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このタイミングで文句をつけると後々面倒になる

 一日の始まりは、六本木ヒルズのタリーズコーヒーから始まる。

 もちろん日によってそれはサブウェイになったり、あるいはスープストックになったりするのだけれど、概ね、それは、タリーズコーヒーから、始まる。

 プレーンドッグにはケチャップを二袋分。

 マスタードはかけない。

 それにホットコーヒー。

 あまりアイスコーヒーを飲むことはないので、真夏に頼むのもホットコーヒーだ。

 もしかしたらタリーズコーヒーの店員は僕のことを偏屈な人だと思っているのかもしれないが、まあ何を思われたとしても僕自身が変わるわけでもないので気にすることはない。

 昔たしかスティングの歌で、「Be yourself no matter what they say」という歌詞があって、当時高校生だった僕はエラく気に入った記憶がある。


「他人に何を言われても自分自身を貫き通せ」


 この言葉を盲信した結果が、今の僕というわけだ。

 なぜいつもタリーズコーヒー六本木ヒルズ店なのかと言われると、それはやはり開放感のあるテラスがあるから、という他ない。

 もちろん中に入ればWifiや電源があるから便利というのも多少はあるが、何にしたってこのテラスに勝るものはないだろう。

 平日の朝、忙しそうに通りを歩く人々を尻目に、ホットドッグを囓れるのは、安定という言葉の真逆に位置するフリーランスの唯一と言っても良い利点だ。

 ホットドッグを胃に収めて、一息ついたら、仕事の予定を確認する。

 会議の時間、それに内容。

 打ち合わせは大体六本木か丸の内で入れているので、あまり交通時間はかからない。

 ササッと眺めたら、それからまた一息をつく。

 このようにして僕の一日は始まる。


 --


 メテムについて話そう。

 この物語は彼女抜きにしては語れないからだ。

 チャーミングな赤毛をした僕の大切な女の子、メテム。

 彼女とは六本木にあるスダーダというクラブで知り合った。

 あまり慣れないサルサを懸命に踊っている僕に、彼女の方から声をかけてきたのだ。

 最初見た時、その鮮やかな赤毛に目を奪われてしまった。

 メテムはそんな僕に対して屈託のない笑顔を見せた。


「これ、遺伝なのよ」


 そう言って短めに揃えた髪の毛を手でクルクルといじるメテム。

 その様子から僕は、なんでだかとても元気なリスを思いついた。

 森の奥地で活発にはしゃぎまわるリスだ。

 メテムがどこから来たのかは、未だもって僕も詳しいことはしらない。

 あまり語りたがらないし、僕もそういう素性についてはあまり聞かないようにしているからだ。

 まあなんだ、そのようにして僕たちは出会った。


 --


 タリーズコーヒーを出た僕は、それから六本木のクライアント先を周り、意味があるんだか無いんだか分からない説明をした。

 コンサルティングという仕事をしていると、頭を使うように見えて、実はなんてことはない事を言ってるように思える時がある。

 実際に手を動かさないから実感が無いからなのか、あるいは僕が親身になっていないだけなのか、それは分からないけれど。

 午前中の打ち合わせが終わる。

 次の仕事はまた時間が空いている。

 ココらへんの時間管理をもっと適切にやらなければ、と思っている矢先、スマホが鳴り響いた。

 ゆっくりと聞いているとどうにも相手に申し訳ない気分になるので、早めに通話へ切り替える。


「ユウキ?」


 スマホの先から明るく闊達な声が聞こえた。

 メテムだ。


「そのさ、問いかけはさ、スマホみたいにアルバムで連絡先を選ぶ時代にはそぐわないと思うんだよね」


「まあ、な。でもとりあえず言ってみただけ」


「どうしたの?」


「今、暇?」


「うん、まあ打ち合わせが終わった所。ランチでも食べようかなって」


「あ、それはちょうど良かった。ランチ食べようと思っててさ、電話したんだ」


「そう。んじゃどこ行く?」


「んー、分からない。今どこいるんだ?」


「六本木だよ」


「あ、それならあそこどうだ? ほら、モッツァレラチーズの専門店。あー名前なんだっけ」


「モッツァレラチーズ? ああ、Obikaかな」


「そそ、んじゃそこの入り口待ち合わせで。10分後に来れる?」


「うん、なんとか」


「んじゃ、遅れないように走ってこいよ。じゃあな」


 それだけ言うとメテムはこちらの返事を待たずに電話を切った。


「プッ」という小さな音が鳴ったのは確認できたのだが、その唐突さから僕は思わずまだ何か聞こえてく

るのではないかという気になって、しばらくスマホを耳から離さなかった。


--


 Obikaへと向かう。

 ヒルズ内とは言え、けやき坂の方なので若干の距離がある。

 遅れるとメテムが何をしてくるのか分からないので、少し駆け足気味だ(彼女のリアクションについてはこれから追々語っていくが、とりあえず自由奔放、とだけ今は伝えておく)。

