二十七話
続きです。
昼食を終えたのち、蓮はマリーと共に執務室に向かった。アリアはキールとラインを連れて“天軍”の兵舎に、シエルとステラは使用人たちと共に邸宅の掃除等に向かっている。ルナとティアナは覇彩剣五帝所持者同士でなにやら訓練のようなものをすると言って中庭へ。
執務室の椅子に腰かけた蓮は懐から皇帝の親書を取り出して読んだ。その間にマリーはミルクティーを用意してくれた。
「……なるほどね」
読み終えた蓮は軽く息を吐く。するとマリーが訊ねてきた。
「おおよその見当はついていますが……何が書かれていたのかお聞きしても?」
「召喚状みたいなものかな。僕とルナに大帝都まで来るようにと書かれている」
親書を指に挟んでひらひらさせながら言う。マリーが首をかしげた。
「それだけですか?てっきりエーデルシュタイン攻めに加われと命じられるのかとばかり思っていましたが……」
「キミがそう言うってことは戦況は芳しくないのかい?」
と、蓮が問えばマリーは重々しく頷いてくる。
「ええ……予想以上に相手方の対応が早く、未だにレムリア回廊を抜けられていないようです」
「てことは、向こうはレムリア回廊の封鎖に成功したってわけか」
(まあ、あそこは狭いしそれなりの数を揃えれば侵攻を阻止できるからな)
レムリア回廊はアインス大帝国が支配する南大陸中央メーネ地方とエーデルシュタイン連邦が治める北東ヤーデ地方を結ぶ唯一の道だ。両側を険しい山々に囲まれており、道幅はお世辞にも広いとはいえない。
(あそこで戦うとなれば純粋なぶつかり合いにならざるを得ない)
背後に回ろうにも狭すぎて不可能。かといって両脇にある山から行こうとしても騎馬では無理だし、木がほとんどない山であるため歩兵は弓兵のいい的でしかない。
となれば、後は正面からぶつかるという選択肢しかないわけで。
(そうなったら、勝敗を分けるのは兵の練度と指揮官の腕だな)
蓮は机に置かれていたミルクティーに手を伸ばしながら問う。
「今回の指揮官は誰なんだい?」
「“北域天”ユリウス大将軍です」
ユリウス・ハス・フォン・オーベン。
北域の“護国五天将”を皇帝から任されている男だ。それ以上は知らない。
「どんな人物なんだい?」
蓮の問いに、マリーは困ったように微妙な表情を浮かべた。
「う~ん。そうですね……一言で表すのなら出世欲の強いお方、でしょうか」
「はっきり言うね。実力の方はどうなんだい?」
「“護国五天将”の中では一番弱いと兵や民の間で噂されていますわ」
「それは……なんとも言い難いね」
苦笑を浮かべるマリーに、蓮も苦笑を返す。
(膠着状態に陥ってしまったってことは噂は真実ってとこかな)
そのような人物に指揮を預けるとは……皇帝も思い切ったことをするものである。
「とにかく今は放っておくしかないだろう。指揮官が微妙でも、十万という大軍勢をぶつければ勝利できると思うし」
量は質に勝る。戦争ともなればその言葉は顕著に表れるだろう。一部の例外を除けば、それは不変のものだ。
(覇彩剣五帝所持者がいれば別だけど、それはないかな)
現在三振りは蓮の元に、残り二振りは東にその存在を感じている。けっして北東ではない。
(“黄帝”は“東域天”が持ってるらしいし、“緋帝”はそれらしき剣を“覇王”が振っていたという噂がある)
ならば問題はない。いくら“護国五天将”最弱とはいえ、彼はその名の由来たる特殊な神器“護国五神器”を皇帝より貸し与えられている。常人では相手にすらならないし、仮に神器持ちが相手であっても圧倒できるだろう。“護国五神器”はそう言えるだけの力を所持者に与えてくれる。
「皇帝の命とあれば仕方がない。明日には出立しようと思う。僕とルナだけで行こうと思うからそのつもりでよろしく」
「二人だけで?皇族が護衛も付けないとなれば、対外的に悪いのでは……」
マリーが懸念を口にする。
「ここから大帝都までは一日もあれば着くから大丈夫だろう。それにルナは覇彩剣五帝の所持者だ」
「……何故護衛を付けたがらないのです?」
蓮の説明に逆に不信感を抱いたのか、マリーが聞いてきた。
蓮は立ち上がり手招きしてマリーを机まで呼び寄せると、地図を広げて答えた。
「ここからレムリア回廊まで結構な距離がある。だからできるだけ早くつけるようにみんなには出立の準備をしておいてほしいんだ」
「……先ほどの言葉を真逆の発言ですわね。放っておくのでは?」
その言葉に、蓮は首肯する。
「僕はそうするつもりだ。でも、皇帝がどうでるかで変わってくるだろう?」
(このタイミングで召喚するってことは十中八九エーデルシュタインに関することだと思うし)
