二十一話
続きです。
ルナに引っ張られるようにして連れてこられた所は帝城の奥にあった。
「ここは……」
蓮は驚きながらもその場所を見つめていた。
そこは色とりどりの花が咲き乱れ、様々な種の木々に囲まれていた。堅実でありながら絢爛な帝城の敷地内にあるとは思えないほどの自然に、蓮は呆然としてしまう。
「レン、こっち」
ルナが蓮の腕を引っ張りながら先を促すことで、ようやく二人は先へと進んだ。
(千年前はこんな場所は無かったはず……)
帝城の建築を直接見ていたからこそ分かる。こんな場所は無かったと。
(ここは只の庭だったんだけどな)
やはり千年経っているのだと再び実感させられた蓮は、嘆息しながらルナの後に続くのだった。
自然豊かな庭園を抜けた先には白い塔があった。そこの入り口に二人は辿りつく。
「ここにルナのお姉さんが……?」
蓮が眼前に建つ塔を見上げながら言えば、
「そう、いつもここに居る」
ルナが楽しげな口調で返してきた。
(どうやら本当に仲が良いみたいだね)
凱旋や宴席での疲れが溜まっているはずなのに、ルナは嬉しそうな雰囲気だった。
(やっぱり家族っていうのはこうでなくちゃね)
そんなことを思っている内にルナが白色の鍵を取り出して眼前の扉に差し込んだ。
「えっ、ルナ鍵持ってるんだ?」
「ん、お姉さまに貰った……いつでも来られるようにって」
驚く蓮を後目に扉を開けたルナは勝手知ったる様子で中へと入って行く。
「え、えっと……お邪魔します」
僅かに躊躇した蓮だったが、意を決して中へと踏み込んだ。
中へ入ってすぐに螺旋階段があり、他には何もなかった。既に昇っていたルナの後を追うようにして蓮もまた階段を昇ってゆく。塔の内部は蝋燭等の人工的な明かりがなく、随所に点在する窓から入ってくる月明かりを頼りにしなければならなかったが、五感を強化されている蓮にとって大した問題ではなかった。むしろ幻想的だなと、蓮は思っていた。
(月明かりか……ルナの髪に映えそうだな)
ふとそう思った蓮はルナを見ようと視線を上に上げた―――が、
「……えっ!」
思わず声を上げてしまう。薄暗いとはいえ、常人をはるかに超える視力を持つ蓮は見てしまった。ルナの軍服のスカートからのぞく黒い布を。
「……?どうしたの、レン」
だが当人は全く気が付いておらず、むしろ心配してくれたことで蓮は罪悪感に包まれる。
「い、いや!なんでもないですよ!?」
「…………なんで敬語なの?」
動揺しまくりの蓮を不思議そうに見つめるルナ。
「そ、それより早く行こうよ!もう夜なんだからあまり長居はできないだろうし」
視線を足元に向けたまま、ルナの背を押して先を促す。
「わかってるけど……押さなくても大丈夫だよ?」
やはり気が付いていないルナに対しての罪悪感で満ちていた蓮はそれでも思い返してしまう。
(黒……黒かぁ)
人は見かけによらない。それを改めて思い知った蓮であった。
「着いた」
一騒動(蓮だけだが)を経てたどり着いたのは、塔の最上階に位置する一つの部屋だった。
「お姉さま、来たよ」
ルナが木製の扉を数回ノックする。帰ってきたのは優しげな声。
「ルナ、来てくれたのね!入ってちょうだい」
許可を得たルナは取っ手を回して扉を開けて中へと入って行った。蓮もその後へ続いて入る。
部屋の中は先ほどまでのなんの装飾もなかった塔内部とは違っていた。女性的でありながら高貴な者が住まうにふさわしい造りとなっており、それでいて華美過ぎない内装であった。
「ルナ、元気にしてた?ちゃんとご飯食べてる?無茶はしてないわよね?」
その声に、彷徨わせていた視線を正面に向けた蓮は、
「キミは……」
思わず声を発してしまった。
蓮の呟くような声が届いたのか、ルナと抱擁を交わしていた女性が視線を向けてきた。
「あなたは……もしかして噂のレン様、ですか?」
だが蓮は固まったまま返事を返さなかった。それを見て取ったルナが疑問符を浮かべながらも代わりに答える。
「そう……私がお姉さまに紹介したかった相手。それがこの人、レン」
「まあ、そうなの!っとこれは失礼致しました。わたくしはマリアナ・フィンガー・エーデル・フォン・アインスと申しますわ。どうか気軽にマリー、とお呼びください」
ルナとの抱擁を解いて立ち上がり、優雅にドレスの裾を持ち上げて笑みを向けてくるマリアナに、ようやく蓮が反応した。
「……レン・シュバルツです。ルナ……さんにはいろいろとお世話になっています」
「レン……さんはいらない」
ルナがそう言ってくるが、今の蓮には返事を返す余裕はなかった。
(この女性―――マリアナさんはもしかして……)
蓮は目の前の女性を改めて見つめた。アインス皇家特有の絹のように滑らかな金髪に碧眼、加えて美貌であり、実に整った容姿―――でありながらその美貌の半分を覆い隠すようにつけている眼帯が左目を隠している。
蓮が注目したのはまさにその左目であった。
「マリアナさん―――」
「マリー、とお呼びください」
