エピローグ
続きです。
神聖歴千三十四年六月十五日。
この日は快晴であった。
夏の到来を予感させる温かな風が吹き、草花は楽しげに揺れている。
鉱山の町であるアインス大帝国、シュトラールの町では人々が昼間から酒を飲み、騒いでいた。
平時であれば咎められてもおかしくはない光景だ。されど、今日に限っては衛兵すらも役職を忘れて喜色を露わにしている。
『女帝陛下万歳!!我らが〝戦女神〟に乾杯!』
『いよいよ今日、我らが女帝陛下は第二代〝人帝〟に就任なされる!』
『めでたいことだ。戦争も終わったし、こうして人族が再び一つになれたんだからな』
第一次宗教戦争、第二次宗教戦争――総して〝解放戦争〟が終結して一月。
突如として現れた天使の軍勢に蹂躙された南大陸であったが、人々の復興の速さは尋常ではなかった。
武具に使う鉱石が採掘できるこのシュトラールの町も攻撃の対象になったが、今ではすっかり元通り――日常に戻っている。
それもこれも――全ては戦争から凱旋した第五十代皇帝ルナ・レイ・スィルヴァ・フォン・アインスの手腕によるものだった。
まず彼女は南大陸全土に向けて〝解放戦争〟の真実を語った。あまりに突拍子もないことであったが、既に天使というありうべからざる存在を目にしていたため、大きな反発はなく受け入れられた。
〝世界神〟信仰が根強いエルミナ聖王国では無論反発があったが、それも〝聖王〟ヴァイクがじかに語ったことで収まりをみせる。
戦争の真実を語ったルナが次に行ったのが、南大陸に存在する国全てで同盟を結ぶことであった。
これに関してはエルミナ聖王国以外は既に〝軍神同盟〟という枠組みに入っていたため問題は起きず、〝世界神〟という大きな寄る辺を失い、戦争で甚大な被害を被ったエルミナ聖王国も特に反発なく同盟入りすることとなった。
結果、各国は互いに協力しあい、復興が凄まじい速度で進んだのである。
そして間接的にではあるが南大陸を――人族を再びまとめ上げたということ、加えて様々な功績を以って各国の王たちはルナを史上二人目の〝人帝〟――人族を統べし者として認めたのであった。
これは千年前――アインス大帝国初代皇帝以来の快挙である。故にアインスの民は喜ぶのだ。
自国の皇帝が南大陸の代表となった――すなわちアインス大帝国が覇者となったことを意味するのだから。
「現金なものだね。つい一月まえまでは滅亡一歩手前だったっていうのにさ」
「それだけ人々がたくましいということでしょう」
歓喜に沸く町を一望できる小高い丘――その上に建てられた領主の館の庭園から人々を見守る影があった。
呆れを含んだ声音、されどどこか嬉し気に語る銀髪金眼の青年に応えたのは金髪に虹彩異色――左眼を金色に輝かせた女性である。
「全て上手く行ったのですから、浮かれるのも仕方のないことですわ。現に貴族諸侯も大喜びですもの」
「それは同盟を結んだことで交易が開かれ、多くの利益が生まれたからだろう」
「……相変わらず辛辣ですわね、ブランお兄様」
と、肩をすくめた女性に青年――マルク・オーベン・ブラン・フォン・アインスが笑い声を上げる。
「ははっ、そうかもしれないね。でも事実は事実だよ、マリー」
そう返された女性――アインス大帝国宰相マリアナ・フィンガー・エーデル・フォン・アインスは後ろを振り返る。
「ですがわたくしも浮かれていますわ。こうして皆さまと無事に再開できたんですもの」
「まぁ……確かにそれには同意だね。僕もこの光景には心が浮き立ってしまうよ」
妹につられて後ろを振り返ったブランがほほ笑む。
二人の視線の先には複数人の男女がいた。
「もっと気合を入れろ!戦争が終わったからといって私たちの出番がなくなったわけではないのだぞ!」
「嬢ちゃんは肩の力を抜いたほうがいいとおもうぜ。いくらなんでも気合入りすぎだろ……」
「キール!貴様は怠けすぎなのだ!もっとしゃんと――」
「はいはい、俺が悪かったって。だからそんなに怒んないでくれよ、アリア」
「――ッ!?~~き、貴様という奴は!!その呼び方は二人きりの時だけにしろと言ったではないか!?」
茶髪の偉丈夫が桃色の髪の女性をからかっている。模擬試合をやっている最中だというのにどこか気の抜けた光景であった。
