十八話
続きです。
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光の無い暗闇の中で、ラインは一人寝台に腰かけていた。
額に汗を浮かべ、沈痛な表情で虚空を眺めている。
(おれは……殺したんだ、人を……)
先ほどまで寝ていたのだが悪夢に苛まされて起きてしまった。
(おれは“悪”なのか……?)
夢の中でラインは、戦場で手に掛けた人々に責め立てられた。皆口々に怨嗟の声を上げて、恨み言を並べ立てていた。
『お前さえいなければ―――』
『家族が待っていたのに―――』
『なんで―――ドウシテ―――』
(違う……おれは悪くない……だって―――)
ラインが敵を殺さなければ仲間が更に殺されていただろう。
理屈の上では納得できてはいた。しかし、感情はそうはいかない。
(殺した瞬間の顔が―――驚きと怒り―――何より激しい憎しみが―――)
そこまで思い返したラインは急激な吐き気に襲われ、あわてて用意してあった桶に顔を寄せた。
「うっ……おえぇ……」
だが出てくるのは唾液等の体液だけだった。
もとより吐き出すものなどとうに残ってはいなかったのだ。あの戦いの後は何も口にしていないし、今回の様に度々戦場の事を思い出しては吐いていた。
「う……あぁ……はぁ、はぁ」
(誰かを殺すことがこんなにも辛く、苦しいものだったなんて思いもしなかった)
蓮を始め、ラインの周囲にいる人たちは皆殺人に関して躊躇している様子はなかった。それ故にラインは殺人に関してどこか楽観視していたのだ。みんなができるのなら自分にもできる―――と。
(どうしてレン兄たちはあんなにもたやすく人の命を奪えるんだ……?)
再び鬱々とした思考に至り始めたライン。考えても、考え抜いても一向に出ない答えに徐々に苛立ちを募らせ始めたその時、部屋の扉が音を奏でた。
*
「ライン、いるかい?」
蓮はラインにあてがわれた部屋の扉を指で軽く叩きながらそう言った。
「………………レン兄か」
長い間があったが、ラインは返事を返してくれた。
「そうだよ。ちょっと話があってね……入っても?」
「…………今は一人にしてくれ」
(まいったな、予想以上に深刻かもしれない)
このまま放置すれば危ない方向へ転がってしまう可能性が高かった。
かといって無理に部屋に押し入ればいらぬ軋轢を生みかねないだろう。
故に―――
「……じゃあ、ここで話をしようか」
蓮は扉の前に座り込み、話すことにした。
「………………」
ラインは反応しない。だが蓮はかまわず話し始めた。
「ライン、キミは今、人を殺めたことで悩んでいるのだろう?自分のしたことは本当に正しかったのか、もっと他にやりようがあったのではと考えていたのだろう?」
「えっ……なんで……」
「なんでわかったかって?それは僕もかつてキミと同じように悩み、苦しんだからさ」
扉を隔てていてもラインが息をのむ様子が伝わってきた。
「……レン兄が?」
「そうさ……僕も初めて人を殺めた日の晩は食事も喉を通らず、眠ろうにも殺した瞬間が脳裏をよぎって、そのたびに何度も吐いたものさ」
「……じゃあ、レン兄はどうやってそれを乗り越えたんだ?どうすればこの苦しみから解放されるんだ!?」
ラインの縋るような声が鼓膜を揺さぶった。
蓮は目を閉じ、過去を振り返り―――今のラインにとっては残酷ともいえる答えを告げた。
「僕は―――いや、誰もがそれを乗り越えてはいないよ」
「えっ―――」
「皆向き合っているのさ、人を殺めたという事実に」
扉の先でラインが絶句している様子が脳裏に描かれたが、蓮は冷静な口調で続けた。
「ライン、キミは命を奪うことをどう思う?」
「どうって……」
「悪い事だと思う?それとも良い事だと?」
「もちろん悪い事だろ!でも……」
「でも?」
「……あの時、おれが殺さなかったらみんなが―――仲間がもっと殺されていた。だから―――いや、でも―――」
蓮はその言葉を聞いて、閉じていた瞳を開け、天井に視線をやった。
「そう、その通りなんだよライン。殺さなきゃ殺される。敵を討たなければ、大切な人を失う。戦場とはそういう所なんだ。だからこそ皆、心を無にして戦うのさ」
戦場では殺人を忌避することは無駄であり、致命的な隙を生む要因となりかねない。故に戦士たちは皆無心で、ただただ敵を屠るのだ。
「……心を、無に?」
「……難しい事を言ってるのは分かっている。でも、それができなければキミは壊れてしまうだろう」
戦いの度に思い悩んでしまえばいつか精神が崩壊し、まっとうな人生を送れなくなる。
千年前の大戦で、蓮はそういった兵士をたくさん見てきた。
だからだろうか、蓮の声色には切実な思いが乗せられていた。
「そっか……」
それに気付いたのか、ラインの声には驚きと悩み、そして先ほどまでは無かった前向きな感情が宿っていた。
「…………レン兄、おれもうちょっと考えてみるよ。それで納得のいく結論を出してみる」
「ライン……分かった、もう夜も遅いしね」
来た時とは違う、僅かではあるが明るいラインの声に蓮は笑みを浮かべて立ち上がった。
「じゃあ、お休みライン」
「うん……レン兄もね」
そう言うと蓮は約束を守るために、皇王の私室に向かいだした。
「……こんな事を言う権利は僕には無いのかもしれないけどね……」
去り際に呟いた言葉は、誰にも聞き届けられることはなかった。
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蓮は今、戸惑っていた。
「レンお兄様、この衣装はどうでしょうか?ちょっとばかり派手でしょうか、なら次はこれを―――」
歴代の皇王専用の私室に入った瞬間、ミルトによる試着会に強制参加ともなればさしもの蓮とて動揺するのだ。
なんの脈絡もなく、付け加えるならば深夜という事を鑑みればその異常性がわかるというものだろう。 「ええっと……ミルト、これは一体どういうことだい?」
と、蓮が当然の疑問を口にすれば、
「もうっ、お兄様ったら明日が何の日かお忘れなのですか?」
ミルトが頬を膨らませて憤慨した。
「明日……?あっ、そうか……」
そこで蓮は思い出す。明日が戴冠式であり、ミルトの晴れ舞台であるということを。
(それならこの試着会にも納得がいくものだ……いくか?)