「……ではマリーさん、お聞きしてもいいでしょうか?」
と言って、蓮は自身の左目を手で覆い隠した。
その仕草で察したのか、マリアナは微笑んで首肯した。
蓮はまっすぐにマリアナを見つめて尋ねる。
「マリーさん、あなたのその左目―――それは三種の神眼のどれかなのではありませんか?」
三種の神眼。
それは天・地・人の名を冠している特殊な三つの瞳のことである。それを持ちえるのは人族のみであり、所持者は誰もが歴史上に名を残すほどの功績を残していることから王者の資質とも言われている。
かくいう蓮もその一つである“天眼”を所持しているのだが、こうして直接顔を合わせたことで直感したのだ。彼女もまた同じ存在であると。
マリアナも感じていたのだろう。言及されても特に驚く様子はなかった。
「ええ、おっしゃる通り―――わたくしは“人眼”の所持者なのです。ですがそれはあなたも同じなのでは?」
「はい、僕も“天眼”を持っています」
蓮はそう言って一瞬だけ“天眼”を起動させる。左目が瞬間的に輝いて―――元の黒眼に戻った。
それを見ていたマリアナとルナは驚いた顔を見せた。
「レン、それは……」
ルナは初めて見たことで驚いているが、マリアナは違う理由のようだった。
「そんな……まさか“天眼”だなんて……それに完璧に制御できている……!?」
「お姉さま……?大丈夫?」
ただならぬ様子の姉に、不安げな表情を向けるルナ。それを見て取ったマリアナは取り繕った笑みを浮かべた。
「え、ええ。大丈夫よ、ルナ。ただ少し驚いちゃって」
「確かに私も驚いたけど……お姉さまのはなんか違うような気がする」
(相変わらず聡明だな)
長年の付き合いということもあるのだろうが、相手の心境の変化を瞬時に感じ取る才はさすがだとしかいいようがない。
ルナの言葉に、誤魔化すのを止めることにしたらしいマリアナが話し始めた。
「……まず、レン様が持つ“天眼”は歴史上ただ一人しか所持者が居なかったのよ」
「それって……もしかしてシュバルツ陛下のこと?」
というルナの言葉にマリアナは首肯した。
(それは当たり前―――っていえるのは僕だけか)
三種の神眼は所持者が死ぬことで別の者が発現できるのだが、“天眼”の場合は持ち主である蓮が千年後に飛ばされたため、この千年間“天眼”の持ち主が現れることはなかった。それ故に“天眼”は今では“白帝”と同様に失われた物として人々に認識されている。
「それは……凄い」
いつもは眠たげな瞳を輝かせているルナに苦笑を浮かべたマリアナが続けた。
「あなたは相変わらずシュバルツ陛下のことになると……まあいいわ、それと後もう一つ。わたくしが何故皇族でありながらこんな人気のない所で暮らしているのか。それを知っているあなたならばこの驚きが分かるはずよ」
その言葉に、ルナがハッとした表情になる。
「そっか……お姉さまは“人眼”が制御できないからここにいる。でもレンは同じ神眼の所持者でありながら制御できていたから……」
(やはり制御できていないのか……)
眼帯で覆い隠していて、更にはこんな人気のない所で暮らしている時点でもしやと思っていたのだが……どうやら予想が当たったようだ。
(“人眼”を制御できないのはつらいだろうな……)
蓮の“天眼”が万物を見通すように、“人眼”にも見通せるものがある。それは“人の思考”だ。
(いうなれば読心能力なんだけど、それを制御できていないのであれば―――)
四六時中、視界に入った人の思考を勝手に“視”てしまう。それは想像を絶する苦しみだろう。
(特にマリアナさんは美人でもあるし皇族でもあるから―――下心を持った連中が大勢近づいてきただろう)
どれだけ表面上取り繕っている相手であっても、その内に秘められた劣情や欲望が分かってしまう。そんな状態であれば容易に人間不信になってしまうだろうし、こんなところで暮らしている理由も分かってしまうというものだ。
であれば、制御できている蓮を見て驚いてしまうのは無理もないといえよう。ならば―――、
「マリーさん、僕でよければ制御のコツなどをお教えしましょうか?」
蓮はそう提案した。
するとマリアナは目を見開いて確認してくる。
「ほ、本当によろしいのですか!?」
「ええ、僕はかまいませんよ。ただ、領地に行かなければならないので、それまでという条件付きにはなってしまいますが……」
と蓮が返せば、マリアナは声を震わせて、
「これでようやく……レン様、ありがとうございます!」
そう言った。
蓮は苦笑を浮かべて言う。
「礼を言うのはまだ早いですよ。それに実際に制御するのはマリーさん自身なんですから」
「それでも、ずっとこの状態が続くのかと絶望していた所に希望を運んでくださったのですから……感謝しかありません」
と言ったマリアナの目じりには涙が浮かんでいた。
それを見て取ったルナが、静かにマリアナを抱きしめる。
嗚咽が部屋に響き渡ったが、それは温かいものだった。




