三十六話
続きです。
アース砦は混乱の極みにあった。
中庭では、フクス軍に包囲されている“天軍”の別働隊が決死の抵抗を行っているし、城壁外では逆にフクス軍が“天軍”本隊と、離反したメール軍の連合軍によって包囲殲滅の憂き目にあっている。
更に砦内部に“軍神”の末裔が潜入し、虐殺を行っているとのことだった。
フクス軍の指揮官ソロは焦燥を浮かべた顔で一組の男女と戦闘を繰り広げていた。
「おらぁあああ!」
気迫を上げて大剣を振り下ろしてくる偉丈夫に、ソロは手にしていた剣でもって打ち合う。
「ちっ、暑苦しいジジイだなっ!」
「おいおい、俺はまだまだ若いぜ?」
悪態を吐けば、返ってくるのは飄々とした笑みだ。
さっさと始末しようと“討土剣”の力を使おうとすれば、
「私を忘れてもらっては困るな」
横合いから鋭い一閃が飛んできたことで、それを防ぐために力を使わざるを得なくなってしまう。
横目で一瞥して力を発動。地面が隆起して分厚い土壁となる。
「目を離したな、坊主」
寒気を感じて正面に向き直れば、男――キールが蹴りを入れてくるのが見えた。
慌てて打ち合いを解いて回避行動を取ると今度は土壁を破壊して向かってきた女――アリアが手にしている剣を横薙いでくる。
体勢を崩した状態ではあるが、“討土剣”で防ぐことを決断し実行する。細腕のくせに恐るべき腕力であったアリアの一撃はソロを――成人男性を軽々と吹き飛ばすほどだった。
「ぐがぁ……ッ!」
背後にいた兵士を巻き込んで吹っ飛んだソロは砦の壁に激突し、血反吐を吐く。
この一幕だけ見ればアリアとキールの二人が優位だと思うだろう。
しかし、ここに至るまでに二人が負った傷は決して浅くはない。
「ぐっ……」
うめき声を上げて片膝をつくアリア。彼女の身体は最初に負ったわき腹の重傷を始め、多くの傷で血にまみれていた。
「嬢ちゃん!……くそっ!」
そんな彼女に駆け寄ろうとしたキールだったが、彼もまた負傷していたことで思うように体が動いてくれない状態。
そんな二人をあざ笑うが如く、ソロが立ち上がってやって来た。
「……無駄なんだよ。どうやってもてめぇらは俺に勝てねぇんだからさ」
と言う彼の身体に生じていた傷は、ゆっくりではあるが回復の兆しが見えている。
「銘持ちでもない神器じゃ加護はたいしたものじゃねぇ。けど俺のは違う」
見せつけるように不可思議な粒子を放つ剣を向けて、
「“討土剣”……銘持ちであるというだけじゃねぇ、討神五魔器でもあるこの剣の加護は見ての通りだ」
千年前、魔族を率いていた魔王と呼ばれる存在が生み出したのが討神五魔器と呼ばれる武器だ。それ故に他の魔器をはるかに超える力を持っている。
「魔族共が崇めていた“五大冥王”が作った堕天剣五魔や冥天剣五死にはおよばねぇが……それは所詮魔族にしか使えない代物だしな」
一応堕天剣五魔の方は魔族以外でも使用可能だが……使えば魔物化してしまう諸刃の剣だ。
「それに比べてこいつは人族であっても問題なく使える。加護もてめぇらのとはけた違いだ」
ソロは愉悦に口端を吊り上げて言った。自分に刃向かってきたアインスの者共に絶望を味あわせるためだ。
だが――、
「はっ、ははっ……」
「くはっ、笑わせるなよ、坊主」
二人は笑って返してきた。
「なにがおかしい!!」
ソロがむきになって言えば、
「おかしいさ。貴様は井の中の蛙でしかないのだからな」
アリアがそう言ってくる。
「なんだと?」
「貴様よりも強い者は他にいくらでもいる」
自らが使える主の顔を思い浮かべてアリアは苦笑を浮かべた。
「わが主などがその例だろうな。主殿は本当にお強い」
どのような鍛錬をすればあの若さで絶対的とも言える力を身に着けられるのか……興味は尽きないが。
「それに……力に驕れば格下だと思っていた相手に打ち負かされるぞ?」
「……てめぇらにか?それはねぇよ」
「私は一言も自分たちだとは言ってないがな」
「なに……?」
訝しげなソロに、アリアが闘志を未だ絶やさない目を向ける。
「私たちに時間と注意を割きすぎたな。聞こえてくるだろう?蹄の音が」
「…………まさか」
悟ったように目を見開くソロ。
「そのまさかさ。貴様らは内に目を向けすぎた」
大地が震動している。揺れの震源がどんどん近づいてくるのが分かった。
異変に気付いたのは三人だけではない。周囲で戦っていた兵士たちも手を止めて音の鳴る方を注視していた。
――直後、騎馬の集団が突っ込んできた。
『ひっ――ぎゃああ!?』
『あがっ、ごぇぇ』
悲鳴が生まれる。騎馬に踏みつぶされ、あるいは騎乗者が振う刀剣、槍の類によって絶命した者の声だ。
「師匠!キール!無事!?」
騎馬隊を率いているらしい先頭の少年が声を張り上げて言った。
「まったく……遅いぞ、ライン!」
「おうおう、かっこいいじゃねぇか坊主!」
アリアとキールが喜色交じりの声を返す先には青髪青目の少年――ラインがいた。
*
外での戦闘が佳境を迎える中、それとは対極的に凍えるような静けさが砦内部に満ちていた。
生存者が己しかいないと錯覚してしまうほどの静寂を、蓮は足音を隠さずに進んでいく。
そして目的の箇所にたどり着いた。
「……ここだな」
“天眼”で内部を“視”た蓮が呟く。
