十八話
続きです。
神聖歴千三十一年五月十日―――アインス大帝国南域鎮台イーグルェン。
先日までの戦の騒がしさは終わりをつげ、訪れたのは戦後処理の慌ただしい喧騒だ。
蓮はそんな鎮台の中をゆっくりと歩いていた。目指す先はルナのいる医務室だが、その前による所があったので今はそちらに向かっている。
(それにしてもやはり今回の一件には皇帝が絡んでいたか……)
ルフト大公家の生き残りルキウスを拷問して得た皇帝からの特赦の話、元騎士国女王ティアナから聞いたルフト属州に駐留していたアインス軍の不可解なほどの脆さ、そして先ほどこの南域鎮台の司令官“護国五天将”ルドルフ・ギューテ・フォン・リングから聞き出した皇帝からの命令。これらを統合した蓮の答えは一つ。すなわち―――
(今回の一件は皇帝によって引き起こされたということだ)
だとすればその思惑とはなにか。アインスの南域を危険に晒してでも得たかったものでもあるというのだろうか。
(ルフト残党軍を一網打尽にし、取り逃がしていたルキウスを始末することが目的だったと考えるのが自然だけど……)
どうにも腑に落ちない点が多々見受けられる。それだったらわざわざルナや蓮を使わずにルドルフ大将軍に任せればよいだけのはずだ。彼はアインスに四人しかいない大将軍の一人であり、武官として最高峰の実力を持っているのだから。
なんにせよ―――
(皇帝には気をつけるべきだな)
今回はこちらにも益がある戦いだったから追及はすまい。今度からは警戒して対処しようと決めた蓮であった。
そんな事を考えている間に蓮は目的地にたどり着いていた。北東の城壁上の通路だ。
『お待ちしておりました、レン殿下』
一人の兵士が臣下の礼をとってきた。
「待たせてしまって申し訳ない。ルドルフ大将軍との面会が長引いてしまってね」
と、蓮が謝罪すれば恐縮です、と返してくる兵士。彼は兵士に変装した“天軍”の密偵であり、蓮がティアナと戦う前に南域鎮台に潜入し、見事ルドルフ大将軍と接触。結果挟撃を成功に導いた影の功績者だった。
「楽にしてください。今回こちらに呼び出したのはあなたへの感謝を伝えるためと、今後やってもらいたいことを言うためでして」
『滅相もございません。私はあくまでも任務を遂行したにすぎませんので、殿下がわざわざ礼を言われることはありません』
この密偵の反応は自然ともいえる。上司が―――ましてや皇族が末端の者に直接礼を言うなど本来はありえないことだ。しかし蓮には“労働には対価を。感謝はなるべく直接伝えるべき”という信念があった。
故に、
「それでもありがとうと言わせてもらうよ。それとこれを」
懐から金貨が詰まった袋を取り出し差し出す。
『ぇ……い、いえ!これは受け取れません!!』
「いいから受け取って。これは今回の働きを表立って彰されないあなたへの僕からの表彰だよ。それとこれからやってもらう仕事の前払いでもある」
蓮はそう言って強引に持たせると、懐から二通の手紙を取り出した。
「これを緋巫女とアリアの元に届けて欲しい。あなたはその足で“天軍”に帰還してかまわないから」
そう言えば、逡巡していた密偵は金貨の袋を大事そうに懐にしまって手紙を受け取り、
『……かしこまりました。任務、遂行いたします』
色よい返事をよこしてきた。
(この切り替えの早さは密偵として優れている証だな)
蓮が頷きをもって返すと密偵は一礼し、再び兵士のふりをしながら立ち去って行った。
「さて……ようやくルナの元へ行けるな」
蓮は空を一瞬見上げると踵を返して砦の中へと戻る。空は雨上がりの雲一つない快晴だった。
蓮が医務室に入ればそこにはステラがいた。彼女にはルナに付いてもらっているから当然なのだが。
「あ、ご主人さま……用事はお済みに?」
「うん、終わったよ……ルナの容体はどうかな」
と、蓮が聞けばステラは表情を穏やかなものにした。
「お医者様の話ではまもなく目が覚めるということです。なんでももの凄い速度で自然治癒が進んでいるとかで、驚かれていましたよ。これが覇彩剣五帝の加護なのかーって」
「はは……なるほどね。それはよかった」
