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英雄王、その未来は  作者: ねむねむ
三章 動乱の世界
77/223

三十二話

続きです。

 ―――アース砦―――

 

 夜のとばりが落ち切った頃、ソロ率いる百余りの部隊が帰還した。

 出迎えようと中庭に向かったオルティナだったが、聞こえてくる下卑た声に顔を顰めた。

 「ソロ、一体何をしてきたん―――」

 絶句する。想像を超える光景が広がっていたからだ。

 『ははっ、こいつは上玉だぞ!お前らやっとくか?』

 『ひっ……や、止めてくださいっ!』

 『止めてください、だとよ。くははっ、傑作だぜぇ』

 あられもない姿の女性たちが、フクス兵に辱められていた。

 唖然としていたオルティナは直後顔をそむけてため息を吐く。馬車に乗っているであろうソロの元へと向かった。

 「ソロ、こういうのは私の目が届かないところでやってくれと言っただろうがっ!」

 と馬車に怒鳴り込めば、中はこれまた予想通りの光景が広がっていた。

 「お前はその潔癖が治ればいい女なんだがなぁ……」

 一人の女性と痴態を晒すソロはこちらを見もせずに行ってくる。

 「まぁ、そんなやつだからこそ堕としがいがあるってもん―――ッ」

 不意に声が途絶える。抱いていた女を突き放したソロは冷や汗を額に浮かべた。

 「おいおい……マジかよ。マジでやんのか、あ?」

 虚勢を張るように言ったが、対するオルティナの気配は変わらない。

 行為で火照っていた体を一瞬で冷やすほどの殺気を放ったままだ。

 「―――ソロ、何事にも限度というものがあるのだぞ?」

 そう言うオルティナの右手には、いつの間にか細剣が握られていた。殺気を孕んだ風が馬車の中に吹き付ける。

 「お前こそ分かってんのかよ。俺たちは互いの利益のために手を組んでいるにすぎないんだぜ?だったら俺がやることにお前が口出しする権利はないだろうが」

 半裸のソロの右手にもまた、奇妙な武器が現出していた。不可思議な粒子を放つ剣である。

 両者が放つ常人離れした覇気は大気を揺らし、辺り一帯の人間を硬直させてしまうほどだ。

 故に奇妙な沈黙が砦内を覆った。下卑た声も、嬌声も聞こえない。

 ―――先に折れたのはソロだった。

 「分かった、分かった。俺が悪うございましたよっと」

 剣を仕舞って投げ捨てられていた服を着る。

 「貴様にしてはやけに物わかりがいいな。……何をたくらんでいる?」

 と、オルティナも武器を仕舞って詰問すれば、ソロは見る者を不安にさせる笑みを向けてきた。

 「……なにもしやしねぇよ。なにも……な」

 「…………私はもう行く。英雄王の末裔が出てきたそうだからな。準備をしなければ」

 「話し合うってやつか。それなら砦の外でやった方がいいだろうな」

 急に真面目に返答してきたソロを疑惑の眼差しで見つめるオルティナ。

 「何故だ?」

 「なんでって、そりゃ当然だろ。まさか向こうにとって敵だらけのこの砦で話し合おうって言うつもりか?そんな提案蹴るに決まってんだろ」

 「……本当にそれだけか?」

 尚も疑うオルティナに、ソロは辟易とした表情を見せた。

 「それ以外になにがあるってんだよ……」

 「…………ならいい」

 その言葉を最後に馬車に背を向けたオルティナは、殺気を隠そうともせずに歩き去ってゆく。

 同盟者の背を見送ったソロは近くにいた部下を手招きして呼ぶ。

 「―――例の準備を始めろ。メールの連中に感づかれないようにな」

 『はっ』

 駆け足で去ってゆく部下から視線を切って中庭にいる兵士たちに声を掛けた。

 「お前ら、戦利品の相手は後にしろ。片付けて準備に回れ」

 そして返事を待たずに御者に命じて自らの天幕へと向かうのだった。


 *


 神聖歴千三十一年六月七日―――アース砦付近。

 鬱蒼とした森林の中に敷かれている街道を進む軍勢がある。

 白銀の鎧を纏い、掲げているのは三つ首の黒竜の紋章旗―――“天軍”だ。

 その数およそ五千(、、)。騎馬で編成されている。

 しかし全軍というわけではなく、後方には幌布が掛けられた馬車があった。中には今回の策に使うある物が入っている。

 『砦周囲に敵影は無し。付近の森にも隠れている気配はありません』

 斥候が軍勢の先頭をゆく少年に報告する。

 少年―――蓮は頷いて返した。

 「そうか……アリアの方は?」

 『未だ連絡はありません』

 別働隊を率いているアリアから連絡がない以上、今すぐに攻めるわけにはいかない。それに行軍の疲労が“天軍”の兵士たちの顔から見て取れる。

 (ここは休息かな。焦っても無駄だし)

