四話
続きです。
ルナは衝撃に包まれた。
「え!?で、でもシュバルツ陛下は千年前の人物のはず……」
「そうだ。しかしあいつは千年後――そなたの生きる時代に確かに存在している」
初代皇帝リヒトはそう言ったのち、表情を曇らせた。
「もっとも……不完全な状態ではあるがな」
「それはどういう……?」
「今は話せん。現在のそなたに話せるのは同一人物という事と……先ほどの光景についてだ」
リヒトは重々しい口調で続ける。
「先の光景は千年前に実際におきた出来事だ。ノクト――そなたに分かりやすくレンと呼ぼうか。レンが実際に行ったことなのだよ」
「どうしてあんな……あんな残酷なことを」
ルナは顔を青ざめさせながら呟いた。
それに対し、リヒトは痛々しいと言わんばかりに顔を歪める。
「とても……とても悲しい出来事があったのだよ。その出来事をきっかけにあいつは壊れてしまった」
そこで言葉を切ったリヒトに、ルナは声を掛ける。
「それも今は話せない?」
「うむ。今はまだ……な。それらを知るにはそなたが更なる領域へ進まねばならないのだ」
「……領域?」
「簡単に言えば、覇彩剣五帝所持者としての成長の具合だ。そなたは“翠帝”の所持者であり、最初の関門は既に突破している。しかし当代の所持者の中でもっとも浅いと言わざるをえない」
「浅い?」
訝しげなルナに対してリヒトは指を指す。
「領域は基本的に深くなればなるほど使える力も増えるし、得ることのできる知識も増える――ここまで言えば聡明なそなたにはもう分かるだろう?」
「……なるほど。色々と話せないことも、ティアナに比べて私の力が弱いのも――すべて領域の浅瀬にいるからだと」
「そうだ。であればそなたがこれからするべきことも分かるな?」
ルナは首肯する。
「領域に潜る。……でも」
「不安そうだな」
「ん。どうしたらそれができるのかが分からない」
不安げなルナを見たリヒトはしばし考え――なるほどといった様子で頷く。
「そなたは理詰めで考えすぎなのだ。もっと己の心のままに生きてみるといい」
「心のままに……?」
問い返すルナに、リヒトは笑って返す。
「先ほどの告白のようにだ。人が弱いのは感情の所為でもあるが、また逆もしかり――強いのも感情のお陰なのだよ」
「!?さ、さっきのは忘れて!」
羞恥に悶えるルナだったが、リヒトはそれを極めて真面目な顔で見つめていた。
「いいや、忘れぬよ。余の義弟を想っての発言なのだ。余はとても嬉しく思っている。千年間待った甲斐があるというものだ」
と、ここで唐突に白き世界が震動し始めた。
「これは……!?」
「どうやら今回はここまでのようだ。ルナ――余の子孫よ。心を強くもて。そして己の心に正直に生きよ。さすれば“翠帝”は必ずや答えてくれるであろう」
「……分かった。不安だけど……やってみる」
その返事に、リヒトは満足げな笑みを浮かべ――ルナの視界は白く染まった。
あまりの光量に思わず目を閉じる。
そして僅かな空白の後に恐る恐る目を開けると――そこには闇が広がっていた。
「ここは……っ」
辺りを見渡そうと体を動かしたが、直後訪れた激痛に顔を顰める。
視線を下に向ければ、所々破れた軍服から怪我を負った皮膚が見て取れた。両手には手枷がかけられており、両足にも足枷がついている。
咄嗟に相棒である“翠帝”を喚びだそうとしたが、反応がない。どれほど呼びかけても応じる気配は微塵も感じられなかった。
「どうして……」
ルナの独り言に、
「無駄だ。退神札で檻を覆っておるからな」
応じる声があった。
弾かれたように声の方へ向けば――そこには大男が立っていた。
赤髪をまるで獅子の鬣のように逆立て、ヴァルト王国特有の着物を着ている。年は四十くらいだろうか、年齢にそぐわない若々しい覇気をその身に纏っていた。その腰には髪と同じ色をした一振りの紅刀が吊るされている。
男は雄々しい顎鬚を撫でながらこちらを見つめていた。
「――ふむ。確かに噂通りの美しさだな。知ってはいるが、一応聞いておこう。貴様、名はなんという」
「……名を聞くときはまず自分が名乗るのが礼儀って知らないの」
肌を震わす覇気に抵抗するかのように、ルナは強気の姿勢で挑んだ。
すると男はしばし唖然とし――大笑した。
「ふっ、はは、わははははっ!面白い小娘ではないか。良い、良いぞ。では名乗ってやろう」
覇者だけが発することのできる独特の覇気を惜しげもなくまき散らしながら、威風堂々と名乗りを上げる。
「余の名はリチャード・ヘルシャー・ファン・デ・ヴァルト。ヴァルト王国現国王である」
その姿はまさしく王者。傲岸不遜ともいえるその立ち振る舞いはまさに覇者。
覇と王を兼ね添えたかの男を人はこう呼ぶ。
「“覇王”……っ!」
「応よ。余こそが“覇王”。余こそが“軍神”を継ぐにふさわしい者だ」
“覇王”リチャード・ヘルシャー・ファン・デ・ヴァルト。