芳しくない戦況を変えるために蓮たちを援軍として向かわせる可能性は高かった。こういう時のための覇彩剣五帝なのだから。
「“翠帝”の所持者であるルナに、“軍神”の末裔である僕。この二人が援軍として来れば士気は上がるし、敵は恐れを抱くだろう」
その勢いを持って一気呵成に打ち破る。レムリア回廊を確保できれば歴史に名を残す偉業となるだろう。
「皇帝の掲げる南大陸統一に必要な過程でもある。是が非でも今回の戦争には勝ちたいと思っているはずだ」
「そう……ですわね。お父様は果てしない野望をお持ちですものね……そのために東域戦線に軍を集結させているくらいですし……」
マリーは顔を曇らせてそう言った。蓮はその言葉に唖然とする。
「ちょっと待って……今なんて?」
「え……?ですから果てしない野望と―――」
「その後だよ、東域戦線にってとこ」
ただならぬ様子の蓮に、気圧されたマリーはつっかえながらも答えた。
「と、東域戦線に軍を集結させている……と言いましたわ」
「なんだって……!てことは皇帝はヴァルト王国にも攻め込むつもりなのか」
(正気か?二方面攻勢なんて馬鹿げてる)
古今東西、二方向で戦争をして勝った事例など無いに等しい。単純な話一国対二国の構図なのだ。国力も兵力も二倍必要となる。最初の内はいいが、長期戦になればまず間違いなく勝てない。
(これはいよいよ僕とルナをエーデルシュタイン攻めに派遣する可能性が濃厚になってきたな)
電撃戦―――すばやく一国を攻め落としてそこに使っていた兵力を反転、もう一つの国に向かわせる。二方面攻勢を勝ち抜くにはそれしかないだろう。
(だとしても現実的じゃない話だ。机上の空論でしかない)
鉄道もないこの世界でそれを行うのは困難を極める。兵や軍馬の疲労、加えて戦争で被害を受けた軍全体の再編には多大なる時間が必要となるのだ。
「そこまでして……皇帝は本気なのか」
「……始めは単なる冗談だと誰もが思っていましたわ。ですがお父様―――皇帝は本気なのだと周囲が理解するのにそう時間はかかりませんでした」
ルフト公国への侵攻が決定的だったという。主力であるアインス総軍を動かし、皇帝自らが指揮を執ったという事実がその本気度を物語っている。
「それにお父様にはもうあまり時間が残されていませんから……急がれているのでしょう」
現皇帝フリードリヒは齢六十。この世界においてはかなりの長寿と言える。
「皇帝は何故南大陸の統一を?」
蓮が疑問を口にすれば、マリーは困り顔で答えた。
「お父様は初代皇帝陛下や英雄王陛下と同じ存在になりたいそうなのですわ」
「神格化を望んでいると?」
初代皇帝リヒトは人族を統一し、アインス大帝国を建国した功績を持って“創神”に、英雄王シュバルツは世界を救ってアインス大帝国の国防を一手に担ったことで“軍神”となった。神として崇められるには生半可な功績では無理。それこそ失ったかつての国土を回復させるといった功績がなければならない。
(だとしても……くだらない)
そのような理由で兵を、民を犠牲にするなど愚の骨頂。皇帝とは兵を貴び、民を慈しむ存在でなければならない。なのに己の欲を―――それも形として残らないもののために戦争をするなどとは……あきれてものも言えない。
(リヒトなら鼻で笑い飛ばしていただろうな)
彼も、蓮自身も神になりたくてなったわけではない。国を、愛する者を守ろうと我武者羅に足掻いた結果そう言われるようになったに過ぎないのだから。
(大事なのは名声じゃないのに……これも時代の流れってやつか)
千年経てば価値観も変わっているだろう。かつての守りたいから戦うという考えはもはや古いのだろう。今や戦う理由は名声や富のためなのだから。
(犠牲になる兵が浮かばれないよ)
蓮は嘆くように嘆息する。気持ちを切り替えるために残っていたミルクティーを一気に飲み干した。
「……話を纏めよう。僕とルナは明日大帝都に向けて発つ。その間、残ったみんなには出立の準備を整えてもらって待機しておいてもらう。それでいいかい?」
「ええ、問題ありませんわ。わたくしはレン様が不在の間に領地関係の書類を纏めておきます」
「頼んだよ。後、やりやすいようにキミのことを領主代行に任命するから」
という言葉に、マリーは驚きを顕わにする。
「よろしいのですか、そんなにあっさりと決めてしまって」
「かまわない。僕はキミのことを信頼しているからね」
蓮が真顔でそう言えば、マリーは唖然とし―――直後頬を朱に染めた。
「れ、レン様は卑怯ですわ。不意打ちは良くないですっ」
「……?」
