復讐の刃、贖罪の果て
続きです。
世界が解放され、歓喜に満ち溢れる中。
エルミナ聖王国最北端――雪原では二人の男女が相対していた。
片や奇抜な服を身に纏い、妖艶な雰囲気を醸し出す女性。
彼女は鉄扇を広げ、優雅に扇いでいる。
対するは黒髪黒目――身に纏う衣も黒という異彩の少年であった。
右手に闇を放つ黒刀を、左手に七つの光を放つ夜空の如き剣を携えている。
「まずは……逃げずにいてくれたことに感謝しようか」
と、少年――蓮が口を開けば、対面する女性が艶美に嗤う。
「ふふ……感謝するのは妾の方じゃ。よくぞあ奴を始末してくれた」
「僕にとってもあいつは敵だったから、利害の一致さ」
「謙虚じゃの。……まあ、良い。妾はおんしに感謝しておるゆえ、こうして待っておった」
その言葉に、蓮は二刀を構える。
殺意に濡れる真紅の右眼――〝冥眼〟が輝き、哀哭の光を放つ漆黒の左眼――〝天眼〟が闇を溢れさせる。
「ようやくこの時が……ようやくお前を殺せる――〝天魔王〟!!」
蓮の膨大な覇気――そこに混じる殺気が大気を歪める。
圧倒的な力の奔流――一身に受けた女性〝天魔王〟は。
「くっくく……はははっ!良い、良いぞ。相変わらずおんしの殺意は妾を興奮させてくれる」
嗤って、鉄扇を閉じた。
瞬間、〝天魔王〟の周囲の空間が歪んだ。
彼女の放つ絶世の覇気に、世界が耐えられないと悲鳴を上げているのだ。
「ふっふふ、久しぶりに全力での戦闘じゃ。存分に力を振るうが良いぞ――〝楽土〟」
主である〝天魔王〟の言に、歓喜を示すかのように鉄扇――〝楽土〟が震える。普段から放っている粒子が輝きを増した。
対して蓮もまた手にする得物に語り掛ける。
「〝七星剣〟最後まで付き合ってくれるかい?」
そう問えば、〝七星剣〟は刀身の星々を煌かせて応えてくれる。
蓮は嬉しげに目元を和らげると、今度は右手――〝黒帝〟に眼を向けた。
「〝黒帝〟……最初から全力で行く。頼めるかな」
その言葉に黒刀が震える。宿敵を前にして鼓動しているのだ。
早く刃を交えろと、どちらが上かを知らしめろと訴えかけてくる。
最後に蓮は黒衣に優しく触れてから、一歩前に進んだ。
たったそれだけの動作、されど地面は耐え切れずに割れ、天は渦を巻いて悲鳴を上げた。
昏く淀んだ覇気が空間を喰らい尽くし、圧倒的な武威が三千世界に示される。
濃密な闇を広げながら迫る〝黒天王〟に、〝天魔王〟は鉄扇を突きつけるようにして向けた。
「さあ――始めようではないか」
「ああ――終わらせよう。今度こそッ!」
蓮は叫んで跳躍、神速の勢いを以って二刀を振り下ろした――。
*****
――………………。
「…………ここは……?」
意識が覚醒した時――蓮は穏やかな世界に居た。
色とりどりの花々が咲き乱れ、蒼穹に浮かぶ太陽の光に照らされている。
火照った身体を冷ます程よい風が吹く。
この世のものとは思えない光景に、思わず呟いてしまう。
「僕は……死んだのか?」
〝王〟である以上、そうそう死なないはずだが、相手は同じ神の一柱。
それに最後の記憶は〝天魔王〟の首を刎ね飛ばした光景と、彼女の鉄扇がこちらの胸を貫いているという致命的なものだ。
(相討ちか……)
死んだという事実、けれども蓮の心中は穏やかである。
何故なら宿敵である〝創造王〟と〝天魔王〟を討った後だからだ。
(心残りはあるけれど……)
もとより覚悟はしていた。強敵二連戦を経て生きて帰れるほど現実は甘くはないのだ。
ルナとステラの事は気がかりであったが、二柱の神を打倒したのだから危険はないだろう。
「これでようやく……休めるな」
リヒトの元へ、ソフィアの元へ行ける。皆ともう一度会える。