 階段を下りてエスカレーター手前を右に曲がり入り口へたどり着いた。

 すぐにメテムの姿を探したが、見つからない。

 だが、油断は出来ない。

 ここは入り口が二つあり、もう片方のところで彼女が待ってるかもしれないからだ。

 すぐに店を迂回するように別の入り口へと向かったが、それでもメテムはいなかった。

 時計を確認したがちょうど10分ほど経過したところだ。

 念のため店内まで見渡したが、特徴ある赤毛は見当たらなかった。

 まあメテムが遅れるなんてよくあることだし、あまり気にすることではない。

 致し方ないのでその場でしばらくスマホを眺める。

 どこそこの動物園でマントヒヒの赤ん坊が生まれた、とか、芸能人の誰かと誰かがひっついた、とか。

 なるほど、世界は平和だよ。

 そんな風に斜に構えていると、後ろの方でドアを開ける音がした。

 おそらく勢いつけて開けたんだろうなと察することが出来るその大きな音から、振り向かないでも誰が来たのかは分かる。


「よっ、ユウキ、早いじゃない」


 振り返ると、そこにはまるでさも時間通りに来たのが自分だと言わんばかりの表情をしたメテムが立っていた。

 黒い短めのスカートに、外に出した白いシャツを着て、腕周りには黒いブレスレットを付けている。


「早いって、10分で来いって言ったのは君だろ?」


 少し非難めいた目線を向ける。


「そうだっけ?」


「そうだよ、まったくもう」


「まあまあ、ほら入ろう」


 そう言うと僕の腕を絡めるようにして引っ張り、中へ入った。


 僕たちは、ギャルソンに導かれるまま奥の座席へ腰を落とした。

 それからランチのメニューを貰う。

 と言ってもどこもそうであるように、Obikaもランチメニューはいつも固定だ。

 なので気になるのは本日のラザニアが何か、だ。

 メテムもそれは一緒のようだ。

 僕が聞く前にギャルソンに話しかけた。


「今日のラザニアって何?」


 気さくに話しかけると、どこかギャルソンはホッとしたような表情をした。

 おそらくだが、メテムが日本語を話せるのに安心したのだろう。

 それからすぐに表情を柔らかい笑みに戻し、口から滑らかに言葉を出した。


「本日はズッキーニとベーコンのラザニアです」


 すぐにメテムがこちらに顔を向ける。


「ユウキ、やったなおい、ズッキーニだって! 私これにするよ」


「ズッキーニか。確かにベーコンの油を吸って美味しそうだね。僕も同じのにしようかな」


 そうギャルソンの方を向きながら答えると、メテムが仰々しく両腕を左右に高々と上げて、困ったような表情をした。


「メテム、どうしたの?」


「お前な、今の私のセリフ聞いてた?」


「ん、勿論だよ。ズッキーニのラザニアにするんでしょ?」


「そう」


「だから美味しそうだから僕もそれにしようかと言ったんだよ」


「あのさ、それじゃ二種類の味が楽しめないだろ? せっかく二人でいるんだから、違うの頼めよ」


「あ、そゆこと?なら、どのラザニアにしようか……」


 そう言ってメニューに目を落とすと、またもやメテムが深い溜め息をつくのが分かった。


「ユウキ」


「ん、何?」


「ラザニアはいいから、ピッツァかパスタにしろって。あ、パスタはシェアしづらいから嫌だな。ピッツァにしろよ。あ、これがいい、クアトロフォルマッジ。美味しそうだからこれにしよう」


