3-1:警告
ぶす、とした顔で俺の方を不快そうに見つめる青い目。
食べにくいと思いながら、スプーンを動かしてカレーを頬張る。味はいいが、食べる状況は最悪だった。
怨嗟の念を送るような視線。それがいくら美少女と呼べるような容姿の少女のものだからと言って、敵意のある視線は気分の良いものではなく、飯を不味くさせる要因にしかならない。
「……なにか用か、リリィ」
「……別に」
「見られていると食べにくいんだが……」
目を逸らされたのでカレーを口に含んでいくが、チラチラと見られてやはり食べにくい。
「……言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」
「ヨミヒトは、なんでそんなに強いの。私は訓練もしていれば、能力も使い慣れている」
「そう変わらないだろ」
「ヴィヴィ、ロスヴィータは……私とノアが二人がかりでも……どうにもならなかった」
福神漬けをポリポリと齧りながら話を聞くと、どうにも戦闘において一歩劣っていると思っているらしい。
「なんでそんなに強いの」
「……体格差や、筋力の差が大きいんじゃないか。あと、場慣れだろうな」
「場慣れ?」
「運が悪いのか、色々と巻き込まれやすいからそういった機会が多かった」
リリィはため息を吐き出して、口を動かす。
「じゃあ、すぐには無理か……」
俺はカレーをかき込むようにして食べてから立ち上がる。
「いや、そうでもない。少しついて来い」
「……なに?」
「いいから来い。軽く散歩をするだけだ。……外は危ないから油断するなよ」
訓練のために長いこと篭っていたが、そろそろ外に出た方がいいだろう。念のために身体を解していると、何をしているのかとリリィが冷たい目で見てくる。
金を持って、いざ、と外に出ると強い日差しに当てられて帰りたくなってしまう。
何の目的もなしに散歩というのは逆にやりにくいと思ったので、リリィに尋ねる。
「ここら近辺で行きたいところはあるか?」
「……デートのつもり?」
「ないな。……初対面の時から下手したら殺されていたからな」
「ちゃんと声かけたじゃない」
「そういう問題じゃない。……俺もあまりお前が好きじゃないな」
「私は嫌いよ。あなたにはエスコートもさせてあげない。ついて来なさい」
そう言いながらリリィが歩き出し、俺は頭上から降ってきた鳥の糞を回避してからそれに続く。
すぐ近くを歩いていた子供が靴紐を直そうと屈み、風船の糸から手を離してしまったので、跳んでそれを掴んで子供に渡す。飛んでいた蜂をはたき落として、死んでしまったそれを街路樹の土の下に置いておく。
「……今、流れるように色々しなかった?」
「よくあることだろ」
「いや、あまりないでしょ」
「そこ、危ないな」
リリィの手を持ち、抱き寄せて鳥の糞を回避させる。手を離して彼女を見ると、顔を赤くして怒りながら俺を睨んでから目を逸らす。
「な、何するのよ!」
「糞が落ちてきたからな」
「そう言う意味じゃないから!」
何を怒っているのかと思っていると、一人でドンドン歩いて行ってしまうので、少し早歩きで追いつく。
「今ので分かると思うが、リリィは一つを見ていると他のところが見れていないように思えるな」
「うるさい!」
「リリィが頼んだんだろ……」
何を怒っているのかとため息を吐き出すと、「ふんっ」と言いながら顔を逸らされてしまう。
「エスコートさせてあげない」とリリィが言っていたが、かと言って土地勘のないところで、適当に歩いて何か出来るわけでもなく、妙なところまで歩いてくるだけだ。
ホテル街……と若干気まずく思っていると、リリィは耳を赤くして誤魔化すように歩き続けていく。
彼女がいるはずの大学の友人が、その彼女の友人の女性とホテルから出てくるのを見かけ、目が合う。
とりあえず会釈だけして、リリィに合わせて早足で歩く。
「……どうしたの?」
「いや、友人の浮気現場を目撃してしまった。気まずい」
「……そう。ここ、何処か分からないんだけど……」
「はあ……道、分からないんだろ。『エスコート』してやるから」
そう言いながら、何処がいいかを考える。行き着けの本屋……は、外国人相手に連れて行くところじゃないか。
大学や、よく遊ぶ場所……なんとなく違うな、美味い飯屋、さっき食べたばかりだ。
……そうだな。と思いながら歩く。スリの手を捻って捕まえて、原付に乗ったひったくりを走って追いかけて捕まえる。