 蓮は視界に入ってきたアース砦を一瞥し、その手前にあるひらけた場所を指さして告げる。

 「全軍止まれ。ここで野営とする。各部隊ごとに天幕を張って順次休息とせよ」

 その言葉を受けた“天軍”は即座に行動を開始する。しばらくそれを見守っていた蓮は自分も手伝おうとクロから降りた。

 と、そこにラインがやってくる。

 「レン兄……」

 「なんだい?」

 オーラルの村の惨劇から二日経過した今であっても、ラインの瞳に浮かぶ怒りは消えていない。

 「おれ……あいつらは許せない。けど、それよりも連れ去られた人たちを助けたいんだ。……おれにできるかな……?」

 その言葉は成長の証だ。以前なら危険など顧みずに感情のままに行動していただろうが、今は情勢を見極め、周囲と足並みを揃えようとしている。加えて優先順位をはき違えていない。

 そのためか、はたまたその純朴さ故か、最近では新参者であるにも関わらず“天軍”の中でかなりの信頼を得ていた。

 (成長したな、ライン。……これなら任せられるか)

 蓮はかねてよりの計画を進めることを決めた。

 (後はアリアたちを見極めて―――)

 と、ここで思考を打ち切った蓮は答えることにする。

 「できるさ、必ず」

 「でも、おれは弱い……師匠に勝てないしキールにも勝てない。そんなおれじゃあ……」

 不安げなラインの肩に手を置く。

 「レン兄……?」

 「大丈夫、ラインは一人じゃない。“天軍”のみんなもいるし僕もいる。一人じゃできないことも絆で結ばれた複数人でやれば必ずできる」

 それはかつて蓮自身が経験したことだ。千年前の大戦で圧倒的劣勢を“皆”との協力で―――絆で覆した。

 「信じるんだ、みんなを。それは力となりあらゆる困難を覆せる要因になりえる」

 力強く言い切れば、ラインの顔が晴れていった。

 「信じる……ああ!おれはみんなを―――信じるよ!」

 眼前の青髪の少年を、蓮はどこか眩しげに見つめて微笑を浮かべる。

 「じゃあ、行こうか」

 「おうっ!」

 二人は天幕の設営を手伝いに向かった。


 アース砦が目視できる距離に陣取った蓮たち“天軍”は、天幕の設営を終えて食事をし始めていた。

 蓮もラインと共に兵士たちの輪に加わって食事を取っている。

 そこへ駆けてくる一人の兵士。

 『レン殿下、メール軍の使者だと名乗る女性が訊ねてきました。彼女は殿下との謁見を希望しております』

 ざわめく兵たちに心配ないと言った蓮は立ち上がって言う。

 「会いますと伝えてください。その後、僕の天幕まで丁重に案内してきてください」

 『はっ』

 去ってゆく兵士を後目にラインが進言してきた。

 「レン兄、おれも一緒にいていいかな?一応護衛は必要でしょ」

 それは正論だ。いくら蓮自身の武力が優れているとはいえ、皇族が護衛をつけるのは当然なのだから。

 (対外的にも必要かな)

 結論を出した蓮は首肯する。

 「うん、頼めるかな」

 「任せてよ!」

 蓮に頼られたことがうれしかったのか、ラインが声を弾ませた。

 蓮は微笑んでラインを連れて天幕へと向かった。

 

 設営された天幕の中でも一際大きいのが蓮の天幕だ。

 現在、蓮は上座に座って来訪者を待っていた。左斜め横にはラインが立っている。

 『レン・シュバルツ殿下、メール軍副官フィリル殿をお連れしました』

 「どうぞ」

 幌を抜けて入ってきたのは眼鏡をかけた女性だった。おどおどとしており、どこか頼り気のない印象を受ける。

 「し、失礼しますっ!わ、私は自治都市メールの―――ってメールというのはエーデルシュタイン連邦の五都市の一つでして―――えっと、それで―――」

 どうやらひどく緊張しているらしかった。にしてもこのような人物を派遣してくるとは……一体どのような思惑があるのだろうか。

 (油断させるためか、もしくはこの謁見自体がおとり―――時間稼ぎとか、かな?)