 そう言うとメテムは僕の意見は聞かずにギャルソンにそう伝えた。

 ギャルソンはこんな事はもう日常茶飯事なのか、手慣れた感じでメモを取り、僕の方に目を向けた。

 その目からは「これでいいですね? このタイミングで文句をつけると後々面倒になりますよ」という様な感情が込められていた。

 僕もそれを察し、軽く息を吐いた後頷く。

 そしてまたギャルソンも申し合わせた様にして頷き、厨房へと戻っていった。


「クアトロフォルマッジ、好きなんだよね」


「知ってるよ、蜂蜜をかけて食べるんだろ?」


「そうそう、チーズのさ、ジューシーな感じが増すというか、もうとにかくやめられないね、あれは」


「気持ちは分かるよ。僕も好きだし」


「だろー。我ながら良いチョイスしたよ。ズッキーニのラザニアにクアトロフォルマッジだなんて。あー待ち遠しい」


 そう言うとメテムは口の周りを手の甲で拭くような仕草をした。

 こういったどこかコミカルな仕草を一体どこで覚えたんだろう。

 知り合って随分経つが、未だもってして不思議だ。


「それで、今日は何してたの?」


 一通りの動作が終わったのを確認した後、僕はメテムに問いかけた。


「今日?」


「うん、僕はいつも通りコンサルしてユックリしてた」


「私も今日はクライアントの所に行って説明してたな」


「この辺りのお店?」


「そう、西麻布のさ、ほら前に説明しなかったっけ。車でポテトを売りたいって人」


「あ、例のフレンチフライの?」


「そうそう、例のフレンチフライ屋さん。それのさ、車体のデザイン案が出来上がったから見せにいったわけ」


「上手くいきそう?」


「うーん、どうだろう。あの辺はさ、ある程度人通りがあるとはいえ、道路に止まってるフレンチフライを食べる層がいるかと考えれば難しいかもね」


「そうだろうねえ」


「でも物は良いんだよ。ポテトは珍しいのを含めて数種類取り扱ってるし、塩も拘ってるの。流行りのソースだってさ、ガーリックとか明太とか定番の以外に、黒トリュフペーストだの、フォアグラとか高級路線もあるしさ」