そんな彼らを見たブランが意外そうに眉を上げる。
「それにしても……まさか彼らが結婚するとはねえ」
「あら、意外でもありませんわよ。以前から彼らはお似合いでしたから」
「そうかい?喧嘩ばかりしていた印象があるんだけど……」
「喧嘩するほど仲が良い、という言葉もありますわよ」
〝天軍〟副官の二人はつい一週間ほど前に結婚したばかりだ。話によるとアリアの方から告白したそうだが、ブランとしてはあの堅物が……と意外に思ってしまう。
しかしマリアナの方はそうは思っていなかったらしい。
この手の話は女性の方が機微だと思うことにしたブランの耳朶に、笑い声が触れてきた。
声の方向に視線を向ければ、そこには花畑に座って談笑する男女の姿があった。
「ラインさん、これ……良かったらどうぞ」
「え?こ、これをおれに!?いいの?」
「ええ、ラインさんに受け取って欲しいんです」
青髪の少年の頭に花で編まれた冠を乗せる灰髪の少女。その頭には一対の獣耳が生えていて、時折ピコピコと楽しげに揺れている。
「ラインが元気になってよかったよ」
とブランが思わず呟けば、マリアナが微笑を溢す。
「ふふ、お兄様も誰かを案ずるのですね」
「おっと心外だね。僕だって後輩を心配するくらいはするさ」
姉を喪い、過酷な戦争で荒んでしまった少年――ラインをブランは心配していたのだが、それは杞憂に終わる。
何故なら、彼が想いを寄せていた少女が帰ってきたからだ。
「彼女――ステラに関してはこのままシュトラールに匿っていた方がいいだろうね」
「ええ、彼女はあまりにも特殊すぎますから」
ラインに寄り添う少女――ステラは意志を持ち、肉体さえ持つ神器――という稀有な存在である。もしそのことが悪意を持つ存在に知られればどのように利用されるか分かったものではない。
故にシュトラールの町に匿っておくという結論に至ったのである。
「それで思い出したんだけど……やっぱりダメそうかい?」
「……ええ、ステラや〝翠帝〟といった一部のもの以外は全滅ですわ」
〝解放戦争〟が終わった後、この世界から神力という概念は消滅した。
〝世界神〟――〝創造王〟が居なくなったためだと思われるが、それによって神器は一部を残してほぼ全てが消滅。対となる魔器もまたその役目を終えたと言わんばかりに消滅したのだった。
かくいうブランの腰にも堕天剣五魔の姿は無い。天使が消滅してからしばらくして消えてしまったのだ。
「まあ、これで良かったのかもしれないね。あれらは人族の手には余る力だ」
「わたくしも同意ですわ。神器や魔器は争いの火種になりかねない存在でしたから」
覇彩剣五帝が失われたのはアインスにとって痛手だけど、と言ってから、ふとブランが訊ねる。
「そういえば……彼女はあれからどうなんだい?グラナート公国の公爵の元にいるとは聞いているけど」
彼女とは〝解放戦争〟で片腕を失った〝蒼帝〟の所持者、ノブレ・ティアナ・ディ・アルカディアのことである。
ティアナはあの戦争でグラナート公国の若き公爵レグルスに見初められ、熱烈に求婚されているとまではブランも知っていた。けれど現在どうなっているのかは知らない。
「相変わらずみたいですわよ。ティアナさんは『私なんか……』と卑下し続け、レグルス殿は『いや、あなたは素晴らしい人だ。まさに天上から舞い降りた女神だ』と肯定し続けているとか」
「彼ららしいね……」
果たして彼らが結ばれる日はやってくるのだろうか。今後に期待である。
と、ブランはマリアナと会話を繰り広げていたが、ここで近づいてくる気配を感じ取って天を仰いだ。
これほど強烈な覇気を放てる存在は世界広しといえども一握りだけ。そして空中から接近してくるとなれば特定は容易い。
「大帝都の方は片付いたのかしら?」
と、太陽の光に眼を細めながらマリアナが問いかければ、
「問題ない。全部済ませてきた」
空中より地上に降り立つ銀髪の女性――ルナが首肯した。
身に纏う衣は各国の職人が総力を結集して創り上げた〝人帝〟専用の物。
放つ覇気は強大、その美貌は絶世と呼ぶに相応しい。
今や皇帝として、〝人帝〟として、そして〝王〟としての風格を漂わせている。