蓮は首をかしげながらも笑みを取り繕った。
「ごめん、ごめん。うっかりしていたよ。明日は戴冠式だったね」
「まったく……でもお兄様ですからいいですわ、許します!」
ミルトは無い胸を張って高飛車に言ってくる。
しかし年齢の低さや身長の低さ等によって微笑ましいものになっていたため、不快さはまったくなかった。
「レンお兄様……今、失礼なことを考えませんでしたか?」
「―――!?いやいや、そんなことはないヨ」
「怪しい……」
蓮はミルトのじっとりとした目を避けるかのように視線を逸らし、会話も逸らした。
「そ、そんなことより、この衣装なんかどうかな?ミルトの容姿に映えると思うんだよね」
と、言って蓮は目についた服を手に取って見せた。
雪のような白と夜空を連想させる薄青色が神秘的な雰囲気を醸し出している服だった。ミルトの整った容姿と合わされば、まるで女神を連想させるようだ。
「これは……」
「どうかな?僕としてはすごく似合っていると思うのだけれど」
鏡の前で目を見開いているミルトに、蓮は後押しするかのように言った。
するとミルトは顔をうつむかせ、肩を震わせ始めた。
(おっとぉ……これは失敗だったかな?)
だが蓮としては会話を逸らす目的もあったが、純粋に似合っていると思える一品だった。
正直、可愛い。
「…………い」
「うん?」
と蓮が聞き返せば、
「……可愛いです!凄く!」
ミルトが興奮気味に蓮を見上げてきた。
その表情は純粋な喜びに満ちており、僅かに紅潮した顔に蓮の心臓は跳ね上がった。
(……こういうのには慣れてないんだよなぁ)
蓮は戦場にずっと身を置いていたため色恋沙汰には疎かった。だからこの思いは仕方がないんだよと自分に言い聞かせた蓮だったが、不意に頭痛を感じて顔を顰めた。
―――その記憶は本物?
突然聞きなれない、されどどこか懐かしい声が頭の中で響き渡った。
(うっ、またこれか……!)
「お兄様!?大丈夫ですか!」
ミルトの慌てたような声に、蓮は頭を振って声を返した。
「……大丈夫だよ。ちょっと疲れただけさ」
「戦いの連続でしたもの、無理もないですね……でしたら今日はもう寝ましょうか」
蓮の繕った笑みを見て取ったミルトは、そう言って服を机に投げ出すと蓮の手を取り寝台へと向かった。
そして未だ混乱している蓮を押し倒すとミルトもまた寝台に寝転んだ。
「ふふ、レンお兄様」
ミルトは蓮の名を呼びながら体を密着させると、蓮の耳元で囁いた。
「一人では無理でも、二人でなら大丈夫です。だから安心してください」
「ミルト……」
蓮はミルトの表情を見て取ると、抵抗をせずにそのまま眠りにつくのだった。
真夜中を過ぎ幾ばくか経った頃、蓮は目を覚ました。
隣を見れば、ミルトが蓮の腕を離さないとばかりにしがみついているのが見て取れた。
「……お父様……いやぁ……どうして……お兄様……」
ミルトは顔を歪め、不穏な寝言を呟いている。
よく見れば、目元に光る物があった。
(キミはやはり無理を……)
空元気を出して、蓮を新たな家族にすることでなんとか立て直したと思われたが、実際のところミルトは深く傷つき、苦しんでいたのだ。
「ミルト……」
蓮はミルトの涙をそっと拭うと表情を険しくさせた。
(キミの兄がああなったのは、なにも権力を欲する欲だけじゃなかったんだよ)
反乱に加担した貴族を尋問して聞き出したところによると、蓮の予想通り仮面の人物が関与していることが分かった。
仮面の者は第二皇子に堕天剣五魔を与え、第一皇子には“魔”を取り込むようそそのかした。しかもそれらはすべてアインス大帝国に敵対的になるという結果をもたらしている。
結局のところどちらとも蓮が阻止したため、アインスに対しての被害は最小限に抑えられたものの、アイゼン皇国には甚大な被害が出てしまった。
加えて仮面の者がどこの何者なのかというのは協力していた貴族たちも知らなかった。
(なんにせよ、いずれツケは支払ってもらうよ)
ツィオーネの戦いの後に一瞬だけ見た仮面の者の姿を脳裏に浮かべた蓮は、凄絶な笑みを形作るのだった。