南大陸東部アングリッフ地方を支配する大国の王。元は数ある小国の一つにすぎなかったヴァルト王国をたった一代で大国へと成長させた稀代の王だ。圧倒的な武力を持って周辺諸国を併合し、遂には長年小競り合いを続けてきたアインス大帝国との決着をつけるべく東域戦線へと向かってきているとは聞いていたが。
「なるほど……それなら納得がいく」
ルナは“覇王”リチャードの腰に視線をやった。そこには紅刀が吊るされている。
「覇彩剣五帝、その一振りの所持者だったからこそ偉業を成し遂げられたということ」
「余と同じ存在である貴様に隠しても無駄か……。そうだ、これこそが覇彩剣五帝が一振り“緋帝”だ」
リチャードは顎から手を離して腰から紅刀を抜き放つ。刀身から炎が吹き上がった。
「そういう貴様も“翠帝”の所持者であろう?もっとも、今は喚びだせんがな」
「……ここはどこなの?私をどうするつもり?」
唐突に話題を変えてみたルナに、リチャードは特に不快な感情を見せなかった。
「ここか?ここは東域鎮台の目と鼻の先――ヴァルト王国軍の野営地だ。そして今貴様がいる場所は余の天幕であり、檻だ」
“緋帝”の炎で分かったが、周囲には大量の札が張られた鋼鉄の檻があった。
(これがさっき言ってた退神札っていうもの……。“翠帝”を喚びだせないことや、その呼び名から推測するにこれには神力を封じる力があるみたい)
「貴様の使い道はいくらでもある。皇族でありながら覇彩剣五帝所持者である貴様を欲しがる連中はいくらでもいるし、余も貴様には興味がある」
「……私はライト砦付近で捕まったはず。わざわざここまで運んできたの?」
ルナは震えを隠そうと言葉や次に質問する。
そんなルナを見たリチャードは紅刀を仕舞って笑いかける。
「そう恐れるな。先ほどの言葉は可能性の話で、余は今の所貴様をどうこうする気はない。余の天幕に貴様を置いているのも、貴様の身の安全を考慮した結果にすぎんしな」
「なら、私を解放して」
「ふっ、抜かせ小娘。あくまで今の所、だ。これから貴様を使う場面は必ず来る」
「……それは?」
気丈なルナに、リチャードは獰猛な笑みを向けて、
「亀のように閉じこもっているあ奴――“雷光”をおびき出すために、だな」
好戦的な言葉を口にした。
と、その時天幕の外から声が掛かった。
『陛下、敵軍に動きがありました!』
「今行くから待っていろ。……さて、また会おうルナ第五皇女」
そう言って去っていく“覇王”の背を見送ったルナは、あることに気がついた。
「左腕が……ない?」
天幕を出る際に外から吹いてきた風が揺らした着物の左袖は、まるで揺らめく旗のようになんの抵抗もなく風に煽られていた。
*
神聖歴千三十一年六月二十日――アインス大帝国東域中西部シータ平原。
穏やかな風を切り裂いて走る軍勢がいた。白銀の鎧を纏い、三つ首の黒竜の紋章旗を掲げている。
その数二千。シュトラールで再編を終えていた“天軍”の一部だ。
先頭を往く黒髪の少年――蓮の視線の先に目的地であるライト砦が見えてきた。その周囲を取り囲む軍勢の姿も。
「見えて来たな……!」
「レンの旦那、斥候からの報告だと相手は一万らしいぜ。対してこっちは二千、まともにやりあったら蹴散らされて終わりだ」
今回副官として連れてきたキールが進言してくる。
「まあ、そうだね。だからとりあえずある程度距離を詰めたら停止して、相手の出方をみるつもりだ」
急いではいるが、焦ってしまえば相手の思うつぼ。蓮の武力を使えば殲滅もたやすいが、ここで体力を使うのは避けたいところだった。
(この先の“覇王”との戦いまでなるべく温存しておきたい)
今の体は所詮人間のもの。体力に限界があるが故に無駄使いはできない。
「――よし、全軍止まれ。ここに陣を敷く」
指揮官の指示によどみない動作で天幕を組み立てていく“天軍”の兵たち。蓮もキールと共にそれを手伝う。
「しっかし、旦那は変わってるよな。指揮官で皇族で、おまけに大将軍だってのに、兵士に混じって設営の手伝いとはね」
「そういうキールだってやってるじゃないか」
「俺は今は単なる兵士だからなにも変じゃないだろ。昔ならともかく」
アイゼン皇国で将軍をやっていた頃のことを持ち出したキールに、蓮は別な事を思い浮かべる。
(ミルトはちゃんと皇王としてやっているみたいだし……計画にも乗ってくれたから安心かな)
手紙でのやりとりは続けていた。そこには当たり障りのない互いの近況と――今度始動する計画について書かれている。
(残す障害はあと三つ……まずはヴァルト王国の“覇王”だ)
思案する蓮に、キールが声を掛けてきた。
「なに笑ってるんだ、旦那?」
どうやら知らず笑みを浮かべてしまっていたらしい。努めて笑みを消して、なんでもないと言う。
そうすれば僅かに疑念を残した顔で、それでもキールは深く追及せずに作業に戻った。
(危なかったな。ここで感づかれるわけにはいかないんだ)
蓮は疼く左眼を抑えつつ、作業を進めた。