 なんにせよ、このままでは要領を得ない。蓮はこっそりと嘆息して言う。

 「落ち着いてください。別に取って食ったりしませんから」

 「は、はいぃ……」

 その女性は大きく深呼吸してから片膝をついて頭を下げた。

 「失礼しました。私はエーデルシュタイン連邦が一都市メールを治めるオルティナ・メール様に仕えるフィリル、と申します」

 先ほどとは打って変わって整然とした様子で続ける。

 「アインス大帝国の第三皇子であらせられるレン・シュバルツ・フォン・アインス殿下のご尊顔を拝謁させていただけたこと、まことに光栄の極み。天にも昇る気持ちです」

 「天にも昇るって……それはまた凄い表現だね」

 蓮は苦笑でもって返した。するとフィリルは肩を震わせて歓喜を表した。

 「いえ、的確な表現だったと思います。英雄王シュバルツ陛下の末裔に会えたのですから」

 「顔を上げてください……それで、そんなにも英雄王がお好きなので?」

 雑談から入ることで少しでも打ち解けようとした蓮だったが、直後非常に興味深い言葉を聞けたことで内心で打算をし始めることとなった。

 「好き―――というより愛しているという表現が的確です。オルティナ様の影響なんですけどね」

 (へぇ……これは戦いを避けれるかもしれないな。できればそうしたいと思っていたし)

 今後のためを思えばエーデルシュタイン連邦内に協力者が欲しい所だ。計画を円滑に進めるに当たってエーデルシュタイン連邦は無視できない勢力であるが故に。

 「なるほど―――できればオルティナ殿とお話ししたいですね。きっと話も弾むでしょうし」

 と冗談交じりに言った蓮だったが、フィリルは驚きを顔に浮かべていた。

 「これはなんとも奇遇といいますか……実は今回私がここに来た理由がまさにそれなんです」

 「それ……というと?」

 「オルティナ様は英雄王の末裔であらせられるレン・シュバルツ殿下と話し合いを希望しておられるのです」

 これには蓮も驚きを隠せなかった。

 (偶然もあったものだね。とはいえ罠である可能性も高いわけだけど……)

 「奇遇ですね。ですが何処で話し合うかが問題ですが……」

 「そうですね…………では互いの陣地の間―――中央辺りで、というのはどうでしょうか。もちろん護衛はお互いにつけて、ですが」

 提案を受けた蓮は顎に手を当てて考え込む姿勢を取った。

 (議題を持ちかえらない―――最初からこの流れに持っていくつもりだったってことか)

 ますます罠の可能性が高まった。だが―――、

 (虎穴に要らずんば虎子を得ず―――大きな利益を得るためには多少なりとも危険を承知で動くべきか)

 瞬時に決断した。

 「それでかまいませんよ。ですがいつでも軍を動かせるようにしておくことを承知して頂きたい。あなた方を疑うのではなく、もう一軍―――フクス軍を警戒してのことです」

 オーラルの村でのフクス軍の所業を知っている身としては、警戒せざるを得ない。暗に批判したことでフィリルは苦笑を浮かべた。

 「分かりました。こちらもそう提案させていただこうかと思っていたところですから」

 「本当に気が合いますね。これなら仲良くできるかもしれません」

 白々しく言って、立ち上がる。

 「善は急げとも言います。一刻後でよろしいですか?」

 「え?……外は暗いですけど……」

 「月明かりもありますし、松明などの照明器具をもっていけば問題ないでしょう。僕としては無駄な血を流さずにすむ可能性があるということで、今すぐにでも会いたいくらいなんです」

 真意の半分しか言葉にしていないが、さりとて馬鹿正直に性善説で相手を信じ切って話してやる義理はない。

 (状況に応じて動くとしよう)

 相手が本当に対話できる存在であればそれもよし。否であれば当初の策通りに動けばよい。それ以外の事態になれば、それに合わせて臨機応変に動けばいいだけだ。

 (変わりゆく状況に瞬時に適応できるかで勝敗は決まる)

 古今東西、自然界の掟でもある。適応できない者は淘汰されるだけだ。

 「どうでしょうか」

 と蓮が促せば、フィリルは苦渋の色を見せた。

 「しかしですね……」

 (もうひと押し必要か……)