それになりより――もう戦わなくて良いのだという事実に安堵していた。
「疲れた……もう、いい」
他にも心残り――故郷である〝地球〟に残してきた妹と親友の顔が脳裏をちらついたが、具体的な顔までは思い出せない。
それほどまでにこの世界で永く、濃密な時間を過ごしすぎたのだろう。
「リヒト……キミの願いを叶えることはできなかったけれど、世界は解放したよ」
義兄の想い――自由に生きてくれという願いを叶えることはもうできない。
けれど彼らが生きた意味を無駄にはしなかった。彼らの残した〝歴史〟を守り抜き、彼らが望んだ〝未来〟を勝ち取ることができたのだから。
「ソフィー……キミの願いは叶ったよ」
仇である〝天魔王〟を殺し、彼女の望みであった世界の解放――〝創造王〟の打倒にも成功した。
千年前の負債は全て支払った。
これでもう、ルナたち今を生きる者を遮る障害はない。
「〝停滞期〟は終わった……新たな時代の幕開けだ」
千年にも及んだ〝創造王〟の支配――〝停滞期〟は終わりを告げた。
これからは新時代――〝神〟の支配がない、自由な未来が訪れることだろう。
それは険しくも困難な道のりとなるはずだ。
だが、彼らなら――きっと乗り越えられると確信している。
「僕は見守ろう。キミたちの行く末を、新たな旅立ちを祝福しよう」
そう言って瞼を閉じようとした――その時だった。
頬に――衝撃が奔った。
「なん――……ぇ?」
驚愕、そして呆然。
何故なら――蓮の眼前に見知った女性が立っていたからだ。
ずっと会いたいと願っていた。けれども心のどこかで再開を拒んでもいた。
悔恨、後悔――それらを上回る歓喜。
様々な想いから硬直してしまった蓮を見つめる金髪碧眼の女性が口を開いた。
「レン……久しぶりですね」
再開を喜ぶ言葉、されど口調は怒りは孕んでいる。
整った顔立ち――かつて敵対していた魔族ですら求婚した美貌を怒りで満たしている女性に、蓮はようやく言葉を紡いだ。
「どうしてキミが……ソフィー」
ソフィア・シン・アイリス・フォン・アインス――千年前に死別した恋人がそこに居た。
蓮は信じられないと眼を見開いて、それでもどうか本物であってほしいという想いからよろよろと歩を進める。
迷い子がようやく母を見つけたような――そんな姿の蓮に、ソフィアは怒りを霧散させてどこか困ったように微笑んだ。
「まったく、あなたは……相変わらずみたいですね。本当は戦いたくないのに誰かのために剣を振るう。誰かのためなら戦えてしまう――優しくも強い、でも本当は誰よりも弱くて臆病な人」
そう言って蓮に近づき、抱きしめると耳元で囁く。
「つらかったでしょう?ごめんなさい……私たちの所為で、あなたに辛い道を歩ませてしまった」
慚愧の念が伝わってくる言葉。
それを聞いた蓮は身体を震わせると、ソフィアの身体に両腕を回して抱きしめ返した。
「違う……違うんだ、ソフィー。僕が弱かったから……情けなかったからキミを死なせてしまった。〝創造王〟の策略を防ぐこともできずに、リヒトたちを傷つけてしまったんだ」
本心からの言葉だった。
千年後に飛ばされて、呆然としたけれども戦い続けたのはひとえに贖罪の為。
ソフィアを守れなかったことや、リヒトたちを苦境に追いやってしまったことへの罪の意識からなのだ。
そう訴えかければ、ソフィアは困ったような声を発した。
「いいえ、悪いのは私たちの方です」
「いいや、僕の方だ」
「私たちです!」
「僕だ!」
僅かな、言い争いともいえない口論。
どちらも相手の事を想って言っている――それに気づけないほど、二人の仲は浅くはない。
「……ふ、ふふっ……」
「……く、ははっ……」
だから可笑しくて、二人は同時に笑い声を上げてしまう。
