三十話
続きです。
翌日―――
蓮はルナとバルトを筆頭とする東域貴族に見送られていた。
「バルトさん、例の件よろしくお願いしますね」
「最善を尽くさせていただきます」
昨夜お願いしたことを再度念押しした蓮は、ルナに視線を向ける。
「ティアナとシエルには言っておくよ。直接東域鎮台でいいんだよね?」
「ん、それでいい……気をつけて」
どこか心配そうに言ってくるルナに笑みを返した。
「うん、キミも気をつけてね。まだヴァルト王国との戦争は始まらないとはいえ、向こうから仕掛けてくる可能性もある」
“覇王”は国内の平定が終わればすぐにでも来る。そんな予感があった。
「それじゃ、また」
「ん……またね」
別れの挨拶は再開の言葉を選んで、蓮は大勢の貴族に見守られながら愛馬クロに騎乗。一路、シュトラールへと向かうのだった。
*
日が沈む逢魔が時、蓮は拠点であるシュトラールに到着した。
「主殿!無事のご帰還でなによりです」
「ただいま、アリア。早速だけど準備の方はどうかな」
邸宅の正門で待っていたアリアにそう声を掛けると、
「出来ています。……しかしながら現状で動かせるのは八千ほどしか」
うつむきがちにそう返してきた。
「そうか……分かった、それでもかまわない。明日の早朝には出立するから、皆にはそう伝えておいてほしい」
「はっ、直ちに」
駆けていくアリアの背を見送った蓮はクロを馬屋に帰して邸宅の玄関へと足を向ける。
(敵は二軍―――先の戦いで多少の損害は受けているが四万弱ほどだ。対してこちらは八千……どうするか)
ルフト残党軍のような統率のとれていない相手であれば、己一人でもなんとかなる。しかし此度の敵はあの護国五天将を打ち破ったほどの存在。軍を使って対処せざるを得ないだろう。
(それに敵将はおそらく神器か魔器を所持している。でなければ護国五神器持ちを討ち取ることなどできはしない)
神器とは神力を用いて作られた武器防具であり、その大半は緋巫女によって作られている。対して魔器とは魔族が持つ魔力という特殊な力を用いて作られた対神器用の武器防具だ。
そのどちらも人族は振う事ができるため、どちらを使っているのかは実際に見てみないと分からない。
(けれど護国五神器は神器の中でも最強クラス。それに対抗できるとなれば……討神五魔器か?)
討神五魔器。
護国五神器に対抗するべく魔族が作り出した魔器だ。魔族を統べる魔王たちが、その圧倒的な魔力を用いて作った五振りの魔器である。
(だとしたら面倒だな。それに回収された護国五神器の件もある)
討ち取られた“北域天”ユリウス大将軍が所持していた“玄武”は、撤退する際に回収できなかったと北東方面臨時軍から報告がきている。十中八九敵に回収されただろう。
(とはいえすぐには使いこなせない。今回の戦いには出してこないかな)
と、ここで思案が打ち切られた。
「ご主人さま、お帰りなさいませ」
玄関でステラが待っていたからだ。
「…………ただいま、ステラ」
発せられた言葉と侍女服という姿。幼いながらも整った容姿に愛嬌のある笑顔。
不意打ち気味にそれらを実感した蓮は不自然な間を開けてから答えてしまった。
(殺伐としていたからかな。それとも……いや、よそう)
蓮は強引に、湧き上がる想いを打ち消して笑みを形作る。
「ティアナとシエルがどこにいるか分かるかい?」
「えっと……お二人は確か温泉に行ってます」
「そっか……ありがとう」
そう言って二人の元へ向かおうとした蓮に、ステラが訊ねてきた。
「ルナ様はどちらに……?」
「ルナは大帝都に残ったんだ。皇帝の命で東域に行くことになった都合でね」
「そうですか……分かりました。この後は夕食ですので食堂に来てくださいね」
と、言ってステラは去っていく。蓮もまたその場を後にした。
この時、二人の認識には齟齬があった。ステラはそのままの意味でティアナたちが温泉に入っていると言ったつもりだったが、蓮はまだ温泉が使える状態にないという前提条件で動いていたために点検、もしくは掃除をしているのだと思ってしまったのだ。
この食い違いが大参事を引き起こすきっかけとなってしまう。
(明日の早朝に出立。そこから件のアース砦まで街道を使って行く)
暖簾を抜けて脱衣所へ。
(他の皇位継承者たちが戦い終える前に奪還したいから、少し急ぐ必要があるな)
うつむきがちに歩き続けて脱衣所を通過。棚には二人分の服があったのだが、思案に暮れる蓮は気がつかない。
(でも砦攻めは時間と労力―――兵力が掛かってしまう。ここは引っ張り出すしかないが……)
温泉に続く扉の取っ手に手を掛けた。ちなみに湯気が漏れ出ているのだが、やはり思案し続けている蓮は気がつかなかった。
(幸い地の利はこちらにある。後は敵将の性格しだいだな)
ガラッっという音を立てて扉が開く。中に入った蓮はそこでようやく思案を打ち切って声を発した。
「ティアナ、シエル!ルナのことで話が―――」
「え…………レンさん?」
「れ、レン殿!?」
顔を上げた先には一糸まとわぬ二人の女性。シエルは長い青髪でかろうじて胸のふくらみが隠されており、下半身は湯に浸かっていたためセーフだろう(全然そんなことはないのだが)。が、ティアナは以前の長髪であったなら同じく大丈夫だったのだろうが、あいにくその髪は蓮が短くしてしまっていた。そのためばっちり見てしまった。
(こんなことになるのならあの時髪を切ったりしなければよかったかなー)
半ば現実逃避な思考をしてしまった蓮は一瞬ののち、
「―――……ッッ!?ご、ごめん!!」
反射的に目を逸らして反転、脱兎のごとくその場を後にした。
「レンさんったら……」
「れれれれ、レン殿がぁ!し、シエル殿私はいったいどうすれば―――」
背後から聞こえてくる声を背中に受けながら猛省する。
(未婚の女性の裸をみてしまうなんて……僕はなんてことを……!)