 蓮は邪気を感じさせない朗らかな笑みを向ける。

 「だまし討ちなどはしませんよ。我が祖先に誓います」

 「英雄王陛下に、ですか?」

 「ええ、その通りです」

 蓮とて別にメール軍と敵対したいわけではない。フクス軍は敵対決定だが。

 英雄王を愛しているといっただけあって、その言葉を信頼したようで、

 「……分かりました。私はこの交渉にあたって全権を委任されているので問題なくこちらも動けますので」

 と、僅かにためらいの色は見えるが承諾してくれた。

 「ではそのように。ライン、彼女をお連れしてくれ」

 この場ではあくまで一部下として不動の構えであったラインにフィリルを連れて行ってもらう。

 誰もいなくなった天幕で、蓮は一人佇む。

 机の上に広がっていた地図に駒を並べてゆく。

 「各方面で開戦したという報が届いたけど……マティアス第一皇子以外は心配いらないかな」

 マティアスが戦う相手は五都市唯一の軍事都市。他は商人なのでさほど問題はないにしても、それだけが気がかりなところだ。

 (まぁ、仮に負けたとしても大帝都には総軍がいる。皇帝だって黙ってはいないだろう)

 それにしても、と蓮は嘆息する。

 (敵は所詮商人でしかないわけだ)

 速戦即決―――戦争の極意をまるで分かっていない。護国五天将を討ったことで浮かれているのか、敵地に長くとどまる危険性を理解していない。

 (未だ護国五天将は三人―――僕も含めたら四人も残っているし、各方面に散らばっているアインス軍が集まれば奪われた領地の奪還はたやすい)

 護国五天将を討ち取ったという功績と、南大陸に覇を唱えるアインス大帝国を撃退したという戦果を持ち帰るだけでも周辺諸国や自国へ誇れる。

 だというのに無謀にも彼らはアインス大帝国領内へと進撃を続けていた。

 (欲に駆られたか……)

 蓮は地図上に置いたエーデルシュタインに見立てた駒を一個ずつ倒していく。そして“天軍”を表す白銀の駒の前に置かれた二つの駒に手を翳す。

 「どちらも敵となるか。それとも……」

 うつむく蓮は重い息を吐き出した。嘆きを含んだものだ。

 「人の欲に際限は無く、故に争いは絶えない」

 だからこそ絶対なる王が必要なのだ。万民を導き、守る存在が。

 「かつては失敗した。けれど、今回は間違えない」

 もう二度と勝手に千年後に飛ばされたりはしない。その為の策は考えてある。

 「まずは諸国に楔を打つ。平行して二代目となる“人帝”を選出する」

 “人帝”とは千年前、アインス大帝国の初代皇帝でもあるリヒトに人々がつけた尊号だ。人族を纏める存在、という意味合いが込められている。

 「ルナ、僕はキミに期待している。キミならあるいは、と」

 その為の助力は惜しまない。邪魔をする敵は自分が排除しよう。

 それだけの力はつけたつもりだった。

 「……今度こそ、守ってみせる」

 “天眼”(アマテラス)を発動させて、天を仰ぐ。

 「もう二度と、失ったりしない」

 無意識に漏れ出た覇気が、大気を軋ませる。

 「だから……見守っていてくれないか、リヒト」

 哀哭の瞳から涙が流れるが如く、光があふれ出た。

 「これは罪滅ぼしなのかもしれないけど……それでも、どうか……ソフィー(、、、、)

 許されない罪を背負った英雄王は、未だ届かない天の頂きを渇望して、手を伸ばす。

 「……キミのことは思い出した。残りは後少しだ」

 大切な人を思い出せたのは、オーラルの村での殺人が決め手だった。やはり人を殺めることで失われた記憶は戻ってくるようだ。

 「残りの記憶に―――キミを喪い、僕が千年後に飛ばされた原因がある」

 直感でしかないが、何故か確信めいたものがある。

 「もう―――迷わない。僕は敵を殺して記憶を取り戻す」

 己のために他者を殺める。なんて自己中心的で、なんて傲慢なのだろう。

 そう理性は訴えかけてくるが、心の奥底から湧き上がってくる激情がそれをたやすく塗りつぶしてしまう。

 (ソフィーを喪ったという事実が、これほどまでとはね……)

 悲しみ、哀しみ、喪失、絶望、次いで喪う原因に対する怒り、憎しみ、殺意。

 「必ず原因を突き止めて――――殺してやる」

 そう言った蓮の顔は―――何故か禍々しい笑みで満ちていた。

 

    

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