心底楽しげな笑い声が世界に広がり、草花は風に揺れ、穏やかな雰囲気が訪れる。
ひとしきり笑った後、ふと蓮は訊ねた。
「そういえば、さっきソフィーは怒ってたよね?それはどうしてなんだい?」
これにはソフィアが思い出したと怒った時の表情を浮かべようとする。
けれども笑った後ではどうにも様にならず、見ている蓮としては微笑ましく感じてしまうものだ。
そんな蓮の雰囲気に気づいたのか、ソフィアは一度咳をしてから言葉を発する。
「私、怒ってます」
「え、そうなの?」
「茶化さないでください」
「はい……」
意外にも強い口調で言われてしまえば、蓮は黙らざるを得ない。逆らうことなど出来はしない。……これが惚れた弱みというものなのだろうか。
「いいですか、あなたはもう終わったという態度ですよね。それに対して私は怒っているわけなんです」
「なんでだい?実際、もう終わったんだろう?僕は死んだんだから」
「いいえ、あなたは生きています。瀕死のところをルナに助けられたんです」
この事実に蓮は驚きを露わにした。
「どうやって……いや、そもそも僕がいる場所をなんで特定できたんだろうか――っ!」
そこで思い出す。ルナの左眼が銀に輝いていたことを。
「そうか、〝地眼〟……確かに千里眼であるあの〝眼〟があれば僕を見つけるのは容易い」
「そう、そして彼女はあなたを見つけ、〝月光王〟の力で癒したのですよ」
でも、と表情を曇らせるソフィア。
「あなたを貫いた〝楽土〟――その〝冥恵〟はあまりにも強力でした。〝黒薔薇〟の高速回復でも、〝黒帝〟と〝七星剣〟の加護でも、〝王〟としての力でも……死は免れないところでした。それをルナは〝月光王〟としての力と覇彩剣五帝の力を合わせることであなたを救ったのです」
一呼吸おいて、ソフィアが沈痛そうに語る。
「ですが、それほどの力をもってしても完全な回復には至りませんでした。……今のあなたは生きてはいるけれど、死んでいる。そんな状態なのです」
「…………なるほどね」
ようは植物状態だということだろう。
生物として生きてはいるが、知的生命体としての活動は一切できない。なるほど、生きてはいるけど死んでいるとは中々に的確な表現だと蓮は思った。
「悲観することはないよ」
と、蓮が軽く言えば、ソフィアは驚いた表情を見せる。
そんな彼女に蓮は微笑みかけた。
「いつ目覚めるかが分からないし、そもそも目覚める保証もない。けど――それまではずっとキミと居られるってことだろう?」
それはとても嬉しいことだと、蓮が告げればソフィアは困ったように、けれどどこか嬉しそうに頬を染めた。
「退廃的ですね……ルナに申し訳がたちません」
「大丈夫、彼女ならきっと許してくれるさ。それに――……」
銀髪の女帝に惹かれている自分がいる――などとは流石にソフィアの前では言えなかった蓮は言葉を飲み込む。
けれど、彼女は蓮の心境を見透かしているかのようにほほ笑んでいた。
「ここでの時間は奇跡のようなもの。いわば泡沫の夢のようなものです。そして夢はいつか覚めるもの」
「……分かってるよ。でも、それまでは――」
「ええ、共に過ごしましょう。あなたに話したいことがたくさんあるんですよ。私も――彼らも」
「彼ら?」
と、ソフィアの指し示す方を向けば、そこには――。
「――ああ…………リヒト、シャルちゃん、皆……!」
ここが生と死の境目だからこその再開。
もう二度と会えぬと諦めていた者たちがそこにはいた。
蓮は心の底からの笑みを浮かべて、ソフィアの手を握って立ち上がる。
握り返してくれる彼女の温もりを確かめながら、二人で皆の元へと向かうのだった。
土曜日に完結する予定です。




