九話
続きです。
「主殿、護衛の一人も付けずに行かれるのはいかがなものかと」
少女が倒れていた森の入り口に戻ってきた蓮を迎えたのは、不服そうな顔をしたアリアだった。
「ごめん、ごめん。急ぐ必要があったからね。それに……」
蓮は抱きかかえている少女を見つめながら弁明を試みる。
「追っ手も迫っていたみたいだったから、結果的には良かったんじゃないかな?」
その言葉を受けたアリアは嘆息すると、肩をすくめた。
「それは結果論です。……これからは気を付けてくださいね」
「分かったよ。それじゃ皆の所へ戻ろうか」
蓮はクロを呼び、少女を落とさぬよう慎重にその背に乗る。
それに待ったを掛けるアリア。
「どうかしたのかい?」
「どうかしたのかい?ではありませんよ。うやむやにしようとしているみたいですが、そちらの令嬢は何者なのです?それに追っ手はどうしたのですか……?」
間髪入れずに質問してくるアリアに苦笑すると、蓮は簡潔に答えた。
「追っ手は有益な情報を引き出した後に始末した。この子についてだが、聞きだした情報ではアイゼン皇女らしい」
人を殺した事を淡々と言う蓮に対し、アリアは一瞬複雑そうな表情を浮かべるが、すぐに取り繕った笑みを向けてくる。
「いろいろ言いたいことはありますが……とりあえず今は軍と合流し、当初の予定通り皇都に向かいましょう」
蓮はその言葉に首を横に振る。
「いや、まずはここから東にすぐ行ったところにあるヒューゲルという都市に向かおう」
「……何故です?予定ではこのまま皇都に向かい、反乱に乗じるのでは?」
(最初はそのつもりだったけど、皇女を手中に収めた今、別の手を使うことができる)
当初はアイゼン皇国で起きている反乱を鎮圧する手助けをし、アインスと同盟を結んでもらおうという策だったのだが……
(それじゃ押しが弱すぎるんだよね)
もともとアインスに敵対している国家であり、加えて現王はついこの間アインスを侵略しようと軍を動かしてもいる。鎮圧に手を貸したからといって恩を感じこそすれ、同盟を結ぶまでいくかどうかは非常にあやしいところだ。
(だからこそ皇女を利用しない手はない)
皇帝からの書状に書かれていた通り、皇女は逃がされてきた。ならば蓮が皇女を利用するのも織り込み済みだということだろう。
(もっとも皇帝は皇女を利用してアイゼンを滅ぼす算段なんだろうが……僕は違うよ)
蓮は皇帝の思惑さえも利用する気でいた。
「追っ手から聞き出した情報によればヒューゲルには第一皇子に従わない、現王派の勢力が集まっているみたいなんだ。そこに皇女を連れて行く」
蓮の答えにしばらく考えこんでいたアリアだったが、やがて得心がいったという顔をする。
「なるほど……皇女を旗頭とした鎮圧軍を結成させ、反乱軍にぶつけるのですね」
「まあ、大まかに言えばそんな感じかな。僕たちは数が少ないしね」
蓮が連れてきた“天軍”は三千のみ。行軍速度を上げるために数を減らした結果だった。
対して反乱軍はアインスとの国境に兵をいくらか置いてきたとはいえ、二万近くいると追っ手が洩らしていた。皇都の守備軍と戦っている隙を突くとはいえ、圧倒的な兵力差ではこちらの被害が大きくなってしまうのは否めないだろう。
(今後の事を考えると“天軍”の損耗は最小限に留めたい。だから……利用できるものは利用しないとね)
蓮は口角を吊り上げ、笑みを刻むのだった。
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―――アイゼン皇国南部都市ヒューゲル―――
普段は活気にあふれ、人々の声が絶えないこの都市は現在、城門をすべて閉じ押し殺したような静寂に包まれていた。
そんな静けさが当てはまらない所が存在した。ヒューゲル伯爵デニス・フォン・ヒューゲルの館である。
そこでは連日、現王派の貴族達による会議が行われており、今も会議の真っ最中だった。
「やはり我らだけでも打って出るべきでは?このままではエドガー第一皇子が皇都を陥落させてしまう。そうなれば従わない我らは見せしめとして真っ先に殺されるでしょう」
この会議の主催者デニス・フォン・ヒューゲル伯爵が重苦しく息を吐いてそう言う。
『しかし、我らはたった五千……皇都の守備軍と呼応しても勝てる見込みは薄い。ここは東部と西部に出した使者が持ち帰る返答を見てからの方が』
『何を弱気な事を!使者を出してもう一週間以上経つが、一向に戻ってくる気配がないではないか!デニス殿の言うとおり、我らは打って出るべきだ!』
『ですが、もし鎮圧しようとしているのが我らだけだったら?他の貴族たちがエドガー第一皇子についていたらどうするのです?それこそ勝ち目などないのでは?』
会議は打って出るべきという意見とそれに反対、もしくは慎重になるべきという意見で割れており、一向に進む気配がなかった。
(これでは会議で結論が出る前に皇都は陥落するだろうな)
デニス伯爵はため息を押し殺し、顔を顰める。
(民衆や兵も反乱軍の兵力に及び腰になっている……せめて御旗となる人物さえいてくれたらよかったのだが……)
アイゼン皇家次男クリストフは独断でツィオーネに攻め込み、討死。残るは皇女ミルトだが、彼女は包囲されている皇都に居る。旗頭となりえる人物はいなかった。
(そういえばクリストフ殿下は“軍神”に討ち取られたという根も葉もない噂があったが……)
どうせ嘘に決まっている。大方むざむざ主君を討ち取られた敗走兵たちが、自らの敗走を正当化するために流したのだろう。
(大体“軍神”は千年前の人物だぞ……つくならもう少しマシな嘘をついたらどうなんだ)
デニス伯爵が遅々として進まない会議から意識をそらしていたその時だった。
『きゅ、急報!急報にございます!』
会議室の扉が勢いよく開かれ、一人の兵士が息を切らして入ってきた。
『なにごとだ!今は会議の最中だぞ!』
一人の貴族が怒鳴り散らすが、兵士は意に介さず興奮した面持ちで衝撃的な事を口にした。
『西門にミルト皇女殿下を連れた男がきました!彼は中に入れるよう要求していますが、いかがいたしましょう?』




