パスタと呼べるものなのかどうか
「ぶどう酒食堂さくら」でメテムと落ち合う。
勿論待ち合わせの時間ぴったりに彼女が来るとは思っていないので(当然今回も遅れた)、早めに中へ入り席を押さえた。
運の良いことに窓際のソファー席が空いていたので、腰を落とす。
ギャルソンにメニューを貰い、先にガス入りウォーターを頼むことにした。
ついでに他のメニューにも目を通す。
頻繁に来るこのお店は、定期的に内容が入れ替わるのでいつまでも飽きない。
胡桃と蜂蜜のマッシュポテト、バジルソースのニョッキなど、魅力的なラインナップに、僕は心を踊らせた。
メテムはきっかり10分ほど遅れて店内へやってきた。
僕を見つけるや否や、さも当然この時間に待ち合わせていた様な顔をして座る。
いや、もっというと、なんで僕はこんな早く来てるんだろうという顔だ。
誇張ではなく、彼女は本当にそう思ってるに違いない。
空中に舞った綿毛が地面に落ちるかの如く、滑らかに席についたメテムは、こちらにチラリと視線を向けた後、すぐにメニューを手にした。
それからしばらく眺めた後、ギャルソンに声をかけ、何かしら小声でギャルソンに注文をしていた。
「最近さ、パスタにはまってるんだよね」
「ん?」
「だから、家でパスタ作ってるの」
今しがた届いたポルチーニ茸のリングイネを食べながら僕がそう言うと、メテムは不思議そうな顔をこちらに向けた。
「パスタを作るって、お前の家、鍋やフライパンどころかフォークもまともにないだろ」
「そうなんだけどさ、ほら、レンジはあるじゃん?」
「ユウキ、お前に一つ教えてやる。世の中一般で言うパスタってのは、作るのに鍋とフライパンがいるんだぞ」
そう言いながらメテムはマッシュポテトが載ったバゲットを口元に運んだ。
「あ、いやだから、そこまで本格的じゃなくて……」
「本格的じゃない?」
「うん、ほら、レンジでチンして麺を作るやつあるじゃん?」
「レンジでチン……」
メテムの手が止まり、気持ち顔が少しだけ険しくなるのが分かった。
まずいな、会話の選択を間違えたか。
そう思う僕の心に追い打ちをかけるように、メテムが鋭く突っ込む。
「それで? 道具も満足になくてレンジでどうやって作るの?」
「いやだからさ、レンジで出来た麺に、卵入れるのよ」
「白身はどうするの?」
「いや、白身ごと入れるの」
「……」
メテムのただでさえキツイ目が、より一層つり目になるのがわかる。
僕はしどろもどろに成りながら説明を続ける。
「そ、それでさ、その中にコンソメ粉末入れて、豆乳入れて、黒胡椒をまぶすと……」
「まぶすと?」
「なんとカルボナーラが出来上がるんだよ!」
「……」
僕が何とか最後まで言うと、メテムは右手を頭を抱えるようにするポーズを取った。
「おまえさ、とりあえずそこいら辺のイタリア人に謝ってこいよ。いいか、ユウキ。お前が作った得体の知れないそれは、確実にパスタじゃないぞ」
「え、だって、パスタの麺を……」
「違う。それはパスタではない何か、であって、パスタじゃない。本当のパスタと言うのは、鍋で茹でて、オリーブオイルかけて、フライパンで作るんだ。そしてカルボナーラの場合は白身は使わない」
「いや、でも……」
「ちがう」
メテムが力を込める。
「は、はい……」
僕はこれ以上の抵抗は無駄だと悟った。
「まったくもう。どんだけズボラなんだよ、お前は」
「えー、メテム料理作れたっけ?」
「ん、私が料理なんてするわけないだろ? 誰に物言ってんだよ」
そう言うとメテムは、椅子に浅く座り直し、前面に脚を長く伸ばした。
「やれやれ、日本の男はパスタすら満足に作れないのか」
「……」
僕は思わず天を仰いだ。
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「そうだ、メテム」
僕はぶどう酒食堂さくらを出て駅に向かう途中、メテムに話しかけた。
「ん?」
振り返ることもせず、言葉だけを返すメテム。
「あのさ、もし良かったらなんだけど、一緒に住まない?」
「ん? 何の話?」
まさに寝耳に水のような反応だ。
「いやさ、今の部屋、ちょっとだけ手狭なんだよね。というか仕事部屋が欲しいと常々思ってたの。で引っ越すなら、この機会に一緒に住むのも素敵かなって」
そう言うと急にメテムが体をこちらに向けた。
「別に反対じゃないけど、無理して住む必要性も感じられないなあ」
「いやほら、いつでも一緒にいれるじゃん?」
「そりゃそうだけど、今のペースでも結構会ってるし、不自由なくない?」
「まあそうだけどさ。ちょっと考えといてよ」
「一緒にねえ……」
腑に落ちないのか、メテムはなんとも言えない顔をしながら、再び踵を返した。
それから駅へ向かってメテムを見送った後、僕も帰路へとついた。