一部を奪う。
意図的に起こした強烈な目眩がサナムの身体を揺らし、左右上下も分からない内に破壊の異端書を奪おうとして、サナムの右手の皮膚が爆ぜるように破壊される。
「──次は心臓だ」
手を離して距離を取ると、地面に倒れたサナムが俺を見た。
「お前、自分で……!」
「外を認識出来なくさせて、能力の発動が出来ないようにしようとする、か。“あちら”においても、ここまでの実力者はなかなかにお目にかかれないな。だが、甘い」
体外は分からなくとも、体内感覚という物はそう簡単には失われず、どれほど朦朧になろうとも意識さえ残っていれば自分の身体の破壊は出来る。
異端書にとっては操っている人形なだけであるサナムが壊れても構わず、俺はそれが認められない以上、それは人質として機能してしまう。
「身体が揃ってはいないと言えど、追い詰められるとはな」
「……この争いの主催者が出張ってくるとは、どういうつもりだ」
「何を言っている? お前らも私を散々使っただろう、賭けのチップや盾代わりに」
「それが何の関係が……全く、違う話だろう」
能力は食らわずに済んだが、暴れたせいで塞がりきっていなかった傷が開き、包帯に血が滲んでくる。サナムの身体を操っている異端書は愉快そうに表情を歪めて、小さな口を開いた。
「同じだ」
連続して破壊の能力が放たれて、全力でそれを回避する。
被害が増えていくが、大分前に逃げたのか、人がいないので十分に動き回ることが出来る。
同じ。紙片を利用することと、異端書がサナムの身体が操るのとが、主と道具が逆転している……そう思ったが、違うと理解する。
異端書の言葉を信じるのならば、答えは一つだった。
「サナムが! これを望んでいるとでも言うのか!」
「破壊を望んでいる。だが、反抗も出来ないような強烈な恐怖心。だから私に身体を明け渡し、代わりに私が動かす」
「っ! そんなことっ!」
「間違っているとでも? ……お前は、哀れな少女にそのまま恐怖に囚われ、反抗することもせずに生きて死ねと?」
右手から血を流している少女の姿に痛ましさを覚えながら、否定する。
「お前は、それを楽しんでいるだろう」
「否定はしないさ。利害の一致だ」
瞳の奥を見る、中にいる彼女を見つめようとするが、見つからない。
けれど確かに意識はあるのだろう。異端書の言い分は「あくまでも異端書は道具」であることなのだから、サナムの意思なくして乗取ることは出来ないはずだ。
「……サナム」
「なんだ」
「お前じゃねえよ。……いや、悪い。意思表示という意味なら十分か」
少し考えてから、ポケットに入れていた換えの包帯を取り出す。
「とりあえず、右手だけ止血させてくれ。サナムにとっても、お前にとってもそれの方がいいだろう」
「……不意を突くつもりか?」
「憎んでいるわけではないんだ。傷つけたくもない」
「……まぁいい」
よし、と心の内で喜びながら、サナムに近寄って手を取る。見た目の派手さの割に傷は浅く、血管をいくつか切ることで血を飛び散らせて派手に見せるようにしているらしい。器用なものだと思いながら、異端書に話しかける。
「サナムに意識はあるんだな?」
「……どうだろうな」
「あるんだな。先程の反応を思えば、お前を奪えばサナムの意識は戻ってくると思っていいか」
「……だが、それをしようとすれば」
「道具なんだろう。それにしても計略が苦手にも程がある」
包帯を巻き終わり、倒れたサナムから本を奪う。
「……?」
「悪いな。薬を盛らせてもらった」
傷の手当をするなど、傷口に薬を盛りますと言うようなものだろう。本を手にとって見るが、意識を奪われることはない。
語りかけられることぐらいあるかと思ったが、そんな様子もなく、ただの本にしか見えない。
「目を覚ますのはまだ掛かるか」
サナムの顔を見ながら本を懐にしまい込んで、彼女の身体を持ち上げる。ヤケに軽い……いや、軽すぎる。
「……壊……れろ」
「ッ!」
サナムの声が聞こえた瞬間に離れるが、俺が破壊されるようなことはなく、何もなく不発に終わる。
フラフラと蹌踉めきながらだが、サナムは立ち上がり、不思議そうに自分の手を見る。
「壊れない。壊れろ、壊れろ。全部なくなれ、失せろ」
見る内にサナムの手が治り、気がつく。
「治癒の能力か!」
サナムは俺を見て、昨日と変わらぬ声色で言う。
「……消えろ。全て」




