3-3:警告
扉を開けようかと迷っていると、内側から扉が開き、給仕服を着た女性が深ぶかと頭を下げる。
「お待ちしておりましたお客様方、ニコライがもてなす用意をしています。どうぞごゆるりとお使いください」
「……ありがたい。早速で悪いが、彼の元に案内してもらえるか?」
「かしこまりました」
メイドがいるのか。大きな館だから当たり前なのかもと思ったが、経験がないので判別が出来ない。
「ねえ、ついて行って大丈夫なの?」
「問題ないな。ルールとして、参加者以外が参加してはならない。罠にはめることは禁止されているだろう」
「彼女が参加者の可能性は?」
「それもない。参加者になる条件として言語能力が高いことが挙げられているが、彼女の話し方を見ると何ヶ国語も話したりは出来ないことが分かる」
「……なんで?」
「舌や喉の使い方だな。大きく形態の違う言語を操るバイリンガルやそれ以上には若干の特徴がある」
まぁ、そんな癖も隠せなくはないが、それにしても若く、そのところにまで行くのにはどうやっても時間が足りないだろう。
屋敷を案内されながら、端々にある調度品を見る。美しいけれど派手でも華美でもない。調度品のひとつひとつの質もいいが、何よりも……真ん中を歩いた時の風景が美しい。
クラシカルな給仕服を着た使用人が先導して、それで初めて「廊下を歩く」という芸術が完成するようだ。
敵ながら感服する。素晴らしいと手放しで褒められる。
メイドの歩幅が小さくなり、彼女は立ち止まってから扉を叩き、主人を呼び出す。
「ニコライ様、お客様がお越しになられました」
それにしても、ロシア人らしいのにイギリス贔屓だ。
「通してよい」
「かしこまりました」
「あ、ヨミヒト!」
警戒するリリィ達三人を背に、部屋の中に入る。
「……失礼する」
そこにいたのは、白髪の男……老人と言っても差し支えないような歳で、けれど厳格さを持った雰囲気は弱々しさとは無縁のように思える。
「礼儀がなっておらん」
ニコライはそう言いながら、杖をトンと床に突く。
「部屋に入ってまず値踏みするとは如何なものか。外で隠れているのも同様だ」
「一応は敵だから警戒もするだろ。それとも貴方は自衛も考えるなとでも? 不意打ちをしにいかなかっただけで礼儀は果たしている」
「ふん。お前はまだしも、後ろで怯えているのはどういうことか」
「様子を見ているだけだろう」
部屋には机と椅子しかなく、絨毯すら敷いていない。ただ机の上には幾枚もの紙片と、トランプが置いてあるだけだ。
「トランプ?」
「争う方法など、暴力に限らずにあるだろう。それともお前は老体を殴りにきたのかね?」
「よく言う」
老いてもなお残る鍛えられた体幹は、見ればよく分かるものだ。椅子に腰掛けている様子が根を深く張る巨木に見紛うようで、到底容易に勝てる相手とは思えない。
「……何で争う?」
「ポーカー、はどうかね。ルールも単純、勝敗も分かり良い。あるいは別の賭け事でもよいがな」
椅子に腰掛けてから三人を呼ぶ。嘘を吐いて騙そうとしているようには到底思えない。
ノアに目を配ると、彼は頷く。
「任せておきたまえ、今日は牡羊座が星座占いで一位だった。ランダム要素の高いものだろうと負けるはずもないさ」
それはどうだろうか。
「ふむ、乗り気ということでよろしいな」
「……残念だけど、私はそちらの用意した道具で、そちらの手の内で戦うつもりはないわ」
「ふむ、ならば……何で争おうと」
「普通に戦えばいい」
リリィはそう言いながら水筒を開けて、俺はそれを手で制す。
「……何よ、ヨミヒト」
「いや、この屋敷、貴重なものが多かったからな。破壊することは避けたい」
「何みみっちいこと言っているのよ!」
「む、物の価値が分かるものもいたか。その点は評価してもよい」
「それはどうも。お茶をもらえるか」
俺が言うと、使用人は一礼して部屋を出ていく。
「何くつろいでるのよ! 危ないじゃない!」
「非参加者が毒を仕込んだりはルールに反するから出来ない。それに何にせよ、強盗紛いのことをすべきではないだろ」
相手が力任せの奴だったり、明確な悪であれば話は単純で済むけれど、このように対話をしようとしている場合は勝手が違う。
大義のために、とするにしてもまだ切迫した状況ではなく、応じるか出直すかという選択肢しかない。
「でも、何があるか分からないんじゃない?」
「なら出直せばいい。ただでさえ徒党を組んでというのはフェアじゃないやり方だ。交渉を蹴って奪うのはリスクが高すぎる」
「ヨミヒトくん、リリィくん、君達はさ、少し考えすぎている節がある」
俺とリリィの話を遮るようにノアが前に出てきて、「勝てばいいだけだ」と口にする。
「それに、このトランプにも机にもイカサマの用意はないしね。普通にトランプで遊ぶんだったら、四人いて有利なのは変わりないさ」
「……ポーカーって複数人でやっても有利ではないだろ」
「ふむ。ならば、人数かける十倍の量のチップを持たせてやろう。四人いるから四十倍、儂よりチップが多い状態で始めさせてやる」
四十倍のチップなど、賭け事で負けるはずがない。だからこそ、あまりにも不自然だ。
「ずいぶんと自信があるな」
「若者で遊びたいだけだ。この歳になると、本気で向かってくるものはおらんでな」
「……なら、本気で挑んでやるから、もらえないか?」
俺は机上の紙片を一瞥する。
「真剣味のないゲームになる。それではつまらない」
運ばれてきた人数分の紅茶の匂いが部屋を覆う。その一つがニコライの近くに運ばれ、俺はリリィに目配せをし、彼女は頷く。
最悪、それを使ってリリィの能力で動きを封じさせることが出来る。
「そうだな、チップ代わりに紙片を使おうではないか。下駄の四十倍も合わせて、何枚になる?」
「持っているのは十七枚だから六八〇枚分のチップだな」
「私は二十六枚持っている。そちらの足りない紙片は普通のチップで代用するとしよう。……途中で降りることは許さん」
ニコライの目が鈍く光る。
すぐに片が付くか、長期戦になるかか。イカサマがなければだが、この状態でイカサマがないと考えるのは難しい。しかし、部屋中をつぶさに探してもそれらしきものは見つからない。
「……部屋を変えよう。クルーザーの中で行う」
「いいだろう。なかなか警戒心が強いな」
「ここまで条件が良ければ警戒もする。当然、断っても構わないが」
ニコライは面白そうに笑みを浮かべて、頷く。
「あと、その紙片についても改めさせていただく。偽造など難しくないからな」
「どうやって確かめる?」
「火をつければ分かる」
「なるほど、気に入った」
彼は立ち上がって紙片を俺に渡す。
「好きに確かめると良い。では、場所を変えよう」
警戒心が薄い……いや、何か違う気がする。こちらがそのまま持ち出すことをしないと確信しているような言動。
どうにも胡散臭い。