霊薬を飲ませたからなのだが、それを説明すれば医者に捕まること間違いないだろう。なにせ現代では霊薬は遺物―――失われた秘薬扱いされているのだから。
(それを何個も持っているなんて知られたら……ぞっとするな)
蓮とて教えたくないわけではない。霊薬があれば救える命は倍増するからだ。しかし製法を知らないのでは意味が無い。
(あれは妖精族と人族の医者の複合作。仲たがいした今では作れない)
加えてそもそも蓮は製法をまったく知らないのだ。そういった理由から今では数に限りあるこの薬をおいそれと渡すわけにはいかなかった。
そんな思案を捨てて言う。
「ステラ、キミは少し休むといいよ。昨日からずっと看病してくれたんだろう?」
「えっと……そうですけど、でも……」
遠慮がちなステラに、蓮は優しく言う。
「大丈夫、ルナには僕が付くから。それに明日か明後日には帝都に戻ろうと思っているから、ふかふかのベッドで休めるのは今だけだよ?」
そう言えばステラは一瞬揺らいだが、直後気を取り直して、
「い、いえ!わたしは大丈夫です!!」
と、言ってきた。だが、体は正直なようだ。
「……ステラ、耳と尻尾……出てるよ」
「え―――ええっ!?う、ウソっ!?」
蓮の指摘に、慌てふためくステラ。彼女の頭には確かに耳がでていたし、スカートからは毛並みの良い尻尾の先端が出ていた。
(どうやら眠くなったり疲れたりすると集中が途切れるみたいだね)
普段は意識することで隠せるらしいのだが……早いとこ隠す必要のない所―――蓮の拠点で暮らせるようにでもしなければと思う蓮だった。
(今回の褒美にどこかの屋敷でも貰えるように言ってみようかな)
帝都に戻れば論功行賞があるだろうから、そこで皇帝に頼んでみるとしようと決めた蓮は未だ慌てふためいているステラを微笑ましそうに見つめて、
「ほら、きちんと睡眠をとらなきゃ隠せないよ?だから……ちゃんと休んできてほしい」
後半部分を真剣な口調で言った。
するとステラはようやく折れてくれた。
「……わかりました。でも何かありましたらいつでも起こしていいですから」
「用事があったかそうするよ。ゆっくりお休み」
一礼して部屋を出て行くステラに手を振って見送った蓮は窓際に置かれている寝台に向かった。
そこには僅かに苦しげな寝顔のルナが横たわっている。
「ルナ……キミが今見ている夢は必要なものだ。だからもう少し我慢して……」
そう呟いてルナの手を握る蓮には、彼女が見ているであろう夢に心当たりがあった。
(力の暴走―――それが収まった後は決まって夢をみる)
そこで覇彩剣五帝―――彼女の場合は“翠帝”―――の意思に触れることとなる。そしてその意思を少しでも理解できれば次の領域に進めるのだ。
(強くなるため―――“覇者”になるためには必要な試練でもある)
故に、蓮は苦しげなルナを強引に起こそうとはしなかった。
不意に、蓮が呟く。
「ルナ……僕はキミに―――いや、キミたちに重ねているのかもしれない」
千年前の仲間たちを―――“皆”のことを。
(しょうがないじゃないか……この時代を生きる人にとっては千年前でも、僕にとってはひと月前くらいなんだぞ)
言い訳じみた思い。それは千年前に飛ばされて以降ずっと抱えてきた辛い思いだ。今までは怒涛の日々の連続だったから考えずにいられたが、こうして一人考える時間ができてしまうとその思いは止まらなかった。
(いきなり家族同然の人たちにはもう会えません、とか言われても納得できない!!)
郷愁の思いはやがてわが身を襲った理不尽への怒りへと変わっていく。蓮の身体から覇気が滲みだし、“天銀皇”が窓から入ってくる風に煽られるのとは別種の動きを見せ始める。そして殺気が放たれそうになった時―――ルナのうめき声が耳朶を打ち、蓮は我に返った。
「僕は、なにを…………」
呆然とする蓮を温かい感触が包み込む。蓮が視線を落とせば握っていたルナの手が握り返してくれていることに気付く。
(……僕だけが苦しい思いをしているわけじゃない)
蓮はルナの手を両手で包み込むと、
「ありがとう……」
と呟くのだった。