首をかしげる蓮にマリーは小さく息を溢した。
「はぁ……ルナに聞いていたけどまさかこんなに鈍感だとは……ですがそれもまた良いものですわね」
「えっと……どういう事?」
「いえ、別になんでもありませんわ。それよりも明日の出立までに目を通してもらいたい書類がこんなにあるので、一緒に頑張りましょうね」
ドン、という重い音と共に机に置かれた書類の山。蓮は絶句した。
(あれ?マリーがやってくれるんじゃないの……?僕の自由時間ぇ)
結局夕食までやっても終わらず、深夜まで政務に明け暮れることとなった蓮であった。
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世界が燃えていた。
天幕が燃え盛り、黒い煙が天を染め上げる。地には無数の死体。怨嗟の声が鳴りやまなかった。
「クソッ!いったいなんなんだ、その力は!?」
悪態をつく男の名はユリウス。アインス大帝国における武官の頂点に座する猛者だ。
だが、彼は満身創痍―――今にもたおれそうな気配を漂わせていた。
「貴様とて超常の力を有しているではないか。その神器はお飾りか?」
嘲笑交じりにそう言ったのは眼鏡をかけた小柄の男。彼の後ろには狐が描かれた紋章旗を掲げた軍勢が控えている。
対してユリウスの側は混沌としていた。圧倒的な兵力で挑んだ戦い、誰もが勝利を確信していたが故に今回の敗走を認められないのだろう。狂乱している兵もいるくらいだった。
「撤退だ、撤退して体制を整え直すのだ!時間は私が稼ぐっ!」
ユリウスは大将軍として、今回の総指揮官として殿を努める覚悟を決めた。皇帝から与えられた護国五神器“玄武”に力を望んで全身に巡らせる。
眼鏡の男はユリウスの籠手が琥珀色の光を発し始めたのを見て笑みを浮かべた。
「その心意気やよし。それに応えてやるのが礼儀ってもんか……でもなぁ」
男は腰から剣を抜き放って構える。と同時にユリウスが動いた。
「はあぁあああ!」
気勢を上げて地面を蹴れば大地が抉れる。拳が届く距離まで一気に詰めたユリウスは“玄武”で殴った。
「馬鹿正直なのもどうかと思うがな」
その声と共に横合いからの刺突がユリウスを襲う。到底避けられるものではなかった。
故に―――彼はあえて回避行動をとらなかった。そのまま攻撃を続行する。
ガツッっという鈍い音と共に刺突してきた細剣が弾き飛ばされた。直後、ユリウスの籠手が男の剣とぶつかって凄まじい衝撃波が発生する。
「……へえ、流石は名高き護国五神器、守ることにかけては他の神器の追随を許さないか」
片手で持った剣で“玄武”の攻撃を凌いでいる者の発言とは思えない。称賛しているようで馬鹿にしている。他者を見下す傲慢さがにじみ出ていた。
「ソロ、遊びはそこまでにしておけ。相手は腐ってもアインス大帝国の大将軍、全力で当たれ」
たしなめるように言ったのは先ほど横合いから刺突を放ってきた女だ。
「オルティナか。そうはいってもさ、やっぱり笑っちゃうでしょこれは」
眼鏡の男―――ソロは嘲笑の色を滲ませて言う。
「あっちから攻めてきたくせに負けてんだぜ?傑作すぎ、いやマジで」
「貴様……黙っていれば無礼だぞッ」
ユリウスは怒りを顕わにして力を込める。籠手が輝きを増してソロの剣を押し始めた。
「おっとと、負けちゃいそうだな~」
だが、ソロは余裕を隠さない。相変わらず馬鹿にするような笑みを浮かべたままだ。
「―――ソロ、時間がない。早くしろ」
静かな、それでいて怒りを込めたオルティナの言葉を受けたソロは肩をすくめた。
「はいはい、それじゃ楽しい時間もお終いっと」
と言ったソロは大地を勢いよく踏みしめた。
瞬間―――足元の地面が鋭くとがってユリウスの身体を抉った。
「―――かっ……はぁ―――……ッッ!」
鮮血を吐き、倒れ込む大将軍。ソロはその体を踏みつけて高嗤う。
「あっはははっ!最高の見世物だぜ、あんたはよぉ」
「ぐ―――がぁぁ……」
それでも尚、抗おうとするユリウス。それを見たソロは彼の頭に唾を吐いた。
「はっ、みっともねぇんだよ……もういいや、死ねよお前」
剣が振り下ろされる。屈辱に歪んだ表情のままユリウスの頭は地面を転がって行った。
オルティナは真面目くさった顔のまま、敵司令官の首を持ち上げて掲げた。
「ユリウス五天将軍を討ち取ったり!!世界に知らしめよ、“北域天”を討ち取ったと。我らエーデルシュタインこそが覇者であると!」
そこで初めてオルティナは表情を崩した。そこに浮かんだ感情は―――憤怒。
「今こそ英雄王の敵討ちの時。千年越しの制裁をアインス大帝国に!!」
歓声が沸きあがった。