そうこうしていれば、目的地に着く頃には夕暮れも近づいていた。
「……半日あなたを見ていたら、強くなるのも納得出来たわ」
「それだけ苦労もしている。まぁ、半分はほっとけばいいことだけどな」
着いたのは小さな花屋。店員から一輪だけ買って、リリィに渡す。
「これは?」
「知らない。適当に買った」
「……花を渡すのに、何も考えないなんて。それに、日本を案内するならもっといい場所があったんじゃないの?」
「一日でいけるような場所なんてたかが知れているだろ。都市部は日本もアメリカも似たようなもんだ」
少し顔を赤くしているリリィの頭を乱雑に撫でて、ポンポンと肩を叩く。
「気を張りすぎだ。少し落ち着け」
「……でも、世界が危ないから……私がなんとかしないとダメなのに」
「人ひとりができることなんて、大したことない。俺を除けばな。最悪、悪い奴に全部紙片が渡っても、その破壊の異端書と戦って取り返してやる」
「……それが無理だから」
自信なさげな姿に少しだけ笑う。
「大丈夫だ。俺に任せておけ」
「……馬鹿じゃないの?」
クスリとリリィは笑ってから、視線を隠すように首を横に向けながら話す。
「……実は、異端書を壊すの、本当にそうするべきなのか迷っているの。危ないものだけど……使い道を間違えなければ……って」
例えば、兵器だけを壊して回るとかしたら世界平和になるのではないか。夢物語のようにリリィは語り……馬鹿みたいな考えだと自嘲する。
「“正しくあろうとすることは、正しいことだ”」
「……いい言葉ね、誰の言葉?」
「知らない。興味もない。だが、この言葉は正しいと思っている、道しるべのようだとも。迷ってもいい。間違えるのもいいだろうな。自分が正しくありたいなら、正しくあろうとすることが大切だ。リリィは何が正しいと思う」
彼女は俺を見つめて、珍しく仏頂面を崩して微笑んだ。
「……もっともっとと思っていたら、世界征服までいっちゃいそう。世界の支配者になるつもりもないからね。それで世界が本当に良くなるなんて思ってもないし。うん、やっぱり壊すのが一番ね」
「そう思うなら、そうしたらいい。……来たな」
「来たって……」
フレデリックと違い、幾分か大人しそうに見える。俺とリリィを見据えた彼は、懐からナイフを取り出したのでそれを諌める。
「場所を変えよう。ここで争うと誰の得にもならないだろ」
「あまり強くなかったな」
「まぁ、あのフレデリックみたいなレベルのがたくさんいたりはしないね」
「素手でも案外なんとかなるな」
「それはあなただけ……いや、ヴィヴィもかな……」
男の去っていった方を見て、身体を伸ばす。普通に敗北を認めて去ってくれて助かった。無理矢理強奪するのも、痛め付けるのも好きじゃない。
「なんで能力使わなかったの?」
「外だと出力の調整が難しい」
「……ふーん、そっか」
「なんだよ」
何故か嬉しそうにしているリリィはウリウリと俺の肩を叩いて、笑みを浮かべる。
「何でも出来るわけじゃないんだね」
「当たり前だろ」
「……頑張ろうね、争議典」
頷くと、リリィも頷き返す。
「やっぱり、そんなに嫌いじゃないかも」
そんなことを言われてから、二人で組織の中に戻る。
軽く能力の訓練をしてから、かいた汗を流そうと思いシャワー室に向かう。
訓練も食事もシャワーも寝るのもこの地下で間に合っているので、楽でいい。札が使用中になっていないことを確認してから、扉を開けて中に入る。
「あれ? ヨミヒト……」
濡れた金の髪が目に入る。シャンプーの香りと湯気の匂いが混じった湯上りらしい匂い。
驚いたようなリリィの顔が、湯から上がっているのにどんどん赤く染まっていく。下を見ると、ポタリと水滴が身体から滴り落ちている。まだ身体を拭いてすらいない。
当然湯のついた状態で服を着ているはずもなく、濡れたままの白い身体が見える。裸。
「──っ! へ、へんたい!」
慌てて謝ろうとしたところで、リリィが俺に近くにあった物を投げつけ、それを受け止めると、柔らかく小さい桃色の布。
「……パンツ?」
リリィは胸を片腕で隠しながら、拳を握りしめ、俺に迫る。
「やっぱり、ヨミヒトなんか大っ嫌い!」
腹に拳が突き刺さる。蹲ったところを首裏に肘鉄が入り、地面に倒れ伏す。……強え。
綺麗だったとか、思ったよりも胸があるとか、そのような感想は首の痛みのせいで、意識と共に遠のいて行く。