「それは美味しそうだね」


「うん、一度さ、試作を食べさせてもらったんだけど、それがもんのすごく美味しいの」


 もんのすごく。

 メテムはそこを強調するかのように発音を伸ばした。


「そこまで言うなら気になってくるね。ぜひとも出店までこぎつけてもらいたいな。すぐお店に行くから」


「任せて。良い感じに仕上げるから」


 そう言うとメテムは気持ち誇らしげに胸をはった。


 ゆっくりとしているとコーヒーとサラダが目の前に置かれた。

 サラダは小さな小皿に盛り付けられ、彩り鮮やかにルーコラやパプリカが乗っていた。

 ココらへんの作りがいかにもヒルズ仕様な気がする。

 それを片付けていると、次にきたのは僕のピッツァの方だった。

 仰々しくテーブルの中央に置かれたそれは、みるだけで四種類のチーズが溶けているのが分かる。

 中央に散らばる青カビは、このクアトロフォルマッジにブルーチーズが使われている証拠だ。

 独特の臭みは蜂蜜にとても合う。

 僕はあまりガツガツしないようにピッツァに手を伸ばした。

 だが、先にカッターを手にしたのはメテムだった。

 軽く鼻歌を歌いながら、器用にピッツァに切れ目をいれる(本来は僕のピッツァだということは一向に構いもしていないようだ)。

 最初に縦に線をいれ二分割にした後、斜めに二本切り込をいれる。

 あっという間に六分割されたピッツァが出来上がった。

 その中から一枚を自分の皿に持っていき、小瓶で用意された蜂蜜をたっぷりとピッツァにかけた。


「ちょっと、メテム。僕の分の蜂蜜も残しておいてね」


「ふふん、少しだけな」


「少しだけって、それ本来僕のピッツァなんだけど……」


「いいんだよ、お前は少しダイエットしろって。いっただきまーす」


 そう言うとメテムは一切れを器用に折りたたみ口に入れる。

 同時に手で抑えている側からは蜂蜜がダラダラと溢れるのが見えた。

 よほど蜂蜜をかけたのだろうか。


「美味しい!」


 すぐにメテムの甲高い声が辺りに響く。

 可愛らしい顔(そんな表現をすると怒られるだろうけど)からも笑顔がこぼれ落ち、輪をかけて幸せを表現している様だ。


「それは良かった」


 思わず返したこの言葉には一切の嘘偽りは無い。

 結局のところメテムが幸せなのが僕らの間では一番大切なポイントだからだ。

 あまりに幸せそうにしている彼女を眺めていると、そんな気も知らないでか、彼女は次々にピッツァを口に入れていく。


「ちょっと、メテム、僕の分残しておいてね」


「ふっふーん」


 聞いているんだかいないんだか分からない返答をするメテム。

 慌てて僕も自分のピッツァを手にして口に入れた。

 すぐに広がるのはチーズのジューシーさと甘い蜂蜜、そしてブルーチーズの塩気が絶妙に溶け合う濃厚な味。


「あ、美味しい」


「そうだろう、そうだろう」


「ってなんでメテムが得意げなのさ」


「何言ってんだ、それチョイスしたのは私なんだぞ」


「チョイスって本来僕が決めるはずなんだけど……」


 そんなやり取りをしながら、自分のピッツァの確保に尽力をしていると、ギャルソンがまた皿を持ってきた。

 ズッキーニのラザニアに間違いない。

 ギャルソンがメテムの前に皿を置く。

 同時にまた焼いた芳醇なチーズの匂いが広がってくる。

 長方形の皿にびっしりと敷き詰められたそれは、焦げ目のついたたっぷりのチーズと、丁寧に並べられた輪切りのズッキーニ、そして隙間隙間に見えるベーコンと、見るからに美味しそうだ。

 ピッツァの甘さとは違い、チーズをベースに肉の香りが混ざる力強い匂いがする。


「ふふん、見たかユウキ。この美味しそうなルックス」


「メテム、僕にも少しちょうだいね、それ」


「少しな、少し」


 そう言いながらメテムはラザニアを端からフォークを入れて器用に食べ始めた(取り分けるために必要な切り分けの作業すらせずに)。


「メテム、メテム」


 慌てて話しかける。


「んん?」


 ラザニアが熱かったのか、口を広げ息を出しながらメテムがこちらに顔を向ける。


「だから残しておいてね、それ美味しそうだから」


「んわかってるよ、五月蝿いなあ」


 それだけ言うと、メテムは騒がしい様子でラザニアを食べだした。


 --


「……まあ、分かってたことなんだけどね」


 椅子にどっかりとした姿勢で座ったメテムを前に何とかセリフを出す。


「ん? 何が?」


 目の前の空っぽの皿を前に、なんら悪びれもせずメテムが返す。


「あのさ、君さ、僕がなんて言ってたか覚えてる?」


「そりゃ覚えてるよ」


「そうなの?」


「君の赤い毛はとてもチャーミングだ。太陽を、それも夏ではなく、少し落ち着いた秋陽を連想させるね、だっけ?」


「……そうじゃなくて、ラザニアについてね」


「その後なんて言ったっけ、良かったら僕とこの後二人で出かけない? とても良いバーがあるんだよ、だっけ」


「……」


「なんだっけか、あのバー。風のせせらぎだか、太陽のせせらぎだか、言ったっけ」


「風の仕業、だよ。んもう、僕だって食べたかったなあ、ラザニア」


「お前少し最近太ってきたからな。ってお前だってピッツァ食べてるじゃないか」


「何言ってんの、これそもそも僕のさ、それを君が半分食べたから、正味全体の四分の三を君が平らげた事になってるんだよ」


「気にしない、気にしない」


 そう言うとメテムは、体全体から絞り出すような声を出し、大きく背を伸ばした。


「ユウキ、お前この後どうするの?」


「僕? 今日は夜に予定があるだけだから、銀座辺りをブラブラするよ」


「銀ブラねえ」


「なかなか渋い言葉知ってるね」


「私はこれからまたクライアントを回らないとなあ」


「そうなの?」


「うん、スリーディープリンターを使って作る新しいタイプのネズミ取り製品のデザインを提案しに、ね」


「なにそれ……」


「キシシ、冗談冗談。何だよスリーディープリンターネズミ取りって」


 それからメテムは、伸ばした背中を勢い良く戻し、その反動を利用するように席を立った。


「さ、そろそろ行こう。銀ブラする暇のある誰かさんと違って、こちとら忙しいんだから」


 そう言うと足早にレジまで向かう。

 僕も財布とスマホを手に、慌てて向かった。


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