十話
続きです。
神聖歴千三十一年六月二十四日――東域鎮台近郊。
この日はあいにくの曇天模様であった。蓮は今にも泣きだしそうな天を一瞥して、大天幕へと足を踏み入れる。
中には総軍の幕僚たちと“天軍”代表としてキールがいた。彼らは長机を囲むようにして設置された椅子に座っていたが、蓮が入ってくると立ち上がり敬礼を向けてくる。
蓮は彼らに返礼して用意されていた上座に腰かける。そして座るように言えば、一人を除いて腰かけた。
その一人――総軍副官として蓮の補佐につくヘラウス将軍は早速と言わんばかりに報告し始める。
「そろったようですので軍議を始めたいと思います。まずは我らが帝国軍の現状についてから」
と言って説明していく。
昨日の内に蓮率いる“天軍”一千五百――先の戦闘で死者や負傷者をライト砦に置いてきたためこの数――と合流した総軍十万は東域鎮台近郊であるこの平野に陣を敷いた。やはりというか、こちらの進軍に気がついていたヴァルト王国軍が既に陣を敷いて東域鎮台への街道を占拠していたからだ。
その後はにらみ合いが続き、その日は幕を閉じて今日にいたる。
と、回想していた蓮だったが、ここまで総軍を率いてきたヘラウス将軍の言葉に意識を戻した。
「――というのがわが軍の現状です。続いて敵軍の情報ですが、これに関しては彼が担当していたかと――任せても?」
ヘラウス将軍の呼びかけに応じたのは、一人の幕僚だった。彼はヘラウス将軍と変わるようにして立ち上がると手元の資料を持ち上げる。
『密偵からの報告ですと、敵軍の総数はおよそ十万。こちらとほぼ同数を揃えてきたようです』
その報告に、一人の幕僚が疑問を口にした。
『馬鹿な、奴らは連日の鎮台攻めでその数を減らしているはずではないのか?』
『そうなのですが、どうやら本国から増援が来たようでして……それで失った兵数を補ったのではないかと』
(随分と今回の戦争に執着しているみたいだな……)
“覇王”が直々に出張ってきたことといい、今回のヴァルト側の本気度は尋常ではないらしい。
(何を目的としているのか……本当にアインス大帝国と決着をつけたいと望んでいるのか?)
蓮としては疑問が残るところだ。長年小競り合いを続けてきたアインス大帝国とヴァルト王国の戦線――通称東域戦線は両国に益をもたらしている。戦争は物資を数多く消費するため、物流が盛んになるのだが、それが国交のない両国の間接的な貿易のようになっているためだ。
(それを壊してまで得る利益があるとは思えないな)
今回の戦争で長年の小競り合いは終わりを告げ、両国の商人たちは戦争経済ともいえるこれまでの商売を止めざるを得なくなった。商人がその仕事を止めれば、当然物流は滞り、これまでその恩恵を受けてきた民たちは貧困にあえぐことになる。そうなれば民たちは原因である自分たちの国の王に良い感情は抱かないだろう。
(……まあ、今考えることではないか。それよりも目の前の戦いに集中するべきだ)
蓮は報告している幕僚に頷きかけて先を促した。
『そして率いているのは“覇王”ではないようで、その側近である“十二円卓”だと報告が上がっています』
「“十二円卓”……全員か?」
ヘラウス将軍の質問に、幕僚が頷く。
『はい、そのようですね。ルナ第五皇女とレン殿下に討ち取られた二人を除いた十人、全員の姿が確認されています』
“十二円卓”は全員が特徴的な赤鎧を纏っているため分かりやすい。見間違えはほぼないだろう。
「……確か彼らは番号で呼ばれていて、ゼロに近くなるほど力量が高いんですよね?」
という蓮の発言に、幕僚は緊張した面持ちで言葉を返してくる。
『は、はい!そのようでして、ルナ第五皇女とレン殿下が討ち取られた二人はその中でも最下位――十二番と十一番だったようです』
(なるほど、だから神器を持ってなかったのか)
一番弱かったから簡単に討ち取れたというわけだ。
蓮はなるほどと言って、先に進めるよう促す。
『“覇王”は自陣に一万弱ほどを残して鎮台攻めを再開するようです』
と言い切って、座り込む幕僚に蓮は一番聞きたかった事を尋ねた。
「ルナ第五皇女がどこに囚われているかは分かっていますか?」
「それなのですが、現状敵陣のどこにもいないようでして……唯一調べていない“覇王”の天幕にいるのではないかと予測されていますね」
幕僚ではなく、ヘラウス将軍が答えた。
「そうですか……」
蓮は落胆を隠さず重たい息を吐く。
(やはり覇彩剣五帝所持者であり、皇族であるルナを管理しているのは“覇王”本人か……)
となれば現状での奪還は厳しいものがある。正直なところ蓮には“覇王”とティアナ、どちらが強いのか判断しかねていた。
(“東域天”が引き付けてくれればあるいは……とはいえ他人任せにもできないか)
事が事だけに慎重を期さねばなるまい。
「……後で書状を書きます。手練れの密偵を放って東域鎮台に届けてもらいたい」
「はっ、承知しました」
と、返してきたヘラウス将軍に頼みましたと言ってから立ち上がり、机上に置かれた鎮台付近の地図と各勢力を表す駒に手をやる。