(……?何者かが中にいるな。でも……“視”えない)
それでも蓮は躊躇することなく眼前の部屋の扉を開いた。
すると――、
「おや?もうお越しになったのですか。お早いご到着で」
慇懃なまでに丁寧な口調の声が耳朶を打ってくる。
視線を向ければ――そこには白い仮面を被った奇妙な人物が立っていた。
その人物は土色の籠手を手にしている。
(護国五神器“玄武”……先を越されたか)
目的の物を手にしている仮面の者に、蓮は声を掛けた。
「確か……ツィオーネで見かけた人、だったかな。こんなところで再開とは奇遇だね」
「覚えていて頂けるとは光栄の極みです」
「なんでそんなに遜った態度なんだい?僕とあなたは初対面のハズだけど」
自分の事を皇族だと知っているためなのかとも思ったが、それを差し引いても不自然さはぬぐえない。
蓮が訝しげな視線を送れば、仮面の者はくつくつと肩を揺らした。
「当たり前でしょう?“王”と接する時は細心の注意を払わなければならないのですから」
「“王”、とは?」
「隠されなくともよろしいのです。あなた様が記憶を取り戻されたことは知っておりますゆえ」
その言葉に、蓮は瞬時に戦闘態勢をとった。“白帝”を喚びだし、覇気を放つ。
空間が歪むほどの覇気に晒されながらも仮面の男は余裕の態度を崩さなかった。
「そう警戒されなくとも良いのです。私はあなた様を害する気は微塵もありませんから」
「……そう言うなら手にしているソレを僕にくれないかな」
「大変申し訳ないのですが、それだけは出来ません。代わりと言ってはなんですが……三つほど“王”にとって有益な情報を提供いたします。それで見逃しては頂けませんか?」
(聞くだけ聞いて殺せばいいか……)
“白帝”の天恵――“光輝”。光速で動くことができるこの力を使えば逃がすことはないだろうと判断する。
「……いいよ。聞こうか」
軽く息を吐いて言えば、仮面の者は愉悦に口を歪めた。
「では、まず一つ目。私の名は道化と申します」
「王冠?大層な名前だけど……それに何の価値が?」
これから死ぬ奴の名など聞いても無意味。そういった意味を含ませて言ったのだが、道化は動じなかった。
「いえいえ、知りたかったでしょう?暗躍する者の名は」
「……あっそ。じゃ、二つ目に行こうか」
「つれないですねぇ……。まあ、いいですけど。では二つ目です」
そっけない蓮の態度に気分を害した様子もなく続ける道化。
「私が属する陣営はエルミナ聖王国というんですけど……ご存じですか?」
エルミナ聖王国。
アインス大帝国から見て西――南大陸からしても西のネーベル地方にあると言われている国だ。何故そのような言い方なのかといえば、南大陸の中央に位置するアインス大帝国から西は千年もの間国交がないからだ。
南大陸の中央から東と、それ以外の西は物理的に隔たれている。“大絶壁”とよばれる底が見えないほど深い渓谷が北から南にかけて広がっており、それを渡るには“天の橋”という“世界神”ルミナスが造ったとされる巨大な一本の橋を使うしかないのだが……。
「……あそこはアインス大帝国と西側の国とが千年間にらみ合っている。両陣営とも橋のたもとに砦を築いて。そんな厳戒態勢の中をこちら側に渡ってきたとでも?」
と、そこまで言ってある可能性に気がつく。
そんな蓮の様子をみて、道化は心底愉快そうに笑った。
「お察しの通り――かもしれませんよ」
「アインス側に内通者がいると?」
そう、いくら警戒していても内通者が手引きするのであれば渡ってくるのは十分可能だ。アインス大帝国とて一枚岩ではない。特に千年もの歴史があるが故に、皇帝の監視の目が十分に届かない貴族だっているだろう。
蓮が表情を険しくさせていると、道化が続けてきた。
「まあ、それについてはご自分でご確認ください。では、いよいよ最後。“王”がもっとも知りたいであろう三つ目の情報です」
その言い回しに嫌な予感がしたが、黙って聴く事にする。
「――第五皇女が危機的状況に陥っています。“覇王”が動いたためです」
「なっ――」
(第五皇女――ルナのことだ……!)
初めて余裕の態度を崩した蓮を見て、道化は愉悦の笑みを深めた。
「さっさとこのくだらないお遊びを切り上げて向かわれることをお勧めします。過ちを二度も繰り返したくないのであれば――ですが」
「な、にを――言って……」
動揺する蓮に、道化は告げる。
「大切な者を喪うという愚挙のことですよ」
「お前……なぜそれを――……どこまで知っている?」
「ほとんど全てを、ですかね。私が使えているお方もあなた様と同等の力をお持ちの方ですから」
今度は打って変わって、愕然とする蓮を憐れむかのような目つきで見やって、
「あなた様がいかにしてそのようなお姿になられたのかも知っていますよ」
道化はそう言った。
そして虚空に手を伸ばして――奇妙な穴を作り出して片足を入れる。
すっかり戦意を失った蓮はその光景を見もせずにうつむいたままだ。
道化は“玄武”を手に、体を不可思議なオーラを発している穴に入れて立ち去って行った。
最後にこんな言葉を残して。
「また、お会いしましょう。“黒天王”さま」
“黒天王”。
それは千年前、世界を恐怖と絶望に沈めた“五大冥王”の一柱の名だった。




