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片方は既に胃袋の中にある

「内覧をさ、してこようと思ってるんだ」


「内覧?」


「そう、内覧」


 唐突に僕が言うものだから、メテムはイマイチ意味が分かってないように思えた。

 無理もない。

 それはあまりに急すぎたからだ。

 物事には決められた手順というものがある。

 料理には料理の手順があるし、説明にだって説明の手順があるのだ。


「今の家はさ、手狭だから、前も言ったように引っ越しを考えてるんだよ。で、御茶ノ水にどうにも良い家があって、それを見に行こうかなと思ってるの」


「ふーん」


 そっけなく返答をすると、メテムはもう興味を失ったのか、手で持っていたコーヒーを口にした。

 慌てて僕はメテムの関心を引くようにセリフを続けた。


「そこさ、凄く良いんだよ。メゾネットでさ、一階はリビングと台所、二階は水回りと寝る部屋と仕事部屋があるの。トイレも二つもあるんだよ」


「トイレが二つ?」


「そうそう、一階と二階にそれぞれあるの」


「お前さ、そこ、一人で住むんだろ? なんでトイレが二つも必要あるんだ?」


「あ、いやだから、ほらメテム一緒にどう?」


「どう?」


「前も言ったじゃん。一緒に住もうよ。そしたらトイレが二つあってもおかしくないでしょ」


 僕が一気にそこまで話すと、それでもメテムは関心が無いように思えた。


--


 僕達は今六本木ヒルズにあるエッグセレントでブランチを取っている。

 週末ということで多少混み合ってはいるが、ランチ前の時間ということでなんとか入れたのだ。

 僕もメテムもお目当てはエッグ・ベネディクトだったし、そのオーダーは(幸運なことに)メテムにとっても問題ないようだった。

 引っ越しの話に興味が無さそうなメテムは、手元に置かれたエッグ・ベネディクト(二つのうち片方は既にメテムの胃袋の中だ)の卵をナイフで裂き、こぼれ出てきた黄身を器用にパンにつけた。

 それからたっぷりと黄身がついたパンを小さく切った後、口に運ぶ。

 何度かそれを繰り返すと、その一連の動作には何らかの意味があるのではないかと錯覚してきた。

 動作、あるいは意味のある儀式。

 その中では僕も儀式を構成する一つの要因でしかない。

 場を乱すこと無く、淡々とエッグ・ベネディクトを切る。

 口へ運ぶ。

 時折コーヒーを啜る。

 要因は要因なりですることがあるのだ。

 そのようにして僕達の間をしばらく時間が通過していった。


「……それで?」


 口元についた黄身をナプキンで拭いつつメテムが口を開いた。

 唐突のことなので、それが引っ越しの会話の続きだと紐付けることに、多少のタイムラグが発生する。


「……うん、そこさ、二階も広いし、二人用のクイーンサイズのベッドでも置いてさ、それでも十分なスペースなんだよね。荷物置き場もあるし、ウォークインクローゼットも広いんだよ。場所も便利なとこで、御茶ノ水駅から数分。医科歯科大学附属病院の隣なんだよ。一階にはコンビニもあるしさ。とりあえず内覧が今度の木曜日だから、良かったら一緒にいってみない?」


 そこまで矢継ぎ早に言って、僕はようやく一呼吸を置いた。

 それからメテムの反応を窺った。

 メテムは自分から切り出してきたにも関わらず、あまり表立った反応はみせない。

 仕方ない、そもそもが乗り気ではないのだ。

 メテムの性格を考えると、興味が無いものにはいつまで経っても興味が無いのだ。


「まあんじゃ内覧だけでも行ってみるか」


 予想に反した答えが返ってきたので、一瞬反応に詰まる。

 すると敏感に察したメテムがすぐに言葉を続けた。


「なんだよ、その反応」


「あ、いや、来てくれるとは思わなくてさ。いや、でも本当に良いところだからメテムも気にいるよ。是非一緒に行こう」


 僕は思わずニンマリとしながら、メテムの顔を見つめた。


「そんな気持ち悪い顔で見られても困るけどな」


 そう言うとメテムは自分の皿に目を落とし、添え物ののサラダをフォークで器用につまみ上げた。


 会計をし、店を出る。

 長時間座っていたから疲れたのか、メテムは全身を使って体を伸ばした。

 少しくぐもった音を口から絞り出す。

 その小さな体を見ていると、僕は思わず後ろから軽く抱き寄せた。

 抱きしめたメテムの体からは少し甘いバニラの香りがした。

 いつもメテムは甘いパヒュームをつける兆しがある。


「ん、なんだなんだ、なんだよおまえ、離れろって」


 そう言うと抱きしめた体を柔らかく曲げながら、スルッと腕元からメテムがいなくなった。


「内覧の帰り、何か美味しいものでも食べよう」


 腕元に余韻を感じながら僕は告げた。


「気の利いたところある?」


「美味しいインドカレー屋があるよ」


「悪くないね。バターチキンにパラクパニール。チーズクルチャにマサラチャイか」


「いいね」


「バターチキンはトマトベース?」


「いや、違う。メテムが好きそうな生クリームが強い感じだよ」


「それは良かった」


「好きだもんね、濃厚なタイプ」


「キシシ」


 そう笑うと、メテムは軽快なステップを踏み、外へと向かった。


--


「本当に良いところだよ、家」


「トイレも二つあるしね」


「そそ、トイレも二つあるし」


 後ろを歩く僕の鼻に甘い残り香が絡んだ。


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