「では、これから具体的な策を詰めていくとしましょうか」
そう言った蓮の顔には――何故か喜色が浮かんでいた。
*
軍議が終わり、幕僚たちが各々の役割を果たすべく大天幕から出て行く。
その様子を座って眺めていた蓮は、机上の資料と密偵からの報告書を手にする。
と、そこにキールがやって来た。
「旦那、本当にさっきの分担でいくのか?」
「そうだよ。キールには“天軍”を率いて中央の先頭に立ってもらう。もちろん僕も一緒だから心配しなくても大丈夫かな」
「いや、そうじゃなくてだな……中央は大丈夫だろうが、右軍と左軍の指揮官についてだよ。あいつらは信用に足る奴らなのか?」
蓮は先の軍議で右軍と左軍をヘラウス将軍とマルコ将軍に任せることを決定していた。キールとしてはあまりというかまったく知らない人に任せることを不安に思っているのだろう。
そう考えた蓮は手元の密偵からの報告書をキールに差し出して読むように告げ、自らの口でも説明をし始める。
「右軍の指揮を執るヘラウス将軍は生粋の武人ってとこだね。一平卒から将軍まで実力で這い上がった男だから心配はさほどないかな」
平民の出でありながら、武官の高みへ到達したという事実が実力のほどを感じさせる。
「対して左軍の指揮官なんだけど、こっちは少しばかり不安かな。マルコ将軍の生家は五大貴族ミッテル家の血縁のようで、その縁によって将軍の地位を得たみたいだから」
要はコネを使ったということだ。実力に関しては特筆するようなものは何もない。そればかりか将軍としては実力不足だと、兵士の間で囁かれているらしい。
「そこに書かれているように、密偵を放って裏を取った情報だから信憑性は高いと思う。だから左軍は要注意って感じだね。開戦から終戦まで常に気を配ってあげる必要がある」
という蓮の説明を聞き終えたキールは唸るように荒く息を吐いている。
「不満かい?」
「まあ……少しな。とはいえ他に適任の奴もいないことだし、しょうがないんだろうが……」
蓮としても本音を言うならば左軍をキールに任せておきたかったのだが、政情を鑑みるにそうはいかない。
「皇帝直々の推薦だし、ミッテル家の不興を買うのは得策じゃないからね」
西域の五大貴族ミッテル家。かの家が支持しているのはエリザベート第三皇女であり、ルナと彼女は仲が良くない。付け入る隙を作るような真似は避けたかった。
「それに……手を打つつもりだよ」
「保険を掛けるってことか?」
「その通り。というわけで、キールにプレゼントがあるよ」
蓮はそう言って立ち上がると、“天銀皇”から一振りの大剣を取り出す。
「……どこにしまってたんだ?」
驚くキールに、蓮は笑いかける。
「“天銀皇”は格納できる空間が広いんだ……はい、受け取って」
と、蓮は手にしていた大剣をキールに手渡す。
「この剣の銘は“岩切丸”。岩を一刀両断したことからその銘がつけられた神器だよ」
蓮の側近であったグロウリーが最初に持った神器でもある。戦後、蓮はこの剣を譲り受けていた。
「神器って……俺に?本当にいいのか?」
感嘆の息を吐きながら“岩切丸”を見つめるキールに、蓮は頷く。
「キミだからこそ受け取ってほしい。まあ、本当はシュトラールに戻ってから渡す予定だったんだけどね」
そこで一旦言葉を区切って、蓮は真面目な表情を浮かべる。キールもただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、蓮をまっすぐに見つめてきた。
「キール・アトレビド。現時点を持ってあなたを“天部”に任命する。今後もより一層の活躍を期待する」
「“天部”……おいおい、マジかよ。本気かい、旦那?」
キールがそう言うのも無理はない。“天部”とは千年前の“天軍”にのみ存在した選ばれし者たちの総称であり、今日に至るまでその位は空席のままだった。なぜならば“天部”の任命権は司令官である英雄王シュバルツこと蓮しか持っていないからだ。初代皇帝を始めとする“五帝星君”ですら任命不可能である。
「僕は本気だよ。キール、あなたは“天部”として相応しい人物だと“軍神”の末裔たる僕が認めよう。どうか受け入れて欲しいな」
(此処までの戦いや日常を見てきて、キールは“皆”に劣らない人物であると確信できた)
故にこの提案。はたして返答はいかに。
キールは蓮の言葉を聞いてしばし呆然としていたが、やがて覚悟を決めた様子で“岩切丸”を両手で持ち片膝をついた。
そして――、
「謹んでお受けしよう。かつて“天部”に所属していた偉大なる武人たちに恥じぬ戦いをするとシュバルツ陛下に宣言し、誓うものとする。」
堂々たる威風で、己の覚悟を示して見せた。
それに対し蓮は“白帝”を喚びだしてキールの頭上に翳すと、
「誓いを受け入れよう。僕は必ずやあなたの忠義に報いると宣言し、これをもってあなたを“天部”の一員として認めるものとする」
そう告げた。
互いの神器が淡い光を発する。両者の放つ覇気が空間を軋ませ、大天幕全体に厳粛な空気が蔓延した。
蓮は打って変わって朗らかな笑みを浮かべて言った。
「“天部”へようこそ、キール。改めて歓迎しよう」