そんなルナに何やら聞きたそうにしている様子の妹を見たブランが口を開く。
「護衛は連れてこなかったのかい?バルト軍務省長官やレオンが黙ってなかっただろう?」
「……レオンは五万を連れてこっちに向かってきている」
その言葉に――否、特定の人物の名前に反応を示すマリアナを見遣ったブランは小声を発する。
「権謀術数を巡らす宰相が、まさか武骨なレオンに惹かれるとはねえ……」
「何か言いましたか、お兄様?」
「いや、何も」
顔を上げたマリアナが左眼――〝人眼〟を輝かせてブランを見つめてきたことで、彼は冷や汗をかく。
もはや堕天剣五魔による加護がないため、心を覗かれる危険があったためである。
努めて無心になるブランをどこか怖さを感じるうすら寒い笑みで見つめるマリアナ。
そんな兄妹の様子に微笑んでから、ルナは歩き出す。
向かう先は領主の館――その裏手にある洞窟を抜けた先だ。
去っていくルナの背に視線を転じる二人。
「……まだ〝彼〟は目覚めないのかい?」
「ええ……やはり受けた傷が大きかったのでしょう」
憂いを含んだ声は大気に溶け消え、ルナの耳朶に触れることはなかった。
*****
薄暗い洞窟に足音が反響する。
皇帝として、また〝人帝〟として忙しい日々を送っているルナだったが、ここにやってくることだけは毎日欠かさず――日課としていた。
いつ〝彼〟が目覚めてもいいようにという想いからである。
洞窟を抜けた先には――森林があった。
本来ならばありうべからざる光景だ。何故ならこの洞窟は本来、鉱山に繋がっているはずだからだ。
しかし、それを改変することは〝月光王〟であるルナにとっては容易いこと。ましてや〝彼〟のためなのだから。
その森林の中心部には一軒の小屋がある。清楚静謐さを感じさせる木造の小屋だ。
やってくるルナの気配を感じ取ったのか、小屋の中から一人の女性が出てきた。
紅髪の女性――当代の緋巫女である。
「陛下、お待ちしておりました」
と、頭を下げてくる緋巫女の律儀さに苦笑しながらも、ルナは応じる。
「毎日のことだから出迎えは要らないっていったのに……」
「そうもいきません。全てを失った私に役目を与えてくださった陛下を出迎えるのは当然のことです」
神力が消えたことで、それを扱える緋巫女の役目は終わりを告げた。
〝世界神〟に関する事実が知れ渡った今、彼女が何者かに狙われる危険性は高い。
故にルナは彼女を保護し、更に役目を与えたのだ。この地を守る役目を。
「……それで〝彼〟は?」
「奥にいらっしゃいます。どうやらあの方は陛下がお創りになられた薔薇園をお気に召したようでして」
「そう……行っても?」
「ええ、どうぞ。私はお茶の準備をしてまいります」
そう言って緋巫女は小屋の中へと入っていく。
彼女の背を見送ったルナは小屋には入らず裏手へ向かう。
そこには――
――色とりどりの薔薇が咲き乱れる庭園があった。
風に舞う花びらを視界に収めながら歩を進めれば、やがて終着点にたどり着く。
そこには青い薔薇が一輪だけ咲いていた。
「また……シエルのところにいたのね」
ふっとほほ笑んだルナは、青薔薇の前に置かれた長椅子に座る黒髪の少年に話しかける。
「…………」
応えはない。けれどもルナは気にせず彼に歩み寄ると、その隣に座った。
横を向けば少年の顔が――虚ろで光の無い瞳を確かめることができる。
あの戦争が終わってからずっとこの調子だ。誰もがもう起きないのではないかと言っている。
でも――それでもルナは信じている。
いつか彼が目を覚ますことを。わらいかけてくれることを。そしてあの時の返事を返してくれると。
「……待ってる。いつまでも、未来永劫――私も〝王〟だから」
もはや時は敵ではない。不老の存在となったのだから。
ルナは両ひざに置かれていた彼の手に触れる。
冷たい、けれど確かな熱を感じることができた。
「私はね……あなたのことが好きなんだよ――レン」
己が想いを確かめるように発せられた呟きに少年が応じることはない。
だけど――
「いつか、また――……」
――会えると信じて、ルナはそっと眼を閉じるのだった。
お付き合い頂きありがとうございました。




