訓練されたレタスというものが世の中にはある
その日の僕は、相も変わらずクライアント先を周り、自分にとっては何の面白みもない説明を繰り返していた。
ここのクラシックバレエメディアではこれを扱っているから、差別化に海外メディアとアライアンスを組んで記事を配信しませんか、等。
正直僕はクラシックバレエなんて見たことはおろか聞いたことすら無い。
それがさも分かってそうに解説をするというのは、自分でも恐ろしく奇妙な気がする。
いつまでも続くかと思われるその奇妙な作業も夕方頃にはようやく終わり、クタクタになった僕は家へと向かった。
帰り道の途中、明治屋が目についたので中にはいる。
ここの明治屋は、なかなかどうして気の利いた物が置いている。
ブラックパスタソースやホタテのアヒージョから、ポルチーニペーストや果てはフォアグラの冷凍まで。
僕は残念ながら自炊はしないのだけれど、それでもこれは見てるだけでも楽しめる。
どこかのお店みたいに訓練されたレタスでも置いてるのではないか。
そう考えるだけでワクワクするものだ。
長い時間をかけて結局かごに入れたのは、物産フェアの広島風お好み焼きと、ジャーマンポテトサラダ、そしてあんドーナツを一袋。
今日の夕食、スイーツ付きの出来上がりだ。
入り口で会計をすまし家へ向かう。
家の前は、黒塗りの運転手付き高級車が長い列を成していた。
知らない人にとっては何事かと驚かれるが、種を明かせばなんてことはない。
ただ単に、目の前に世界的有名な日本料亭「龍吟」があり、それに来ているVIP用というわけだ。
一体この小さな門構えの奥では、何が行われているのだろうか。
おそらくそれは僕には計り知れないスケールの大きな(例えば大企業同士の買収話的な)打ち合わせなのだろう。
あるいはもしかしたら下世話な(誰それの可愛い子が青い下着を履いていた的な)話で盛り上がっているのかもしれない。
何れにせよ、僕には、企業買収にせよ青い下着にせよ、縁のない話だ。
青い下着ぐらいなら何とか現実にすることは出来るかもしれないが、残念ながらそれをメテムに期待するのは今のところ無理だろう(彼女はいつもシンプルな黒の下着ばかりつけている。そして青い下着を仮に僕が買ってプレゼントしたとしても、次会った時もまた黒の下着を身につけているに違いない)。
ネズミのように体を小さくしながら、車の合間を抜け、マンションに入る。
部屋へ着くと、荷物を置いて、部屋着に着替えた。
それから顔と手を洗い、インスタントコーヒーを淹れ、ようやく一息ついた。
ダイニングテーブルでコーヒーを飲みながら部屋を眺める。
広めの1Rには、キングサイズのベッドとダイニングテーブルセットが置かれている。
他にあるものといったら、食器棚と冷蔵庫、それにレンジぐらいだ。
テレビは見ないし、その他雑貨もほとんど無い。
ミニマリスト、ここに極めり、というやつかもしれない。
もし、仮に(本当に仮に)、メテムと一緒に暮らす事になったらここでは少し手狭だな、僕の頭にふとそういう思いがよぎった。
まあそうなったらまた少し広めの部屋へ越せば良い。
ちょうど仕事部屋も欲しかったところだし。
殺風景な部屋を眺めながら、そんな事を考えていたら、スマホがバイブレーションした。
クライアントからかと訝しったが、画面上ポップアップには「メテム」と表示されていた。
ロックを外し内容を確認すると「仕事が終わったから、どこかでご飯でも食べよう」という旨のメッセージが書かれていた。
僕はすぐにメテムに返信を返し、お好み焼きとポテトサラダを冷蔵庫へしまう。
そしてカジュアルな服装に着替え、外へ向かった。