罪悪感と湧き上がってしまった情欲が入り乱れる中、蓮は土下座を決意するのだった。
「すみませんでしたっ!」
温泉から上がってきた二人に土下座を向けた蓮。
しかし意外にも二人の女性は平静だった。
「レンさん、私にも心の準備があるので今度からはちゃんと言ってくださいね?」
と、シエルが頬を赤く染めながらも言ってくる。その頬ははたして温泉から上がったばかりだからなのか、それとも照れからなのか。蓮には判別付かなかった。
「れ、レン殿っ!つ、次からは気をつけるのだぞっ」
……前言撤回。ティアナは平静を装ってはいたが、傍から見れば動揺していることは丸分かりだった。
(というかティアナって動揺するとこんな風になるのか……)
「すす、すみません!わ、わたしがちゃんとご主人さまにお伝えしなかったばかりに……」
ステラが必死に謝っているのを見た蓮は、それを否定する。
「いや、ステラは悪くないよ。悪いのは考え事ばかりしていて上の空だった僕だ」
「で、でもっ」
「……ありがとう、ステラ。キミの優しさはちゃんと伝わっているよ」
蓮はステラの頭を撫でて言う。
そして二人に視線を転じた。
「二人とも、本当にごめん。お詫びに一つ、可能な範囲でなんでもするよ」
と言えば、ティアナとシエルは顔を見合わせて―――笑みを浮かべた。
(あっ……早まったかな)
意味深な笑みを向けてくる二人をみた蓮はそう思ったが、後の祭り。
「じゃあ、後で聞いてもらいますからね?」
「うむ、覚悟するといい」
どうやら許してくれたらしい二人に、蓮は本題を切り出した。
「二人とも、聞いてくれ。ルナが―――」
かいつまんで事情を説明。するとシエルは納得してくれた。
「分かりました。私はルナ殿下の侍女ですからお傍にいるのは当然ですしね」
だが、ティアナは疑問だったらしく言葉を投げかけてくる。
「レン殿、何故私もなのだ?確かに私はルナと仲が良いが……」
「覇彩剣五帝所持者として行ってもらいたいんだ」
簡潔に言えば、瞬時に理解の色を浮かべてくれた。
「なるほど、先の暴走のこともあるしな。私がいれば万が一に備えられるというわけか」
「そういうわけだよ。頼めるかな?」
「うむ、任された」
納得したと言いたげな態度のティアナに、蓮は曖昧な笑みを向ける。
(それだけじゃないけど……確証がない状況では言いたくはない)
「では、夕食にしましょう!今夜はお肉が主菜ですよ」
ステラの言葉に、その場にいた面々は自然と食堂へ足を向けるのだった。
****
アース砦。
国境守護のために建設されただけあってかなりの広さを有しており、フクス軍とメール軍計四万を収容することができていた。
城壁上には警備兵が巡回をしていて油断は見られない。
そんな物々しい雰囲気に包まれる砦にあって、それとは無縁のところがあった。中央塔―――指令室である。
「オルティナ、やっぱ付近の森に兵を忍ばせるべきじゃね?せっかく時間があるんだしさぁ」
椅子を並べて寝台替わりにして寝転んでいたソロが言う。
「……それは認められない。そんなことをすれば末裔に警戒されてしまって、話を聞く事もできなくなる」
そう答えたのは鎧を纏った女―――オルティナだ。
「あん?……わかったよ。お前のいう事きいてやるから、俺のいう事もきけよな。じゃないと公平じゃねぇだろ?」
うっとおしげに返答したソロは、直後思いついたように笑みを浮かべた。
「……なんだ」
やや警戒しつつも聞きかえすオルティナ。
「おいおい、そんな警戒すんなって。ただ外出許可が欲しいだけだっつーの」
「外出許可?」
訝しげに言うオルティナに、ソロは欲に満ちた笑みを向けた。
「ちょっと気晴らしにな。近隣の村にお邪魔してみようかなーって」
「……お前の場合、お邪魔でしかないだろうな」
「うわ、ひでぇ……そんなこと言わなくてもいいじゃねぇかよ~」
軽薄な態度を崩さないソロに、オルティナは辟易とした表情を浮かべる。
「分かった、とっとと行って来い」
「おお!さっすが、話が分かるぅ!」
言うが早いか、ソロは跳ね起きると部屋から出て行こうとした。
その背に向かってオルティナが言う。
「……一応、伝令をつけておく。なにかあったら知らせろ。後、こちらからも送る場合もある」
「はいはい。じゃ、後よろしく」
司令室を出て行くソロの顔は、愉悦に満ちていた。
当初の予定ではエーデルシュタインとの戦いは無かったので、書くのに苦労しております。




